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273.夢の夏牡蠣


復帰してから一週間の待機任務の後、レンドルフは一日休暇を貰った。ステノスには「これが過ぎたらしっかり働いてもらうから覚悟しておけよ」と笑いながら告げられている。レンドルフとしても、やっとここに呼ばれた役目を果たせるので、しっかりと務めようと密かに張り切っていた。


待機任務の一週間は、大変充実したものだった。完全とまではいかなくても少々痩せてしまったらしい体型も戻りつつあったし、任務は交代制なのでずっと駐屯部隊の敷地にいたレンドルフはほぼ全員と何らかの形で顔を合わせることが出来た。多少遠巻きにしていた者もいたが、概ねレンドルフのことは受け入れてもらったようで安心していた。きっとステノスが馴染みやすいようにしてくれたのだろうと今ならば思う。


そして幸運にも、今日の休みはユリがエイスの街の方に戻って来ていて休みの重なる日だったのだ。休みが分かるとレンドルフはすぐにユリに手紙を書いて、ちょうどユリも予定が入っていないということだったので一日一緒に過ごす約束を取り付けたのだった。

実のところ、大公家の「影」が本業であるステノスがわざわざユリがこちらに来ていて休日になる予定に合わせたのだ。そのことはレンドルフは気付いていない。ステノスは本当の主人であるレンザから、かなり渋々であるがユリとレンドルフの休日を任務に支障が出ない範囲でなるべく合わせるように、と命じられていた。レンザは孫娘のユリを溺愛しているので、彼女に近寄る存在はどんなに頼れる紳士でも排除したいらしい。が、ユリ自身がレンドルフに会えることを望んでいる為に仕方なしに理解を見せているだけだ。ステノスは合わせても合わせなくてもレンザの苦虫を噛み潰したような顔を見ることになるのだが、休暇三回につき二回くらいは合わせる方向で行こうと部隊の勤務表を前に数時間悩まされたのだった。



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レンドルフは手持ちの中でも上質な素材で仕立てた新しい乗馬服を着て、ノルドでエイスの街に出掛けた。


今日はユリがレンドルフの快気祝いの場を設けてくれるということだった。レンドルフからするとユリの方を気遣いたかったのだが、ユリから「それは別の機会にしてくれれば楽しみが増えるから」と説得されてしまって、今回は素直にレンドルフが歓待してもらう側になった。もう少し正装に近い服にすることも考えたのだが、ユリから以前連れて行った貰った温室でのレストランだということで動きやすいものにした。温室の中は広く、あちこちに見所があるので歩き回ることもある。


場所は分かっているので直接レストランの入口で待ち合わせるのだが、ノルドはエイスの街の預け所に行かないことが分かると少々ガッカリした顔をしていた。そんな顔をされると可哀想な気もしたが、待ち合わせ場所は駐屯部隊の敷地から直接向かった方が断然近いのだ。レンドルフは後で角砂糖でもあげておこうと思いながら、レストランのあるエイスの街から少し離れたところにある貴族の別荘地が並ぶ方へと鼻先を向けた。



「レンさん!」


以前の記憶を辿りながら、よく手入れをされた道を進むと、大きな温室の屋根が見えて来た。そしてそのすぐ前には既に馬車が停まっていて、ノルドの蹄の音が聞こえたのか馬車の窓に掛かっていたカーテンが開いてそこからユリがピョコリと顔を出した。

手紙のやり取りはしていたし、先週にはレンドルフからは見えなかったが暗がりの隠し通路で少しだけ言葉を交わした。しかしようやく落ち着いた状態でユリの顔を見ることが出来て、レンドルフは心からの笑みを浮かべていた。


「ユリさん、待った?」

「ううん、ちょっと前に来たところ」


レンドルフがまだ完全に止まらないうちからノルドの背から降りて、近くに待機していた厩番と思われる男性に手綱を預けた。そして早足どころか完全に走る勢いでユリの馬車に近付く。ユリが窓から顔を引っ込めて扉を開ける僅かな間に、レンドルフはもう馬車の脇に待機していた程だった。


