3.キノコソースのハンバーク
ギルドに到着すると、ユリはすぐに終わるとレンドルフに言い残して、窓口の一つへ向かった。
ここはエイスの街のギルドで、大きな都市とは違い様々なギルドの総合出張所といったところだ。人口も多い中心街のような大都市では、冒険者ギルドや薬師ギルド、職人ギルド等々、多くのギルドがそれぞれの建物で独立した窓口を有している。しかしそこまで大きくない街では、あらゆるギルドを取り纏めて手続きなどが可能な総合窓口が存在している。そこまで利用者が多くないので、個々別に対応する程の手続き量がないのだ。もっとも、職員も少ない上に幅広い手続き業務をこなさなければならないので、忙しさは個別対応のギルド職員より上かもしれないが。
ユリは肩から掛けた鞄の中から片手に収まる程度の小瓶と、彼女の手の中に収まる程度の小さな貝殻を幾つかカウンターに並べていた。それは比翼貝と呼ばれるもので、中身は食用にされて貝殻だけになっても同じ貝であればピタリと口が閉じる二枚貝なのだ。密閉度が高いので、手軽な塗り薬入れに広く使用されている。
小瓶の方は液状の回復薬で、国が薬師ギルドを通じて作らせている指定のものだ。こちらの瓶には下位の保存魔法が施されていて、そこに回復薬を入れておけば一ヶ月程度なら品質が保てるようになっている。薬師ギルドがこの瓶を作って薬師に渡し、薬師はそこに精製した回復薬を詰めてギルドに納品するのだ。この回復薬は、国が許可した店や薬師ギルドを通したものしか販売が出来ないように定められている。
ユリの並べた製品を窓口の職員が魔道具を使って確認して行く。どうやら規格外のものがあったらしく、比翼貝は幾つかそのまま返される。小瓶の方はギルドの管理下にあるので、規格外のものでも一定の手間賃を支払って全て回収することになっている。回復薬は人々の生活には必要不可欠のものであるので、そうやって偽物や質の悪いものが出回るのを防いでいるのだ。
返品された貝を鞄にしまう瞬間、彼女は少しだけ眉を下げた残念そうな顔をしていた。
だが、振り返った時にはそれを一切感じさせない明るい表情に切り替わっている。
「レンさん、お待たせしました!」
「いや、ギルドなんて久しぶりだから、何だか面白かった」
「さっきレンさんが冒険者の依頼掲示板覗き込んでたら、後ろでハラハラした顔してた人達がいましたよ」
「え?覗いてただけなのに?」
「凄いライバルが出現したと思われたんですよ。ほら、レンさん強そうだし」
「俺は体がでかいだけで、そんなに強くないよ…」
ギルドの壁には、ところ狭しと様々な依頼の掲示板がある。冒険者専用では魔獣退治や護衛、薬師専用では薬草の採取や素材の収集などの依頼が常に掲示してある。その中で良さそうな依頼があれば、そこから外して窓口に持って行って手続きをしてもらうのだ。
「じゃあ、ご飯食べに行きましょう!お腹空きましたね!」
元気に出発するユリの頭上から手を伸ばして、ギルドの入口のドアを開ける。彼女よりも大分大きなレンドルフは、彼女の後ろを歩いていても手を伸ばせば先にドアに手が届いてしまうのだ。手を伸ばしかけた目の前で自動ドア状態で開いたことにユリは一瞬目を丸くしたが、すぐに真上を振り返るようにして「レンさん、紳士ですね」とはにかむように笑ってから礼を言った。
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「ミキタさーん、ランチまだある?」
彼女の言う通り、ギルドの裏手の道を一本挟んだところにその店はあった。
入口付近の床板と扉の把っ手付近の塗装が擦れて剥がれ、古そうな店構えであったが、その分染み付いた何ともいえない美味しそうな気配が扉を開けた瞬間から漂っている。店の扉には「営業中」の看板はかかっていたが、ランチのメニューが描かれていた黒板は綺麗に消されて店内の隅の方に畳まれていた。
ユリはどうやら顔馴染みのようで、ランチの看板がなくても店に入るなり気軽に声を掛けた。二人掛けと四人掛けのテーブルが五つと、カウンターが五席程。今はちょうど昼時間が終わったからか、他に客はいなかった。夜は酒場営業をしているらしく、カウンターの奥には酒瓶がズラリと並んでいた。
そのカウンターの内側に、小柄な中年女性が座っていた。短く襟足を大胆に刈り上げた緑がかった金髪に、茶色の瞳。体格もそこまで良いわけではないのだが不思議と貫禄を感じさせるのは、少しばかり鋭い印象の目付きのせいだろうか。
