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274.海の青、湖水の青


レンドルフはほぼコース内容を牡蠣で埋め尽くすように牡蠣三昧で食べ尽くして、ユリは蒸し牡蠣、チーズ焼きくらいにして、後は他にも用意してあったメニューを選んだ。ユリのメインは生食も可能な赤身魚をレアのカツレツのようにしてもらい、あっさりしたトマトとセロリをベースにしたソースで食べていた。レンドルフはそのソースに興味を持ったらしく、ソースだけ貰って焼いた牡蠣に掛けてそれも美味しかったらしくウンウンと満足げに頷いていた。


「これで冬までは牡蠣が我慢出来そうだ…」


明らかに容量以上は食べているのに一体どこに行ってしまったかと思える平らな腹を軽く撫でながら、レンドルフはポツリと呟いた。それが聞こえる位置にいた給仕や料理人達は、一瞬「来年とかじゃなくて!?」と戦慄が走ってしまった。かつてレンドルフは、騎士の先輩に好きなだけ食べていいと言われてバケツ二杯分平らげてしまったこともある。今回はそこまでの量は食べていないが、それでも十分満足だった。


「冬になったらミキタさんのところでも食べようね!」

「うん、楽しみにしてる」


最後のデザートは、場所を変えて食べられるよう前回と同じく小ぶりのもの準備してくれていて、飲み物とともにバスケットに詰めてもらった。さすがにレンドルフも食べ過ぎて今は別腹も牡蠣で埋まっていたので、少し動かないと食べられそうになかった。


ズシリとしたバスケットをレンドルフは軽々と片手で持つと、反対の手でユリの手を握り「海の夢」の咲いているエリアを抜ける。そこから出ると、まだ昼間なので明るい陽射しにしばらく目をパチパチさせる。すっかりディナーのような感覚になっていたが、よく考えたらまだ昼間なのだ。


「レンさん、あの花はね、明るいところで見ても綺麗なの!上から見られるから行ってみない?」

「それは見たいな。行ってみよう」



ユリの案内で、少し狭い階段を登って上の階に出た。


先程食事をしたドーム状に覆われている場所を上から眺められるようになっていて、中心が吹き抜けになって周囲が回廊のようになっている。その回廊から眼下を見渡すと、明るいところで見る「海の夢」は鮮やかな青い色をしていた。緑の濃い葉を覆い尽くすように一面に真っ青な花が咲いて、その名の通りそこだけ海が広がっているような光景だった。暗いところでは淡い水色の光を放っていたが、明るいところではもっと深い青だ。全ての花弁が青く染まっているものもあれば、不規則に白い()が入っているものもある。その違いがより海の波を思わせる。


「本当に海みたいだな…」

「そっか…海ってこんな感じなのね」


レンドルフは近衛騎士の時に王族の視察で同行して、それなりに国内の風光明媚な景色を見ている。護衛任務なので楽しむ暇はなかったが、それでも美しい記憶は残っている。この目の前の青い花は、周囲の回廊が白い石を使用しているせいか、長く白い砂浜が続く王都から東側の領を思わせた。王都にも僅かに海に面している場所はあるが、位置的に中心街から離れている小さな荷下ろし用の港で、景色を楽しむような場所ではなかった。


「私、幼い頃にアスクレティ領にはいたんだけど、その頃のことは覚えてないの。病弱だったって聞いてるから、連れて行ってもらえなかったのかも」

「そうなんだ…王都の港じゃあんまり風景を眺めるって感じじゃないしね。ここから日帰りで行けるような眺めのいい海は…ノルドで行ってもちょっと難しいかな」


アスクレティ領は大きな港があり、交易も発達している都市だ。特に国内で唯一ミズホ国との貿易港なので、医薬品や薬草などの輸入も多く、国内での医療に昔から大きく貢献して来たのだ。領の半分は海に面しているアスクレティ領は巨大な貿易港もあるが、観光も出来る美しい海岸線や岬も有している。しかしユリはその隅の僅かな土地を与えられた男爵領に閉じ込められるように過ごした。幸か不幸か赤子だったので、その時の記憶はない。

ユリは自身の特殊魔力を抑える為身に付けている魔道具は強力なもので、常時最大で稼動させていると体に悪影響がある。その為少しでも影響を抑えようと王都に施されている防御の魔法陣の力を借りて出力を弱めているのだ。二日程度なら王都の外に出ることは出来るが、それでもユリ自身や周囲にも良くない影響が出る。更に王都内の大公家の本邸と別邸にも入念な保護の為の魔法を施してあるので、ユリは屋敷の中でだけ魔道具を外すことが出来るのだ。そうやって二重の保護を施してやっと体を休めることが出来るのでユリは王都から出られないし、定期討伐に参加するのも日帰りを条件にしているのだ。


