259.それぞれに思いやる
「まあ、言われてみれば動きの癖はクロヴァス卿…ではあるな」
最初の衝撃から思ったよりも早くダンカンが立ち直って納得してくれたので、どうやら話が進められそうでレンドルフは安堵していた。もし信じてもらえなかったらどうやって証明しようか密かに悩んでいたのだ。男性であることは、薄く頼りない体を晒すことにはなるがシャツを脱いでしまえば手っ取り早いが、自分で自分の証明と言うのは存外難しいものだと改めて思った。
「それではやはりあれはユリ嬢だったか」
不意にダンカンがユリの名を出したので、レンドルフはギクリと固まってしまった。思わず顔が険しくなってしまったレンドルフに、ダンカンは薄く笑って「狭い馬車の中で威圧はするな」と軽く流した。
「言っただろう、一度会った者のことは忘れない、と。彼女は先日調査協力の為にあの研究者に出向いた際に会っている」
「そう、ですか」
「それに、違法薬草栽培の件で潜入した先のパーティーでは、卿とは睦まじい様子だったからな。随分と印象に残ったよ」
「あ…あれ、は」
以前レンドルフが縁あってユリと変装をして参加した商会のパーティーに、確かに第三騎士団と団長のダンカンが来ていた。レンドルフとダンカンは、それ以前に王城の夜会などで王族の警護をしている際に何度も顔を合わせている。最終的に変装を解いていたレンドルフがユリと踊っているところを見れば、会った者のことを忘れない特技がなくてもすぐに分かるだろう。
レンドルフはユリのパートナー役ということでいつもよりも近い距離感で接していたことを思い出して、急に恥ずかしいようなくすぐったいような気持ちになって顔を赤くして俯いてしまった。その様子を、ダンカンは微笑ましい気分で眺めていた。
「クロヴァス卿ならば特に決まった相手はいないのだし、何の問題もないと思うが?」
「いえ、その…そういう人では…」
レンドルフは継ぐような爵位も領地もないが、生まれは辺境伯の子息だ。王都から遠く離れた辺境領で中央政治とは殆ど絡まないが家格は高い実家で、当人も政治向きの性格ではないが人柄は誠実で剣も魔法も腕が立つ。あまり実家や当人に口を出して欲しくない高位貴族の婿にこれほど向いている人物もいない。やや脳筋寄りではあるが、地頭は悪くないし何よりも周囲への配慮を忘れないように務めているのは別の団にいるダンカンも知っている。男性目線で見ると何故ここまでの人物がいまいち女性の受けが悪いのか謎ではあったが、もしかしたら大公家の方で密かに話を進めて水面下で牽制しているのかもしれないな、とダンカンはすっかり可愛らしくなってしまったレンドルフを見つめた。
実際のところ、レンドルフはユリの身分すら知らないのだが、そればかりはダンカンも予想していなかった。レンドルフはユリが自分の正体を探って欲しくない気持ちを無意識的に察知していて、その周囲への配慮する性格故に一切踏み込むような真似をしないのだ。それが却って大公家筋からは好ましいと評価されつつあるが、逆にレンドルフがユリの正式な出自を知った場合自ら距離を取りかねないという懸念もあるので、今のところそういった話は水面下でも進んではいない。
「この二人がここにいると言うことは、大方ネイサンがユリ嬢を攫って、クロヴァス卿が救出に来た、といったところか?」
「は…はい…」
レンドルフに話しかけていた口調そのままに顔は笑ってはいたが、一切温度を感じさせない目でダンカンはネイサンに視線を向けた。まるで世間話でもするかのようにいきなり核心を突かれて、誤摩化す気は毛頭なかったネイサンも思わず口ごもってしまった。
「しかしクロヴァス卿は『協力者』と言ったな。その説明を」
「畏まりました」
先程レンドルフに「威圧をするな」と言ったその口で、ダンカンはたっぷりと威圧を含んだ空気を馬車一杯に広げながらネイサンの発言を促したのだった。
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ネイサンはなるべく私情を挟まないようにこれまでの経緯と事実だけを述べるよう努めていたが、時折やはり押さえ切れないものがあったのか言葉に詰まっていた。
侯爵夫人と嫡男が亡くなった件に付いては筆頭分家が当主の座の簒奪を目論んだためと報告を出したが、実際の首謀者は嫡男であったこと。嫡男が唯一後継を繋げられる直系だった為に子を成すことを目的に生かしておき、表向きは亡くなったことにして幽閉していたこと。そして嫡女が亡くなっているのにそれを隠し偽装したこと。
他にも、嫡男と子をもうける為に連れて来た女性が魔力供給過多症で多数亡くなっていることも告げる。これは客観的な証拠も揃っているが、中には同意もなく誘拐同然に連れて来た者もいるので、被害者の女性とその家族のこともあって公表していいものか判断が付かない、とネイサンは苦々しげに付け加えた。
