276.新たな任務
一日中花や鳥達に囲まれてユリと過ごすという充実した休日を送って、翌日ようやく本来の任務に就けると張り切っていたレンドルフだったが、部隊長ステノスが少々冴えない表情でレンドルフを呼び出した。
「ユリちゃんは元気そうだったかい?」
「はい。…ご存知でしたか」
「まあ、なあ。それなりに耳は早い方でな。ま、楽しかったんならそれでいい」
一応部隊長の執務室と言われているが、呼び出された部屋は非常に簡素な内装だった。それこそ食堂ような飾り気のない部屋に大きめの机と幾つかの椅子が置いてある程度だ。レンドルフが使わせてもらっている前部隊長の休憩室の方が余程豪奢だ。
「あんまり俺ぁここにいないから物が少なくてすまんが、適当に掛けてくれ」
レンドルフの内心が顔に出ていたのか、ステノスはヘラリと笑って幾つかある椅子を勧めた。レンドルフは敢えて肘掛けの無い一番隅にあった椅子を引っ張って来てステノスの正面に据えた。他の椅子を目視した感覚ではレンドルフが座れない程に小さな椅子はないが、立ったり座ったりする際に引っかかりそうなことに少々不安が残った為だ。
「で、だ。レンには以前に救助したナナシというギルドの斥候と、呪詛が発見された場所や聖水の元になる採水地を幾つか調査してもらいたい、って話はしたよな?」
「はい」
「本当なら今日から行ってもらうつもりだったんだが、ギルドで急な依頼が入ったとかで、ナナシも駆り出されちまってるんだ」
「そうなると今日からの任務は…」
「すまんが数日遅れる」
「そうですか…」
目に見えてガッカリした様子のレンドルフに、ステノスは少しだけ微笑ましい気持ちで口角を傍からは分からない程度にそっと上げた。
「そうガッカリしなさんな。俺としてはこの後にやってもらいたい任務を繰り上げさせてもらいてえんだが、どうだい?受けるかい?」
「勿論です」
「俺ならこれ幸いとばかりに休みにしちまうのにな。レンは仕事熱心でいいねえ」
「そういう訳では…」
レンドルフとしては、自分の将来のことを考えれば少しでも任務をこなして今の汚名を薄めたいと考えるようになっていた。前にテンマに言われた「一緒になりたいと思う相手を見付けたらすぐに貯蓄を始めるべき」という言葉の影響もある。今の平騎士でも十分な報酬は貰っているが、独り身と家族持ちとでは必要な資金が全く違うのは分かる。だからこそ、出世は見込めないにしても手柄を立てればきちんと評価はされるので、これまで以上に任務には力を入れたいと思っていた。勿論今までの任務も全力で取り組んで来たが、自分の中では大きな変化だった。
「そう謙遜するなって。やってもらいたいのは新人の実践演習の同行だ。前にも行ってるだろうが、迷宮ダンジョンに潜ってもらいたい。明日からの任務になるが大体のものは揃うからレンは自分の必要な物を事務方に伝えておいてくれ。任務の質問なんかもあれば担当事務官が承知してるから、帰りにでも事務棟に立ち寄って欲しい」
「分かりました」
「それと、な。まあ折角時間を取ってくれたし、先に今日からの筈だった任務の説明もやっちまおうか。これは秘密事項なんで、俺から直接説明しねえとならねえんだ。時間はあるかい?」
「はい、大丈夫です。…秘密事項、ですか」
「ああ」
ステノスはそう言って、机の引き出しから拳大の魔道具を取り出して起動させる。それはよく見かける防音の魔道具だ。これを使うということは、他言無用の機密事項の場合が多い。レンドルフはサッと表情を引き締めて姿勢を正した。ステノスはそれを見て、満足そうに軽く頷いてみせた。
「おそらくレンはナナシの影響を受けないみてえだから、一番長く共に任務をこなしてもらうと思うが、何か異変を感じたらすぐに報告しろ。俺がいなければ…ヨシメよりはサカジ辺りだな」
「異変、ですか?」
「ああ。レン自身の体調や、違和感なんかでもいい。あとはナナシの挙動だな。あいつは生まれも育ちも異国で、更に特殊な環境にいたからちぃっとばかしズレた事を言うが、その中でお前さんがおかしいと思ったら報せてくれ」
「はい…」
