26.ヘンな拾いもの
「…何かヘンなのがいる」
しばらく歩いていると、タイキが眉根を寄せて立ち止まった。
「ヘンなの?」
「うん…すっげぇヘン」
「魔獣…とかじゃなくて?」
「とにかくヘン」
最も感知能力の高いタイキが何かを感じ取ってはいるようだが、他のメンバーにはさっぱり分からないし、タイキ自身もよく分かってないらしく「ヘン」としか言わない。
「…無視するか」
「ミスキあんたね…」
「冗談冗談。ちょっと近付いてみるか。ヤバそうだったら撤退。いいな?」
あっさりと無視しようとしたミスキに、呆れたようなクリューの視線が刺さった。全く冗談に見えなかったが、ミスキは肩を竦めてひとまず近付いてみることに決める。
「人…?」
レンドルフが身体強化で視認できるところまで来ると、川の近くに黒っぽい塊が見えた。更に目を凝らしてみると、黒いローブのようなものを纏った人が倒れているように見える。
「アレが人に見えるのかよ…ヘンだぞ、アレ…」
気配の方を探知するタイキは、剥き出しになっている自分の腕を擦り始めた。タイキの皮膚では分かりにくいが、人がよく鳥肌が立った時などにする動作だった。
「人型の魔獣って可能性は?」
「分かんねえ。でも、魔獣とは何か違う」
タイキの説明は要領を得ないが、とにかく妙なものがいるというのは間違いがない。
「俺が近付いてみる」
「レン、俺も行く。バートン達はここで待ってるように」
レンドルフが前に出ると、後ろからミスキが続いた。
「ミス兄、オレも…」
「タイキはここで見ててくれ。あいつに妙な変化が起こったらすぐに知らせてくれ」
「う、うん…」
「レンさん、ミス兄、気を付けて」
「十分警戒しておくよ」
レンドルフが見る限り、その人らしきものは先程からぴくりとも動かない。何かの罠かもしれないと周囲に注意を払っているが、それらしきものは今のところ感じられなかった。
「あれか。確かに人っぽいな」
「さっきから動いてない。死んでるのかな…」
ミスキも目視できる位置まで近寄ったが、やはり反応はなかった。ずっと後方で見守っているであろうタイキからも、特に警戒の呼びかけはない。
ゆっくりと近付いて、レンドルフとミスキは倒れている人物の側まで来ていた。その人物は黒のローブを纏ってすっぽりとフードを被った状態でうつ伏せに倒れているので、どんな人物かは全く分からなかった。ただ、身長とローブの膨らみ具合で痩せ形の男性ではないかと推察できた。
「…どうみても行き倒れに見えるが」
ミスキは矢を一本手に持って、矢羽根の方で軽く突ついてみた。一応油断なく、いつでも発射できるようにクロスボウも向けてはいる。
「……ぅ」
何度か突つかれて、その人物は微かに呻き声を上げた。思わずレンドルフとミスキは顔を見合わせる。
「生きてる…!」
「おい、大丈夫か?」
レンドルフが肩らしき辺りを掴んで、黒のローブごと引っくり返す。
「…!」
仰向けになった人物は、痩せた男性だった。しかしその顔は、目のあった部分に大きな傷が真横に走っている。これでは全く目は機能していないだろう。その傷は皮膚より僅かに濃くなっているだけで、相当古い傷のようだ。その傷のせいか、年齢はよく分からなかったが、少なくとも中年以上ではないかと思われた。
「おい、聞こえるか?」
「…ぁ」
「水、飲めるか?」
レンドルフの声に僅かに反応を示し、微かに頷いた。それを見てミスキが荷物からカップを出して魔道具から水を注ぐ。レンドルフは男の体をゆっくりと起こし、手にカップを握らせる。しかし男はカップを持っているだけの力もないらしく、その手ごとレンドルフが包むようにして口元まで導いた。ローブ越しに触れる男の体は枯れ枝のように痩せ細っており、どのくらい倒れていたのか体温も随分低かった。フードから覗く髪は艶もなく、汚れなのか元の色なのかまだらの灰色をしている。そして体も汚れているのか、耐えられないほどではないが饐えた匂いが染み付いていた。
男は乾き切った唇から、少しずつ舐めとるように水を飲み始め、やがて少しずつ勢いよく飲み出した。
