266.取り引きの裏側
今回はレンザメインです。レンドルフとユリはお休み。
「やはり抵抗はあるようだね。同じ仲間を売るような気になるのかな?」
一瞬だけ顔を上げ口を開きかけて逡巡したが、ネイサンは口を閉じて再び俯いた。その様子をレンザは想定内だと言わんばかりにゆったりと足を組みなおして背もたれに背を預けた。
「ただ君が黙秘を選択すると、私としてはユリの予定を把握しているレンドルフ君を徹底的に調べ上げなくてはならなくなるのだよ。彼には何ら後ろ暗いところはなくとも、大公家から疑いの目を向けられたとあっては後々困ったことになるだろうね」
「なっ…!?彼は一切関係が」
「ないと言えるかい?」
「ありません!」
勢い良く否定したネイサンを、レンザは表情を動かさずにジッと見つめた。思わず声を荒げてしまったネイサンは、すぐに顔色を悪くして視線を彷徨わせた。レンザは何も言わずにその様子を眺めていて、次の言葉を発しようとはしない。その沈黙の居心地の悪さに、少しずつネイサンが色々と考え出しているようだ。余計なことを考え過ぎて失言を狙っているレンザは、その戸惑いと焦りが手に取るように分かった。
レンザとて、この場に来るまでに何も調べていないわけではない。ネイサンが使っていたと思われるサマル侯爵家の諜報員や、こっそりと闇ギルドなどに依頼して雇っていた者や、中には仲間の騎士達にそれとなく情報を聞き出したりしていたことは把握済みだ。その中にレンドルフの名はあったものの、彼には疑わしいところはないことは分かっている。しかし当事者であるネイサンから話を聞くことが肝心なのだ。特に、相手も全くネイサンに利用されていることなど気付かないままに世間話のように情報を漏らしていた騎士などは、どの程度の罪になるかを精査しなくてはならない。レンザは非公式と言ってはいるが、きちんとネイサンの証言を取れるように音声を録音する魔道具は忍ばせて来ている。
「…彼自身、関係はありません。が、上手くすれば彼を利用出来るのではないか、とは、考えました」
「どのように」
「その…ユリ嬢が攫われれば、彼が救出に来るのではないか、と」
「来なかったらどうするつもりだった?」
「その時は閣下の手の者が速やかに救出していたでしょう。私は、とにかく発覚するようにしたかったのですから」
「では私の孫娘は、レンドルフ君と知り合いでなければ攫われなかったと言うのかい?」
「!そんなことは…」
「ない」と言いかけて、ネイサンは続けられなかった。ユリのことを知ったのは、隣にレンドルフがいたからだったのか、ユリを知ってから彼の想い人なのだと判明したのか、今となってはどちらが卵でどちらが鶏なのかネイサンには分からない。しかし心のどこかで、もし本当にレンドルフが恋人か婚約者候補であるならば、これほど向こうの条件にあっていて、ネイサン自身の都合も良い女性はいないと思った。レンドルフの存在がなくても、大公家の力は知っているので最終的にはユリを選んだ可能性は高いが、切っ掛けは彼だったかもしれない。そう思うと、レンザの問いには完全否定は出来なかった。
ネイサンは自分でも分かる程に顔から血の気が引いていることが分かった。ネイサンが自らエイスの街まで足を運んで一緒に買い物をしているところを確認して、レンドルフにも直接ユリのことをどう思っているのか会話の中で尋ねたこともあった。そこで無意識なのかレンドルフのユリに対する執着を垣間見て、ネイサンは最終的に目標を定めたのではないだろうか。
「申し訳ありません…」
すっかり顔色を無くして小さく呟くように項垂れるネイサンを、レンザは冷ややかな目で見下ろして大きく息を吐く。その呼吸音だけでネイサンの方が僅かに揺れた。
「それでは、最後にもう一度だけ聞こう。君の使っていた情報網は?」
上から降るようなレンザの声に、ネイサンは今度は躊躇うことなく口を開いたのだった。
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長距離移動用の馬車の中で、レンザは同乗している侍従に向けて家名を三つ挙げた。いつも領地と王都を往復する時に同行している優秀な彼は、特に確認をする事もなく「畏まりました」とだけ答えた。
レンザが挙げた家は、互いに縁のある家同士で、昔から嫁いだり婿入りしたりで縁戚関係にあった。その内の一つは大公家の寄子にあたる。直接の血縁はないが身内の部類には入る家門だ。彼らの家の誰が首謀者かは分からないが、少なくとも全ての家の当主かそれに属する者が大公家の情報を漏らす案件に関わっていた。大公家の縁戚や寄子とは言っても、利権や損得勘定などの繋がりもあるので決して一枚岩ではない。