ユリの腰まであった髪は一番短くなっていた部分に合わせて整えたので、肩に少し触れるくらいにまで短くなっていた。が、その姿をいきなり見せてしまうとレンドルフが色々と気にしてしまうのではないかと思って、長さが分からないように毛先を編み込んでアップスタイルにしていた。とは言ってもまとめた箇所のボリュームがないので髪の長さの予想がついてしまうが、淡いピンク色のリボンを一緒に編み込んで目立たないようにしてもらっていた。今日のユリの装いは、合わせた訳ではないのだが偶然にも乗馬服だった。勿論素材や色味も違うが、茶系のベストに少し丈の短いトラウザーズに革のブーツという基本形は同じなので、どことなく揃いのようにも見えた。


「ユリさん、少しだけ触れても?」

「あ…ええと…はい」


ユリが馬車から降りかけたのでレンドルフはいつものように手を差し出して、その上に乗せられたユリの手を包むように握り込んだ。ユリの小さな手は、レンドルフの大きな手では軽く指を曲げるだけでほぼすっぽりと包み込めてしまう。決して力を入れている訳ではないが、いつもは必要以上に接触しないように乗せられたままの形で留めておくのだが、ほんの少しだけ踏み込んだレンドルフの行動に気付いたのかユリは一瞬だけ動きを止める。

そして今日は乗馬服なので必要はないと思うのにいつものように馬車から抱えて降ろす為の許可を貰うレンドルフに、ユリは少しだけ目を伏せるようにして承諾する。


馬車から抱えて降ろす際にはいつもと同じ様子で柔らかく地面の上に降ろされたのだが、握られていた手が離れた瞬間いつもよりも手に触れた空気が冷たいように感じられた。それが思ったよりも焦燥感があって、ユリは離れて行くレンドルフの温かい手を思わず自分から追うように握り締めてしまった。一緒に街歩きをする時は身長差故に通常のエスコートが出来なくて手を繋いでいるのに、何故か縋るように握り締めてしまったユリは瞬時に我に返って顔から火が出るような気持ちになった。


「今日は招待ありがとう」

「ううん。レンさんが無事で良かったお祝いだから…」


レンドルフは少々珍しいユリの行動に何か言うことはなく、いつものエスコート代わりに軽く手を握り締める。


「やっぱりレンさんはこの方が落ち着く」

「あー…この前の姿は、忘れてもらえると…」


長く顔を眺めていると首を痛めそうな身長差に、ユリは素直にそう告げた。先日会った時はまだレンドルフは美少女時代の体であったし、ポーラニア夫人に化けていたのでどこからどう見ても儚い女性であったのだ。その時のことを思い出したのか、レンドルフは繋いでいない方の手で顔の半分を覆ってしまった。しかし隠し切れていない耳がうっすらと赤くなっているのはすぐに分かった。


「ええと…じゃあ、この前の私の行動も忘れてもらえると…」

「うん、そうします…」


先日偶然再会した隠し通路の中は一切光が差さず、暗闇でも目が利く魔道具を使っていたユリからはレンドルフの姿がハッキリと見えた。髪の色も目の色も変えて、どう見ても女性にしか見えなかったのにユリにはすぐにレンドルフだと分かった。勿論、その姿になったときを見ていたのもあっただろうが、ユリは瞬時にレンドルフだと気付いて我を忘れて抱きついてしまったのだ。そのことについては同行していた侍女のエマから上に報告されて、別邸のメイド長からギッチリとお説教済みだ。ユリはうっかり「どう見ても女性にしか見えなかったからつい…」と呟いてしまい、メイド長の「そういう問題ではございません!」と更にお説教が追加されたのは自業自得であった。



「ようこそおいで下さいました」

「よろしくお願いします。…ええと、今日も貸切?」

「うん、予約が取れたから」

「あ、ありがとう…」


以前にも出迎えてくれた初老の男性に出迎えられて、入口の看板に「本日貸切」の文字を確認してレンドルフはユリを見つめた。前に来た時はオープンしたばかりでまだ客が少ないと聞いていたが、料理の味やサービスが素晴らしくてすぐに貴族や富豪などの目に留まって人気店になるだろうと思っていた。それだけにユリが随分無理をして予約を入れてくれたのかとレンドルフは心配になったが、せっかく場を整えてくれたことに水を差したくはないと素直に受け取ることにする。