「ゆっくり飲んだ方がいい」
レンドルフがそう声を掛けると、少しだけ飲む速度が遅くなった。どうやら言葉も通じるし、意識もハッキリしているようだった。
「…回復薬、少し、分けて…」
カップ半分ほど水を飲んで口の中が潤ったのか、男が掠れた声で絞り出すように言った。
一瞬、レンドルフとミスキは視線を交わした。確かにこの男は行き倒れて大変な目に遭ってしまったようだが、ここは森の深度7まで深い場所だ。目の不自由な男がここまで一人で来て、倒れていたとは言え魔獣に襲われてもいないことがおかしいように思えたのだ。このまま見た目に同情して回復薬を渡して良いものか判断に迷った。
「わた、し、ギルド、…斥候」
「ギルドの斥候?」
「ここ…カード…」
男は震える手で、首元を探った。しかし力が入らないのか、ただ襟元を引っ張るだけだった。レンドルフが代わりに、男の首に掛かっていた革紐を引っ張ると、それに続いてギルドカードが出て来た。しかしそのカードは、大きくヒビが入っていて、今にも割れてしまいそうだった。
「わたし、ギルド、斥候」
男が手探りでカードに触れてそう言った。確かにカードは光らなかったが、壊れて反応していないのか判断が付かない。
「あんた。何でもいい。一つ嘘を言ってくれ」
「あ、ああ…わたし、女」
触れた指でカードがヒビ割れていることに気付いて、ミスキの言葉の意味を悟ったのだろう。男は分かりやすい嘘を言った。するとその機能は無事だったのか、カードが赤く光った。
「分かった。少し分けてやる」
ミスキは自分の胸ポケットから回復薬の瓶を取り出して、男の持っているカップに少しだけ注いだ。まだ残っている水と混じってしまうが、水で薄めても効能に影響はない。
「ありが、たい…」
男は再び、カップの中身を飲み始めた。回復薬のおかげか、一口ごとにグビリグビリと飲み下す音が大きくなり、最後の一口を飲む頃にはレンドルフの手の支えもいらなくなっていた。
男は大きく息を吐いて、カップを差し出しながらゆっくりと頭を下げた。
「ありがと、ございます」
「ああ…あんた、ギルドが派遣した斥候なのに、何でここにいるんだ?」
定期討伐の前に、ギルドや騎士団などから調査の為の斥候が森に入り、既に情報が届けられている筈である。
「わたし、聖水、水源、調査した。そこで、トラブル。杖、無くして、魔力が、切れた」
男の言葉は少々辿々しく、独特の訛りがあった。もしかしたらこの国の出身ではないのかもしれないが、聞き取るのは問題ないようだ。
男が言うことには、聖水の元となる水の水源付近の斥候を担当していたが、そこで何らかのトラブルがあって戻れなくなってしまったそうだ。男は視力こそ失っているが感知する能力が非常に高く、見えているのとほぼ変わらない状態でいられるらしい。だが、それは常時魔法を行使していることと同じなので、魔力が尽きてしまうと周囲の状況が分からなくなるのは勿論、他の人間と同じように動けなくなってしまう。それを防止する為に魔力補充用の魔石を装着した杖を常に持って行動していたのだが、そのトラブルで杖を失って、戻る途中で魔力切れで行き倒れていたと言うことだった。
「すぐ、ギルド、報告戻りたい。お願い」
「これは…連れて戻るしかないか…」
「ああ」
聖水の元になる水は重要であるし、その水源に何かあったらそれこそ大事件になる。ギルドへの報告は最優先事項だろう。
「ねーえ、二人とも、大丈夫ー?」
振り返ると、クリューが少々息を切らせて側まで来ていた。その隣にはバートンが付いている。
「ああ大丈夫だ。ギルドが派遣した斥候だってさ」
「ええー?何でこんなところにいるの?」
「行き倒れ、ました…」
レンドルフはバートンの後ろから誰も来ていないのを見て、周囲を見回した。
「ああ、タイキとユリはもう少し後ろで待っとるよ。何でも気持ち悪くて近付けないとか言っとった」
「体調でも悪いとか…?」
「多分、わたしの、魔力。時々、いる」
