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閑話.ユリアーヌ・シーブルと塔の主

元凶のざまあ回収話。怪我とか痛々しい話とかが出て来ます。ご注意ください。


彼が目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。


酷く体が重くて動かせず、意識がハッキリして来ると同時に苛立ちを覚えた。指一本動かすことすら億劫な感覚なのに、耳から強制的に流れ込んで来る歌が耳障りだった。耳を塞いでしまいたかったが、体が動かせずにいるので、怒鳴りつけて止めさせようとした。が、それすら喉を微かに震わせて息が漏れるだけで、荒い息遣いだけが自分の耳を打つ。


「まあ、ネイサン様。お目覚めですね」


視線を動かすと、ベッドの脇で見慣れた色合いの動く影が見えた。その声はユリアーヌだった。彼女の甘えたような高い声が、彼にはひどく不快に感じた。



不意に彼は、自分の意識が途切れる直前のことを思い出した。


折角新しい花嫁と美しい人形を手に入れられるところだったのに、馬鹿な女(ユリアーヌ)の手によって阻止された記憶が蘇る。もう既に治療が済んでいるのか痛みは感じなかったが、あの刺された瞬間の想像を絶する痛みに頭に血が上る。そんな彼の怒りを全く気付いた様子もなく、彼女は甲斐甲斐しく汗ばんだ彼の首筋を固く絞ったタオルで拭っていた。その顔は、これまでのように熱を帯びた目でうっとりと頬を紅潮させている。


彼はユリアーヌに対して、急激に殺意を膨れ上がらせた。


(殺す!殺してやる!)


声が上手く出なかったので、心の中で絶叫しながら彼は自分の中の魔力を攻撃に換えて解き放とうとした。が、体の中で魔力が一瞬だけ熱くなったが、次の瞬間には砂のようにザラリと霧散してしまった。彼は信じられないように目を見開いたが、そんな彼の反応にも気付かずにユリアーヌは少しだけ頭を持ち上げて彼の口元にコップを添える。今はそんなものを希望している訳ではないと彼女を突き飛ばしたかったが、全く体が動かないのでされるがままだった。実際喉は乾いていたので、少しでも水分で潤えば声が出せるようになるかもしれないと仕方なくそれを受け入れる。


しかし喉の奥にぬるい液体が滑り落ちても、彼の声は出るようにならなかった。


(強い痛み止めを処方したな…!全くこれだから役立たずは!)


刺された場所が場所だけに、あまりにも強烈な痛みの反応を見せた為に、彼女が判断して強い痛み止めを気を失っている間に飲ませたのだろう。彼は様々な違法薬物で実験と調薬を行っていた際に、助手としてユリアーヌを使っていた。彼女は元々教育は受けていたので、命じればそれなりに薬品の扱いを覚えた。自分から率先してやることはなかったが、余計なことをしないので彼は便利に使っていたのだ。今では基本的な調薬くらいなら出来るし、薬品名を言っただけでどこに何があるかは把握していた。

自分で刺しておいて、その後恐ろしくなって手当をしたのだろうが、彼は一切彼女を許す気はなかった。痛み止めが切れて体が動くようになれば、思い付くだけの残酷な方法で折檻してやろうと決めた。


彼の口元から零れた水をユリアーヌは丁寧に拭うと、視線を合わせただけでにっこりと微笑んだ。その能天気な何も考えていなさそうな表情にも苛立ちを覚えたが、彼は体が動くようになるまで眠るしかないと目を閉じた。

彼が眠ってしまったと思ったのか、しばらくするとベッドの脇で彼女が小さく子守唄を口ずさみ始めた。しばらく彼はその声に苛ついて眠れそうになかったが、痛み止めの影響なのかしばらくして意識が沈むのと同時に、その声も聞こえなくなって行ったのだった。



「ぐ…あああぁぁぁぁっ!!」


()()は、急にやって来た。


彼は体を貫くような、脳天に刺さるような激しい痛みを感じて、深いところにいた眠りから強制的に覚醒した。あまりの痛みに言葉にならない悲鳴を上げてベッドの上で海老ぞりになる。その強烈な痛みの中で、微かに彼は自分に何が起こっているのか理解しようとどうにか思考する。しかしその細い細い思考の糸を、これまでに経験したこともない激しい痛みが次々と分断する。しかし僅かにその痛みの中心が、先程彼女に刺された付近だと悟る。治療はされた筈なのに、何故このような激痛に苛まれるのか問いかけたかったが、彼の思考の殆どが痛みの刺激に支配されていた。


「あらまあ、お薬が切れてしまいましたのね」


のたうつようにベッドの上で苦悶している彼を見ても、ユリアーヌは全く慌てた様子もなくおっとりとした口調でベッド脇の椅子から立ち上がった。そして部屋から出て行くとすぐに薬瓶を片手に戻って来た。


「大丈夫ですわ。すぐに楽になりますからね」


痛みのあまり全身脂汗を流して叫び続けている彼をまるで異に介さぬ態度で、ただの風邪でも引いている病人に話し掛けるような優しげな口調でそっと口元に薬を流し込んだ。彼はそれが救いかのように必死の形相でその液体を喉の奥に流し込んだ。

