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263.穏便な物語


定期的にレンドルフの様子を診てくれている神官は、魔力の回復具合からするとあと一週間程度でレンドルフの体は元に戻ると診断を出してくれた。ただそれが一気に元のサイズに戻るのか、徐々に戻って行くのかは読めないそうだ。そのため、用心にと手首に別の魔道具を装着してくれた。

この魔道具は、一杯になって溢れそうな魔力を一時的に一部だけ溜め込むことが出来、約一時間は魔力を押さえ込んでくれるのだ。元々この魔道具は、身に余るような膨大な魔力や特殊魔力を持つ赤子の為の道具だ。魔力が漏れ出したり暴発したりすると周囲も当人も危険が伴うため、魔力制御の為の魔道具を付けなければならないが、それは成長に著しい影響が出る。その為に魔力が溢れそうになった時だけ一時的に装着しなければならないと厳しく定められている。しかし、深夜であったり世話をする者がすぐに対応出来ない場合もある。レンドルフが着けてもらった魔道具は、魔力が溢れそうになっていることを知らせて、一時的に押さえている間に対処出来るようにするものだ。レンドルフの場合、その猶予時間で人目のない場所に退避するなり、服を着替えるなりの対策を取れるようにわざわざ神官がサイズを直して貸してくれたのだ。


一応今のレンドルフはほぼ引きこもりなのだが、それでも全く人に会わない訳ではない。一番顔を合わせるのはダンカンだが、大抵侍女が一緒にいる。女性の前でいきなり成長して服を破ってしまうことだけは避けたい。

それに、借りているユリの指輪は今のレンドルフには丁度いいが、着けたまま成長してしまうと大変なことになる。それを聞いてから、レンドルフは名残惜しいと思いつつも、大切なユリの持ち物に何かあってはいけないとチェーンを貰って首から下げるようにしている。長めにしてもらったので、これならば万一いきなり成長してしまっても首に下げた指輪だけは無事で済む。もしいきなり戻ってしまったら、全裸に首から指輪をつけたチェーンを巻いただけという大分とアレな状況になるのだが、その可能性には全く気付いていなかった。



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「まあ、いいだろう。この最後の綴りが怪しいが、誤摩化されてやろう」

「あ、ありがとうございます?」


ここ二日程、レンドルフはダンカンに頼まれた書類作業をしていた。基本的に体を動かす方が得意なレンドルフではあるが、そこそこ書類仕事も経験していたので全く出来ない訳ではない。しかしこのダンカンに頼まれた作業は、それなりに量があるのに絶対に一言一句間違ってはならないという性質のものだった。何せ国に半永久的に保管される重要書類だ。本来ならばそのような書類はそれ相応の資格を有した文官が扱うものなのだが、レンドルフが任されたものは特殊で、内密に作成しなくてはならないものだった。どう考えても何か後ろ暗い思惑を感じずにはいられなかったが、ダンカンから内容を聞いた時、確かにレンドルフは自分がやらなくてはならないと覚悟をして請け負ったのだ。

しかし、あまりにも細かい内容なので想定以上に手間がかかり、三度のやり直しを経てようやくダンカンから合格を貰えた。


「レンドルフが育つ前で良かったな。そうでなければもう一人役者を強制参加させなければならないところだった」

「はあ…」


ダンカンは満足げにレンドルフが仕上げた書類を封筒に入れて侍女に預ける。レンドルフは作成した書類の目的は知っているが、その後のことについてはまだ聞かされていない。



レンドルフが頼まれた作業は、ネイサンの亡き妻が最期に残した、サマル侯爵家にまつわる誘拐事件の報告書の写しを作成することだった。彼女が当主の父に気付かれないように最大限の伝手を利用して集めた証拠は、母や使用人達の命を奪った毒ムカデの件から、彼女が亡くなる半年程前の誘拐までが裏付け調査も含めて記されていた。そこにユリアーヌらしき存在が記されていなかったのは、時期的に彼女が娼館から身請けされたばかりで裏付けが取れなかったからかもしれない。

中にはまだ調査中のものもあって、書類の隅に小さく「未確定」と付け加えられた走り書きもあった。そして報告書の最後の余白に、乱れた文字でネイサンに宛てて書かれたメッセージもあった。レンドルフはそういったものも全て含めた写しを作成するようにダンカンに依頼されたのだ。報告書はともかく、最後の走り書きはあくまでも個人的な内容ではあったがレンドルフは淡々と作業を遂行した。


レンドルフが極秘裏に報告書の写しを作成したのは、この()()()()()()を、ネイサンの手に渡す為であった。


この報告書は、間違いなく前代未聞ともいわれる高位貴族が起こした誘拐殺人事件で、その重要な証拠でもある。国の機関で証拠品としてだけではなく、後の重大な資料として厳重に保管されるのは間違いない。そうなれば、今後原本を見ることが出来るのは王族か一部の司法官などの限られた人間だけになるだろう。

