272.エイスの駐屯部隊復帰
翌日ようやく本来の任務に復帰出来ると、レンドルフは気を引き締めてエイスの駐屯部隊に向かった。が、部隊長のステノスからは一週間の待機任務を言い渡されてしまった。基本的には駐屯部隊の敷地内であればどこにいても構わないし、部隊の訓練に参加することは自由だが、外に出る任務に関してはステノスの許可がない限り待機するように言い渡された。やはり役立たずと判断されてしまったのか、と少しばかり落胆してしまったが、表情に出さないようにしていたのにステノスには筒抜けだった。
「お前さん、自覚はないようだが結構痩せっちまってるぞ。王都とこっちじゃ気候も違うしな。一週間しかやれねえが、何とか体を馴らすように整えてくれ」
ステノスが肩を軽く叩いていつもの気軽な調子でそう言ってくれたので、レンドルフは少しだけ浮上したのだった。
レンドルフとしてはそれほど痩せた気はしないのだが、体が戻るまでのほぼ一月は部屋の中で筋トレをするくらいだったので随分と筋力が衰えてしまっているのかもしれない。借りた模造剣で素振りなどはしていたが、走り込みなどはほぼ出来ていない。まずは体を慣らそうと、敷地内の訓練場の周囲を走ることにした。
訓練用の服に着替えて外に出ると、訓練場の真ん中で上裸の副隊長のヨシメが汗を光らせながら樽を担いで謎のポーズを決めていた。一見停止しているように見えたが、よくよく目を凝らすとかなり無理な体勢で微かにプルプルと震えている。確かここに来た際にステノスに「趣味は筋トレ」と紹介されたことを思い出した。そして周囲はそれに慣れているのか、ヨシメの周辺では何事もなかったように他の隊員が鍛錬をしていた。何とも言い難い奇妙な光景であるが、そのうち馴染むだろう。
「あ!お久しぶりです!」
訓練場の隅でレンドルフが柔軟をしていると、赤茶色の髪をした体格の良い青年が小走りに近付いて来た。体格が良いと言ってもレンドルフの隣に並ぶと普通サイズに見えてしまうが。顔にソバカスが散っているせいか、少年のような印象を受ける。実際若いのは間違いないだろう。
「あ…ええと、以前森に調査で同行した」
「イルシュナです!またご一緒出来て嬉しいです!」
以前レンドルフが冒険者として参加した定期討伐で、調査の為にステノスと三名の騎士を森に案内したことがあった。イルシュナはその同行していた騎士の一人だった。その時はまだ新人だったが、あれから半年以上は経過しているので一回り体がしっかりしたようにも見えた。
「レンドルフ、だ。しばらくこちらで世話になる。よろしく」
「よろしくお願いします!イル、と呼んでください」
「俺もそのままでもレンでも好きな方で呼んでくれ」
握手を交わすと、手の平にはまだそこまで固くなっていないがきちんと剣ダコが出来ている。その手だけで彼の真面目な性格が透けて見えるようだ。
あの時に同行していた他の騎士は、一人は休暇中で、もう一人は騎士よりも馬の訓練士としての才能を認められて、当人の希望もあって騎士団の馬を調教する部署に異動になったと教えてもらった。今は慣れたところからということでこの駐屯部隊の馬を中心に調教しているので、顔を合わせる機会はこれまでと変わらないそうだ。
「あの…レン先輩は、これから鍛錬でしょうか?」
「あ、ああ。少々体が鈍ってしまったのでまずは走り込みだな」
「そうですか。…あ、あの!もしお時間があるようでしたら、是非一度手合わせをお願いしたく…!」
緊張しているのか少々顔を赤くして一歩近寄って来るイルシュナに、レンドルフは何とも微笑ましい気持ちになった。
「今日は体馴らしをするから、明日以降ならいつでもつき合うよ」
「ありがとうございます!」
やけに人懐っこい感じのイルシュナに、体格は違うが同じ部隊のショーキを思い出させた。ショーキは朝早く出発するレンドルフを見送る為にわざわざ来てくれていた。昨夜は遅かったし、結局随分呑んでしまったので目が腫れぼったく眠そうな顔だったので、悪いと思いつつレンドルフは嬉しくも思っていた。何だか雰囲気の似た後輩が出来たような気がして、レンドルフはここでも上手くやって行けそうな気がしていた。