実はここは大公家所有の温室なので、レストランでもなんでもなかったりする。ただ警護しやすくユリとレンドルフを見守る為に大公家の使用人達が準備した場所なのだ。レンドルフはそのことを知らないので、すっかり風変わりなレストランだと思っている。



入口を抜けて中に入ると、少しだけ外よりもヒヤリとした空気に包まれた。エイスのある地域は中心街よりも少し気温が低いが、それでも夏なのでそれなりに暑い。この温室の中はきちんと空調が管理されているのか、湿度が低めで心地好い爽やかさだった。

前回来た時には満開で一面ピンク色の花を咲かさせていたヤマアンズの木は、色の濃い緑の葉に変わっていて足元に影を落としていた。


「本日はこちらに整えてございます」


先日来た時は行き止まりになっていたので、立ち入れない場所と思っていたところに案内される。何となく不思議そうにしていたレンドルフの表情を読んだのか、ユリが小さな声で「花によってエリアごとに温度管理しているから、時期で入れる場所が変わるの」と教えてくれた。


扉を開けると、中は薄暗くなっていた。アーチのような道があり、それを覆うように植物の葉で囲まれている。どうやら蔦植物で造られたトンネルのようだ。薄暗いと言っても、足元にランタンのような灯りが置かれているので視界は悪くない。


「こちらでございます」

「これは…」

「綺麗…」


トンネルを抜けると、広い円形状のホールのような場所に出た。そこにはトンネルと同じように棚が組まれていてそこに這わせるように見渡す限り蔦植物が覆っている。まるで植物で出来た壁のようだ。そしてそこには、レンドルフの片手くらいの大振りの丸い花が咲いていて、暗い中ぼんやりと光を放っていた。淡く柔らかい水色の光は僅かな風の流れでフワフワと揺れていて、美しい波のようだった。


「こちらは『海の夢』と呼ばれる品種の花で、夕刻の咲き始めにこのように淡い光を放ちます」

「美しいな…」


このホールの中央にテーブルが用意されていて、キャンドルが点されていた。まだ昼間なのだが、まるでディナーのような雰囲気が漂う。テーブルが大きめだったので、会話がしやすいように正面ではなくはす向かいの椅子が用意されていた。


「これはわざと光を調整して、来る時間に合わせて花が咲くようにしてくれたの。この国で自然に見られるところはすごく山奥だし、群生してるところは殆どないから、ここでしか見られない景色だと思うわ」

「そうなんだ。こんなに貴重で美しい花を見せて貰えるなんて光栄だな」


周囲も天井も柔らかい水色の光が揺れているのを顔を上げて眺める。レンドルフの白い肌が、淡い光に照らされてより白く透き通るように見えた。優しげに少しだけ細めた目にも光りが灯るように反射しているのをユリは横目で眺めて、顔立ちはあまり昔から変わらないのだな、という感想を抱いた。大柄で筋肉質で体も分厚いのでそちらの印象が残りやすいが、こうして座って顔の位置が近いと母親似といわれる優美な面差しは一時的に巻き戻っていた頃のものと大きく差はない。


「お待たせ致しました」


言葉もなく光る花を眺めていると、テーブルに前菜がサーブされた。海を思わせる青い波のような模様が縁に描かれている平皿の上に、幾つかの海の幸が乗っている。シャキシャキの葉野菜の上にほぐした蟹の身を乗せて酸味のあるクリームソースが回しかけてあるもの、一口サイズのタルト台の中にマッシュポテトとボイルした海老が乗っているもの、揚げた白身魚のマリネには色鮮やかなパプリカが添えられる。どうやら今日は「海の夢」に合わせた魚貝が中心のメニューのようだ。


「お互いの無事を祝って」

「乾杯」


以前にここに来た時も、レンドルフが怪我をした直後で同じようなことを言ったような気がするが、そこは敢えて触れないことにした。細身のグラスには、殆ど水のように見える透明な食前酒が注がれている。ガラスの内側に細かい気泡が張り付いているので、レンドルフはスパークリングの白ワインだと思ったのだが、一口飲むと甘みはあるがスッキリした果実とは違う香りが鼻を抜けた。