具体的に何か分からないのでレンドルフは判断が付くか不安にはなったが、ステノスならば気のせいレベルでも聞いてみればきちんと答えてくれそうな気がする。以前に少しだけ言葉を交わしたナナシは、言葉は通じるが発音が少しばかり特殊だったので、異国の者だと言われれば納得が行った。王族の外交などでそれなりに異国を訪れているので、文化の違いというのはそれなりに理解しているつもりだ。
「ナナシさん、がどこの出身かは…」
「悪ぃがそれは教えられねえ。いやまあ、実際俺も知らねえんだ。秘匿事項、ってヤツだ」
ステノスは少しだけ眉を下げて済まなさそうな顔になった。出身国が分かれば、前もってその国の文化を調べておけるので何がおかしいかは多少は分かるかと思ったのだが、それはどうやら外に出してはいけないことらしい。
「ただ国外追放を受けた元罪人、ってのは教えていいことになってる」
レンドルフが産まれたオベリス王国は、国外追放は基本的に存在しない刑罰だ。多数の国で犯罪を犯した者が、最も多く罪を犯した国に送られて裁かれる場合はあるが、大抵捕縛された国で裁判が行われて刑が確定する。国外追放がある国は、往々にして死刑制度が存在しない国が多い。このオベリス王国は死刑制度のある国だ。ざっくりとレンドルフが知る限りでは、世界的には制度のない国の方がやや少ないと言われている。制度のない国で最も重い刑罰は終身刑となっているが、少数だが国外追放という形の国もある。しかしその法は、凶悪な重犯罪者を他国に押し付けるようなことになるので、近い将来には撤廃されるだろうと目されている。昔は国交のない孤立した地域だった為に追放されれば十中八九死に至るので刑罰として有効だったが、今は道や海路が整備されたり商隊が行き交うようになってしまったので生きたまま他国に流れ着く者が増えて来た。それが原因で国同士が険悪になる事案も出て来た為だ。
それだけ分かってしまうと、秘匿と言ってもナナシの出身がぼんやりとだが察しがついてしまう。確定はしないがそれとなく判断させる程度は許されているのだろう。
「それでこの国に血縁を頼って来たらしいんだが、色々やらかして犯罪奴隷になっちまった。刑期も法外に長くて、それこそ終身労働ってヤツだな」
「そんな凶悪犯には見えませんでしたが…」
「俺が聞いているのは、生国で特殊な環境で教育を受けていたらしく、物事の価値観が大分おかしいんだとさ。ああ、ただこの国に来てから再教育をして、隷属の誓約をガチガチに固めてるから悪さは基本的には出来ねえよ。まあ、魔力も魔法も桁外れに強いらしいからな。だからこの国に来て一命を拾った訳だ」
「ああ、そういうことですか」
オベリス王国には死刑制度はあるが、それは滅多に行われることはない。それこそ十数年に一人か二人程度だろう。国としての判決は貴族であれば生涯幽閉、そうでなければ犯罪奴隷として終身労働が実態として最も重い罪となっている。ただ身内の判断で毒杯を与えて「病死」と公表することがそれなりにあるので、貴族の生涯幽閉は死罪と同等という暗黙の了解のようなものだが。
この国の死刑制度が形骸化しているのは、極端な人手不足が影響している。重犯罪者でも処刑してしまうよりは、持っている魔力や労働力を少しでも国の運営に役立てたいからだ。場合によっては、新薬や呪詛の研究の為の被検体と扱われることもあるので、考えようによっては処刑よりも過酷なのかもしれない。
「俺も何度か同行したことはあるが、言われた事はきちんとこなすし大きな問題はねえよ。見た目はあんなだが、斥候としては極めて優秀だ。ま、疑い過ぎず、入れ込み過ぎず、ってとこで、イイ感じにやってくれよ」
「はい。努力します」
「固いねえ。それがお前さんのいいところではあるがな」
ナナシは、顔に大きな傷跡がある男だ。その傷は両目の上を一直線に走っているので、彼自身は盲目である。彼の話によると、生国を追放される際に罰を受けて目を潰されたということだった。が、飛び抜けた魔力と制御が巧みなおかげで、周囲を感知しながら動くので見えている者と遜色なく行動出来る。ただ極端に魔力の制限もされているので、常時魔力展開をしていると一日で魔力切れを起こしてしまうのだ。その為常に魔石の嵌まった特殊な杖を携帯していて、補いながら斥候を務めていた。レンドルフと出会ったのも、その杖を破損してしまって魔力切れになっているところを保護したことが切っ掛けだ。