しかしこれは重要な証拠であるとともに、ネイサンにとっては妻の最期の言葉でもあるのだ。


ダンカンは常に冷静で合理的な判断を下す、公正な人物だと聞いていたし、実際そうだとレンドルフは思っていた。その彼が、どうしてそのような法に触れるようなことをしようという心境に至ったのかは分からない。

だがレンドルフは、どんな形であれ妻の最期の手蹟は夫であるネイサンの元に行くべきだと賛同してしまった。これは間違いなく証拠の偽造であり、重大な犯罪にもなるのは分かっていた。勿論ダンカンはレンドルフに罪が行かないようにきちんとした誓約書を準備し、事態が発覚した際には全て自分が被ると誓約魔法まで結んでくれた。

レンドルフ自身も納得の上で選択した共犯関係だと言ったが、少し皮肉げな笑みを浮かべたダンカンに「曲がりなりにも王族の首と一介の騎士の首の重さを一緒にするな」と押し切られてしまった。


このレンドルフが作成した写しは「原本」として証拠品となり、国に保管されることになる。



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「さて、この後にもレンドルフにやってもらいたいことがある。なに、この書類作成の延長のようなものだ。引き受けてくれるな?」

「…はい」


何となく断れない雰囲気を察して、レンドルフは一瞬だけ躊躇したがすぐに頷いた。


「まず、ようやく今朝、国として今回のサマル家関連の方針が決まった」



国としては、建国時から王に献身を捧げて来たとされる五英雄の直系でもあるサマル家の起こした重大、且つ悪質な犯罪に、全てを明らかにしては余りにも各方面への影響が大きいと判断をして、国民に向けては別の話を作成して発表することになった。証拠品や真実に基づいた調書などはそのまま国で保管するが、事実を知ることが出来るのは一部の者だけになる。

その最大の理由としては、多数の未婚の女性が誘拐された挙句に無惨に殺害されたことにある。ただでさえ全員尊厳を奪われた上に、遺体の一部、髪の毛一筋さえも家族の元へ戻せない状態の者もいた。その死亡者リストの中に名前が挙がっただけで、死後も名誉が汚されることに繋がる。だからこそ、既に別案件として処理をされてしまった者については敢えて掘り起こさず事件とは無関係という姿勢を貫くことにした。

そしてまだ未解決だった死亡案件の一部の、遺体が実家に戻りきちんと埋葬まで済んでいた下位貴族の令嬢三名を、政略として納得の上で嫁がせたものの魔力量が違い過ぎて「不幸な事故」の為に亡くなってしまった、という筋書きを立てた。勿論秘密厳守ではあるが、被害者の家には何らかの形で賠償が払われることになっている。国の方も、その令嬢の家の者が納得して条件を呑み込んでくれるようなところを厳選している。特に係累に妙に正義感の強い後先を考えない者がいないことが最重要だった。正義を貫くことは重要かもしれないが、周囲の影響を考えずに事を荒立てられても何一つ良いことはない。清濁合わせて飲み込める一族であるかが念入りに調べられた。



「まず、侯爵夫人と使用人が亡くなった毒ムカデ事件については、嫡男も死にかけたが実は命拾いした、という話になった。侯爵自身も当時は毒によって意識がなかった為に現場が混乱して、嫡男の死亡届も受理されてしまったことにする。これは担当官のミスということになるが、当時の者は既に引退しているので責は問わないということになっている」


その後、届けを取り消そうとしたのだが、すっかり毒殺に怯えてしまった嫡男が「このまま死んだことにして欲しい」と望み、侯爵もこのままでは後継に据えることは難しいと妹に家を継がせ、別人として生かすことを決めた。そして元々薬学、薬草学に並々ならぬ才を発揮したので、サマル家専属薬師として領地で匿うことにした、という筋立てだった。


「しかしその後、嫡女が不治の病に罹り、息子を領地から呼び寄せてあの王都の別邸の塔を丸々娘の治療、研究の為に提供した、ということだ」


その息子が作った薬は効果はあったが完治には至らず、やがて彼は次第に欲が出て来た。もしこのまま妹が完治しなければ、自分がサマル家の後継に返り咲けるのではないか、と。だが、さすがに侯爵も既に死亡している息子を今更世に出す訳には行かずに反対をすると、今度は娘の病に効く薬の作成を盾に要求を通そうとして来た。仕方なく侯爵は、息子自身ではなくその子供を娘夫婦の子として後継に据えると条件を出した。娘は既に子を産めない体であったことは伏せて、病のせいで出産までの体力が保たないので医師に止められていたということにしてある。


「その条件を呑んだので、侯爵が息子の妻となる女性を捜して連れて来たが、あまりにも魔力が強い息子とは相性が悪く、今回の悲劇に繋がった、ということだ」

「…それでは、侯爵は一体どのような罪になるのですか…?」


レンドルフはそこまで聞いて、父親に当たるサマル侯爵の罪がひどく軽いような気がした。そもそも彼が正しく息子を裁いていたのなら、後に続く惨劇はなかった筈だ。


「息子の死亡届の虚偽と…そうだな、分かっていながら魔力供給過多症の対策を息子に取らせなかった監督不行き届き、といったところか。もっとも、それも娘の薬を盾に取られて脅された、と言えば罪状は一段は軽くなるだろうな」