空間魔法の付与とクリューの魔力の相性が悪いように、時折魔力の相性が合わない人間同士は存在する。そういうものが出やすい者は大抵魔力抑制の魔道具などで抑えるもので、滅多に拒否反応は起こらない筈なのだが、この男の魔力は相当変わっているらしい。男は無くしてしまった杖にその抑制の付与も掛けられていた為に、余計に拒否反応が起こるのだろうと説明した。
「急いでギルドに戻って報告することが出来た。この男連れて今日は戻るぞ」
「まあ仕方ない。そこそこの大物一頭は仕留めたから、成果は悪くないしの」
「すみません…」
「バートン、一応こいつもきれいにしてやってくれ。ついでにレンも」
「お手数、かける…」
どのくらい放置されていたのかは分からないが、確かに男は大分汚れていた。それを抱えるようにして支えていたレンドルフにも何となく匂いが移ってしまっている。バートンがクリーンを掛けてさっぱりしたところで、馬車を止めた街道まで戻ることになった。
「しかし、その状態でよく斥候が務まるものじゃな」
「怪我、前から見てた、から。特に、普通」
「ほう」
男は自分をナナシと名乗った。追加で先程ミスキが飲ませた回復薬の残りを飲ませたので、立ち上がれるようになるまで回復していた。だがまだ完全ではないことと杖が手元に無いので、周辺を感知しながら歩くとすぐに魔力切れになってしまう恐れがある。
最初はナナシをレンドルフが運ぼうとしたのだが、何故かクリューに止められて、バートンがおぶって運ぶことになった。後方で待っているタイキとユリのいる場所まで来ると、二人とも引きつったような顔をして木の影から顔を出していた。
「レンくんはあの二人と一緒にちょっと離れて付いて来てねぇ。タイちゃんじゃユリちゃんの護衛にならないし〜」
クリューの言うことにも一理あると思って、レンは隠れている二人に近寄った。
「レン、大丈夫なのかよ」
「うん、俺は平気だった。二人とも大丈夫?」
「あの人、何者だったの?」
木の影から上下にぴょこりと顔だけ出している姿が何とも微笑ましくて、思わずレンドルフは笑いそうになってしまったが、当人達はそれどころではなさそうなので何とか顔を引き締める。
「ギルドの斥候だって。トラブルがあって戻れなくなったらしいよ」
「ギルドの?あんなキモチ悪ぃヤツいたっけ」
「そのトラブルで魔力抑制の魔道具も無くしたって」
「ああ…そういうこと」
二人とも納得したようにそろそろと出て来て、レンドルフの背後にピタリとくっ付いた。人体が魔力の壁になる訳ではないのだが、気持ちの問題らしい。
「二人からすると、どんな感じなの?」
「とにかくキモチ悪ぃ!」
「なんて言うか…ゾワゾワ?ザワザワ?する感じ」
「そう!ザワザワ!!なんつーか、体の裏側を猫に舐められるみたいな」
「分かるー!」
ユリとタイキには何やら通じ合うところがあるようだったが、レンドルフには今一つよく分からなかった。
「あいつ多分、魔獣にも嫌われてるぜ。だから斥候やってるんだ」
「そうなんだ」
「ああ。たまーにいるんだよな。天然魔獣避けみたいなヤツが」
タイキの話で、ナナシがあれほど無防備な状態で倒れていても無事だったのが分かった気がした。
「ところで、帰りの馬車はどうする?」
「あ!」
「げっ」
どうやら二人ともそれをすっかり失念していたようで、それをレンドルフに指摘されて同時に奇妙な声を上げた。ナナシを背負ったバートンとは大分距離が離れているが、それでも不快感を感じてあからさまに嫌がっているのに、狭い馬車に同乗しなければならない。それを考えるだけでも嫌なのだろう。
「あのナナシをノルドに乗せて行けばいいかな…」
「無理じゃねえ?スレイプニルって魔獣だろ」
「じゃあ私はレンさんと一緒にノルドに乗せてもらう!」
「あー!ユリ、抜け駆けじゃねえか!レン!オレもオレも!!」
「…タイキ、ノルドに乗れるのか?」
「う…頑張るから!」
バートンに背負われてずっと前方にいるナナシを見ながら、レンドルフは不安しかない状況に今から頭を悩ませたのだった。
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馬車を置いた採水地のところまで戻ると、既にナナシの気配を感じていたのか、大分離れたところでノルドが落ち着きなくウロウロしていた。レンドルフが呼んでも近付こうとしない。
