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267.悪意の小部屋


レンドルフの元に神官が様子を見に来て、おそらく明日辺りには魔力も完全回復して姿も元に戻るだろうと鑑定結果を教えてくれた。その為、もし外に出るようなことがあれば必ず着替えを持参しておくように、と注意も受ける。


この姿から元に戻るのはありがたいことではあるが、命じられていたサマル家当主としてネイサンとの離縁を成立させる任務はまだ終わっていなかった。外に出ないレンドルフにはあまり情報が入って来ないのでユリからの手紙を届けに来てくれるダンカンの話のみが頼りだったのだが、どうやら難航しているらしいことは分かった。訪ねて来るダンカンの目の下には日に日にくっきりと濃い隈が浮かんでいたし、昨日などはレンドルフが渡した手紙の確認をしている途中で完全に寝落ちていた。ただ部屋の中で筋トレだけをしているレンドルフは少々申し訳なくて、それは見ないフリをしていた。



「本日、ヤツの返答がどうであれ離縁を成立させる」


朝の日課に素振りの最中にやって来たダンカンがそう言うなり、先日と同じように侍女に色々な瓶を持たされて浴室に放り込まれた。何とか手順を思い出しながら湯浴みを済ませ、またバスローブ姿で部屋に戻ると、今度は侍女が三人も揃っていて思わずギョッとしてしまった。思わず足を止めてしまったレンドルフを有無を言わさず鏡台の前に座らせると、彼女達は既に打ち合わせてでもいたのかそれぞれが担当の仕事を開始した。人手が多いせいか、先日の半分の時間で肌もメイクも髪型も整えられた。後は着替えを残すのみになった時点で、他の二人の侍女は退室して行った。


先日と同じサイズのものを用意してくれたのか、細身に見えたがコルセットを使わないで済んだのでホッとする。相変わらず下着まで準備されていたので抵抗感は消えなかったが、今日で最後だと思えば抗議しても仕方がない。


「この装いも今日が最後だと思うと少々惜しいな」


一応()()()身支度と言うことなので別室で待っていたダンカンを侍女が呼びに行って、入室するなりそう告げられてレンドルフは大分複雑な顔になった。本当はもっと苦情を言いたいところだが、あまり顔を動かすと化粧が崩れると注意を受けているのでグッと堪えたのだ。


「それでは最後のお役目です。参りましょうか、夫人」

「よろしくお願いします」


練習は敢えてしなくてもよいと言われて前回から女性用の靴を履いていなかったのだが、レンドルフは持ち前の運動神経で前よりも遥かに動きに安定感が出てしまっていた為、少しだけ前よりも高いヒールのある靴を履かされてしまった。そのおかげか、ダンカンの腕に力を込めて掴まってやっと、という風情は変わらないように見えた。


「前回よりも重くなったか」

「…鍛える以外ありませんでしたら」


本当の女性ならその場で平手打ちを喰らっても文句は言えないダンカンの発言だったが、レンドルフは嬉しそうに頬を染めて微笑んだのだった。

その会話は気配を消しながら同行している侍女の耳にも届いていたので、彼らの後ろから大変残念なものを見るような目をしていたのだが、幸いにも二人とも気付いていなかった。



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ネイサンの収監されている貴人用の牢は大分離れたところにあるので、一番近くまで行ける転移用の魔道具を使わせてもらうことになった。レンドルフとしてもあまり長い距離を歩くのに向いていない状態なので、非常にありがたかった。


今日のレンドルフの着せられているドレスは葬儀用のものとまでは言わないが黒いもので、少しだけ光る素材の黒いレースが袖口や腰の辺りを飾っている。これから離縁の手続きに赴くのであるから、極力地味にしてある。しかしドレスが黒い分より一層レンドルフの華奢さが引き立っていて、長身の団長に縋るようにエスコートされている姿はより一層儚さと庇護欲をかき立てていた。