本日のエイス駐屯部隊の訓練場は、中央で上裸のヨシメがポーズを決め、その外周をレンドルフが同じ速度で一日中グルグルと走り回っているという大変奇妙な光景になっていたのだったが、当人達は全く気付いていなかったのだった。
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翌日から、イルシュナがレンドルフに手合わせをお願いしていた姿を見ていた若手の騎士達が、次々と同じように手合わせを申込んで来た。イルシュナは人狼と呼ばれる異種族を母に持つ混血なのだが、通常の人間よりも身体能力が高めで、若手の中では体術は最強を誇っていた。そのイルシュナを軽々といなしているレンドルフに若手はキラキラとした憧れの目を向けていた。それにイルシュナだけでなく駐屯部隊所属の騎士は殆どが平民だ。レンドルフが既に部隊長のステノスと親しげにしているのは知っていたが、役職もない新人の平民騎士への対応に不安を感じていた者も一定数存在していた。しかし身分も種族も一切気にしていない様子でイルシュナに手合わせ後に指導をしていたレンドルフの姿を見て、彼らは一斉に手合わせを望んだのだった。
「レン殿!私も手合わせをお願いしたく!!」
その手合わせを待って並んでいる列の最後尾に、副隊長のヨシメも上着を脱いで満面の笑顔で並んでいた。ちなみに彼は素肌に騎士服の上着を着ているので、脱げばただの上裸である。彼は決して身分を嵩に割り込むようなことはなくきちんと一番後ろに並んでいたし、レンドルフも特に優遇する様子はなかったのだが、ヨシメの前に並んでいた新人達が圧に負けてどうぞどうぞと譲り合って、すぐにヨシメの番が回って来た。
「ルールはどうしますかな?」
「お任せします」
「それは頼もしい!それでは…」
ヨシメが片手を上げると、周囲に集まっていた騎士の数人が靴先で地面の上に線を描き出して、レンドルフとヨシメのいる辺りから約五メートル四方の四角形で取り囲んだ。
「この線の中で、互いに素手でやり合いましょうぞ!身体強化と防御の魔法は使用可能。体の一部がこの線より外に出たところで試合終了。いかがですかな?」
「お受け致します」
どこかの地方では、円形に囲まれたところから出たら負けが決まる決闘方法があると聞いたことがある。互いに力が拮抗している者同士だと当人も周囲も被害が大きくなることがあるので、狭い範囲での駆け引きで頭脳戦も追加することで短時間で終わらせることを目的にしていた筈だ。すぐに他の騎士達が動いたところを見ると、ヨシメとの手合わせはこのスタイルが採用されているのだろうと思う。レンドルフは、いかにも鍛え上げたヨシメの体格を見て、確かにこれはあまり長引かせない方が良さそうだと納得した。レンドルフとて力比べでは引けを取らないと自負しているが、全く戦法を知らない相手なので気を引き締める。
「始め!」
いつの間にか駐屯部隊で待機していた人間が全て集まっているのではないかという程の観衆が集まり、その中で一人が審判として中央に立った。
「おおおおぉぉっ!」
合図と同時にヨシメが雄叫びを上げながら一直線に突っ込んで来た。レンドルフは彼の力を見る為に身体強化を掛けて互いの拳をぶつけるように受け止めた。最大ではなかったが、それでもかなりの強度になるように強化していた筈なのだが、拳が当たった瞬間に重機がぶつかり合ったような鈍い音が周囲に響き渡り、そこから脳髄に響くような衝撃が走った。
「ぐっ…!」
レンドルフは思わず声を漏らし、正面から受け止めずに力を横に逸らすようにしてヨシメの背後に回る。が、ヨシメは全身鋼のような筋肉に覆われているのに見た目よりも柔軟で、足の位置はそのままに体を捻ってレンドルフの退避した方へそのまま拳を捩じ込む。
ほぼ真後ろを向いているのに威力が落ちないという有り得ない角度で繰り出された拳は、レンドルフの脇腹にめり込む。咄嗟に土魔法で防壁を築いたものの、強度が間に合わずに殆ど威力を削げなかった。しかしレンドルフも攻撃を喰らいながらも、がら空きになっていたヨシメの背中に拳を振り下ろす。
