280.スジ肉カレーと
「いやぁ〜初日に踏破出来るなんて、頼もしい後輩達だね!」
「ありがとうございます」
「近いうちに食堂で宴会だね!よぉっし、料理長に言ってステノスの秘蔵の酒出して来ようっと」
ミノタウロスは牛型魔獣なので、ほぼ牛と同じ可食部があり肉が美味しいことで知られている。サンノはちゃっかり駐屯部隊所有の空間魔法の付与が付いた鞄を借りて来ていて、いそいそとミノタウロスを収納していた。腐らないように時間停止も付与されているものは遠征に出ている部隊が借りて在庫がなかったらしく、肉が駄目になる前に早く帰ろうと急かしていた。
駐屯部隊で討伐した魔獣は、その場で食糧として補給に役立てる以外で持ち帰ったものは基本的に部隊の共有財産としてギルドに卸すか商会に売るかして予算の一部としている。しかし直接討伐に参加した隊員が希望を出せば、ある程度は融通が利く。肉が食べたければ食堂で出してもらうことも出来るし、個人で素材を引き取りたい場合は許可が下りれば格安で販売してもらえるのだ。
「俺、もも肉が欲しいんですけど大丈夫ですか?」
「へーきへーき!レンドルフ君ならあの落とした脚丸ごとでもいいよ〜」
「サギヨシ鳥のもも肉も…」
「いいよ〜ってか、レンドルフ君脚フェチ?いや太腿フェチ?」
「違いますよ」
謎の思考回路のサンノに聞かれて、レンドルフは少しだけ苦笑する。
牛型も鳥型も美味しいとは思うがそれ以上の感情は別にない。もも肉の煮込み料理は好きだが、その料理をもっと好きなのはユリの方だ。今回の討伐で入手した鮮度の良い肉を分けてもらって、ミキタの店で調理してもらえないか頼もうと思っていたのだ。先日はレンドルフの快気祝いと称してユリが温室のレストランを貸切にしてくれた上に、レンドルフの大好物の一つである牡蠣をわざわざ取り寄せてくれた。今度会う時にはレンドルフからユリの無事を祝う食事会をしたいと思っているのだが、それを頼めるのはミキタの店しか思い付かなかった。レンドルフとて中心街の高級で評判の良いレストランは知っている。そういったところに連れて行ってもユリは喜んでくれるだろうが、レンドルフとしては何となくそこは違うと感覚的に考えていた。貴族でも人気が出そうな洗練されたレストランと、豪快で味は保証されている大衆向けの人気食堂。そもそも同じステージに乗っているものではないので、比べようがない。
ただ自分の持っている中で、一番ユリに喜んでもらえそうなカードを切りたいという自己満足に過ぎない自覚はあった。
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二、三日掛けて成果を出せばいいと言われていた任務だったが、見事に初日で達成してしまったので、翌日は休暇になってしまった。レンドルフとしては体力的には問題はないが、同行した新人二人には休息は大切だ。レンドルフは別の任務を入れてもらっても良かったのだが「お前さんが休まないと他の奴らも休み辛いだろ」と至極真っ当にステノスに諭されてしまい、ミキタの店に素材を届けに行くついでにエイスの街をぶらつくことにした。
取り置いてもらった肉を保存の付与が掛かった紙に包んでもらい、ミキタの店の開店時間に合わせて訪ねる。彼女の店は、遅めの朝食代わりにとランチタイムより少し早めの時間に開けているのだ。その時間帯ならば、常連が二人程度来るくらいで空いていると聞いていたので、肉を差し入れてメニューを頼むのにそこまで邪魔にならないだろうと思っていたのだ。
「すみません…また出直して来ます」
「いいよ、いいよ!ほら!ちょいと奥空けとくれ」
レンドルフが店を覗き込むと、ほぼ満席状態だった。ランチタイムならば珍しい光景ではないが、今はまだ昼には随分早い。ランチ営業をしている店も半数近くはまだ開けていないくらいだ。肉を包んでいる紙の付与も半日くらいは保つ物であるし出直して来ようとしたレンドルフだったが、ミキタの威勢の良い掛け声にいつもレンドルフが座っているソファ席にいた常連の老人が皿とコップを持ってイソイソと移動していた。
「あの、申し訳ないですから」
「いやぁ、兄ちゃん、それ多分良い肉だろ?この礼にミーちゃんにワシにも食わせてくれと頼んでくれりゃいいさね」
「普段かすみ目だって言ってる割りにそういうことは目敏いね。いいからレンくんも食べて行きなよ。出直してたら無くなっちまうよ」
サッといつもの席のテーブルを拭くと、ミキタは既に水の入った瓶とコップを置いていた。そこまでされてしまうとレンドルフも断り辛い。それに、店中に漂っている食欲をそそる香ばしい匂いに釣られるように席に引き寄せられてしまう。
「あ、これサギヨシ鳥とミノタウロスの肉です。これで料理をお願いしたくて…」
「ああ、任せときな、何でも作ってやるよ。取り敢えず今は保管庫に入れて置くよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「…もも肉かい?」
「え、ええ…」
