271.長い手紙と快気祝い
久方振りに寮の自室に戻ると、レンドルフの為の特注のベッドは駐屯部隊の寮に送ってしまっていたので急遽普通のベッドを入れてくれていた。レンドルフは一晩くらいならば毛布を敷いて床で寝てもいいかと考えていたので、足がはみ出すがそれでも寝具の上に横になれるのはありがたかった。そんな入れ替えがあったおかげか、部屋の中は思ったよりも空気が籠っていなかった。それでも昼間の熱気が部屋の中には残っていて、レンドルフは荷物を置くとすぐに窓を開けた。
もう夏も本格的になって来ているので、夕方の今もまだ熱気が漂っている。しかし外から入り込む風は部屋の中よりも爽やかだった。
今日はもう時間が遅いので王城の団員寮で一泊して、明日には再びエイスの駐屯部隊に向かう予定だ。エイスの森での調査のためにレンドルフが出向になったのに、行ったその日にユリが攫われたことを聞いて飛び出してから戻っていない。すっかり役立たずだ。
サマル家別邸の外に置いて来たノルドは、その後駐屯部隊の世話係が回収してくれたそうで、それを聞いたレンドルフは安堵したものだった。が、ダンカン経由で聞いた所によると、夜まで周辺をうろついていたのだが空腹に耐えられなくなったらしく自力でエイスの街まで戻って、すっかり顔馴染みになった預け所に自分で預かられに来たと聞いてレンドルフは思わず恥ずかしさのあまり顔を覆ってしまった。あの場所にスレイブニルを預けるのはレンドルフくらいしかいないので完全に覚えられていた為にすぐにステノスのところに連絡が行って事無きを得たのだが、どう考えてもその預け所にあるノルドの大好物のカーエの葉を目当てに訪ねて行ったとしか思えなかった。
「あ、ユリさんの」
窓を開けていたので、いつもは一度窓をコツリと突ついて存在を知らせる伝書鳥が、そのまま一直線に部屋の中に飛び込んで来た。鮮やかな瑠璃色をした小鳥は、幸福を運んで来ると言われているパビネスバードを模している。レンドルフにはまさしく幸福を運んで来るものだ。彼は微笑みを浮かべて手を伸ばすと、その手の上に乗る瞬間に一通の封筒と元の紙で出来た伝書鳥に戻る。
すぐに封を開けて中を読むと、まだレンドルフが元に戻ったことも直接手紙が受け取れるようになったことも報せてないので、検閲が入ることを前提に少しだけ遠慮がちな文章が綴られている。とは言っても、基本的に人に見られて困るのは互いの今後の予定や一緒に出掛ける計画くらいで、何気ない日常を書き連ねて最後に互いを気遣う言葉で締める内容に大きな変わりはない。ただあの部屋にいたレンドルフはあまり詳しい様子は書くことは出来ないので、結果的にほぼ毎日の食事の感想を送っていた。手紙をダンカン経由で送るようになって数日は、中身を確認していたダンカンに「これは毎日送る必要があるものなのか?」と怪訝な顔をされてしまった程だ。しかしユリから送られて来るのも、育てている薬草の生育状況や、ミキタの店のランチの感想などだったので、後半の方ではダンカンも検閲が大分甘くなって、確認の為に読む時間もどんどん短くなっていた。
多分最初の頃は、あまりにも日常のことしか書かれていないので、薬草の名前や食事の感想が互いに何かの符牒としてやり取りをしているのではないかと疑われていたようだ。全くの誤解なのであったが。
今までもそこまで秘密のやり取りをしているつもりはなかったが、やはり人の目が通らない自分だけが見る手紙というのは心が躍ると改めて自覚した。
レンドルフは埃除けの為に掛けられたベッドカバーを捲ることもせずに、サッと軽く机の上だけを拭いてすぐにユリへの手紙を書き始めた。ユリ用の便箋はエイスの駐屯部隊に殆ど持って行ってしまったので、今手元にあるのは飾り気のない事務的な白い物ばかりだ。あの準王族の部屋に閉じこもっていた時は、気を遣われたのか妙な細工をされないような用心も含めてだろうがシンプルではあるが淡い色付きの物や、小さく花や小鳥などが隅に添えられている物を用意してもらっていた。
しかし今回はそんなことも気にせずレンドルフは久々に色々なことを綴れる解放感につい筆が進んでしまい、気付けばおそらく今までで最長の手紙になっていた。そして最後に「レン」と記名をして顔を上げると、部屋の中は真っ暗になっていて手元の明かりだけが煌煌としていたことに初めて気が付いた。今までどちらかと言うと筆無精で、時折両親に送る手紙などは「短すぎる」「報告書か」と説教じみた返信が来るまでがセットになっていた程だ。
「さすがに長過ぎたかな…」