「カハ…ッ!」
レンドルフの重い一撃を喰らって、ヨシメも思わず息を吐く。
「すげぇ…」
「あの人達、何で出来てるんだ」
最初の一撃はほぼ同等なダメージが入ったが、そこからは互いに殴り、殴られの応酬だった。最初は防御に魔法を展開していたレンドルフだったが、ヨシメの攻撃は体の柔らかさを利用して作った壁を器用にヌルリと避けて突破して来る。そうなると却って防御壁は自分の攻撃が遮られてしまうため、すぐにレンドルフは魔力を全て身体強化に回すことに切り替えた。ヨシメは、自ら防御魔法の使用を条件付けておきながら、身体強化以外の魔法は使って来ない。
周囲は、互いに足元を殆ど動かさない状態の至近距離で殴り合っている巨漢の二人を、息を呑んで見入っていた。もはや防御なども考えずにひたすら力押しで勝負しているので、拳が当たる度に人ならざるものの音しかしない。
しばらく削り合っていると、少しずつだがダメージが蓄積して来る。ヨシメの体には幾つも内出血が浮かび上がり、レンドルフは唇の端が切れて血が滲んでいる。それでもあまり最初の場所から動いていないせいか、二人とも足元の土が激しく抉れていた。
「!?」
レンドルフが攻撃を仕掛けて拳をヨシメの鳩尾辺りに繰り出した瞬間、そのまま拳がツルリと横滑りした。互いの激しい殴り合いの末二人とも全身汗だくになっていたのだが、上半身なにも身に纏っていないヨシメの体は全体的にしっとりと濡れてツヤツヤのテカテカになっていた。シャツが吸収して肌に纏わり付いているレンドルフと違い、流れるままになっていたヨシメの汗は、レンドルフの拳の威力を散らせたのだ。
まさかの事態にたたらを踏んだレンドルフの足元が僅かに浮き上がると、目にも留まらぬ素早さでヨシメの丸太のような二の腕が首に巻き付いた。レンドルフはヨシメの腕を外そうと両手で掴んだが、それもツルリと滑ってしまう。
(油でも出ているのかっ!?)
声に出して突っ込みたいところだが、残念ながら頸動脈を的確に押さえられてそれどころではない。このままでは意識を確実に失うと、レンドルフは地面に向けて魔法を発動した。
「なっ…!」
レンドルフの足元から土魔法の壁が飛び出すような勢いで出現する。その壁はレンドルフの足の真下から体を押し上げるように射出されたので、その勢いで首に巻き付いていたヨシメの腕がツルンとすっぽ抜け、レンドルフの体が宙を舞った。これは防御魔法かは微妙なところだが、ヨシメの体には当たっていないので反則にはならずに済んだようだ。もっともレンドルフは咄嗟の判断だったので、その辺りは全く意識していなかったが。
空中に飛んだレンドルフは解放された気道に空気を送り込むと、体を捻って両手を組み落下する勢いのまま上からヨシメに叩き付けるように振り下ろした。このままレンドルフの攻撃がヨシメの脳天に決まると誰もが思った瞬間、レンドルフの真横から黒い塊が割り込むように衝突して来た。レンドルフは瞬時に腕で防御の姿勢を取ったが、空中にいたのでまともに横から喰らってしまい、その激突された勢いで観戦していた騎士達の中に突っ込んだ。
一瞬のことだったので彼らもレンドルフの巨体を避けるのが間に合わず、数人が弾き飛ばされたり落ちて来たレンドルフの下敷きになったりと一瞬で結構な惨事になってしまった。
「それまで!」
レンドルフの体が完全に描かれた線の外に転がって行ったので、審判役の騎士が終了を宣言した。
ヨシメは汗で全身テカテカになりながら、ドヤ顔でポーズを決めた。
「勝者、レンドルフ!」
審判の宣誓に一瞬の沈黙の後、周囲の観衆から「うおおおぉぉ!!」と興奮気味の歓声が上がった。
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「お、重い…」
「すまない…」