思わず一瞬口ごもってしまったレンドルフに、ミキタはニヤリと笑った。ユリの好物を作って欲しいと頼む前からすっかりお見通しのようで「じゃあクリーム煮とトマト煮込みだねー」とミキタは楽しそうに答えていた。
差し出した肉の包みはレンドルフは片手で抱えられるが、小柄な部類のミキタは両腕ででも腕が回らない大きさだった。けれど全く重さを感じさせずにミキタはヒョイと抱え上げてレンドルフから受け取って、カウンター奥の保管庫に入れに行ってしまう。
「さあさ、レンくんは座って。今日のランチは特製カレーだよ。それでいいかい?」
「はい、是非」
店に入る前から既に漂っていたのは、カレーの香りだった。数十年前に異国から入って来たスパイスをふんだんに使用した料理で、当時は王侯貴族しか食べられない高級品だったが、スパイスを品種改良して国内でも育てられるようになったので一気に平民にまで普及した。土壌が違うせいか原産国とは大分香りが違っているようだが、オベリス王国固有の薬草などを使用することによって独自の味が生まれ、それは本場のものよりも国産のものの方が国民には受け入れやすかったようだ。
「今日は牛スジ肉のカレーだ。前にレンくんの故郷の料理を食べさせてもらっただろ?あんなに柔らかくなるならスネ肉の代わりに使ってみようと思ってね」
深さのある皿に、黒に近い色のカレーがたっぷりと盛られていた。スジ肉以外の具材は蕩けてしまっているのか僅かにしか目視出来ないが、全て角が丸くなっているので大きな具材をじっくりと煮込んだのだろう。スパイシーだがまろやかさもある香りが食欲をそそり、食べる前から喉がゴクリと鳴った。その皿の隣には、いつもと違う平たい形をした男性の片手程度の大きさのパンが二切れと、白いコメが添えられていた。
「これはカレー専用にユウキが作ったパンだから間違いないよ。それからレンくんは白いコメは得意じゃないみたいだったから味見程度にね。どっちも好きなだけ追加出来るからね」
「ありがとうございます。いただきます」
チラリと周囲を見ると、パンとコメを選んでいる数は半々くらいだった。この店と専属契約をしているミキタの次男ユウキは腕の良いパン職人なので、ここに来る客は殆どがパンを食べる。コメは故郷の主食だったというステノスくらいでしか見たことがなかったので、驚く程の率だ。慣れない食材でも選ぶということは、コメはこのカレーに合うということだろう。
レンドルフは早速カレーだけをひと匙掬って持ち上げる。大きめのスプーンの中に蕩けたような塊がカレーを纏わせている。手の動きで少しフルリと動くので、これがスジ肉なのは見慣れているレンドルフにはすぐに分かった。これだけ柔らかくなっているなら絶対に美味しい、とレンドルフは期待に胸を躍らせながらパクリとカレーだけを口に入れる。姿はほぼなくなっているが大量の野菜、特にタマネギが溶け込んだ甘みが広がり、柔らかいを通り越して口に入れただけでトロリと溶けてしまうようなスジ肉の中から混じり合ったブイヨンと脂の旨味と甘みが滲み出て来る。あまり辛くないな、と思っていると、一瞬遅れてピリリとする辛味とスパイスの香りが一気に口に広がる。たまに団員寮の食堂でもカレーが出るが、あちらとは全く違う味わいだった。寮のカレーはチキンを使っていて、トマト味の濃い辛味の少ないものだ。そちらも美味しいが別物過ぎて同じカレーとは思えなかった。
「美味しいです…スジ肉にこんな使い方があるんですね」
「思った以上に旨味も濃くてね。あたしもビックリだよ」
「実家ではトマト煮込みだけでしたから」
「そうかい?じゃあ実家にも教えてみたらどうだい。寒い地域なんだろ?辛いものもあったまっていいんじゃないか」
「教えていいんですか?」
「別にカレーに入れて煮込むだけだよ。誰でも出来るさね」
ミキタは豪快に笑いながら、トマトとチーズの乗ったサラダを置いて行く。レンドルフは帰ったら早速両親宛ての伝書鳥を飛ばして教えようと考えていた。クロヴァス領は国内最北の領地なので、煮込み料理や辛いものが好まれるので、きっとすぐに受け入れられるだろう。むしろ今まで組み合わされてなかった方が不思議なくらいだ。
次は平たいパンを手にする。カレー専用と言っていたので、手にすると固めで厚みも少ないあまり見ないタイプのパンだった。手で千切るのも少々力が要り、モッチリとした感触が伝わって来る。試しにそのまま食べてみると、表面は軽く焼き目が付いてパリリとしていて中身はきめが細かくどっしりとした食べごたえがある。この固さはスープなどに浸す為なのだろう。そしていつも食べているパンよりも小麦の香ばしい香りと味が強く感じた。次にカレーに浸してから食べると、これがカレー専用と言っていたことに大いに納得が行った。スパイスの風味が強いカレーに、香ばしい小麦の存在感があるパンが素晴らしく合っていた。しかもきめが細かいので水分を吸い込み過ぎず、パンのモッチリした食感は残しつつジワリと滲み出して来るカレーが堪らない。