レンドルフはその事情は全く知らないが、余程の事情がない限り未婚の女性とは泊まりがけで出掛けることは禁忌だと思っている。もう婚姻が確定した婚約者同士であれば多少は大目に見てもらえるかもしれないが、それでもレンドルフの感覚では推奨されるものではない。平民はそこまで厳格な線引きはないのだが、レンドルフは高位貴族の生まれであるので血を守ると言う意味での教育が染み付いていることもある。

以前に予定外でモタクオ湖で泊まりがけになってしまったことはあったが、同性の護衛が付いていたのと、他に観光客がいなかったので妙な噂が広まるようなこともないのでギリギリ許される範疇、と思っていた。


「ふふ…レンさんがそう考えてくれるだけで嬉しい」

「…いつか、ユリさんを連れて行きたいな」


この時ばかりはレンドルフは少しだけ、下心とも言えないようなほのかな気持ちを自覚して込めていた。いつかユリと日帰りではなく泊まりがけで連れて行けるような場所へ、と。


「それもいいけど、まだまだ王都でもレンさんと行きたい場所はいっぱいあるから!海じゃなくても、色んな場所へ一緒に遊びに行こうね!」

「あ…うん、そうだね」


レンドルフのほんの小指に先にも満たないような小さくささやかな表明は、ものの見事に気付かれなかったのだった。



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ちょうど「海の夢」が一望出来る場所にベンチとパラソルが設置されていたのでそこに並んで腰を降ろし、しばらくは言葉少なに微かに揺れる青い花を眺めていた。話していると止めどなく話題は出て来るのだが、こうして沈黙している時間もレンドルフは心地好く感じていた。しかしユリは退屈していないだろうか、と不安になってチラリと横目で彼女の横顔を覗き見たが、柔らかい表情で眼下の景色を楽しんでいるように思えた。

少しだけ安堵していると、レンドルフの視線に気付いたのかユリがこちらに目を向けて来た。横からでは殆ど分からない彼女の金色の虹彩が、視線が合うと純金のような輝きを得て目の奥で揺らめく。一瞬だけレンドルフはクラリとした感覚に陥りかけたが、すぐに我に返る。


「ユリさんは何か飲む?それともデザートにする?」

「んー、まだ飲み物だけでいいかな」

「温かい方?冷たい方?」

「冷たい方で」


レンドルフは自分の脇に置いてあるバスケットから、ユリ用の小さい方のカップを手渡しした。バスケットの中には二つの水筒が入っていて、青い方に冷たいもの、赤い方に温かいものが入っていると言われていたので、青い方からユリの手にしたカップに注ぐ。


「ありがとう」

「どういたしまして」


ユリがレンドルフ用の大きなカップに注ぎ返そうかと思ったのだが、レンドルフは自分でなみなみと注いでしまって出番はなかった。レンドルフは一口飲んで、添えられていた甘いシロップをタフリと追加してマドラーでクルクルと混ぜた。


「そうだ、レンさんの指輪、返すね」

「うん。俺もユリさんの返すよ」


ユリが言い出すと、お互いにポシェットや懐のポケットから丁寧に包んだ指輪を取り出す。


「助けに来てくれてありがとう。レンさんの機転で、見付けてもらえて良かった」

「前に俺が土砂崩れに巻き込まれた時に、ユリさんが送ってくれた伝書鳥を目印に見付けてもらったのを思い出したんだ」

「指輪の防犯対策もこういう使い方もあったのね」

「あ…!あの、いや、これは緊急事態だったから。普段は絶対そういう使い方はしないから!」


互いに作った指輪は購入したレンドルフが想像していた以上に高価な石を使っているので、防犯も兼ねて持ち主だけが薄く見える魔力の糸で繋がっている。紛失や盗難などで明らかに別の場所にある場合は、契約している警備担当が駆け付けることになっている。レンドルフはユリが攫われたと知って、ユリ宛ての伝書鳥に自分の指輪を同封して居場所を突き止めたのだった。

しかしそれを利用すれば、ユリの居場所や自宅でも突き止めることが出来てしまうのだ。考えればいくらでも悪用出来てしまうことに今更気付いて、レンドルフは慌てて首を振る。そんな様子のレンドルフに、ユリは一瞬だけキョトンとした表情で目を丸くしていたが、すぐに破顔する。


「そんなのレンさんがする訳ないじゃない」


あまりにもあっさりとユリが言い放ったのでレンドルフとしては面食らってしまったが、ユリに疑いを向けられていなくて安心して肩の力を抜いた。


「あ!私もしないからね!レンさんが攫われたりしたら同じことするけど、勝手にレンさんの居場所を突き止めたりはしないから!」

「うん、その時はよろしく」



ユリはレンドルフの指輪を包んだビロードの布を手の上に広げる。レンドルフには丁度良い大きさの指輪だが、小さなユリの手に乗っているとやけに巨大に映った。レンドルフはユリの指輪をダンカンの侍女が用意してくれたシルクの巾着袋に入れていた。それこそ何も持ち込めなかったレンドルフが相談したところ、随分と質の良い物を用意してくれたのだ。買い取ると言ったレンドルフに、ダンカンから「今回の協力報酬の内」と言われてしまい受け取っていたのだ。小さな指輪用の小さな巾着なので、レンドルフの手では扱いにくい。そのまま袋ごとユリに渡そうと思ったのだが、ユリは少しだけモジモジとした様子で躊躇っていたが、やがて何かを決意したような上目遣いでレンドルフを見上げて来た。