ざっくり読み返して折り畳むと、明らかに厚みのある便箋束に苦笑する。しかし読み返した感覚では、書きたいことを書いたらこうなっていたという印象だ。改めて推敲して書き直しても、似たような長さになってしまう気がするので、そのまま送ることにした。少々苦労して封筒に詰め込むと、封をして伝書鳥に託そうとしかけてふと動きを止める。
レンドルフはクローゼットの中の物入れの中から、クロヴァス領特製の香水と言う名の消臭剤の在庫を取り出して封を切る。そして自分の頭上でシュッと一吹きすると、一拍置いて手にした封筒をその空間を通過させた。その真下にいたレンドルフにも、ゆっくりと慣れたハーブの清々しい香りが降りて来る。ここのところ、女性ものの甘い花のような香りに包まれていたので、やっと戻って来たという感覚になった。
ユリ宛ての薄紅色の伝書鳥に手紙を託すと、可愛らしい鳥の姿になって夜空に消えて行く。本物の鳥のように見えるが魔道具の一種なので、昼夜問わずに飛んで行く。それが見えなくなるまでレンドルフは見送ると、ユリも戻ったことを喜んでくれるといいな、と思いながら窓を閉めたのだった。
また明日にはここを出るので、ひとまずベッドだけ整えるとレンドルフの腹が盛大に鳴った。誰もいないので反応することはないが、頭の中でどこに食べに行こうかと悩む。団員寮の食堂は食券がないと食べられない。夕食の時だけは運良くその日の余りあれば食券を買い忘れても食事にありつけることもあるが、基本的にシェフの料理は美味いと評判なのでそんな幸運は滅多にない。それにこの時間ではもう完売しているだろう。
王城から出てどこか手軽な店にでも行こうとレンドルフが部屋を出て寮の共有エリアまで降りて行くと、そこのソファには見慣れた顔が並んでいた。
「レンドルフ先輩〜!遅いですよ〜」
「ショーキ!?オルトさんに…え?オスカー隊長も?」
「腹ぺこだぞ」
「元気そうで何よりだ」
そこにいたのは、オスカーが部隊長として率いる仲間が揃っていた。後輩で独身なショーキは団員寮に入っているのでここにいてもおかしくないが、部隊長のオスカーと先輩のオルトは妻帯者で通いで王城に来ている。こんな時間に寮のソファで寛いでいることはまず見られない光景だ。
「早く食べに行こうぜ。もう店は予約してあるからな〜」
「え?」
「まあ、快気祝いのようなものだ。明日に響かない程度に存分に食べるといい」
「骨付き肉の美味しい店だそうですよ!オルト先輩の推薦です」
何が何やら分からずオロオロするレンドルフを囲むようにして、彼らはグイグイと背中を押して来る。しかしその顔は笑顔に溢れていて、背中に触れられる手は温かい。その感覚に、レンドルフはここでも帰って来た安心感があったのだと気が付いて、感情が溢れ出すのは堪えたが少しだけ目の奥が熱くなったのだった。
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「まずはレンドルフの無事の帰還を祝して。乾杯!」
「「乾杯!!」」
「あ、ありがとうございます」
連れて行かれた先は、王城の近くの肉中心のメニューを出す店だった。近さと内容で王城勤務の騎士達が多く利用するので、レンドルフも以前に一度同級の騎士達と来たことがあった。しかし顔見知りも多いので、ユリと来たことはない。
わざわざ広めの個室を予約してくれたらしく、倍近く入れる部屋に四人なのでゆったりと座れた。それもレンドルフに気を遣ってくれたのだろう。
まずは年長のオスカーが乾杯の音頭を取って、銘々が好きな酒を掲げた。
「レンドルフ先輩、少し痩せました?」
「それはいかんな。どんどん食べて育てよ!」
「これ以上育ってどうするんですか?それに痩せたって言うより、少し筋肉が落ちただけです。鍛錬していればすぐに戻りますよ」
隣に座ったショーキがレンドルフの体を真横から覗き込んで、その厚みを測っている。それを聞いて世話好きなオルトが最初に運ばれて来たチーズとハムの盛り合わせの皿を差し出して来た。レンドルフは苦笑しながらピックの刺さったオレンジ色をしたチーズを一つ摘む。レンドルフの傍らには、彼が持つと普通のグラスに見えるが、ピッチャーと見紛うばかりの大振りのジョッキにフルーツがたっぷり入ったスパークリングワインが置かれている。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「はい、神官殿から健康状態に問題無しと鑑定結果をいただいています。ご心配おかけしました」