「おう、ユリちゃん。今日は昼の連中が少なくてね。まだまだ残ってるよー」
「今日のランチは?」
「キノコソースのハンバーク」
「やった!じゃあ、私それで。あ、レンさんはどうします?」
「俺も同じもので」
「はいよ。まああ立派な騎士様だねえ。大盛りにしていいかい?」
「お願いします…」
ここでも初対面で騎士と見抜かれた。何故分かったのか自分では全く自覚がないレンドルフは、やはり冒険風の服を用意してもらうのは辞めておこうと密かに思った。平民風ならまだしも、明らかに騎士に見える男が冒険者風を装うのは何だか気恥ずかしい気がしたのだ。
ユリに案内されて、一番奥の壁際のソファタイプの席を勧められる。通常サイズの木の椅子では明らかにレンドルフの臀部ははみ出してしまうので、気を遣ってくれたのかもしれない。
「悪いんだけど昼のスープはさっき賄いで食べちゃってね。夜の分で煮込みは浅いけど、これはこれで食べられるから」
そう言ってミキタは二人の前にカップに入ったスープと、水の入った瓶とコップをテーブルに並べた。
野菜がたっぷりと入ったあっさりとした塩味のスープで、彼女のいう通り煮込みが浅いがその分野菜のシャッキリとした歯ごたえが残っていてこれはこれで美味しかった。夜に提供する頃には煮込まれてスープに溶け出すのであろうが、まだ形がしっかりと残っているトマトを口の中で噛み締めると、新鮮な酸味が空腹を更に刺激するようだった。上に振られた胡椒が鼻に抜けて行くのもまた良かった。
「美味しいな…」
「そうかい?それは嬉しいねえ」
レンドルフの呟きをしっかり聞いていたのか、カウンター内に戻ったミキタが嬉しそうに言う。その間にも彼女の手は止まらず、すぐに肉種をフライパンに乗せたジューッと小気味よい音と、遅れて脂と肉の焼ける香ばしい香りが席まで届く。
「レンさんついてるわね。ミキタさんのハンバーグ、美味しいんだから」
「ああ、匂いだけでももう美味しい…」
再びレンドルフの腹の虫が鳴きそうになって、慌ててグッと腹に力を入れた。つい深く吸い込んだ肉の焼ける香りは、噛み合わせの奥からジワリと唾液を沸き上がらせる。
すぐ傍で調理をする音と香りは、ワイワイと騎士ばかりがひしめき合う暑苦しい団員寮の食堂を思い出させた。寮の食堂では、普段は動きも喋りもおっとりとした姉妹のベテランシェフが担当していたのだが、食事時モードに入るとそれこそ鬼のように荒々しく、鷹のように雄々しくキッキンをところ狭しと飛び回っていた。
団員寮を出てから10日程度しか経っていないのだが、少しばかり彼女達の勇姿が懐かしく思えた。
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「レンさん、エイスは初めて、って言ってたけど、観光とかで?あ、狩猟が目当てとか」
「まあそんなところかな。今は長期休暇中だから、少し体を動かそうかと」
「その割に装備が甘くない?」
「今日は様子見にしておこうと思って、荷物は街の入口に預けてあるんだ。久々に遠乗りをしたら馬を疲れさせてしまったから、次はス…もっと体力のある馬にするか、泊まりがけにするよ」
スレイプニルと言いかけてレンドルフは言い直した。何となくユリと気楽に交わしている会話が嬉しくて、貴族と分かってしまうのは憚られた。
「はい、お待たせ」
「わあ、すごい!」
ミキタが、焼き立てで表面がまだフツフツとしているハンバークが乗った皿を運んで来た。半分程掛かったキノコの入ったブラウンソースが、濃厚な照りを返してツヤツヤしている。
ユリの方の皿は通常サイズなのか、それでも一般的なサイズより大きめではあるが、皿とともに葉野菜と付け合わせの蒸し野菜が添えられている。だがレンドルフの方はその倍以上の大きさでハンバーグが皿をすっかり占拠していて、野菜は別皿で提供されていた。ユリはその皿を見て思わず感嘆の声を上げていた。
その後から、軽く炙った数種類のパンが入った籠が置かれる。そちらも香ばしい良い香りを漂わせている。
「パンはおかわり自由。足りなかったら声を掛けておくれ。どうだい?食べきれそうかい?」
「余裕です」
「頼もしいねえ」
