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275.譲れない想い


どうにかレンドルフがユリの手に指輪を嵌めて、安堵したように冷たい紅茶を一気に飲み干した。胃の中に冷たい紅茶が落ちて行くと、何となく暑く感じていたのも少しだけ落ち着いたように思えた。


「レンさんは、この指輪はどの指に着けてたの?」

「俺は薬指だったよ、左の」

「そ、そうなんだ」


オベリス王国では、貴族などは恋人や婚約者同士でそれぞれの髪や瞳の色を模したものを身に纏い、婚姻後は籍を入れた家門の色に合わせるのが大多数だ。指輪やピアス、ペンダントなど性別を問わずに身に着けるもので意匠を揃えることで周囲に存在を示す。衣服で使用する場合は同じ生地やデザインを意識する。意匠を揃えずに互いの色を身に纏うのは、恋人関係だけではなく親愛の情や特定の相手のいない家族などの場合もあるので、そこは実際の様子を見て関係性を読み解くしかない。

ここ数年は、他国の文化ではあるが婚約者や伴侶などの関係である者同士、揃いの指輪を左の薬指に嵌めるというのが流行りだ。その国では運命的な相手と深く繋がっている指、という言い伝えがあるそうだ。それにピアスやペンダントなどは髪や服で隠れてしまって分かりにくく、婚約者がいる相手に迂闊に夜会で声を掛けてトラブルになってしまうことなどもある。一見して分かりやすい指輪にして貰った方が互いの為という事情もあって、数年後には国内でも当然のように定着しそうなくらいに受け入れられているのだ。

レンドルフはそういったことには疎いので、左の薬指に着けていたと聞いて一瞬だけユリが言葉を詰まらせたのには気付かなかった。ユリもレンドルフは知らないだろうと思いつつも、特別な指に着けられていたのかと思うと何だか落ち着かない気持ちになったのだ。


「ユリさんの指は細いんだね。ちょっと緊張したよ…」


ユリ用の指輪は、左の中指に合わせて作られている。成長期前の細かったレンドルフでも薬指だったので、ユリの手は更に小さいということになる。手袋をして着けられるように少しだけ緩めにしてあるので、実質ユリの指はもう少し細い。もしぴったりに作られていたら、レンドルフは少しでも引っかかったらその時点でギブアップしていたかもしれない。


「そこまでヤワには出来てないって」

「そうかもしれないけど…」


クスクスと笑うユリに、レンドルフは少し照れたように頭を掻いた。手を繋ぐことはあっても、指一本だけを意識して触れたことはない。改めて体格の差を思い知ったレンドルフだった。



まだ何となく暑い気がしたので、レンドルフは空になったカップに追加で冷たい紅茶を注いだ。今度はシロップは入れずに半分くらい一気に飲んでしまう。


「あの、ユリさん。お願いを聞くって約束のことなんだけど…」

「え…?あ、もしかして嫌だった?」

「そうじゃないよ。ユリさんの願いなら何でも聞くし。ただ、何か頼む度にそのことかどうかを確認するのも大変じゃないかなと思って。そうだな…合い言葉とか、そういうのを決めたらいいんじゃないかな。あ、今すぐ使うなら決めなくてもいいけど」

「実はどうしようかまだ迷ってたの。だからもうちょっと待ってもらえたら…期限も決めとこうか?」

「期限は無期限でいいよ。それに数も幾つでも…」

「それはちょっとレンさん私に甘過ぎじゃない?」


サラリと大胆なことを言うレンドルフに、ユリの方が恐縮してしまう。それだけ無茶なことは言わないと信頼されている証左でもあるのだが、そんなに安請け合いして大丈夫なのかと心配にもなる。