「これ、随分あっさりした感じのお酒だね」

「ミズホ国のお酒なの。コメが原料で」

「そうなんだ。酒精の割に呑みやすいね」

「レンさんにはもっと甘い方がいいのかもしれないけど、魚貝には合うって言われてるの。これから出て来るメニューには合うと思うから」

「ユリさんが選んでくれたんだ。うん、蟹にも合うね」


次に提供された小さなカップには温かいスープが入っていた。具はなく美しい琥珀色に透き通っていて、底まで一切の不純物が見えない。


「これ、牡蠣だね」


一口含むと、濃厚な牡蠣の風味が口一杯に広がった。姿形は一切ないのに、しっかりと牡蠣が主張している。レンドルフは温かな液体が喉に滑り落ちると、うっとりとした顔になってしまった。あっという間に飲んでしまって、レンドルフは少々物足りない気がしていたが、次の皿を見てそんな気分も吹き飛んでしまった。


「お好きと伺いましたので、こちらをご用意致しました」


給仕が両手で抱える程の大きなトレイをテーブルの上に置いた。そこには細かくした氷を敷き詰めた上に大振りで丸みのある殻付きの牡蠣がズラリと並んでいた。


「すごい…!この季節にこんなに」


牡蠣が好物と聞いていたので、ユリは大公家の伝手を駆使して少々遠い領地から運ばせたのだ。


「こちらはイキノ領の島嶼で獲れる夏が旬の牡蠣でございます。王都での旬は冬でございますが、西南の地域では牡蠣は夏の食べ物と言われております」


王都から近い海に面している海産物で有名な領は東か北方が多い。輸送の関係上鮮度の良い方をより流通させるので、王都内では西南方面の領からの生鮮物は滅多に入って来ないのだ。レンドルフもイキノ領は魚貝の養殖が盛んと聞いたことがあるが、王都の市場ではあまり実物は見たことがない。

テーブルから少し離れたところでは、火の魔道具と調理器具が並べられていた。


「ご希望によって調理を致しますので、お気軽にお申し付けください」

「ありがとう。ええと…まずは生で食べても大丈夫かな?」

「勿論でございます」

「私もお願いします」


給仕は手早く大振りのものを三つ別皿に取り分けて、それぞれの前に置いた。その隣には、切ったばかりのレモンとオイルと塩が小皿で添えられる。


「ユリさん、わざわざ手配してくれたの?」

「手配と言うか、レンさんの好物を伝えたら、料理長が伝手があるからって」

「それならやっぱりユリさんのおかげだ。ありがとう」

「そんな…たいしたコトじゃ…」


好物を前にすっかり相好を崩しているレンドルフに、ユリも何だか嬉しくなって照れたように微笑んだ。


レンドルフは丸みのある肉厚の牡蠣の上にたっぷりとレモンを搾ると、一口でツルリと口に入れてしまう。噛み締めると、予想よりもシャッキリとした歯応えとあっさりとした味わいが口に広がる。貝独特の香りも薄めだが、その分いくらでも食べられそうだった。冬場に王都で食べる牡蠣はトロリとクリーミーな食感だが、こちらはさっぱりとした印象だった。どちらも味わいは違うが、美味しいことに変わりはない。


「すごく美味しい…」

「良かった」


ほう、と息を吐いたレンドルフを見て、ユリは安堵したように呟いた。やはり産地が違うと多少味が違うので、レンドルフの口に合うか心配だったのだ。すぐさまレンドルフは二個目にもレモンを搾っているので、お世辞ではないようだ。ユリもそれを見て、自分もレモンを搾ってツルリと口に入れたのだった。


その後レンドルフは生牡蠣だけでなく、殻ごと網焼きにしたものやワイン蒸し、バター焼きやフリッター、香草焼きにアヒージョなどを次々と幸せそうに平らげていた。その食べっぷりに、顔には出さなかったが給仕はちょっと引いていたのだが、ユリは「レンさん美味しそうに食べるね〜」とニコニコしながら見守っていたので、幸いにも周囲の空気を読むレンドルフには気付かれなかった。



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