278.裏切りの蟻の巣
イルシュナはダンジョンの入口に立つと、少しだけ背を丸めるように姿勢を低くして立つと、大きく息を吸って一気に吐き出す。
これは人狼族が固有に使える魔法で、特に名はなかったのだが通称「畏怖」と呼ばれている。人の領域では聞き取れない特殊な声に魔力を乗せて、魔獣を麻痺状態に陥れるものだ。イルシュナも半分はその血を引いているので、純血より多少は威力は落ちるが、満月期になると純血の人狼族と遜色ない威力の「畏怖」が使えた。まだ経験が少ないので大型魔獣には効きは悪いが、年齢を積んだ人狼族の「畏怖」は一つ目巨人も効果があると言われるので、彼も今後はそのくらいは扱えるようになるだろうと一族の間でも期待されていた。
人狼族は、狼の獣人と似て非なる一族と言われている。共通する性質はあるが、人狼族は月の満ち欠けで能力が大きく左右されることが最たる特性だ。そして全てに当て嵌まる訳ではないが、人狼族は狼の獣人よりも全般的に力も魔力も強い。
「行くぞ!」
「おう!」
音に敏感なコウモリ系の魔獣な上に、広くない石造りのダンジョンの通路では更に反響して威力が増幅する。今は満月期に近いこともあってイルシュナの能力は最大に近い。通路の奥まで感知できる範囲には動くものはいなくなっていた。斜め後ろで構えていたソージュに声を掛けて、二人でダンジョン内に前衛として足を踏み入れる。レンドルフもそのすぐ後に続く。
二人は麻痺して地面に落ちている魔獣をサクサクと仕留めて行く。数にしてみればざっと30を越えると言ったところだろう。麻痺をして当分動けないだろうが、仕留め損なうと再び襲いかかって来るので確実に処理して行かなければならない。気を失っていても爪が天井に引っかかっているのかそのままぶら下がっている個体は、ソージュが水の攻撃魔法で真っ二つにして行く。本来ならそこまで強い魔法は使わなくてもいいのだが、制御が苦手と言っていたのでこれが精一杯なのかもしれない。それでも取りこぼすよりは良い判断だ、とレンドルフは剣も抜かないまま二人の動きを見ていた。この通路ではレンドルフの大剣は使用に向かないので、投擲用の短剣はいつでも使えるように気は張っている。
冒険者ならば、魔獣の屍骸は核になる魔石や素材などは換金できるので持ち帰ることもあるが、今日は新人の実戦演習が目的なので回収はしない。するのであればこの迷宮の最奥に居るミノタウロスくらいだ。ただの森ならば魔獣の屍骸に引き寄せられて別の魔獣を呼んでしまうので、地中深くに埋めて上から聖水を掛けるなどの処理をする必要があるのだが、ダンジョン内の屍骸は回収しなければ翌日には消えている。この迷宮ダンジョン自体が魔物の一種で、魔獣の屍骸は栄養源として吸収されるのではないかと言われているが定かではない。
「おお〜い、ちょっと早いぞ〜。俺のこと置いて行かないでくれよ〜」
前に進もうとする前衛二人を、一番後方から魔獣の屍骸を避けながらサンノがヨタヨタと追いついて来る。
「逸る気持ちも分かるが、分断はしない方がいい」
「「はい!」」
「レンドルフ君、良い事言うね〜」
レンドルフのすぐ側に追いついたサンノが背中をポンポンと叩く。何とも調子のいいサンノだが、程良い緩和をもたらしてくれるタイプが必要なのはレンドルフも分かっている。レンドルフは根が真面目なのでそういう役回りは向いていない。
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「この先はキラーアントの棲家になっているが…何か作戦は考えているか?」
「俺の『畏怖』は昆虫系はあまり効果がないので、力押ししか思い付きませんでした」
「僕の水魔法でも温度をそこまで低く出来ないですから…水で足止めしてイルかレン先輩に任すくらいしか」
「じゃあそれで行こうか」
「え!?えええっ!レン先輩、それでいいんですか?」
自分で提案しておきながら、ソージュはそのまま話を進めるレンドルフに大いに慌てた。
「二人ともキラーアントについてはちゃんと調べてるじゃないか。それに今日の目的はダンジョンの踏破だ。全部を殲滅する必要はないからな」
昆虫系の魔獣は、哺乳類型の魔獣とは聴覚の器官の造りが違う。イルシュナの発する「畏怖」は聴覚を司る器官に作用して一時的な麻痺を誘発するものだが、あまりにも異なる器官だと効果が出ない。そしてキラーアントに限らず、昆虫系は基本的に冷気に弱い。以前ここに来た時もユリの氷魔法で容赦なく殲滅させていた。水魔法は温度の変化も出来るがそこまで極端な温度の調整は不可能なので、ソージュの魔法では仕留めるのは難しいだろう。
