261.その後の顛末とこれからの展開
人死にの内容があります。ご注意ください。
侍女の淹れてくれた紅茶を飲み、その香り高さに感心していると、不意に部屋の空気が重くなったように感じられた。ここ数日で大分距離を詰めたからこそ、ダンカンがこれから重い話をするのだということをレンドルフは悟り、無意識のうちに背筋を伸ばしていた。外に出ていないレンドルフにはあの後どうなったかを知る術はなかったが、どう転んでも良い話になりそうもない事件だった。せめて着地する場所に救いがあればいいと祈るような心持ちになる。
「昨日、例の事件で大きな動きがあった。いや、あり過ぎて未だに現場は大混乱だ」
ある程度予想した答えではあったが、ダンカンの眉間に深い皺が寄って、まるで頭痛を堪えているかのようにこめかみに指を当てた。
「まず事実を順に言うと、医師から重傷の為に面会謝絶と言われていたサマル侯爵が逃走を図った」
まさかの情報に、思わずレンドルフは息を呑んだ。
別邸内で血まみれて倒れていた侯爵を発見して治癒院に運び込んだのは、古くから仕えていた家令だったそうだ。侯爵は若い頃に罹った熱病の影響で血が止まりにくく、普段あまり使われない別邸には上級の回復薬は置いていなかった。傷自体は中級でも対処出来たのだが、発見までに時間が掛かった為に相当の血液が失われた。運ばれた治癒院で一命を取り留めたが、予後が悪く面会は医師に止められた。仕方なく騎士団の事情聴取は家令が伝言をするような形で行っていたが、あまりにも時間が掛かり膠着状態である為にどうにかならないかと訴えがあったので、ダンカンが強権を行使して王命という形で医師同席のもと聴取を行うことにした。
それでも渋る家令を説得して、「せめて主人の髭だけでも整えさせてください」と懇願されたので許可を出した。しかしいつまで経っても出て来ない家令を不審に思って強引に病室に入り込むと、そこには髭を剃る為に持ち込ませた剃刀で自らの喉を割いて絶命している家令の姿しかなかった。
その後の調査で、担当医師に金を握らせて入院した翌日には侯爵は逃走していたこと、そしてその足取りを辿らせないように家令が主人がいるように見せかけて騎士団とやり取りをしていたことが発覚した。亡くなっていた家令は間違いなく自殺で、おそらく侯爵に次ぐ様々な事情を知っていたであろう重要人物を失ったことになった。
「長らく侯爵家に仕えていて、かなり裏にも関わっていたのだろう。だからこそ、騎士団とのやり取りも侯爵しか与り知らぬようなことを伝えて来た為に不在とは思われなかったようだ」
「それで、その侯爵の行方は」
「昨日捕らえた。今は王城で拘束している」
「そうですか」
その答えにレンドルフは少しだけ安堵したが、ダンカンの表情は冴えない。
「ネイサンの証言で、サマル家の血を引く者を呼び出し敷地内にある古代装置を使用した塔を制圧するために準備を整え、ようやく向かうことになったのは昨日のことだ。そしてその塔の中に、逃走を図った侯爵も発見した」
あの塔に出入りするにはサマル家の血を引く者でなければ扉が開かないように設定されていた。その為、縁戚を呼び寄せていたので突入まで時間を要してしまった。念の為、中から逃走を図らないように敷地内は厳重に見張りを立てておいたが、色々と仕掛けが施されている塔なので誰にも見つからず出入りする隠し通路があるかもしれない。重要参考人がまだ残っているとは限らない、とダンカンは失態に継ぐ失態に痛む頭を隠しながら自ら部隊を率いて現場に向かった。こういった細かい情報戦はどちらかと言うと第二騎士団向きなのだ。似たような対人任務が多い団ではあるが、第三騎士団は大掛かりな荒事向きだ。
「幸いにも重要参考人達はあの塔の中で発見された。主犯…と言っていいのか分からんが、亡くなった筈の侯爵令息が、遺体で発見された」
「…死んで、いたのですか」
「ああ。何と言うか…お前の顔を一日中眺めても上書き出来そうもないくらい酷い形相だった」
「その例えはどうかと思いますが」
「おかげで昨夜は一睡も出来ないくらいの死に顔だった、とでも言っておこう。一応報告の為に写真は残したが、目にするのはお勧めはしない」
あの塔の主のようであった整った顔立ちの青年を思い出して、レンドルフは思わずフルリと震えた。最後に見た彼の姿は、男性最大の急所を刺され悶絶して床に転がっているものだった。あれが元で亡くなるような傷には思えなかったが、あれを受けるくらいなら一思いに首を狙って欲しいような気もする。いや、実際どちらも受けたことがないのでレンドルフには想像するしかないのだが。