ユリは正式な後継と指名されてはいないが、大公家唯一の直系だ。その予定や行動などは厳重に管理されている。そのユリが毎年墓参に訪れている場所で、病人がいることを装って子供のフリをして近付いたということは、ユリの情報が漏れていたに他ならない。ユリが墓参をする時期は、その相手が亡くなった日から数日遅れて訪れているので特定は出来なくても、数日待ち伏せていれば確実にユリを狙える。しかも毎年静かに墓参がしたいということで、墓所のある敷地の周囲を護衛で固めはするものの、実際同行しているのは専属メイドのミリーのみなのだ。その最も狙い易い状況を見極めてネイサンは策を立てたのだ。
その情報を漏らした三家の目的は分からない。レンザの方でも既にネイサンの証言の前から怪しいとは踏んで調査させていたが、それ以上の繋がりは探れなかったのだ。おそらく莫大な謝礼金と、サマル家の婿のネイサンに貸しを作って今後の優遇が目的とは思われるのだが、もし更に糸を引いている黒幕がいるならとっくに切られている。ただそれでも、少なくとも承知の上で情報を漏らした三家についてはレンザは全て徹底的に潰す気でいる。その先に関わった者があったとしても、レンザの苛烈なまでの報復を知れば余程のことではない限り大公家の身内に手を出すことは当分はなくなるだろう。
「バーフル家から急便の書簡が届いておりますが、ご確認は?」
「しておこう」
侍従から白い封書と小ぶりなペーパーナイフを手渡され、レンザはすぐに封を切った。中から封筒と同じ白く飾り気のない便箋を取り出すと、レンザは暫し無言で書面に目を走らせた。そして一通り読み終えると、僅かに口角を上げた。そしてそのまま中身を正面に座る侍従に渡す。
「随分と大きく出たものだ」
「辺境領でもさすがに時勢を読むのに長けたご当主様ですね」
「そうだな。それでいてさり気なく親心も手放していないところが貪欲で良い」
侍従があらかた読んだであろうところでレンザが呟く。その声色は、面白いものを見付けた時の機嫌の良いものであると、侍従は長年の経験から知っていた。
ネイサンの生家であるバーフル侯爵家は、離れた南の辺境領に居てもネイサンの起こしたことを驚く程正確に把握していた。もともと息子が婿入りしたサマル侯爵家には監視を付けて、何やら息子の不利益になりそうなことを掴んでいたのだろう。ただ既にネイサンは生家から籍を抜けてサマル家に入っているのと、辺境を守護する役割を持っている為に当主は領地から簡単に離れられないということもあって、余程のことがない限り介入しないでいたようだ。しかし今回の事態は「余程」のことだ。そこでバーフル侯爵は、領の特産品の取り引きをしたいと大公家に持ちかけて、裏で大公女誘拐事件の穏便な終息とネイサンの助命を嘆願して来たのだ。
サマル家とアスクレティ家は、建国王の時代から続いている旧家で、どちらも建国王の側近であった。長い歴史の中で対立することもあれば手を組んだ当主達もいた。もっとも、アスクレティ家は中央政治に一切興味を示さないので、サマル家の方が噛み付いてさえ来なければ積極的に関わる気はない姿勢は始祖から続いている。そもそもサマル家は王の為に仕える家であり、アスクレティ家は王と同等の権力を許されているのは王を諌める為に与えられているので、立場が全く違うのだ。
今代の当主は、特に仲が悪い訳でも、協力をしている訳でもない。ただ互いの立場でそれぞれに国を支えている筈だった。今代のサマル侯爵も、広大な領地を発展させて豊かにしていた。当人も跡を継ぐ筈だった娘も領地経営の手腕は見事なものだった。しかし、旧家の血を継ぐという重責に彼は狂ってしまった。その能力は惜しくもあるが、それで軽くなるだけの罪ではない。
「ふむ…彼にとっての生きる意味は…亡き細君、だろうね」
「はい。その為離縁の手続きは断固拒否していると」
ネイサンを罪と負債の連座から切り離す為に、既に亡くなった妻の死はそのまま偽装して、彼とは生前に離縁することで救済措置を取ろうという方針だった。だが、他のことには素直に応じていた彼が離縁にだけは断固拒否の姿勢を見せていた。罪を負ってでも、妻との繋がりを断ちたくないと主張している。そして一人でも多く負債を分散させたい分家の者達は、それこそなりふり構わずネイサンのことを後押ししていた。この件はあまり長引かせ周囲に広まり過ぎると、罪を軽くする為に離縁を偽証させようとしていると認識され、世論からの猛反発に合うのは目に見えている。