オスカーにも真顔で尋ねられてしまって、レンドルフはぺこりと頭を下げる。
レンドルフは、駐屯部隊に出向で到着した日に誘拐事件の調査に同行して、不運にも犯人捕縛時に違法薬物を浴びてしまったと伝えられている。違法薬物だけに、どのような悪影響が出るか分からないとして今まで安全が確認されるまで王城で隔離されていたことになっていたのだ。あながち間違いではない。
「行ったその日に巻き込まれるなんて、ツイてねえな」
「誘拐事件でしたっけ?あ、でも、結局それは誤報だったんですよね」
「ああ。攫われた女性はいなかった。それだけで十分だよ」
レンドルフの言葉に、ほんの一瞬ではあったがオスカーとオルトが視線を見交わした。レンドルフにはそこまでの自覚はなかったが「誘拐事件」と言っただけなのにレンドルフは「女性」と返したことに、二人は大体のことを察したのだ。おそらく誘拐事件は本当に起こっていたが、その被害者が女性だったので「なかったこと」にされたのだろう、と。
「先輩、人がいいですねえ」
感心したようにショーキが呟くと、個室の扉がノックされて店員が数人がかりで大皿に乗せた骨付き肉のグリルと、野菜の串焼きをテーブルの上に並べた。この店の名物料理で、特製のタレに漬け込んだ骨付き肉だ。部屋中に香ばしい肉の焼き目からスパイスの香りが広がり、レンドルフは思わずゴクリと喉を鳴らした。
早速熱いうちに皿に取り分けて、骨の部分をタレも気にせずに直接手で持ち上げて口に運ぶ。一応カトラリーも添えられているが、ここではこうやって食べることがお勧めだ。口の端にタレが付いてしまうのも構わずに大きな口を開けてかぶりつくと、タレで程良く引き締まった肉の繊維とプルリと弾力のある脂身の部分が口の中一杯になる。甘辛いタレと舌の上でピリリと弾けるスパイスの後から、噛み締めると解ける肉の間から甘みのある肉汁が広がる。それを咀嚼して飲み込んだ直後に、冷えた酸味のあるスパークリングワインを喉に流し込むと空腹の胃袋に染み渡る心地好さに包まれた。
「やっぱりここの肉、旨いな」
「このタレが進みますね。人参と食べるとサイコーです」
全員空腹だったので、しばらくはあまり喋らずに皿の上の肉に集中して黙々と食べていた。あっという間に空になった皿が並び、それを入れ替えるように店員が次の料理を置いて空いた皿は回収して行った。次の皿には、山盛りの薫製肉とトマトのパスタが盛られていて、その隣にはこれまた山盛りのバゲットのスライスが積まれていた。パスタのソースが多めなので、これに浸して食べると言うことだろう。
「あ、僕こういうの得意なんです。兄姉多いですから」
ショーキが真っ先に手を伸ばして、添えられていたトング片手にテキパキと取り皿に分けて行った。レンドルフは普段自分でやるとあまり綺麗に盛りつけられないのだが、ショーキが取り分けた皿はそのまま一品としてコースに出せそうなくらいだった。むしろ大皿に盛られていた時よりも美味しそうに見えるくらいだ。
「ありがとう」
「どーいたしまして!」
レンドルフが礼を言うと、ショーキは嬉しそうにニカッと笑った。よく見るとレンドルフの皿だけ特に大盛りになっている。その気配りが何だか嬉しかった。
まだ熱いパスタは少し柔らかめだったが、薫製肉の塩気とトマトの酸味のバランスがよく、思ったよりもニンニクの香りが利いていた。これは多少周囲が気になるところだが、この部屋にいる全員が食べているので今は気にしなくていいだろう。
「…なあ、ところでレンドルフに聞きたいんだが」
「はい?俺が答えられる範囲でなら」
先に肉を平らげたので、先程よりもゆっくりとしたペースでパスタを食べ進め、追加をした飲み物がやって来たタイミングでオルトが少しだけ声をトーンを落として尋ねて来た。レンドルフは、おそらく巻き込まれた事件のことに付いてだろうと察して、少しだけ気を引き締めた。レンドルフが王城の一室から戻る前に、既に事件の真相の極秘事項に付いてはダンカンの元で誓約魔法を交わしている。なので本当に他言無用の事は迂闊に漏らすことはないが、それでも多少甘く見逃してもらっていることもある。ここにいる同部隊の仲間は信頼しているが、レンドルフが話したことにより何が切っ掛けで彼らの立場が悪くならないとも限らない。巻き込みたくはないという意味で、レンドルフは少々緊張していた。
「その…嫌なら答えなくてもいいんだが、一応確認しておいた方が、今後も引っかかりというか…」
「ええと…どのようなことでしょう」