「今の話では確実に罪に問えるのは嫡男の死亡届の虚偽、くらいか。筆頭分家に罪をなすり付けたことについては、もう20年近くも前の話だからな。当時はそのような状況証拠だった、と主張されれば引っくり返すのは難しいだろう。せいぜい冤罪の可能性を示して名誉を回復させる、程度だな。もう関係者は全員墓に入っているだろうから、墓石に家名を刻み直すのがいいところか」
話を聞いたダンカンも、その顔から貼り付けた笑みも消えて、難しい顔でこめかみを軽く指で叩いた。
「妻の死亡の偽装は罪に問えないのでしょうか」
「難しいな。ネイサンの話では火葬の後に使用人の共同墓地に入れたのだろう。もう一年以上も経っているなら、他の者とも混じって遺骨から個人の判別は難しい。そうなると、確実に『亡くなった』証明は困難だ。姿が見えないのは、道ならぬ相手と駆け落ちして行方不明だ、とでも言われれば証明は出来まい」
「使用人も当時の者はいつの間にかいなくなっていますしね…」
嫡男の死亡の偽装に関してもそこまで大きな罪には問えないだろう、とダンカンは続ける。精神的に後継は務められないと判断した為、家の名誉の為に死んだこととして生涯表に出さないようにしていた、と主張されれば、貴族がその家名を守る故の仕方のない選択だったと抒情酌量されて罪は軽微になる可能性は高いのだ。その罪も、それなりに罰金を払えば即座に消える程度だろう。
「その嫡男を確保出来れば体液を採取して、亡くなった女性の体内に残っていたものと一致することを証明出来…ああ、どうにもクロヴァス卿の顔があるとこういった話題がし辛くて敵わんな」
「ええと…申し訳ありません?」
「お気持ちは分かります。学生時代、そんな感じでしたから」
「…だろうな」
中身は立派な成人男性だということは分かっていても、今のレンドルフの見た目はとびきりの美少女だ。そのレンドルフが潤んだような眼差しで見つめて来るので、どうにも物騒な話題を出すと落ち着かない。当人は全く自覚がないので、何が悪いのか分からずに半分疑問系でコテリと首を傾げた。その仕草ですら悪気はないがとてつもなくあざと可愛いのだ。
ネイサンは学園で寮生活をしていた頃、それこそ思春期真っただ中の青少年が集まって下世話な話題で盛り上がったりもしたのだが、そこにレンドルフが混じるとたちまち全員が品行方正な貴族令息に早変わりしていた。別にレンドルフがそういった内容に拒絶を示したりしていた訳ではなく、単純にそこに美少女顔があるので気が引けていたのだ。もっともしばらくすれば慣れて来たのと、レンドルフが成長期に入ったので普通の反応になって行ったのだが。
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ガタリと少しだけ馬車が大きく揺れて、速度が落ちる。外の様子は分からないが、時間的に王城が近付いて来たのだろう。
「まずはネイサンは王城の治癒院で治療を受けさせて、事情聴取は明日以降になるだろう。一晩ではキツいだろうが、ゆっくり休め」
「はい。ありがとうございます」
「クロヴァス卿は…治療の後は一旦私が身柄を預かるが、よろしいか」
「よろしくお願いします」
馬車が停まると、レンドルフは念の為持っていた布を被るように指示された。扉が開くと、ネイサンよりも体格の良い騎士が待ち構えて拘束しようとしたが、彼に片腕がないことに少なからず動揺していた。しかしすぐに我に返って、魔力を封じる魔道具を装着させて、残っている左腕と腰の辺りをロープで拘束して連行して行った。
レンドルフが続いて降りようとすると、ダンカンが軽く手で制して先に外に出て手を差し伸べて来た。
「ご令嬢、足元にご注意ください」
馬車の中での態度とは一変させて、ダンカンは紳士的な態度になった。被った布の隙間から周囲を窺うと、まだ数名の騎士が控えている。ここでダンカンはレンドルフを保護した令嬢として通すのだろう。レンドルフもそれを察して、彼の差し出された手に細い自分の手を重ねた。
「ありがとうございます」
令嬢風に礼を返しながら、レンドルフはこうして誰かに手を差し出されて馬車を降りるのは子供のとき以来だな、と思い出していた。しかし令嬢ではないレンドルフは頭から被っていた布を踏みつけてしまい、上手く降りられなくてダンカンの手を握ったまま馬車からなかなか出られなかった。もたついているとダンカンがフ…、と口元に笑みを浮かべて反対側の手をレンドルフの腰に回したかと思った次の瞬間、気が付くとレンドルフは馬車の外に抱き降ろされていたのだった。普段なら絶対にないことだが、どうにも肉体時間が巻き戻った影響で精神的にも多少影響が出ているのか、思わずレンドルフの口から「ヒェ…」と小さな呟きが漏れてしまった。