目で見えなくても自分の中心に全方向数メートルを同時に感知できる為、現在は大変優秀な斥候としてギルドが後ろ盾となって面倒を見ている。主にギルドの仕事を請け負っているが、こうして騎士団からも依頼を出すことがあるそうだ。
「でな、ヤツが合流できるまでにレンにはちょいと新人をしごいてもらいてえ。頼めるか?」
「はい、勿論です」
数日間また待機任務になってしまうのかと内心落胆していたレンドルフは、ステノスの言葉に間を置かずにいい笑顔で即答したのだった。
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「おはようございます!本日はよろしくお願いします!」
「おはようございます」
レンドルフが厩舎に向かうと、既に来ていた二人の若者が挨拶して来た。大柄で元気一杯の声を出して来たのはイルシュナで、もう一人は比較的小柄で細身の落ち浮いた雰囲気だった。騎士と言うよりも魔法士の方が似合っている雰囲気があり、少し長めの水色の髪を首の後ろでまとめている。彼も以前「赤い疾風」達と調査の為に案内したメンバーの一人だった筈だ。
「以前もお世話になりました。改めましてソージュです。イルより年上ですが同期の新人です」
「レンドルフだ。今日はよろしく。確か水魔法が得意だったかな」
「覚えていてくれたんですか!」
ソージュはレンドルフが待機任務中に里帰りの為の長期休暇を取っていたので、手合わせをしていない駐屯部隊の数少ない中の一人だった。
今日のレンドルフの任務は、まだ来ていないもう一人のベテランと共にこの新人達と実戦がてら迷宮ダンジョンに潜ることだ。レンドルフは以前の定期討伐で「赤い疾風」とユリとこのダンジョンに入ったことがある。その時は色々あって通常よりも強力な魔獣が出現して相当苦戦したのだが、今は元に戻ってそこまでランクの高くない冒険者パーティでも挑戦可能な状態になっているそうだ。ダンジョンの奥に居るミノタウロスだけは倒すにはCランク程度の実力は必要だが、途中に抜け道があるので無理にミノタウロスに挑戦しなくても済むのだ。このダンジョンはギルドでも十分な程に調査されているので、内部構造と出現する魔獣も大体分かっている。だからこそ冒険者に限らず、魔獣討伐の機会が多い駐屯部隊の新人を鍛えるには持って来いの環境なのだ。
「いや〜すまないすまない。お待たせ〜」
集合時間ちょうどにやって来たのは、先日ヨシメとの手合わせの時に審判を務めてくれたサンノだ。彼はふんわりした濃い緑の短髪に、色の薄い金茶の瞳をしている。これでメンバー全員が揃ったのだが、一番年上のサンノが最も幼く見えると言う不思議な現象が起こっていた。年齢的には立派な中年で何とステノスと同い年らしいのだが、それを知っても童顔過ぎてに俄には信じ難い。
「じゃあ先頭と戦闘はレンドルフ君に任せるから〜。俺は退却するときは真っ先に逃げるから、皆着いて来るように!」
サンノが胸を張って言い放っているが、内容としてはあまり威張れるものではない。が、ステノスからも聞いていたが、サンノは剣の腕も悪くないのだがとにかく逃げ足の速さが際立っているらしい。これまでにどんな魔獣や凶悪犯に遭遇しても、必ず逃げ切っているという実績がある。その為、何かあった場合はサンノに任せてただひたすら着いて行けばいいとステノスにアドバイスされていたくらいだ。どことなくヘラヘラしたような緩い空気感はステノスに近いものがある。
「じゃあ出発〜」
まるでピクニックにでも出掛けるような軽さで、サンノが最後尾で声を上げて、レンドルフ達はダンジョンに向けて出発したのだった。
ナナシはこれまでのシリーズに登場していますが、大分性格が変わっています。オベリス王国での長年の再教育と、今の時間軸に至るまでの出会いによってようやく自分も「人」であることを理解した感じです。