「彼は、少しでも早く奥方のいる神の国に送られることを望んでいるようです」
「そうだろうね。…だからこその、このバーフル殿の願い、という訳だ」
バーフル侯爵家は、ネイサンが離縁後にサマル家を除籍された後、迎え入れることを早々に申し出ていた。バーフル領はもともと重罪人を受け入れて重労働を科す場が多く、それを監視する制度も整っている。だからこそ、ネイサンが重罪人になったとしてもきちんと監視を怠らずに服役に従事させることが出来ると主張しているのだ。勿論、彼が実子であることへの反対はあるだろうが、そこを大公家が後押しして欲しいと色々な大公家に有利な条件を付けて交渉して来ている。
今のところ、別の領地でネイサンを受け入れても彼の処遇を少しでも不当に扱えばバーフル家が黙っていない、という認識がうっすらと広まりつつあるので、大公家が後押ししなくても離縁さえ成立すればネイサンの身柄は引き取れそうな流れではあった。しかし、肝心のネイサンが離縁を受け入れようとしないことが、現在の軽い膠着状態を産み出していた。強引に話を進めることは簡単だが、あまりにも当人の気持ちを無視すると自暴自棄になって何をしでかすか分からないという懸念もある。
バーフル侯爵からの願いは、ネイサンの離縁を成立させて問題なくバーフル領に送ることで、更にネイサン自身がそれに納得してくれるように大公家で働きかけて欲しいというものだった。とは言え、バーフル侯爵も気持ちを自在に操ることは難しいと承知の上なので、ひとまずネイサンをバーフル領に引き渡すところまでで大公家に有利な条件を保証し、その上でネイサンの気持ち次第では更に上乗せするという提案をして来ていた。
「赤の魔鉱石を随分と隠し持っているようだね。それに生産量も少なく見積もって報告している。王家の方は知っているのかな」
「隠し持っているのは防衛に備えているということで見逃しているようです。生産量は…単純に人手不足と考えているのでしょう」
「まあ、間違いではないね。このような申し出がなければ、私でも誤摩化されただろう」
バーフル領は大半が海に面していて、他国と直接隣接している国境がない辺境領だ。しかしその海は毎年のように複数の嵐が直撃して被害は小さくなく、更にその嵐に乗って強い魔獣が流れ着くことでも有名だ。魚や海産物、稀少な鉱石などが採れる豊かな海域ではあるが、危険度も非常に高い。
そしてその海岸には大規模な海底火山が存在していて、多くの稀少な素材とともに「赤の魔鉱石」と呼ばれる火属性の鉱石が産出される。これは僅かな火魔法を充填するだけで、その何十倍もの熱量を維持することが出来る。それは多くの魔道具に転用出来るだけでなく、薬草の成分抽出や濃縮などに数日間掛けて一定の加熱が必要になる薬を調薬する際に必須となるものだ。今も大公家を始め、薬師ギルドでも大量に取り引きをしているが、バーフル家から密かに長期の販売価格の割引を持ちかけられている。少なくともネイサンの父に当たる現当主と、次期当主の姉が長である限り、時勢に関わらず一定の金額で取り引きするとの申し出だった。最初の割引の時点でも破格の取り引き内容だったが、更に上乗せされた条件は、ネイサンが生きている限り販売量の増加も付け加えられていた。
勿論あちらも無い袖は振れないし、領地経営に支障が出る程ではない条件を提示しているのだ。それだけの底力を蓄えているバーフル家は、あまり敵に回したくはない。大公家の動き次第では、心強い味方になるだろう。
「戻ったら家令と予算の組み直しと、今後…少なくとも五年分の増量した配分を試算するように」
「畏まりました」
レンザは、既に手配してある案件をどのように効果的に使うか頭の中で策を立てていた。いかにネイサンに納得して離縁してもらい、最も効果的に罪を償ってもらうか。レンザ個人としては溺愛している孫娘を巻き込んだことを許す気は更々ないが、ユリが極刑を望まないのなら最も良い落としどころを模索するだけだ。そしてその策はもう準備している。
「あとは…どうしたらレンドルフ君と分からないように距離を置かせるかだが…」
「それはご協力は致しかねます」
忠臣である侍従から即答が返って来て、レンザは少し不機嫌そうに口元を引き結んだのだった。