「そんな…」

「しかし、これはネイサンにも適用される。あいつも、妻を人質に取られて黙認していた、とな」

「それではユリさんの誘拐については」

「なかった」

「…は?」

「そんなものは最初から存在しなかった。ユリ嬢は…そうだな、気分転換で髪を切った。それだけだ」

「そ、れは…」


思わず言葉に詰まったレンドルフに、ダンカンは少し冷たい目を向ける。


「お前が憤ったところで、ユリ嬢には何の得にもならない。この誘拐自体をなかったことにするのは、彼女の家族と彼女の希望だ」

「…分かりました」

「それでいい」


確かに誘拐されたことを訴えてそれが証明されても、幾許かの慰謝料が入って来るだけで失墜した名誉は戻らない。たとえ正真正銘ユリが指一本触れられなかったとしても、色眼鏡で見て来る者は絶えないだろう。名誉か金銭かを秤に掛けて、余程金に困っているのならともかく、ユリはそんな風には見えない。むしろ彼女の名誉や将来を考えて、ユリも家族もなかったこととする選択をしたのだろう。レンドルフとて表沙汰にすることは絶対に避けたいが、恐ろしい思いをした彼女に何らかの補償はして欲しかったという気持ちもあった。だが、部外者のレンドルフには口を出す権利は一切ないのだ。ただ、行き場のない怒りにも似た感情が胸の中に渦巻いているのは当分消えそうになかった。


「最も罪が重くなるのは、もう既に亡くなっている元嫡男だな。大量の違法薬物の収集に、禁輸の品の密輸入。そして妻が死亡する可能性が高いと分かっていながら対処を怠ったことと、主家への脅迫…そんなところか」


とは言え、彼が亡くなっているからこの際多くの罪を押し付けようと画策している者がいるのか、相性の良い花嫁を捜す為に彼が頻繁に娼館などに出入りして死亡事故を引き起こしていたのを父親が金で黙らせていた、という噂が中心街あたりでは囁かれている。その大元がサマル家に敵対している家門の策略なのか、少しでも本家の勝手な暴走として切り捨てたい身内なのかは分からない。そうなると真実の有無は関係なく、市井では行方の知れない年頃の娘達は彼に攫われて死んでいるのではないか、とまるで恐怖小説のように語られている。そしてその中に少なくない真実が混じっているところがまた厄介であった。

その情報の出所を押さえることと噂の火消しは第二騎士団が請け負って、今も王都を走り回っている。



「この筋書きを元に、お前にはやってもらいたい役割がある」

「俺に出来ることでしょうか」

「ああ。と言うか、この筋書きはお前の協力前提で出来たようなものだからな。是非やってもらわないと困る」

「はあ…」


よく分からないがまだ役割があるらしいレンドルフは、何となく嫌な予感しかしなかったのだがここまで来たら頷く以外の道は残されていないと諦めた。

ダンカンは侍女に視線を送ると、彼女はすぐに持って来ていた別の封筒から一冊の雑誌を取り出し、ページを開いてレンドルフに見えるようにテーブルの上に置いた。


「これ…俺ですね」


雑誌には見開きで自分の顔が掲載されていた。サマル家別邸から馬車に乗せられる直前、顔を隠していた布を奪われて記者に囲まれてしまった時の写真だろう。ぼやけてはいるが隣にネイサンが居て、顔には治し切れなかった火傷の跡が残っている。こうして客観的に見ると黒髪の自分の姿は別人のように見える。この頃くらいまで母親に瓜二つと言われていたが、どちらかというとやはりレンドルフも男性であるせいか母の兄の伯父やその息子の従兄の方の面影が強い気がした。伯父も従兄も濃い藍色の髪色をしているから余計にそう見えるのだろう。確か子供の頃に母に伯父の幼い頃にそっくりだと言われたこともあったのを思い出した。

何だか別人を眺めるような気分でその雑誌に見入っていると、軽く咳払いが聞こえた。慌てて顔を上げると、ダンカンが少し困ったような顔をしていたので、レンドルフは軽く頭を下げる。


「あの場に居た記者の中で、写真を載せたのはこの雑誌社だけだ。売上げは上々なようだが、規定違反ということで業界からは爪弾きにされだしている。まあ、もう潰す方向で動いているが」


あまり自分だという感覚が薄いレンドルフは、それは確かに仕方ないな、と少々他人事のようにダンカンの言葉を聞いていた。


「他の新聞社は、思いもよらなかった方向に誤解してくれてな。その為こちらもその誤解に乗ることにした」

「誤解、ですか?」

「そうだ。という訳でレンドルフ。お前はネイサンの妻になって離縁しろ」

「は!?」


唐突なことを言い出したダンカンに、レンドルフはうっかり敬意も何もかも忘れて大きな声を出してしまったのだった。



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