「そうね…合い言葉…」


ユリは軽く頬に手を当てて考え込む。一瞬だけ何かを思い付いたような表情になったが、チラリとレンドルフに視線を送った。少しだけ迷っているような表情をしていた。


「ええと、名前を、呼んでもいい?」

「名前?それだと分かりにくいんじゃ」

「その…()()()()()の方を…」

「あーうん…まあ、そりゃもうバレてるよな…」


何となく本名を告げずにそのままにしていたが、レンドルフは特に隠したい目的はない。ただ単に最初の出会いで一度限りかと思って言ったものが、冒険者名で登録してしまって今更名乗るのも、という感じだったのだ。ユリは王城騎士を相手にする薬局にいるので、表に出ていなくてもレンドルフの名を聞く機会は幾らでもあっただろう。それに思い出してみれば、他の騎士達は普通に「レンドルフ」と呼んでいた。


「ただ、その…ユリさんにはこのまま『レン』で呼んで欲しい」

「うん?そうじゃないと合い言葉にならないし」

「そうだよね!…良かった」


明らかに安堵した様子のレンドルフに、ユリが少し首を傾げる。それに気付いたのか、レンドルフは視線を彷徨わせながらうっすらと頬を染めて、誤摩化すように両手で自分のカップを握り締めて軽く目を伏せるようにカップの中を見つめた。伏し目がちな顔を横から見ると、レンドルフの長い睫毛が際立って見えた。


「こういう偽名?…にもならないか。とにかく『レン』て名乗ったのはユリさんが初めてだったから、そのまま呼んでもらえたら、嬉しい」

「うん、分かった」


これまで王族の視察や、外交の護衛に出ることはあったのでそれなりにあちこち行ってはいるが、私的なことになるとレンドルフの行動範囲は極めて狭かった。その為よく貴族がお忍びで出掛けた際に使う偽名を名乗る機会もなかったし、出掛けたところでレンドルフの体格を見ればすぐに誰だか分かってしまうような知り合いの多い王城近くの中心街だった。休暇中に知人からの目を避けたくて髪色を変えて出掛けたエイスの街が、レンドルフにしてみれば初めての変装したお忍びの外出だったのだ。当人は平民のつもりでいたが、出会って即座にユリに騎士と見抜かれたのは今となっては良い思い出だ。そしてその場で思い付いた偽名にもならない「レン」の名で呼んでくれる人達は、今はレンドルフにとって大切な人ばかりだ。その一番最初に呼んでくれたユリには、そのままでいて欲しかった。


「じゃあお言葉に甘えて、約束はもう少し先でいい?」

「うん。じっくり考えていいよ」


何となく口寂しくなったのか、レンドルフはバスケットの中からフルーツのゼリーを砂糖で表面を固めたものを摘んで口に放り込んだ。まだ満腹感はあったが、一口大のフルーツゼリーはさっぱりとした酸味が爽やかで、甘みのない紅茶に良くあった。ユリもつられて一つ摘んで同じように口に放り込む。


「これ、リンゴの味がするわ」

「俺の方はレモンだ」


表面の砂糖のショリショリとした歯応えに、果汁そのままの酸味が丁度良い。半透明のゼリーはカラフルで、何だか見ているだけでも楽しかった。



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「…こうしてゆっくりしてると、この前のことが夢みたいに思えるな」

「そうね」

「あ、ごめん。ユリさんは怖い目に遭ったのに」

「ううん、私も同じようなこと思ったから。あ…でも」


ユリはレンドルフの顔をジッと見つめた。左側に座っているユリからは、傷一つないレンドルフの左側の顔が良く見える。色が白く、傷のない柔らかい目元と滑らかな頬はやはり見惚れる程優美な造形だ。触れる訳ではないが、ユリは手を伸ばして指先を頬の辺りに向ける。