しばらくすると薬が効いて来たのか彼の叫びが小さくなり、ゼイゼイと荒い息はしているが少しだけ落ち着いたように見えた。


「まあ、ひどい汗。今体を拭く準備と、お着替えを…ああ、間に合いませんでしたのね。大丈夫、気にすることはありませんわ。先にベッドを乾かしておきますわね」


彼女は汗だくの彼を姿を見て、体の上に掛けてある薄手の毛布を捲り、彼の下半身を中心にグッショリと濡れてシーツに染みを作っているのを見て、嫌な顔一つせずに生活魔法を行使してすぐに清潔にした。彼は自覚はなかったが痛みのあまり失禁していたことを彼女に見られて、ますます殺意を迸らせる。しかし先程飲んだ痛み止めが効いているのか、動きが鈍くなっていてユリアーヌの細い首に手をかけることも出来なかった。



ユリアーヌが着替えさせる為に彼の来ていた服を脱がせる際に、少しだけ上半身を起こされ、ズボンと下着を脱がされた自分の裸体を目にして、ザァ、と顔から血の気が引いた。ユリアーヌに刺された傷は回復薬で治癒されたのか見える範囲には確認出来なかったが、その辺りを中心に太腿の付け根や腹部にほんの僅かだが小さな刺のような突起が生えている。いや、正確には体内から突き出しているのだ。


(まさかまさかまさか!?)


彼の拭いたばかりの全身に、嫌な汗が再び噴き出す。


その光景は、彼が花嫁候補としてやって来た女性に幾度となく試して、のたうち回って許しを請うて来るのに最も効果的だった、吸血茨が体内に寄生している証しだった。


彼は、効率良く効果を発揮する吸血茨を気に入っていて、新たな花嫁にも使用しようとその種を上着のポケットに入れていた。それを入れた上からユリアーヌに刺されて、その傷口から自分の体内に入り込んでしまったことを悟った。あの激しい痛みは、毛細血管が集中している部位を細かい刺を持つ茨が蔓を伸ばしているものだったのだ。そしてこのまま吸血茨用の除草薬を飲まなければ、全身を体内から茨に苛まれて死を迎える。


「あ、青い、棚の、三番目の赤い瓶を」

「あれは毒と教えていただきましたが、お持ちすればよろしいですか?」

「そ、そうだ。すぐに」

「畏まりました」


着替えを終えたユリアーヌに、ようやく囁くような声を無理矢理に出して、彼は最低限の要求を伝えた。思った以上に声を出すだけでも体力を消耗して、大分息切れしてしまったが、それでも伝わったようだ。

これまでに吸血茨を使用して来た女性達にも、少しだけ駆除をして安らぎを与えても完全に枯らさないように調整して、それを繰り返して心酔させて言うことを聞かせてきた。いつでも使えるように除草薬は準備してあるのだ。それさえ飲めば、後はユリアーヌに世話をさせて回復に努めればいい。


「お持ち致しました」

「飲ま、せろ…」

「はい」


やはり何も考えずに言いなりになるユリアーヌに、彼はこの時ばかりは感謝したくなった。下手に自分で考える者では、彼に毒を与えることを躊躇しただろう。


体が回復したら、褒美にもう一人くらい子を授けてやってもいい。彼はそんなことを考えながら、ユリアーヌが傾けた瓶から中身を飲み干そうとした。


「…グフッ!!」


喉の奥に流し込もうとした瞬間、全くそのつもりはないのに彼の喉がそれを拒絶するかのようにキュッと締まってしまった。その為息が詰まって噎せてしまう。そして口に入れた除草薬は一滴も体に入ることはなく、逆に先程飲まされた痛み止めを吐き戻してしまった。


「まあ、大変。またお着替えが必要になってしまいましたわ」


ゲホゲホと噎せる彼の背をユリアーヌは優しくさすり、汚れてしまった彼の顔を丁寧に拭った。


「気になさらないで。ネイサン様の為なら、お世話をさせていただくことも幸せですもの」


肩で息をしながら、彼は自分の首元に手をやった。そこに、何かが巻き付いていることに気付く。鏡がないので何かは確認ができないが、その手触りの心当たりに彼がひゅっと息を呑んだ。


「こ、これ、は…」


彼は心底恐怖したような表情になって、自分を介抱しているユリアーヌを見上げた。その彼女の首に、おそらく同じ手触りであろう黒い革に似た装身具が巻かれている。


「うふふ…分かってしまいました?ずっとネイサン様とお揃いのものが欲しかったのです」


そう言って頬を染めるユリアーヌの姿は、彼にとってはこの世で最も恐ろしい死刑執行人のように映った。



彼女の首に巻き付いているのは、自害防止用の装身具だ。これは一度身に付ければ絶対に外れないように設定してある。それはこれを作った者でさえ解除不可能なのだ。そして彼が新たな花嫁の為に用意したものは、魔力も遮断するものだ。魔法が使えなかったのは、これが原因だったのだ。

