260.鳥籠の中の謎の美少女(筋トレ中)
王城に到着してからレンドルフは医師と神官両方から診察を受け、怪我の治療と体の異常がないかを確認してもらった。怪我の方は腕に刺さった飛礫の破片が予想以上に多く、摘出には随分時間を要してしまった。元の体のままであれば、分厚い筋肉で遮られて骨まで達することはなかっただろう。痛み止めを処方されて処置を受けたので体への負担は大したことはなかったのだが、処置に当たった医師と看護師が終始涙目になっていたのでレンドルフは何だか申し訳ない気持ちになった。何せ今は華奢な腕を切り開いて破片を取り除かなくてはならない。彼らは元が巨漢の成人男性とは知らされていなかったので、とにかく傷が残らないように慎重に慎重を重ねて治療に当たってくれたのだ。そのことが申し訳なくてすまなさそうにしている態度も、傷に耐えている健気な少年と思われたようだ。
すっかり傷を治療してもらってから、高位の鑑定魔法を使用出来る神官に念入りに診てもらえた。どうやら肉体年齢が巻き戻ったのは、やはりレンドルフが捕まった魔道具が原因だったようだ。あの魔道具は捕らえた生物に合わせて複数の手段で効率良く無力化させる仕組みになっていたのだが、何らかの理由でそれが最大出力になったことが要因ではないか、と告げられた。そこで一気に魔力を吸収され過ぎたために、体が危機を感じて一時的に魔力の代用品として肉体の時間を消費したということが神官の見解だった。
しかしこのような状態になったのは先例がないらしく、引き続きの経過観察と、もし回収出来たら使用された魔道具も是非鑑定させて欲しいと頼まれてしまった。どうやらこの神官は、魔道具に随分興味があるようだった。
ひとまず神官には「ひと月も掛からず元に戻る筈です」と診断されたので、レンドルフは心から安堵したのだった。
「しかし、あの魔道具は眠り薬か痺れ薬を使用するのが一般的なのですが…」
「…ええと、もしかしたら防毒の装身具を付けていたから効かなかったのかもしれません」
「ああ、それは有り得ますね。基本的にあの魔道具は人間に使うようなものではないですから。魔獣は装身具は付けていませんしね。どちらも貴方には効果がなかったから、魔力を吸収することにしたのかもしれません。対毒性のある魔獣はそのようにして無力化する筈ですし」
その話を聞いて、レンドルフはもしかしたらユリが貸してくれた特製の装身具が影響を与えたのではないか、と思い当たった。あれはどんな毒も解毒する代わりに、薬ですら無効化する一般では絶対に扱われないものだ。こればかりはユリから許可を受けない限り言うべきではないだろうと判断して、レンドルフは黙っていることにしたのだった。
すっかり怪我が治ったレンドルフは、早速体を動かしたいと希望をダンカンに出したのだが、ただでさえ目立つ容姿なのだから少し我慢するように、と釘を刺されてしまった。仕方なくレンドルフは与えられた王城の一室に半軟禁状態のまま、静かに一日スクワットや花瓶の上げ下ろしなどをして過ごしていた。勿論世話をするメイドなどがいない時にしていたのだが、一度頭上に水の入った花瓶を掲げているところを見られて騒動になりかけたのでより一層気を付けるようになった。
本当はユリのことやネイサンのその後のことは知りたいと思うのだが、迂闊にレンドルフが城内をうろついていては色々とマズいことが多い。一応王族でもあるダンカンが身柄を保証してくれて、準王族が使用するような部屋と環境を与えてくれているが、やはりどこの誰とも分からない美少女を王城に連れて来たことは少なからず目聡い貴族達の間で話題になっているようだ。
ダンカンもであるが、王族の中にはまだ数名は婚約者もいない男性がいる。さすがにダンカンはレンドルフの見た目からして年齢差が大きいように見えるので、ダンカンが王族の誰かの婚約者候補の後ろ盾になっているのではないかと見ている者もいた。その中では年齢的には第二王子のエドワードではないかと一部では目されている。あまり身分の高くない令嬢の為に学園に入る前に王城で王子妃教育を施し、ダンカンの養女になって学園入学と同時に婚約を公表する予定だ、と何故か確信している者もいた程だ。
その噂を否定して実はこの謎の美少女がレンドルフだと分かると、各方面からもっと大きな騒ぎなると言うことで、ダンカンからはこの姿でいる時は令嬢のフリをするように、と言い渡されている。レンドルフを診察してくれた医師と看護師、神官は男性だと分かっているが、彼らは守秘義務があるので問題はない。