「レンさんが火だるまになった時は、すごく怖かった…」

「それは…」


ユリの言葉にレンドルフは少しだけ眉を下げて、困ったように言い淀んだ。


「…俺は、ユリさんが怪我をすることが怖い」

「だけど」

「うん。知ってる相手が目の前で怪我をする怖さは分かってるよ。でも…考えるより早く体が動くんだ」


躊躇いがちに伸ばされたユリの手が、本当に軽く触れるだけだがレンドルフの顔に届く。ほんの一瞬だったが、レンドルフの肩が少しだけピクリと反応する。


「俺は騎士だし、昔から鍛えられてて普通の人よりは強いし痛みの耐性もある。ユリさんよりずっと頑丈だから」

「だからってそれで良い訳じゃないでしょ」

「そうなんだ。そうなんだけど…俺はついユリさんに甘えてるみたいだ」

「甘え…?」


指先だけ僅かに触れている手を、レンドルフは上からそっと重ねた。押されるようにユリの手の平がレンドルフの頬に密着する。しかし力を込めている訳ではないので、ユリが拒否しようと思えばすぐに抜くことが出来るくらいの緩さだ。


「もしユリさんが怪我をしたら、俺はその場にある回復薬を掛けることくらいしか思い付かない。でもユリさんが無事なら、きっと一番適切な判断をしてくれる。俺が多少怪我をしても、きっとユリさんが何とかしてくれるって思ってる」

「そ、れは」

「俺の腕が捥げたとしても、ユリさんが必ず治して二、三本くらい生やしてくれるんだよね」


少し悪戯っぽい口調で以前言った言葉をレンドルフに告げられて、ユリはコクコクと頷いた。

欠損した部位を復元するのは、上級よりも上の特級の回復薬が必要になる。魔法ならば再生魔法になるが、これを使えるのは国内でも数人しかいない聖女か聖人くらいだ。どちらにしろ欠損部位や大きさにもよるが莫大な費用が必要となる。大公家ならば特級の回復薬を複数用意するのも無理ではないが、ユリの出自を知らないレンドルフは本気でユリが言っているとは思っていないのだろう。ただそれくらいの気概で治療するという比喩表現として受け取っているようだ。

しかし先日、強力な媚薬に抗おうと自ら舌を噛み切ったレンドルフに、ユリは躊躇いなく隠し持っていた非常用の特級の回復薬を使用していた。欠損の場合は、その部位が残っていれば傷口を合わせて上級の回復薬で繋げることも可能だ。しかしきちんと傷口を合わせていなければ、回復後に麻痺や痺れなどの後遺症が出る場合もある。その為一旦傷だけ塞いで、落ち着いてから繋げるか再生させるかを選ばせることが多い。ただ、舌のような複雑な動きや多くの神経が通っている部位に関しては再生させてしまった方が良い。繋げ方を誤ると、味覚障害や発話に影響が出やすいからだ。あの時の記憶はレンドルフの中に残っていなかったので、ユリから舌を噛んで自害しかけたと聞いても舌は再生していたので完全に噛み切ったとは思っていないのだろう。

もしレンドルフが知れば何としても代金を支払おうとするだろうと思って、ユリも上級の回復薬を使用したとしか言っていない。上級の回復薬までなら、任務時の負傷として騎士団の経費として認定されるからだ。


「そりゃあレンさんの怪我は全力で治すけど…それは甘えじゃないし」

「じゃあ合理的判断?」

「うう…」


レンドルフは、先日まで側にいた第三騎士団団長ダンカンのことを思い出しながら微笑む。ダンカンは、冷静で常に合理的な考えを持つタイプという評判だった。王族であっても、それに見合うだけの効果があると判断すれば頭を下げることに全く抵抗がないと当人も語っていた。


ユリも気持ちの上では抵抗があるが、何か起こった場合レンドルフが盾になってその怪我をユリが治療の判断をすることが最善の役回りだと分かっている。いくらユリが身体強化が使えてそれなりに体術も出来ると言っても、レンドルフとは基礎能力が違う。同じ攻撃を喰らっても、レンドルフの方が遥かに軽傷で済むだろう。それでも、頭では分かっていても気持ちが追いつくかは話が違う。