レンドルフが聞くとすぐに答えが返って来たので、二人ともきちんと資料を読み込んで来たことはすぐに分かった。単純な内容でも適当にその場で出したのではなく考えた結果なので、レンドルフはあっさりとその作戦を採用したのだった。
ギルドから発行されている最新のダンジョン見取り図を頼りに歩を進める。イルシュナの「畏怖」の影響から逃れたのかコウモリ系魔獣が数体襲って来たが、ほぼイルシュナが仕留めてキラーアントの棲家の入口に到着する。
「うわ〜やだやだやだ、気持ち悪っ!」
狭い通路を抜けると、半円状のドームのようになった広い場所に出る。そこにはレンドルフ達よりも少し大きな巨大蟻がうろついていた。ホール内で蠢いているのはザッと30体を越えるといったところだが、壁に幾つもある出口のような穴からも出現するので正確な数は把握し辛い。四人が足を踏み入れると、キラーアント達は一斉に侵入者に顔を向けた。その一様の無機質な動きに、サンノが思わず両手で自分の体を抱え込むようにして声を上げた。
「サンノさん」
「へ…?」
「すみません」
レンドルフは最後に入って来たサンノの腕を掴んで、グイッと前方に押し出した。
「アースウォール!」
「ギャーーー!!!レレレレレレンドルフ君!?何で逃げ道を塞ぐのさっ!?」
キラーアントを前に来た道を引き返しそうになったサンノの逃げ道を、レンドルフの土魔法で壁を作って塞いでしまった。こうなると、キラーアントの向こう側の壁の穴の中から出口を見つけ出すしかない。
以前にここに来た時は、煙玉を使ってその流れを見て出口を判断した。通常の建物なら一度来た場所なら出口の場所は同じだが、ダンジョンは何故かしばらく経つと出口が変わっているそうだ。前回出口だった場所はキラーアントの巣穴と繋がっている可能性もある。
「わーーー!!来るなーーー!!」
ワシャワシャと鋭い顎を動かしながら近寄って来るキラーアントに、サンノは一直線に走り出した。
「サンノさんの後に続くぞ!」
「は、はい!」
サンノは天分とも言える逃げ足を持っている。出口が分からなくなった時は、サンノが行く方向に行けば間違いなくそこから脱することが出来るとレンドルフは予めステノスから助言を受けていた。本来は以前使った手段のように煙玉の利用が推奨されているが、今は満月期に近い為にイルシュナの嗅覚が非常に敏感になっているのだ。煙玉は使用しないに越したことはない。一応他にも出口を探す手段はあるが、入口を塞いでサンノの本能に任せることが一番手っ取り早いから追い詰めて構わない、とステノスから許可が出ていた。勿論、そのことはサンノには伏せられている。何だか仲間を裏切るようでレンドルフは抵抗があったが、ステノスが「あいつは自分だけは絶対に死なないように行動するヤツだ。生き延びる為だけに能力全振りしてるから心配要らねえよ」と太鼓判を押していたので、罪悪感を持ちつつ実行したのだった。
サンノは、悲鳴を上げながら器用にキラーアントの隙間を縫うように駆け抜けて行く。避けながらなので多少あちこちに迷走しているが、向かう方向はブレずに一カ所の穴に向かっている。レンドルフはサンノの逃げ足を見るのは初めてではあったが、色々と話は聞いていたので彼の目指す場所が間違いなく出口なのだろうと思う。彼の身のこなしは驚く程速く、悲鳴を上げながらも触れそうになるキラーアントの脚を手にした短剣で的確に節から切り落としている。細くて動き回る虫の脚の関節を狙うのは難易度の高い技術だ。レンドルフは思わずサンノの見事な動きに見入ってしまいそうになって、すぐに我に返って自分の大剣を抜いた。
レンドルフの体に合わせた規格外の大きさと重さを誇る愛剣は、片手で一薙ぎするだけで数体のキラーアントの体が二つに切れて地面に落ちる。
「ウォーターボール!」
ソージュが自分の周囲に頭くらいの水の球体を複数出現させて、近寄って来るキラーアントの頭部にぶつけていた。その水は形を保ったまま相手の頭部を包み込み、動きを封じる。そしてその鈍ったところをすかさずイルシュナが鋼の爪で首関節に的確な一撃を入れる。キラーアントの厄介な攻撃は、強靭な顎による噛み付きと、強力なギ酸だ。どちらも喰らっても即死とまではならないが、指程度なら簡単に切断されるし、もしギ酸が目に入ろうものなら失明の危険もあるので十分注意しなければならない。その特徴をきちんと踏まえて、ソージュは水魔法で頭部を覆ったのだろう。キラーアントの固い体は、水の攻撃魔法では余程精度が高くないと通用しないことも多い。倒すよりも補助に回って攻撃はイルシュナに任せる策が効果を出していた。二人の連携は非常にスムーズで、互いに鍛錬していたことが伺えた。