早速ハンバーグにナイフを入れると、ジュワリと澄んだ肉汁が溢れてソースの上に渦を巻いた。それをたっぷりと絡めて大きめの一口をパクリと頬張る。思ったよりも熱くて途中フウフウと息をつきながらも咀嚼すると、大きめの玉葱がシャリシャリと砕けて甘い味が広がる。ゴクリと喉を通過すると、余韻が消えるのが惜しくてその前にまたすぐに次の一口を切って頬張る。キノコの旨味が溶けたソースと、肉の脂の甘さに次の肉もあっと言う間にほどけて喉の奥に消えてしまう。もはや次の一口はうっとりと無心で口を動かしていた。夢中で大口で三口程食べてしまったので、皿の上の特大ハンバーグは半分近くになっている。口の端にソースが付いていたので反射的にペロリと舐め取ってから、さすがにがっつき過ぎたことに気付いてハッとして顔を上げた。
目の前にはユリが、そして少し離れたカウンターの前ではミキタがポカンとした顔でレンドルフを見ていた。しかしそれは一瞬のことで、二人は一斉に破顔する。
「やっぱりそうなっちゃうよね、レンさん!」
「惚れ惚れするような食べっぷりだね!ハンバーグの方もおかわりあるから遠慮なく言っておくれ。こっちもおかわり無料にしてあげるよ」
「あ、ありがとうございます…」
ユリも切り分けたハンバーグをハムリと頬張って、幸せそうに咀嚼している。こころなしか頬が紅潮してツヤツヤしていた。
「この玉葱、甘くて美味しい〜。やっぱりミキタさんのハンバーク最高!」
「炒めたヤツとそのままのヤツと半々に混ぜるのがコツだよ」
「家で作るとこうはならないんだけど」
「そりゃ秘密のレシピだよ。そう難しいことはやってないから色々試してごらん」
カラカラと笑いながらもミキタは何か手を動かしている。夜のメニューの仕込みだろうか。
レンドルフは少々行儀が悪いと思いながらも、パンを千切ってその断面を程よく肉汁の混ざったソースに浸す。パンの入った籠の脇にバターも添えられていたが、こちらの方が美味しいような気がしたのだ。そのまま口の中に入れて噛み締めると、少し荒いの食感のパンが良くソースを吸っていて、肉の姿はないのにたっぷりとした肉の風味が溢れている。
「レンさん、なかなか良いところに気付きましたね」
それを見て、何故かユリが不敵な笑みを浮かべている。そして丸いパンを掴むと大胆に二つに割って、片方の断面を下にしてポン、とソースの中に浸した。そしてもう片方に付け合わせの野菜を並べてから半分ほどに切り分けたハンバーグを乗せ、その上に垂れるほどにソースを吸っている断面を下に向けてサンドした。上のパンから吸い込んだソースがタラリと下の肉と野菜に流れて、上品ではないが明らかに美味しそうなハンバーグサンドになっていた。
「さあ!レンさんもご一緒に!最高に美味しい食べ方だから、どうぞ!」
「うん、やってみるよ」
レンドルフも彼女の真似をしてパンを割った。レンドルフの方が一回り大きなパンであったが、互いに手にした比率は大差ない。
ユリはレンドルフがパンで挟み終わるのを待って、二人はほぼ同時にかぶりつく。レンドルフは上手くパンを押さえ切れなかったのか、齧った反対側から挟んだ野菜が逃げ出す。慌てて前のめりになると、辛うじて皿の上にソースだらけになった人参がぽとりと落ちた。しかしこぼさなかったユリの方は、口の両端にソースが付いてしまっている。
普段のレンドルフからするとあり得ないようなマナーも何もない食べ方であったが、幼い頃に父に連れられて魔獣討伐に連れて行かれた時の食事を思い出した。あの時は領専属の護衛騎士達と共に焚火を囲んでいた。狩った魔獣をその場で捌いて火で炙っただけの塩味の肉であったが、それ以来肉が好物になったのを覚えている。今、手の中にあるパンは、それとは全く違う。だが何となく、その思い出とどこかで繋がっているかのように懐かしさを覚えた。
「うふふ、これで共犯者ね」
「共犯者?」
「行儀の悪い共犯者。家でこんな食べ方したら絶対怒られるわ」
「確かに」
「でも、美味しいは正義よ」
そう笑いながら、口元も拭かずに彼女は更に大きく口を開けて頬張った。それでももともと小さな彼女の口が齧る量はたかがしれているが。レンドルフも彼女の真似をして、口元にソースが付くのも構わず齧り付いた。彼の一口は、彼女の何倍もあって、大きめのパンがごっそりと消える。
他の客がいないから出来るのだろうが、まるで子供のようにニコニコしながら口の回りをソースでベタベタにしながら齧り付いている二人を眺めるミキタの表情は、ほんの少し呆れた様子が混じりつつも優しいものだった。
その後ユリは出された食事は全て完食し、レンドルフはミキタの言葉に甘えてハンバークをおかわりした。とは言え、さすがにおかわり分は通常サイズのものだったが。