「この先は王族専用のエリアではない。くれぐれも気を付けるようにな」

「はい」


転移用の魔道具を二度使用して、王族の私室から最も離れた場所へ辿り着く。今までレンドルフがいた場所は王族以外は許可された者か近衛騎士くらいしか入れない為に、ダンカンが隣にいれば誰も近寄って来るようなことはなかった。しかしそうではない場所には多くの貴族や、平民の商人なども来ている。一応正装したダンカンが隣にいればある程度は避けてはくれるが、中にはそういったことを察しない者も一定数はいる。

レンドルフも近衛騎士時代に遭遇してはその度に困惑していた。見れば王族かそれに類する高貴な身分だと分かる筈なのに、平気で話しかけて来ようとするし、あまつさえよく分からない品を手渡そうと突撃して来ることもある。そして不思議なことに、そう言った人物の半分は分かっていて玉砕覚悟、半分は本当に何がいけないのか分かっていない者なのだ。数に関わらず、割合的にだいたい半々になるのはレンドルフにとっては心から謎であった。


その経験から、今度は自分が興味本位で話しかけられる可能性は十分理解していた。側にダンカンがいれば対応して追い払ってくれるが、それでも予期せぬことは起こるものである。



レンドルフは明らかに自分に突き刺さる視線を感じながら、とにかくダンカンから離れないように手に力を込めた。途中視界の端にかつての上司だった近衛騎士団長ウォルターが何故かパカリと口を開けてこちらを見ていたのが分かったが、レンドルフはとにかく他人のフリを決め込んだ。一応今のレンドルフの身はダンカンが預かっているので、もしかしたら団長間では情報が共有されているのかもしれないが、あくまでもこれは任務であって、このドレス姿はレンドルフが望んだ訳ではない。


数人が果敢にも近付いて来てレンドルフに話しかけようとしたが、隣のダンカンの凍るような視線に遮られて挨拶だけで撤退してくれた。

この回廊を抜けると一気に警備が厳重になって、いよいよ罪人達が収監されているエリアに入る。そこまで来れば話しかけて来るような猛者もいなくなる。少しだけ安堵していると、そちらの方から騎士を伴って文官らしき男性が小走りに近寄って来た。ダンカンは少しだけ警戒したのか、レンドルフの斜め前に立って遮るような体勢になる。


「ボ、ボルドー閣下、失礼致します」

「何だ」

「あ、あの、ご予定されていた罪人との面会ですが、前の者が長引いておりまして…」

「前?本日は我々だけという話だが」

「申し訳ありません。急遽、希望をした者がおりまして…その…」


やって来た文官は、広めの額にびっしりと汗をかいていた。今日の外気温は高めだが、彼の場合それだけではなさそうだった。ダンカンの温度のない視線と口調に、彼は気の毒なくらい顔色を悪くしている。後ろに控えている騎士も同じように顔色は悪く、本来ならばこの文官の護衛なのだろうが、それにしては少々距離を取り過ぎていた。レンドルフは、ダンカンに気圧される気持ちは分からないでもないが、護衛である以上この態度では後で上司からかなり厳しい注意が行くだろうな、と考えていた。


「…仕方ない。時間は」

「は…あと30分程かと」

「分かった。ではこちらのご夫人が休める場を」

「はい!こちらにご用意いたしております」


ネイサンへの面会は、ダンカンの名を使って申請している。それを強引に割り込んで来たとすれば、ダンカンよりも身分が高い者ということになる。仮にも王族に名を連ねているダンカンより更に身分が高い者となると限られているし、それを断るのはなかなか難しいだろう。規則上では法を司る者が身分で態度を変えるのはよろしくないとされているが、実際は簡単には行かないのはダンカンも承知している。これ以上圧を掛けても、この文官が気の毒なだけだ。

それに、ダンカンはその割り込んで来た者が大体予測が付く。



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ダンカンとレンドルフは、汗を拭きながら先導する文官に案内されて既に準備してあった近くの部屋に通された。

ここは王城で働く文官などが打ち合わせや会議、商人などと商談をする際に使われる部屋の一つだ。そこまで豪奢な内装ではないので、どちらかと言うと下級文官が主に利用するようなところだ。予約することも出来るし、急な利用も他に予定が入っていなければ比較的誰でも使用出来る。