「あの…死因は判明しているのでしょうか」
「まだ正確な解剖結果は上がって来ていないが、検死官が一目見て『ショック死だ』と言っていたな」
「ショック死…」
今の見た目はともかく男性であるレンドルフは、自分でも顔から血の気が引くのを感じた。心の臓か首でも刺されない限り死にそうにない凶器の大きさだったが、それが元でショック死する程とはあまり考えたくはない。
「犯罪に手を染めてまで血を守ろうとしたのに息子も娘も喪って気力が尽きたのかもしれないが、私が突入した時はサマル卿は廃人のように座り込んでいたよ。連行時も抵抗はなかった」
「そうですか。あの、女性がいたと思うのですが」
「ああ、彼女も連行した。こちらも大人しいものだったよ。ただ、自称ネイサンの妻を名乗っていて、会話が通じない。まあ本物のネイサンから大体の事情は聞いているが…誰も彼もまともに話が出来ない状態で担当者が困惑している」
「それはそうでしょうね…」
あの塔の中で出会ったユリアーヌは、見た目はまともに見えるのに会話が成立していなかった。いや、彼女の中では筋が通っているので、それ以外の場所からの呼びかけには耳を傾ける気がなかったと言うのだろうか。ただ深く狂っている、と片付けてしまえばレンドルフの中で納得が行くのかもしれないが、最後に見た彼女の目の中に理知的な光が宿っていたことが焼き付いている。
「それからあの塔の中には、大量の違法薬物、毒物、輸入禁止の動植物が大量に発見された。騎士団だけでは追いつかず、薬師ギルドに扱いを任せているが、調査が終わるまでには相当時間が掛かるだろうな。そして…」
レンドルフの顔色を見て、一旦ダンカンは言葉を切った。もともとレンドルフは対人戦を極端に苦手としているのは知られている。その為に強力な身体強化と繊細な土魔法を組み合わせて相手の武器破壊を狙い戦意を喪失させる戦法を、騎士団では右に出る者がいない程に磨きあげたのだ。もしかしたら遺体の話を聞くのは苦手なのかもしれない、と思ったのだ。
しかしレンドルフは軽く頷いてダンカンに続きを願った。レンドルフが顔色を悪くしていたのは、男性目線からすると見るのも痛々しい場面を直視してしまったせいだったからだ。
「あの塔から、複数の遺体が発見された。保存液に漬けられた胎児と、防腐処置…まあ有り体に言えば剥製にされた女性、だな」
荒事に慣れていて対人にも容赦がない第三騎士団の騎士達でも、さすがに顔色が悪くなる程の様相だった。ダンカンはあまり芸術には理解はないことを自覚しているが、これが人形であるならば美しいと思えたかもしれない。だが、使われているのはかつて人間だった者だ。誰一人として生前と同じ姿を留める者はなく、ただの遺体損壊と死者への冒涜がそこには溢れていた。
さすがにそれを詳細に説明するのは、ダンカン自身もあまり思い出したくないので省くことにした。
「主犯と思しき容疑者は死亡。共犯者はまともに話せる状態ではない。それなのに次から次へと出て来る違法な証拠品…もう第三だけでは手に負えない状況だ」
「でしょうね…」
濃い金髪を隙なく撫で付け、騎士服の襟をきちんと締めて常に隙がない様子のダンカンだが、さすがにその表情には疲れが滲んで見えた。何だかレンドルフは表に出られないとは言え、このままここでひたすら筋トレの日々だけでいいのかと思ってしまう。
「で、だ」
レンドルフが申し訳ないと思う気持ちが顔に出ていたのか、ダンカンは少しだけ悪い顔になってニヤリと笑った。
「レンドルフに頼みたいことがあるのだが、引き受けてくれるな?」
「は…はい、俺で出来ることなら…」
何となく嫌な予感がしたのだが、ここまで聞いてしまうと断れずに、レンドルフはただ引きつった笑みを浮かべながら頷くしかなかったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
「…どこかに良い劇作家でもいないものかな」
統括騎士団長レナードは、さすがにいつものように面白がっている余裕はなかった。建国王の時代から王と国に忠誠を誓っている家門の一つであったサマル侯爵家。同じ侯爵位であるレナードの生家ミスリル家もそれなりに歴史も地位もある家ではあるが、サマル家はもっと上位の家格だ。人によっては、侯爵の中では最上位という者もいるだろう。それほどまでに歴史と正統な血統で守られ、莫大な資産も有している。そのサマル家の根幹を揺るがすような事件だ。お家騒動で収めるには、あまりにも規模が大き過ぎた。