「一番恐ろしいのは、貴族のご婦人方だぞ。このことを聞きつけたら王妃殿下も目を色を変えるだろうな」
原因は分からないしその後の影響も不明ではあるが、レンドルフは若返ったような状態なのだ。これを知られれば、間違いなく妙齢の女性達が群がることはすぐに想像が付く。しかもその勢いは多分想像を絶するものだろう。レンドルフも何となく察したのか、ダンカンの言葉には一も二もなく従うことにしたのだった。
しかし令嬢のフリをすると言うことは、外に出る時はドレスを着なければならない。さすがにそれは遠慮したかったので、部屋では少しだけサイズの大きめな乗馬服を用意してもらって、部屋から一歩も出ない完全な引き籠り状態でレンドルフはここ数日を過ごしていたのだった。
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過去の経験から今くらいの年齢ではいくら体を鍛えても全く筋肉が付かずに貧相な体のままだったので、筋トレをしてもあまり意味はないと思いつつ、体を動かしていないと何となく落ち着かない。レンドルフは寝室に続く扉の上に僅かに飛び出している桟に指を掛けて、懸垂を行っていた。やはり筋力が足りていないので、数回で限界が来てしまう。もっとも体が元に戻ったら、こんなところで懸垂をしていたら桟を破壊してしまうのだが。
しかし既にここに来て10日は経過しているのだが、レンドルフの体はまだ元に戻っていない。二日に一度、鑑定をしてくれた神官が様子を見にやって来てくれるが、あまり変化はないようだ。彼曰く、魔力はある時を境に一気戻ることが多いので、心配することはないと言われているので、ただ待つしかないのだ。
少々情けない気持ちで手を開いたり握り締めたりを繰り返していると、扉がノックされた。ここに来る人間は決まっているし、時計を見るとちょうどその人が訪ねて来る頃だった。
「はい」
「配達だ」
「いつもありがとうございます」
扉を開けて入って来たのはダンカンだった。いつもながら目付きは悪いが、これが普段の状態なのだと分かっているのですっかり慣れてしまった。彼の後ろからは、見慣れた侍女が続く。彼女はボルドー公爵家から来ている女性で、昔からダンカンの侍女兼秘書をしているそうだ。信頼できる人物として、レンドルフのことを知らされている数少ないうちの一人だ。表向きはレンドルフは令嬢扱いなので、その私室にダンカンと二人きりになることがないようにいつも同席してくれている。
「今日の分だ。問題はなかった」
「恐れ入ります」
ダンカンから直接差し出された淡い緑色の封筒を受け取った。その表には、見慣れた文字が綴られている。
「こちらをよろしくお願いします」
「ああ」
それと引き換えるように、レンドルフは白い封筒と薄紅色をした伝書鳥をダンカンに渡した。その封筒には封がされていないので、ダンカンは部屋のソファーに慣れた様子で座ると、中から折り畳まれた便箋を取り出して読み始める。レンドルフも正面に座ると、同行していた侍女が部屋の中に置かれた魔道具を使用してお茶の準備をし始める。これがここ最近の日課のようなものだ。
レンドルフが渡されたのは、ユリからの手紙だった。
この王城内は、王族の居住地区や、異国からの貴賓などが過ごす場所では安全と警護の為に伝書鳥のやり取りは出来ないようになっている。レンドルフが過ごしている場所も準王族が使用する区域なので、伝書鳥の使用は禁じられていた。伝書鳥を送っても一定の場所から外に出せないし、外から届くものも入っては来られない。それが見つかれば、複数の文官達が検閲を行うことになっている。
レンドルフもそれが分かっていたので、一度だけでも無事を知らせる為にユリに手紙を出したいとダンカンに頼んだのだった。そこでダンカンは、彼自身が機密に抵触しないか中身を確認させてもらえるのならば、一日一度の手紙くらいなら許可すると提案してくれたのだった。
密かに頼んで寮の部屋からユリ宛ての伝書鳥を持って来てもらい、レンドルフは自分の無事としばらくすれば元に戻ると言われていること、そしてこの手紙は責任者が検閲することになるが、一日一度は送ることが出来ることなどを書いてユリに送った。そしてユリが手紙を読まれることに抵抗があるなら返信はしなくていいという旨も付け加えた。