中に入るとテーブルと椅子だけの簡素な部屋だったが、部屋の隅にティーワゴンが設置されていてお茶が飲めるような状態になっていた。


「ただいま、メイドを…」

「いや、こちらの者に任せるので手配はしなくていい」

「は、はい…」

「それから、待つのは30分だ。変更があれば必ず知らせに来るように。そうでなければ呼びに来なくとも勝手にあちらへ向かう」

「いえ、それは…か、畏まりました」


文官の男性は何とか自分の主張を挟み込もうと抵抗したが、凍り付きそうな程のダンカンの視線に黙殺された。壊れたからくりか何かのようにコクコクとひたすらに頷いて、騎士を連れて小走りに走り去った。



「仕方ない。30分は休憩だ」


深々と溜息を吐いて、ダンカンはレンドルフの手を取って椅子に案内する。その椅子を引かれた時に、レンドルフが不自然に動きを止めた。しかし慣れない靴だった為にグラリと体が傾き、思わず膝を付いて座面に手を付いてしまった。


「!?おい!」


手を付いた瞬間、その触れたところからシュワーといういかにも危なそうな音と白い煙が上がった。体のバランスを崩したレンドルフが手を引くよりも早く、ダンカンがすかさず腕を取って持ち上げた。それと同時に侍女も動いて、手には既に回復薬の瓶が握られている。あまりにも速い動きで見えなかった程だ。


「大丈夫です。手袋だけが溶かされたようです」


レンドルフは手に一瞬熱を感じたが、特に痛みは感じなかった。手の平を見ると、付けていた手袋だけが触れた部分が溶けてなくなっていたが、その下の皮膚はどうにもなっていない。どうやら生地だけを溶かす薬剤が塗られていたようだ。


「座らなくてよかった…」


もし座っていたらドレスが大惨事になっていただろう。ドレスの価値はよく分からないが、レンドルフでも用意してもらっているものは質が良いのは分かる。一瞬で手の平部分の手袋が溶けてしまうのだから、座っていたら最悪尻が露出していた危険性があっただろう。男のレンドルフでさえゾッとするのだ。もしこれが本当の女性が被害に遭っていたらと思うと悪質にも程がある。


「こちらに手を浸してください。他の部分には触りませんように」


いつの間にか侍女がボウルのような器に水を満たしてレンドルフに差し出していた。その水には何やら乾燥させた茶葉のようなものが浮いていて、微かに薬品の匂いがした。


「薬品を中和させる薬草を入れてあります。皮膚には影響がありませんのでご安心ください」


嗅ぎ慣れない香りに一瞬だけ動きを止めたレンドルフに、侍女は躊躇なく自身の手を水の中に差し入れて混ぜるようにして安全を示した。レンドルフは言われるままにそっと水の中に手を浸けた。


「よく気付いたな」

「微かですが、異臭がしましたから」

「鼻が利くな」

「身体強化を掛けていたので、ついでに強化されていただけでしたが」

「お前はずっと身体強化を掛けっぱなしなのか!?」

「いえ、その…歩き辛いので少々…」

「才能と魔力の無駄遣いだな…」


普通ならばこういった状況で魔力を消費するという考えには至らないのだが、レンドルフは以前にユリが履いていた特殊なヒールの靴の為に身体強化を常時発動するような形になっていたのを真似してみたのだ。そのおかげで、前回よりも長い距離をどうにか歩いて来られたのだ。そして今はそれが功を奏していた。


「…これは、どう見るべきだろうな」


ダンカンは眉間に皺を寄せながら一層険しい表情で呟いた。侍女に水から引き上げるように言われて、完全に薬品を拭う為に手を拭いてもらっているレンドルフは首を傾げる。


「サマル家のご当主の離縁を阻止するため…でしょうか」

「その可能性もあるが、誰かと間違われた、と考える方が自然か」

「後でこちらの部屋を予約していた者を調べておきます」

「そうだな。急遽案内されたにしては、色々と整っている。狙われたのはもともとここを予約していた者か…招かれた者か。命に関わるようなことではないが、極めて悪質なのは変わりない」