「あの…この指輪、レンさんの指に、私が嵌めてもいい?」

「え?あ、あの…うん…ユリさんがいいなら…」


思いがけない申し出にレンドルフは少しだけ驚いたが、別に嫌な訳ではない。しかし人に指輪を嵌めてもらうのは今までの記憶にないので、いざとなると何故か恥ずかしいものがあった。レンドルフはソロリと遠慮がちにユリに向かって左手を差し出した。


「あ!あの!レンさん」

「何?あ、位置が良くない?」

「そ、そうじゃなくて…これ、レンさんへのお願いの約束に入っちゃう…?」

「約束…?あ、ああ。…これくらいなら約束には入らないよ」


ユリが攫われたのを助けに行った際に逆にレンドルフが薬を盛られてしまったことの償いに、ユリの頼みを一つ何でも聞くという約束をしていた。多分ユリは、これがその数に入ってしまうのではないかと不安に思ったようだ。レンドルフはこのくらいのささやかなことで約束を持ち出すユリの可愛らしさに、思わず微笑んでしまった。


「では…遠慮なく…」


ユリがそっとレンドルフの手に触れて、指輪を左手の親指に差し入れる。彼女の細い指先が遠慮がちに触れて来るので、レンドルフは少しばかりくすぐったいような感覚になってグッと腹に力を入れた。鍛え上げて節くれ立っている指の関節で引っかかってしまい、ユリは少し困ったように軽く力を入れたが、遠慮しているのかよりくすぐったさが増してしまう。


「もっと力を入れでも大丈夫だよ」

「痛くない?」

「全然平気だから」


ユリは困ったように眉を下げて力を入れたが、レンドルフからしてみると全く痛くもないし力が入っているようには感じない。やはり人を相手にしているので気を遣っているのだろう。真剣な顔をして何とか指輪を嵌めようとしているのだが、レンドルフの手に触れるユリの手はあくまでもふんわりと添えられている感覚しかない。なかなか上手く行かないので焦っているらしく、ユリの顔が少し赤くなって来た。レンドルフはいつまでも見つめていたいような気持ちになったが、さすがにこのまま放置しているのは申し訳ない。


「ユリさん、ちょっとだけ手に触れるよ」

「え?痛かった?」


慌てるユリの手をレンドルフは上から指で包み込むように重ねると、そのままグイ、と自分の指に押し込んだ。関節を過ぎるとすぐに根元まで指輪が嵌まり込む。


「大丈夫だった?」

「全然。ありがとう」


天井から外の光が差し込んでいるので、レンドルフの指にある石は湖水のような深い青い色をしていた。眼下の花とは違う、淡水を思わせる色味だ。これまで指輪を付ける機会などなかったのだが、妙に自分の指に「帰って来た」ような心地になる。


「ええと、これ…」


レンドルフは袋に入ったままユリの指輪を渡そうと差し出したのだが、彼女は自分の左手を下に向けて差し出した。


「え…?」

「え?」


お互いに思い違いの結果のちぐはぐな行動だったことにすぐに気付いて、思わず顔を上げて正面から見つめ合ってしまった。


「あ、あの!その…ええと…」


ユリの顔が赤く染まって、髪をアップスタイルにしているせいで耳まで赤くなっているのが丸分かりだった。レンドルフも自分の頬が熱くなっているのが分かった。鏡を見なくてもきっとユリと同じくらい顔も耳も赤くなっているだろう。思わず手を引っ込めかけたユリの手を、レンドルフは思わず掴んでいた。咄嗟だったが、このまま女性に恥ずかしい思いをさせてはいけないと反射的に行動していた。


「俺も、指輪を付けても?」

「う、うん…お願い、します…」


ユリは少しだけ俯いたまま、レンドルフに握られた手の力を抜いた。



その後、レンドルフは自分の手からすると余りにも小さな指輪なので袋から取り出すのにも苦労してどうにか指で摘んだものの、それこそユリの指に嵌めるのに怪我をさせやしないかと緊張してしまって、自分の時よりも倍近く時間が掛かってしまった。しかも添えた手に汗が滲んで来てしまって気持ち悪く思われやしないだろうか、と思えば思う程逆に汗がどんどん出て来てしまって、しまいには額にもジンワリと汗が浮かんでいたのだった。


(これなら、ワイルドボアの方が怖くない…)


怖さの方向性は全くの真逆なのだが、ついそんなことをレンドルフは考えてしまったのだった。



レンドルフは何も意識していない素の方が誤解を招くようなことをストレートに言うので、意識して言う言葉は遠回り過ぎて全く気付かれていません。気の毒。

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