「やっぱりノルドに乗せるのは無理そうか…」
ナナシと一緒に狭い馬車の中にいるのは絶対無理とユリとタイキが言い張ったので、レンドルフを挟んで前にユリ、後ろにタイキを乗せて戻ることになった。
「こ…怖ぇ…」
「タイキ、力入れ過ぎだって」
「だってさぁ」
タイキにしっかり掴まるように言ったものの、限度というものがある。目一杯締め上げられるような状態になってしまって、さすがのレンドルフでも苦しく感じた。跨がった足も締めてしまっているのか、ノルドが嫌がって後ろの足を地団駄を踏むような感じで暴れているので、余計に後ろにいるタイキには揺れが伝わってしまっている。
「私が後ろに乗る?」
「それだと俺の視界が悪くなると思う」
「それもそうね」
小柄なユリならば前に乗せても頭がレンドルフの胸の辺りまでしか来ないので、全く視界を遮ることはない。タイキの場合は、前に乗せると目の高さに頭が来てしまいそうだった。少し体を前に倒すなりしてもらえば何とかなりそうだが、その場合後ろに乗ってもらうことになるユリの方が問題があった。さすがにレンドルフでも、背後からユリが抱きついて来るのには色々と差し障りがあることは予想がつく。
「ギルドのことはミスキ達がやってくれるだろうから、俺達はゆっくり行こう」
「お…おう」
ゆっくりと進むようにノルドに指示を出す。それでも動き始めるとタイキはレンドルフの腰に巻き付けた腕をギュッと締め付けて来たが、腹に力を入れてどうにか抵抗した。しばらくすると一定の速度で歩かせているので慣れて来たのか、タイキの腕も締め付けるというよりはぴったりと張り付いて来るくらいになった。タイキの体温は低い方だったので、背中に密着された状態でも暑くなかったのは幸いだった。
「さっきの人、水源でトラブルに遭った、って言ってたよね」
「うん。詳しいことは聞かなかったけど。何か気になることでもあった?」
「さっきジギスの花を採取した時、今年は紫ばっかりだなーとは思ったのよね。でもそういう年もあるから、特に気にするほどではなかったんだけど」
ユリが前を向いたままポツリと口を開いた。
ジギスの花は、清らかな水辺に生息する植物だ。水が清ければ清いほど花の色が淡く、白に近くなるとされている。レンドルフのよく見ていたクロヴァス領のジギスがクリーム色や白が多かったのは、それだけ領内の水が清らかだという証拠でもある。紫色は、ジギスが生息できるギリギリの水質と言われているが、決してその水が汚れている訳ではないし、聖水の原料にするには十分な質は保てている。
「あの辺は何度も採取に行ってて、淡い色が混じってる年もあれば、紫ばっかりの年もあったのね。積雪量や気温なんかで水質は変化するから、おかしいことではないけど…」
「水源のトラブルのせいで、水質が落ちている可能性もある、ってこと?」
「うん。でもその辺はあの人が報告して、ギルドとか騎士団が調査に入る案件だから、私達にはあんまり関わることはないと思う」
「そんなに大事にならないといいね」
「そうね」
「騎士、団のヤツら、絡んで来ないと、いいけど」
ユリとレンドルフの会話に、タイキが切れ切れに言葉を挟む。ノルドの歩みに体を預ければいいのだが、まだ緊張気味のタイキは反射的に動きに逆らってしまうせいで振動に翻弄されていた。
「タイキは騎士団が…苦手?」
タイキの言葉に刺を感じて、レンドルフが言葉を選びながら聞いた。
「騎士団、っつーか、街の、駐屯部隊、が、好きじゃ、ねぇ」
「…そうか」
「……レンのこと、じゃねーよ」
「うん」
レンドルフの複雑な気持ちを察したのか、悪気があった訳ではないが自分の失言に気付いたらしいタイキは、そう言ってレンドルフの腰に巻き付いている腕に少しだけ力を込めた。背中の体温を感じる面積が増えたので、タイキが顔を押し付けていることを察したレンドルフは、自分の腹の前で組まれたタイキの手を片手で軽くポンと叩いた。