「ストーンバレット」
レンドルフも真っ二つにして地面に落ちたキラーアントの頭部に目がけて、土魔法で石礫を一斉照射する。ついでにまとめてイルシュナが落とした頭部も潰しておく。こうしておけば、死に際にギ酸攻撃を仕掛けて来ることはない
昆虫系魔獣に共通する特徴として、甲殻の固さと生命力の強さには注意が必要だ。通常の魔獣ならば首を落とすか魔石を砕くかすれば絶命するが、昆虫系はそれでもまだ動ける生命力を持ち合わせているので、落とした首から最期に吐き出されるギ酸などにやられる者も多いのだ。
「イル!水流壁!!」
イルシュナが幾つめかのキラーアントの頭部を切り落とした瞬間、その内の一つが首を落とされながらもギ酸をまき散らした。コロコロと転がりながらだったため、イルシュナの背中に飛沫が飛んだ。一瞬で彼の背中を覆っている防具が煙を上げて、それを見たソージュが中位の魔法を放った。イルシュナの足元から、間欠泉の如く水柱が広範囲で上がる。この魔法は水の壁で敵を押し流す攻撃魔法であるが、同時に味方と敵を分断する防御としても使えるものだ。この魔法はレンドルフも魔石の補助があれば発動できるが、ソージュの方が威力も効果範囲も大きかったのは彼の主たる属性が水だからだろう。
「ひいぃぃっ!!」
引きつったような悲鳴の元に目を向けると、サンノが既にキラーアントの群れを突破して出口の穴に駆け込むところだった。
「速いな…」
途中、キラーアントを倒しながら身体強化を掛けて全力で走っても、レンドルフはあの速さで穴に到達できる自身がない。それほどまでにサンノの逃げ足は恐ろしく速かった。これはもう敵前逃亡とか騎士の矜持とか、そういったものを全て蹴散らす程の圧巻の逃げ足だった。
「サンノさんに続くぞ!」
「はい!」
立て続けに敵に対して必要以上の大技を連発したせいか、ソージュの顔色が少々悪い。魔力が半分以下になっている時に起こりやすい症状だ。
「アースウォール!」
レンドルフは地面に触れて、サンノが出て行った穴に向かって土魔法を発動させる。ダンジョン製だからなのか、床の石畳の魔力の伝導は普通の土よりも遥かに良い。普段よりも長い距離の土壁が出口の方向に向かって一気に盛り上がって、高い壁の通路を作り上げた。キラーアントを押し退けるように出現させたので、その道筋には一匹も入り込んでいない。
「走るぞ!」
高くても土の壁なので脚が引っかかる為、しばらくすれば乗り越えて来るだろう。しかしその隙に一気に駆け抜けてしまえば無駄な戦闘は押さえられる。
レンドルフはすぐに剣を鞘に収納すると、片手でソージュを担ぎ上げた。ソージュも走れなくはないだろうが、レンドルフが抱えて行った方が早そうだった。細身のソージュを肩に担ぎ上げると、一気に身体強化を最大に掛ける。上半身がレンドルフの背中に垂れるような恰好になったソージュは、一瞬何が起こっていたのか分からなかったのか、レンドルフの背後で「え?ええっ!?」と声が聞こえたが、お構い無しに地面を蹴った。イルシュナの方はまだ体力も十分に余裕があったようで、レンドルフのすぐ後に遅れずについて行った。
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三人が無事に出口を駆け抜けると同時に、壁の上からキラーアントがゾロリと顔を出した。レンドルフは振り返って、すぐに出口の穴を土魔法で塞ぐ。ここを塞いでしまってもこの先に抜け道があるので、戻らなくても問題はない。
「ひ、酷いよ〜レンドルフ君、信じてたのに〜」
「すみません。サンノさんは頼りになるとステノスさんから…」
「アイツ〜」
半ベソをかいて座り込んでいたサンノにレンドルフが深々と頭を下げると、恨みがましい声を出した。ひとまずここから少し先にあるあまり魔獣の出ない場所に行って休憩しようと移動をしている間、サンノは「絶対アイツのボトルをお酢に入れ替えてやる…」とブツクサと呟いていた。
その恨み節はレンドルフ達の耳にも届いていたが、敢えて聞かないようにしながら先に進んだのだった。