「俺もユリさんを怖がらせたい訳じゃないんだ、けど」

「けど?」

「守ることは譲れない」


普段はユリと話す時は柔らかい言葉を使うレンドルフにしては、珍しく強めの口調できっぱりと言い切った。一瞬ではあるが、彼のヘーゼルの瞳にも強い意志が籠められて真っ直ぐ見つめて来る。ユリはその僅かな瞬間でも、レンドルフの目に宿る熱に気圧されるように息を呑んだ。その反応をレンドルフは怯えさせてしまったと思ったのか、すぐに柔らかく目元を緩めて小さく「ゴメン」と呟いてユリから手を放した。

包まれていた手の甲が熱を失ってヒヤリとしたが、ユリは押し当てられたままの位置でレンドルフの頬に触れていた。


「レンさんは本当に騎士様なのね…」


ユリは少しだけ俯いて殆ど声になっていない呟きを漏らした。


レンドルフは気付いていないが、かつてユリと初めて出会った時から人を守ることを貫いている彼の心根はずっと変わらない。それはユリにとって、眩しい程に騎士そのものだった。


「ユリさん?」

「分かった。だけど、分かってても、きっと私はレンさんが怪我をする度に怖い思いをする。それで、必死に治す。私もそこは譲らないから。それは忘れないで」

「…うん。ありがとう」


ユリがそっとレンドルフの顔から手を離すと、何となくぎこちない沈黙が落ちた。しかしその沈黙も、決して互いに嫌なものではなかった。



「そろそろ移動、しようか。この前とは違う見頃な花はまだまだあるし」

「そうだね。楽しみだ」


レンドルフは残っていたカップの紅茶を飲み干すと、少しだけ軽くなったバスケットを片手に立ち上がった。そしていつものように空いた方の手をユリに差し伸べる。


「今は揺籃葛(ようらんかずら)って植物が花珠を作ってる頃だと思うよ。蔓植物でね、花の頃は丸くて大きなゆりかごみたいな形になるの。中に座れるんだよ」

「…俺が座ったら切れるんじゃないかな」

「大人三人くらいなら余裕で座れるから大丈夫。ゆらゆら揺れて、揺りかごみたいで結構気持ちがいいよ」

「…ちょっと考えさせて」


過去にあらゆる座るものを壊して来た経験のあるレンドルフは、少々慎重に答えたのだった。


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ユリに案内してもらった揺籃葛は、天井から絡み合った蔓が花珠と呼ばれる卵形の球体を吊り下げているような形をしていた。その周辺に花が咲いて、球体の中に種が出来る。その種を採取した後に空洞の揺りかごのような球体が残るのだ。それは種の採取後も長く残るので、中に人が入っても問題がない程丈夫だ。これが自生している地方では、子供の遊具代わりに利用されたりする。


その中で一番大きくて丈夫な花珠を選んで、レンドルフはユリと並んで座ってみた。ユリの言ったように重量のあるレンドルフが座っても切れることはなかったのだが、それでも花珠は大きくたわんでレンドルフを中心に沈み込んだ。そのせいでユリが座っているところが大きく傾いて、体の軽いユリはレンドルフの太腿の上にコロリと乗り上げてしまった。


慌てて起き上がろうとしたのだが、あまりにも沈み込んでいるので体勢を立て直せずに、ユリはレンドルフの足の上でうつ伏せの体勢でもがくような状態になってしまった。


「ご、ごめん…」

「こっちこそ、ごめんなさい」


レンドルフがユリを抱き起こして隣に座らせようとしたのだが、やはり安定しないので最終的にレンドルフは立ち上がってしまった。


そして二人は隣同士で座ることは諦めて、互いに向かい合わせに花珠の中に一人ずつ収まったのだった。その時、レンドルフの顔がやけに赤くなっていたのだが、ユリは並んで座れなかったことにガッカリしていたので気付かないままだった。



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