少しばかり酸欠になっていたのかクラクラする頭でレンドルフが体を起こすと、その下から呻き声が聞こえたので慌てて体を持ち上げた。どうやら騎士の一人がレンドルフの下敷きになって動けなくなっていたらしい。周辺にいた騎士達が体を浮かせたレンドルフの下から引きずり出して救出する。
「はいはい、回復薬ですよ〜」
既に準備してあったのか、籠を片手に救護班の制服を着た隊員が回復薬を配っていた。レンドルフも瓶を二本渡された。見ると、レンドルフに弾き飛ばされた数名も既に回復薬を呷っていた。
「レン殿!いやあ良い手合わせでした!」
「あ、ありがとうございました」
ヨシメが高らかに笑いながら近付いて来て、封を切った回復薬の瓶を差し出して来た。ひょっとしてこれは乾杯ということなのだろうかと、レンドルフがそっと自分の持っている回復薬を差し出すと、まるでエールの入ったジョッキでも持っているかのような勢いで瓶の縁を合わせて来たので、どうやら正解だったらしい。
「いやあ、試合には勝ちましたが勝負には負けましたな!」
「ヨシメさん、逆です」
「まあどちらでも良いじゃないか!」
審判役を務めた騎士に突っ込まれたが、ヨシメは全く気に留めていない様子で高らかに笑った。
「レンドルフ君が場外になる前に、ヨシメさんが攻撃魔法を使用したので反則負けです」
「あ、ああ…そういうことですか」
レンドルフは半分意識が飛んでいたので、結果がよく分かっていなかった。もし落ちて来るレンドルフの攻撃を防御する為に使われていたのならそのままヨシメの方が勝利していたかもしれないが、彼はレンドルフに直接防御壁をぶつけてしまったので攻撃魔法と判定されたようだ。
「ヨシメさんも、土魔法の使い手でしたか」
「私の場合は金属魔法との併用です。土魔法自体はそこまで強くありません」
「金属魔法…?」
「現在この国では一人だけの発現者です!」
聞いたことのない魔法の名を聞いてレンドルフが首を傾げると、ヨシメはツヤツヤとした胸筋を自慢げに引き上げてポーズを取った。
「何でも、素材の中に含まれてる金属を操れる魔法らしいですよ」
説明がよく分からなかったのだが、まるで慣れているかと言うように審判役をしていた騎士がフォローを入れてくれた。彼は中肉中背でどちらかと言うと可愛らしい系統の顔立ちをしていて、名をサンノと名乗った。こう見えてステノスと同い年と聞いて、危うく他の情報がすっ飛ぶところだった。どう見ても見た目は10代後半の未成年か成人してすぐくらいにしか見えなかった。
サンノの話では、ヨシメは非常に稀少な金属魔法と土魔法を複合させて、土中の砂鉄を操って強度を上げた防壁が作れるそうだ。そしてそれを相手にぶつけることで攻撃にも使える。レンドルフが弾き飛ばされたのはその砂鉄を豊富に含んだ土壁だったようだ。通りで今までに喰らったこともないような重たい衝撃だったとレンドルフも納得した。
「でもねえ、操れると言っても単純にそれだけを抽出出来る訳じゃないので、鉱脈に連れて行っても役立たずなんですよ。金属も不純物込みで大雑把に操れるだけなんで、使い勝手は微妙ですね」
「微妙だ!」
サンノは決して褒めている訳ではなさそうなのだが、何故かヨシメは自慢げな表情をしていた。
「私とここまで筋肉で語れるヤツは初めてだ!勉強になったぞ、レン殿!」
「俺も、勉強になりました。ありがとうございます」
差し出されたヨシメの手を、レンドルフは握り返す。すると周囲で見ていた騎士達から歓声と拍手が上がった。何だかレンドルフは恥ずかしいような嬉しいような気持ちになって、少しだけはにかんだような微笑みを浮かべていた。
「さあ、これより互いの疲れを癒す為に大浴場で双眸筋を褒め交わしましょうぞ!」
「は?いや、それはちょっと…」
「参りますぞ、レン殿!」
レンドルフはガッチリとヨシメに手を握り込まれたまま、寮内にある大浴場へと引きずられて行った。レンドルフは割と本気で抵抗したのだがヨシメの手を外すことが出来ず、そのまま一直線に引きずられて行くのを周囲は生暖かい目で見送っていたのだった。
ギリギリ入浴場面には至りませんでした!(笑)