何故か非常に気まずそうな顔で、オルトは視線を彷徨わせていた。そんなに聞き辛い内容なら、レンドルフが答えられる範疇ではないかもしれないと思ったが、それでも内容を聞いてみないことには判断が付かない。
「まあ情報源は言えないんだが…お前の受けた毒がな…男のナニを不能にするって聞いてな…」
「ゴホッ!」
そっと小声で聞いて来たオルトの言葉に、レンドルフは思わず呑もうとしていたオレンジベースのカクテルをうっかり気管に送りそうになってしまった。ひとしきり噎せたレンドルフが顔を上げると、オルトはすまなさそうな顔をして眉を下げているし、その隣にいるオスカーは気まずそうに視線を彷徨わせている。隣にいるショーキに顔を向けると、何故かサッと顔を逸らされてしまった。
「あの、それは大丈夫、です。防毒の魔道具が効果がありまして、幸い全く影響を受けなかったので…」
「そ、そうか!そりゃ良かったな!」
「ああ、安心した。まだレンドルフは若いし、将来伴侶を迎えることもあるだろうしな」
「恐れ入ります…」
「レンドルフ先輩、パスタもう少し盛りましょうか?」
「ああ…」
話題が話題だけに、レンドルフの答え次第では一気に場が暗くなっていたかもしれないが、それだけデリケートな話でも心配をされていたのだろう。それにオルトの情報収集力には驚いていた。毒ムカデの毒に関しては、レンドルフは昨日ネイサンとも離縁届けを記入する為に面会をした際に、後遺症で男性の不妊を誘発するという話を初めて聞いたのだ。少なくともオルトはそれよりも前に何らかの情報を入手していたようだ。
そういえばあの塔でムカデに刺された際に、ユリは貸してくれていた特製の解毒の装身具を外さないようにと告げていた。きっとユリは薬師の為の知識として毒の性質や後遺症を知っていたのだろう。オルトの妻は特異体質なので特別に調合した薬湯が必要な為、オルトは薬師と相談をしながら彼女の体調を見て微妙に配合の違う薬湯を毎日用意している。もしかしたらそういった薬師などから話を聞いたのかもしれない、とレンドルフは思い当たった。
「そうだ、今日はレンドルフの快気祝いだから、特製デザートも注文しておいたぞ!」
「ありがとうございます」
オルトは少しだけわざとらしかったが、場の空気を変えるように明るい声で教えてくれた。レンドルフはそうやって気遣ってもらえたことがとにかく嬉しくて、穏やかな口調でゆっくりと微笑んだ。
近衛騎士を解任されたとき、自分には価値が無くなってしまったのだと思い、仕方がないと思う気持ちと納得行かないという想いがない交ぜになって苦しい日々だった。けれどそれが切っ掛けでユリと出会い、友人とも言える冒険者仲間と出会い、俯いて足元しか見えてなかったレンドルフの目の前には広い世界と多くの道が広がっていることを知った。
そうやって気付きを得たレンドルフは、愛着のあった近衛騎士団に戻れることはなくてももう落ち込むことはなくなっていた。現実はまだレンドルフを侮って軽んじたり、遠巻きにしている者もいる。だが、今を温かく受け入れて楽しく生きることを覚えたレンドルフの周辺は、同じように温かい者達が集っている。
「俺、ここに来られて良かったです」
レンドルフは万感の思いを込めてそう言った。物心ついた時から、何となく自分は運の向きや間があまり良くない質だと思っていたが、今は全く違うと思えた。
「そうか。やはり評判のタルトを頼んでもらって正解だったな」
「今の季節は栗とナッツをたっぷり使用している自慢の逸品らしいですよ」
レンドルフがデザートを余程楽しみにしていると誤解したらしいオスカーに、タルトを手配してくれたらしいショーキがニコニコしながら内容を語っていた。レンドルフは少々違っていると思っても、デザートも楽しみなのも間違いではないので訂正はしない。
最後に出て来たデザートのタルトは、贅沢にも栗のペーストをたっぷりとクリーム状にして絞り出し、その上から色とりどりのナッツやドライフルーツが散っている。更にタルト台の生地にもアーモンドプードルが混ぜ込まれていた香りの高い品だった。
半分近くの大きさに切り出されたレンドルフのタルトは、あっという間に彼の胃の中に収まった。その食べっぷりに、オスカーもオルトもショーキも、まだ手を付けていなかった自分の分の皿を差し出して来た。しかしそれではレンドルフが丸々ホールを独り占めしたことになってしまう。
「もう満腹なんで、気持ちだけで」
礼を言いながら遠慮したレンドルフの目は、部屋の中の黄色みの強い明かりに照らされて、ほんの少しだけ潤んでいるように見えたのだった。