吸血茨を駆除するための除草薬は毒だ。自害防止用の装身具が、それを服毒自殺と見なして拒絶したのだろう。もっと効果を弱くすれば飲めるかもしれないが、それがユリアーヌに出来るとは思えない。指示をするにしても彼が細かく教えなければならない。今の彼には、激痛に苛まれながらそんな細かい思考は出来そうになかった。


もはや彼に残されている生きる術は、自分の命が尽きる前にここを脱出したであろうネイサン達が彼を捕縛する為に騎士を引き連れて戻って来るのを待つことだけだった。



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もうどれくらい経ったか、彼には分からなかった。数日なのか、数年なのか。


少しずつ体を蝕む茨の蔓は確実に広がり、痛み止めも効きが悪くなっていた。飲んだ直後に少しだけ和らいだ隙に僅かに眠れるだけで、もう殆ど意識は覚醒したままだった。いい加減痛みに慣れて欲しいと願うのだが、成長する茨が常に新たな痛みを与え続ける。それに激痛にいくら叫んでいてもユリアーヌは全く気にした様子はなく、かつて教えた痛み止めを与える時間を守り続けるので早めに与えられることはない。それを変更させようにも、ずっと叫び続けた彼の喉は既に潰れて、もう叫びすら音にならなかった。


もういっそ楽にして欲しいと彼が祈り続けていた頃、ベッドの脇にユリアーヌが立つ気配がした。ゆるゆると視線だけ向けると、部屋の中は暗く、窓から月明かりが差し込んでいた。その中で、薄手の夜着をまとった彼女が熱の籠った目で見下ろしている。その顔は、普段の慈愛に満ちたものではなく、匂い立つような色香を放っている。しかし、もう疲弊し切った彼には何の感情も湧かない。


「どうか…お情けをいただけませんでしょうか、ネイサン様」

「……」


彼の目が、恐怖で僅かに見開かれる。


「貴方から教わった通りに致しますので、わたくしにお任せください」


フワリと彼の体の上の毛布を捲り、夜着の上から彼の下半身にそっと手を添える。彼を悦ばせる為だけに教え込んだ技術を、これほど後悔したことはなかった。


「どうぞ、そのまま楽しんでくださいませ」


彼が最期に見たのは、妖艶に微笑むユリアーヌの何も映していない目だった。



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サマル侯爵は、いざという時の為に用意しておいた隠し資産を全て逃走準備に注ぎ込み、見張りの隙を突いて塔の中に戻った。


サマル家の重要な血統は、きっと王も惜しんでくれる。だからこそ直系を血を絶やしてはならないのだ。娘婿がどんなことを言っても、これまでの功績でいくらでも握り潰せる自信があった。あの男の生まれは野蛮な未開の属国が始祖だ。建国の為に尽くして来たサマル家の方が守るべき価値がある。いっそ娘婿に全てを押し付けて、息子を縁戚からの養子ということにして跡を継がせればいい。


そう思って息子を救出する為に塔の最上階の寝室に足を踏み込んだとき、彼を待っていたのは絶望だった。



「お義父さま?どうなさったのです、こんな夜更けに」


ベッドの脇には、不思議そうな顔をしたユリアーヌが座っていた。立ち上がった際に、月明かりに照らされた彼女はゾッとする程妖艶で美しく、こんな状況にも関わらず侯爵はゴクリと喉を鳴らしてしまった。しかし、その両手の平は真っ赤な血に塗れていて、白い夜着の裾にも点々と染みを落としていた。


「ネイサン様、お義父さまがおいでですわよ」

「ひっ…!」


ユリアーヌが体をずらして、ベッドの上に横たわっている息子に話しかけた。しかし、ちょうど顔の上に月の光が差し込んで彼の顔を照らし出した瞬間、侯爵は小さな悲鳴を上げてその場に腰を抜かしたように座り込んでしまった。


「まあ、お義父さまお疲れですのね?今、疲労に効くお茶をご用意致しますわ」


侯爵の恐怖で引きつった様子など気に留めない様子で、ユリアーヌは足早に部屋を出て行ってしまった。


「あ…あああ…」


這うようにサマル侯爵はベッドの脇ににじり寄り、もはや変わり果てた姿になった息子の姿に絶望の呻き声を上げた。



彼の顔は、零れ落ちそうなほど大きく目を見開いて、眼窩からは涙が流れた跡が乾いて残っていた。そして口も顎が外れているのではないかと思う程に開かれて、ダラリと舌がはみ出している。その表情は、この世で最も恐ろしい存在に出会ってしまった者がこうなるであろうと思える程に、恐怖に塗り潰されていた。そして弓なりになったまま固まってしまった背中や、空を掴むように固まった両手は、骨と皮ばかりになっている。

しかし奇妙なことに、彼の腰から下は美しい花で埋め尽くされていた。大輪の薔薇に似た真紅の花は、白い月明かりの中、芳醇な甘い香りを放っている。


もう、誰がどう見ても彼に生命の兆しは見当たらなかった。


サマル侯爵は、これまで守り続けて来たことが全て失われたことを悟って、力無く俯く。


「お待たせしました」


沈黙が支配する部屋の中に、彼女の穏やかな声だけが響いた。


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