本来はネイサンとの面会はダンカンが申請していて、特に重要であると伝えてあるので最優先される筈だ。それが急遽割り込んで来た者がいて、更に面会時間が押すというのは想定外の予定変更だ。その状況をわざと作ってサマル家当主に成り済ましているレンドルフを狙うにしてはやり方が地味すぎる。ダンカンとの面会の直前に捩じ込める程の身分の相手ならば、もっと直接的に影の手練を複数準備して攫うなり殺すなりすればいいだけだ。この方法は、実に悪質ではあるが足止め程度にしかならない。レンドルフのドレスが駄目になったところで、ダンカンならばいくらでも換えは用意出来る力くらいある。

ダンカンは、もともと誰かに嫌がらせをする為に準備したところに、何も知らない先程の文官が急遽ダンカンを案内するのに好都合とばかりに事後承諾で勝手にここに連れて来たのではないかと見ている。嫌がらせをしかけた相手は、今頃真っ青になっているかもしれない。


「この薬品は、割と女性相手に使われるものですね。服が溶けて身動きが取れなくなった姿を陰ながら笑う、という古典的な嫌がらせです。更に…ああ、やっぱり。こちらの茶葉は毒性はありませんが、お通じを良くする為に使われるものです。そう言ったお悩みがある方ならいいのですが、問題のない方が飲むと効果があり過ぎるものです。こちらはお手洗いは廊下にあるものを使用するタイプの部屋ですし…どちらもよくある昔ながらの嫌がらせの類ですが、女性を狙ったのならば最悪ですね」


ティーワゴンの上に準備されていたものを確認して、サラリと侍女が事実を述べた。迂闊に椅子に座って服が溶けてあられもない状態になった上に、更に外に出るかここに立てこもるかの最悪な二択を迫られるということだ。レンドルフでさえ考えただけでも血の気が引く。もし女性が被害に遭っていたならば、肉体的にも精神的にも受ける傷は計り知れない。


「この件に付いては、第一に厳重に調べさせる。まったく、王城内で何をしているんだ」


ダンカンは髪をしっかりと固めて撫で付けていたことも忘れて、ガシガシと髪を掻きむしった。第一騎士団は王城の警護を主にしている騎士団だ。ここ50年ばかりで大分マシにはなっているが、王城の広さに対してまだ人手が足りない。何せ今の王城はこの国が最も栄えていた時に大きく建て替えたものだ。当時はそれでも手狭と言われる程、物も人も豊かな時代だった。しかし今は広すぎる王城は目が行き届かず、あまり表沙汰にならないような小さなトラブルは絶えないのだ。人手に限界がある以上、どうしても要所を固めて細かいところには手が回らないのが今の現状だ。このことはすぐに解消される訳ではないので、起こってしまったことを一つずつ対処して行く他にない。



ひとまずまだ仕掛けられている嫌がらせに迂闊に触れてしまわないように、レンドルフは身体強化で感度を上げた嗅覚を駆使して部屋の中を確認した。服が溶ける薬品が塗ってあったのは上座に当たる椅子のみで、茶葉の方は変わった匂いではあったが特に毒性があるようには思えなかった。実際健康食品に類するものなので、学んだ毒物の中には入っていないし、おそらく防毒の装身具でも避けられないのではないだろうか。侍女がすぐに分かったのは経験値の差だろう。他には内鍵が掛けられるようにはなっていたが、随分甘く緩んでいて、少し強い力をかけるとすぐに外れてしまいそうだった。もし人前に出られない状況になった人間が、自分のメイドなどが来るまで鍵を掛けて閉じこもってしまっても、何かあったのかもしれないと心配をしたフリの第三者がこじ開けてしまうこともあり得る。その緩め方も、自然なのかわざとなのか微妙なところだ。



時間が来るまで休んでおくように、とダンカンに薬品の塗っていない方の椅子を勧められてレンドルフは素直に腰を降ろしたが、何とも悪意に満ちた部屋に、レンドルフは全く休憩になりそうになかったのだった。



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