あっという間にパンを二枚平らげて、今度は二口分くらいに盛られたコメの皿を引き寄せる。どうやって食べるのが正しいのかと周囲を見回すと、殆どのコメを選んでいる客は同じ皿にコメとカレーが乗せられている。それを見て、レンドルフもコメの上に掛ければ良いのかとスプーンで掬って小皿の上に盛られたコメに掛ける。白と黒っぽい色のコントラストが不思議と鮮やかだ。レンドルフは白いコメの慣れていない香りとぼんやりとした味に抵抗があるだけで、コメ自体に味が付いているメニューはむしろ好きなくらいだった。味と風味の強いカレーならば大丈夫なような気がしているので、躊躇いなくまとめて口に入れる。
「!」
口に入れて噛み締めた瞬間、パンとは違う風味にレンドルフは目を丸くしていた。あまり味がしないと思っていたので、カレーの風味だけになると予想していたのに、クッキリとしたコメの甘みが際立ってよりスパイスの辛味が引き立つ。逆に慣れていなかった香りはスパイスに紛れてしまって全く気にならなかった。パンは吸い込むようだったが、コメは小さな粒に絡むといった印象で、まるで具材が増えたような感覚だった。
「これなら食べられそうかい?」
「はい。食感も随分変わりますね。どっちも美味しいです」
「追加はどうする?」
「ええと…両方で」
「はいよ」
ミキタはレンドルフがそう答えるのを予想していたかのように、すぐに追加のパン三枚とこんもりと山になったコメが提供された。
「このパンは温かい方が特に旨いから、少しずつ出すようにしてるんだ。すぐに温めなおし出来るから、追加は遠慮なく言っとくれ」
「ありがとうございます」
レンドルフはその後パンもコメもお代わりをして、更にランチをもう一人前まるまる追加した。総量はハッキリしないが、カレーは二人前、パンとコメは三人前以上は食べたのではないだろうか。レンドルフはよく食べるしスピードも早いが、貴族としての所作は幼い頃から叩き込まれているので食べる姿は大変美しい。そんなレンドルフが吸い込むように次々と皿を空にして行く様を、ミキタは嬉しそうにニコニコしながら眺めていた。息子三人を育てて来たミキタからすると、美味しそうに沢山食べている様子は見ているだけで微笑ましく思えるのだ。いつもなら満員に近い店内は一人で回しているミキタにとっては戦場のような状況なのだが、今日はメインのカレーを皿に盛ってパンの表面をサッと炙るくらいなので客の様子を眺める余裕もあるのだ。何せ昨日別の店でカレーを食べたという客も、店内に一歩足を踏み入れればつい匂いに釣られてカレーを注文している。
ランチタイムのピークに入る前にレンドルフは綺麗に注文した分を完食し、ミキタに「また後で来ます」と伝えて店を後にした。
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レンドルフは、すっかり街並の様子にも慣れ、何の目的もなく一人でエイスの街を歩くのは久しぶりな気がした。いつもは一人で行動していてもユリと待ち合わせに向かっている時などが多い。
(ユリさんに何か贈るものでも探そうかな…)
あの誘拐事件が終息して、お互いの無事を祝い合おうということにしていたが、先日ユリにごちそうしてもらった牡蠣コースは決して安いものではないだろう。レンドルフも同じレベルの店を予約しようかと思ったが、どうにも違う気がしてしまった。勿論その店でもユリは喜んでくれるかもしれないが、それよりもミキタの店でユリの好物を特別に作って貰った方がいいような気がしたのだ。しかしあまりにも差があり過ぎるような気もするので、それに上乗せして贈り物を、と思ったのだ。
だが、いざ考えてみるとなかなか思い付かない。宝飾品は指輪を作って間もないし、既にペンダントも髪飾りも贈ってしまっているし、実用的な物はガラスペンとハットクリップも渡している。これ以上は、将来を約束しているわけでもない相手に贈るには頻度が高すぎる。何か付与の付いた装身具にしても、既にユリは自分に必要なものを揃えている。迂闊に勝手な付与では他の装身具と影響が出ないとも限らないので、贈る場合は本人と相談しないと却って迷惑になりかねない。女性への贈り物は花か甘い菓子などが無難なところだが、ユリはどちらかと言うと辛党だし薬師見習いなので花よりも薬草束の方が喜びそうな気がしてしまう。
本気で薬草束を作ってもらうべきかと悩みながら花屋の方に足を向けた時、視界の端にローブを纏った背の高い人物の後ろ姿が横切った。濃いピンク色の長い髪を一括りにしていて、チラリと見えた横顔は中性的で人形のように整っている。その顔は第三騎士団団長ダンカンの家に付いている専属魔法士アイヴィーだった。
「アイヴィー殿…」
レンドルフが小さく呟いた時、それを聞き取ったのか彼女がハッとしたように振り返って顔を向けて来たのだった。
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もうしばらくほのぼのパートが続きます。おつき合いいただけたら幸いです。