次々とレナードの元に集まって来る報告書は、淡々と事実が書かれているだけなのに目を通すだけで意味が分からなくて混乱して来る。主犯格の男は死亡が確認されている…と言うより、十数年以上も前に亡くなったと届けが出ていた者だ。死んだ筈の男が犯していた罪は、あまりにも大きかった。そして残った重要参考人は精神が安定せずにまともに話が聞ける状態ではない。何とか話が聞ける人物もいるが、一方的な側面しか事態の概要を把握していないので、それだけを証言として判断を下す訳にはいかない。
大貴族で、それなりに裏もある家なので、あちこちの思惑が絡み合い過ぎている。確実に降爵は免れないが、五英雄の血統という歴史もあるので、簡単に取り潰してしまう訳にも行かない。周囲のバランスを考えると二爵位降爵で子爵にまで落とすのが妥当なところであるが、何の関わり合いもない分家の中には伯爵もいる。分家が本家よりも爵位が高いというのはよろしくない。
あまり広まらないで終息させたいが、もう既に市井には高位貴族の令嬢誘拐事件として広まっている。その誘拐された令嬢がどこの家門の者かは誰も掴んでなさそうなのが幸いではあるが、この件にはこの令嬢だけではなく既に多くの女性が犠牲になっている。このことが漏れれば、それこそ国を揺るがしかねない大事件に広がるだろう。
この絡み合った事実と思惑を、神の視線で解いて辻褄を合わせてくれる台本を誰か書いてくれないかな、と半ば自棄気味にレナードは溜息を吐いた。
その事件に第三騎士団の現役騎士が深く関わっていると、ダンカンが率いる第三が主で指揮を執っているが、あまりにも大きな事件なので手に負えない為、第二騎士団が主に市井の火消しに務めている。それでも延焼が続くようであれば、第一騎士団も王城外での任務に派遣することになるだろう。そうなると王城内の警護が手薄になってしまうのも頭の痛い話である。
この国は、慢性的な人手不足だ。かつては多くの民や貴族を擁し、豊かな国であった。しかし少しずつ人を大切な資産ではなく換えの利く使い捨ての道具と見なすようになった風潮がジワジワと国の力を削ぎ、流行病がとどめになって気が付いた時には国として保てない程に人の暮らさない国土になっていた。そこから玉座に就いた国王が大きく国の制度を変えて、時間を掛けて少しずつ復興をして来た。おかげで王都や主要都市などは再び人が集まり出し、どうにか平常時は他国とあまり変わらない水準まで国力は回復した。だが整備が届かない地方はまだまだ手が回っていないし、有事の際はたちまち手が足りなくなって解決や復興に時間が掛かる。未だにこの国は薄い薄いメッキが一枚だけ張られているだけなのだ。
勿論、優秀な人間は多数存在している。しかしいくら優秀でも体は一つだ。全てに手を延ばせる訳ではないのだ。
レナードは執務室の壁に掛けた時計を見て、そろそろ来客を迎える準備をしなければと席を立った。
レナードとしてはあまり会いたくない相手ではあったが、やって来るのはこの事件の対応には協力してもらわなくてはならない人材を抱えている組織のトップだ。いくら会いたくないと言っても、レナードから人手の確保を願い出に行かねばならないと思っていた矢先に先方からの面会依頼だった。身分も立場も上である人物からの先手に、後手に回ったレナードは珍しく胃の痛い気持ちになっていたのだった。
在庫の中で最も上等な茶葉と、朝から買いに走らせた有名店の茶菓子を準備したのだが、扱っている茶器がいまいちだったので王族の食事を作っている専用厨房に掛け合ってティーセットと揃いの皿も準備させた。昼食後には事務官達が必死の形相で執務室の掃除をしてくれたので、塵一つ落ちていない。
個人同士の用件で会うのならば、レナードの方が上かもしれない。しかし地位や立場、そして騎士団側から色々と依頼を請う状況なので、圧倒的に相手の方が上だ。それを嵩に無茶を言う人物ではないのは分かっているが、逆にどんな用件なのか予想がつかないところもある。レナードは個人的に昔から知っているが、切れ者ではあるがキレ過ぎていてどういった方面に振り切るか長年の経験値が役に立たない程読めないのだ。レナードの知る限り、彼の一族は全般的にそういう性質が強い。
執務机の引き出しの中にある、通話の魔道具が待ち人の来訪を伝えた。
レナードはその軽やかなベルの音に少しばかり腹立たしさを覚えつつ、キュッと上着の裾を正して訪問者を迎えに出る為に、玄関口へと向かったのだった。