幼児の頃は抱きかかえられていたかもしれないが、物心ついた時にはこんな風に降ろされたことはなかった。自分のタイミングではない状態で急に動かされるのはこれほど戸惑うものなのかと初めて体験したに等しいレンドルフは、今後もユリを抱きかかえて馬車から降ろす時は絶対に声を掛けようと決意を新たにしていた。
(ユリさんは無事に保護されたのかな…)
勝手知ったる王城内を移動しながらレンドルフはユリに思いを馳せて、ダンカンのエスコートで誘導されるもすっかり気もそぞろになっていた。履いているのは編み上げブーツなので脱げることはなかったがサイズが合っていないので歩きにくく、途中何度も小さな段差に躓いてしまいその度にダンカンに抱きかかえられるような体勢になってしまった。しかもそのタイミングは悉く誰かが密かに二人を窺っている時だったので、ダンカンはレンドルフが誘拐されて憔悴し切っている気の毒な令嬢の芝居を続けているのだと良い方向に誤解した。
「クロヴァス卿は思ったよりも凝り性なのだな…」
三度目にダンカンに抱きとめられた時、彼がそう小さく呟いたのだが、レンドルフは何を言われているのかさっぱり分からなかったのだった。
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使用人達を乗せた大型の馬車のうち一台が、王城へ向かう途中で運悪く脱輪してしまった。何人も騎士がいたので一度馬車に乗っていた女性使用人を下ろしてどうにか元に戻し、僅かな遅れで再び王城に出発した。女性使用人を再び馬車に乗り込ませる際にきちんと人数を確認して、特に問題がなかったので王城に向けて馬車が静かに走り出した。
その馬車が完全に見えなくなってから、茂みの中に隠すように停まっていた小型の馬車が静かに反対方向に向かって走り去ったことは誰にも気付かれなかった。
その小さな馬車の中で、ユリは髪色を誤摩化す為に被っていた布を外して、プルプルと頭を振った。腰まであった重みのある髪が肩口で切り揃えられていて、こうして頭を振ると驚く程軽かった。
(この爽快感が堪らない、って言ったら確実にミリーが怒るわね)
ユリの乗った馬車を的確に脱輪させて、一旦下ろされたところでカナメと交替させてユリを回収したのはフェイだった。今は馭者を務めて、大公家別邸に向かってくれている。あまり目立たないように他の護衛はいないが、この馬車自体が見かけによらず要塞並みに頑丈に出来ている。何かあっても大抵の場合はフェイが処理してくれるので、ユリは安心して任せておけばいいのだ。
「レンさん、大丈夫かなあ…」
ユリは声に出して呟くと、より一層不安を煽るような気がして思わず両腕で自分の体を抱きしめるように身震いした。
「大丈夫…大丈夫…レンさんも騎士団に保護されたんだから」
王城には腕の良い治癒士も、神官も常駐している。それに王族に仕えている侍医はアスクレティ家の一門の者だ。レンドルフの体に異変があれば、この国最高の医師と呼ばれる侍医に診てもらうようにレンザに頼み込んでもいい。あからさまな越権行為にはなるが、真っ先にユリの危険に駆け付けたのはレンドルフなのだからそのくらいの礼を尽くしたい、と全力で説得するつもりだった。
(もし…レンさんが元に戻らなかったらどうしよう…)
あの捕獲の魔道具にどんな仕掛けをしていたかは分からなかったが、その影響でレンドルフの肉体年齢が巻き戻ったのならば、しばらく経てば元に戻るとは思われる。しかしそんな効果のある魔道具など見たことがないので、どういった経過を辿るか未知数なのだ。万一元に戻らなかったら、レンドルフが年月をかけて作り上げた努力の筋肉が一からやり直すことになってしまう。それどころか、肉体に何らかの影響を及ぼして以前のような体を取り戻せるという保証もない。
(念の為にこの装身具をレンさんの分も作ってもらおうかな)
ユリの身に付けている、不埒な真似をしようとする相手に様々な反撃をする大公家特製の防御の装身具だ。レンドルフはあまり意識していないようだったが、あの見目では明らかに厄介な相手が入れ食いになるのは簡単に想像が付く。本当にあの年齢だった頃は王都よりも人の少ない辺境領にいた筈なのでまだ躱し切れたのだろうし、王都に出て来てからは学園の寮に入っていたのでそこでも守られていたから無事で済んでいたのだろう。
(レンさんが元に戻るまでは、私がレンさんの貞操を守らないと!)
馬車の中で一人で考えていたせいかユリの思考はどんどん違う方向にズレて来ていたのだが、突っ込み不在だった為に誰も止めることはなかった。大公家別邸に到着するまで、ユリはどうしたらレンドルフの身を守りながら無事に育てるかという壮大な作戦をすっかり立てていたのだった。