それからじきに、ユリからの返信が届いた。封の開いた手紙を受け取ると、中に何か固い物が同封されていた。取り出してみると、ユリの為に作った「エルフの瞳」と呼ばれる石の付いた彼女の指輪だった。一瞬、さすがに今回で愛想を尽かされたのかと血の気が引いたレンドルフだったが、ユリからの手紙には「レンさんの指輪は私が大切に預かっておくので、代わりに今度顔を合わせる時まで持っていて欲しい」と綴られていた。
それを読んで思わず顔を赤くしていたのをダンカンに見られてしまって、レンドルフは羞恥のあまり便箋で顔を覆い隠してしまった。そんな可愛らしい仕草が大変似合ってしまう彼をダンカンはやや遠い目で眺めていたのだが、そのことには気付かなかった。
それからはわざわざダンカンがユリからの手紙を回収してレンドルフに渡し、レンドルフからの手紙を敷地の外からユリに送ってくれているのだ。手紙の内容を見られるのは多少恥ずかしいとは思うのだが、検閲するのはダンカンだけにしてくれたのは最大限の譲歩なのは十分分かっている。それによく考えてみたら、そこまで読まれて困るような内容を送り合っている訳でもなかった。
「問題ない。後で送っておこう」
「ありがとうございます」
「ところでレンドルフ。幾つかやってもらいたいことがある」
「はい、今の俺で出来ることでしたら」
ここ数日ですっかりレンドルフに馴染んだダンカンは、直属の部下でもないのに名で呼ぶようになっていた。
手紙を確認し終えたダンカンは丁寧に封筒にしまってテーブルの端に置いた。いつもならば懐に入れてすぐに退室するのだが、今日は何か用件があるようだ。侍女の方も予め聞いていたのか用意したティーカップは二つあった。普段はダンカンが退室した後、レンドルフが一人でお茶と菓子を楽しみながらゆっくり手紙を読めるように場を整えてくれるのだ。
「先に手紙を読むか?」
「いいえ、後で一人で読みますので」
そう言ってレンドルフは大切そうに柔らかい手付きで封筒を膝の上に置いた。そしてその上からそっと両手を重ねる。どうやら手放す気はないらしい、とダンカンはそのレンドルフの重ねた手の薬指に嵌まっている美しい細工の指輪をそっと見つめた。この指輪を送って来た際に、ユリから「もう嵌められる機会なんてないから、使っていいよ!」と軽い感じて手紙が添えられていたのだ。レンドルフは素直にそれに従って、少しだけ恥ずかしそうに、それ以上に嬉しそうに自分の指に嵌めていたのだった。
(これは、向こうに鎖を付けられたようなものなんだがな…まあ、レンドルフが満足しているならいいのか)
ダンカンはそんなことを思いながら、意識しているのかいないのか時折目元を緩めて指輪を眺めるレンドルフに水を差すのもどうかと思って心の中で呟くだけに留めた。
この指輪には盗難防止の付与が掛けられていて、その指輪と持ち主の魔力の糸が薄く繋がって本人だけに見えるようになっている。更に持ち主から一定以上離れると、契約している警備の者が現場に向かうことになっていた。当人が離れることが分かっているならば予め報せておけば問題はないし、もし忘れてしまっても駆け付けた者がその場で盗難かただの連絡漏れなのか臨機応変に対応することになっているらしい。
その機能を利用して、自分の指輪を攫われたユリ宛ての伝書鳥に同封して彼女の居場所をレンドルフが特定した。つまりユリがレンドルフに自分の指輪を送って来たと言うことは、レンドルフが王城のどの辺りにいるのか、万一別の場所に連れ出されても把握可能なようにしたのだ。
逆にレンドルフの指輪をユリに預けているということは、彼もユリの居場所を特定出来るということにもなるのだが、レンドルフの性格ならば先日の誘拐事件ような緊急事態でも起こらない限り勝手に相手のことを調べるような真似をしないだろう。それにユリが居場所を知られたくないのなら、レンドルフの指輪も一緒に戻して来る筈だ。
それだけお互いに信頼し合っている関係なのだろうと思うと、少しばかり羨ましく思ったダンカンであった。
その後に話に盛り込むかは不明なのでちょっとした設定話。
ダンカンは適齢期を少し過ぎた独身ですが、長年連れ添った内縁の妻、のような相手がいます。あまりにも身分が違い過ぎて却ってお互いの負担になるので婚姻という形は選ばなかった人達です。幼い頃から一緒にいるので、もはや空気のように隣にいることが当然な熟年カップル状態になっています。
ただ王位継承権を持っている為に対立派閥の御輿にされるのも困るので、子供は出来ないように処置済みと公言していますが、真偽は不明です。
一応王位継承権は持っているのは、第三騎士団が異国でも団長が王権や王命を使用出来るようにするためなので、団長を引退したら継承権も返還予定。