251.以心伝心の決戦
「君も僕の花嫁かい?でも色が違うから望みは叶えてあげられないかな」
「こちらとしてもお断りだ」
ユリは少しだけ動くようになった首を動かして運び出された部屋の方を見た。まだ体が支えられる程自由にならないので、あまり首を傾けるとそのまま倒れてしまいそうだったので、辛うじて視界の端に入るという程度だ。そうやって見えたのは、大きく壁が崩れて扉も半分なくなっているような状態の入口だった。いやもう部屋の半分以上の壁がないので、入口とも言えない状態かもしれない。おそらく先程の爆発音は、レンドルフが外から壁を破壊した時の音だったのだろう。ユリの見知ったレンドルフなら壁を破壊しても不思議ではないが、今のレンドルフは全く想像が付かない。先程ネイサンから聞いた話によると、この塔の中では外部に作用させる魔法は発動しないようになっているらしい。だからレンドルフが壁を壊した手段は攻撃魔法ではなく、自身に身体強化を掛けて殴りつけたのは分かるが、どうにもその光景を脳が拒否している。
気色が悪いが見目だけは美しい青年と、どう見ても可憐な美少女なレンドルフが崩れた壁を挟んで室内と廊下で対峙している。まるで吟遊詩人が語る神話の、邪竜と戦乙女の戦いの図のようでもあった。
結婚式にわざと麗しい姿で現れて花嫁を誘惑し、靡いた者はその場で食い殺し、拒絶した者は攫って地下深くに幽閉して命が尽きるまで慰みものにし続ける非道の邪竜。その邪竜に攫われて殺された妹の仇を取る為に、ただの村娘だった姉は戦乙女となって立ち向かったという神話。最期は互いに相打ちになって命尽きたが、戦乙女は死しても気高く何かを守るように立ち続けていたという。それを哀れに思った神の眷属が、彼女を一本の樹に生まれ変わらせた。その樹は人々を雨露や灼けるような陽射しから守るように一年中青々とした葉を茂らせ、季節を問わずに甘い実を付けた。まるでその姿は、両親を早くに亡くし親代わりに妹を慈しんでいた戦乙女そのもののようだと伝えられている。そして神の眷属の加護なのか、その下にいると魔獣が近付いて来ない。その為、魔獣除けの香の中にはこの樹木の葉を乾燥させて粉にしたものを混ぜ込んでいる。
(それじゃレンさんが相打ちで死んじゃうみたいじゃない…それに、乙女じゃないし!)
ユリはそんな神話を思い浮かべてしまい、縁起でもないと慌てて頭から追い出す。それにどんなに美少女に見えてもレンドルフは男性だ。乙女にはなり得ない。
ユリはすっかり華奢になって半分以下になってしまったレンドルフの背中を、祈るような気持ちで見つめたのだった。
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「君の美しさを損ねるのは勿体無いね。そうだ、剥製になってもらえるかな」
「お断りする。それにこの姿は本来のものではない」
「戻らなければいいんだよ。ああ、金銭的なことを心配しているのかい?問題ないよ。後で君の家にはきちんと代金を支払っておくよ。君だったら…そうだね、確か海辺に景色の良い子爵領があったから、それをあげるよ」
「要らん!」
まるで舐め回すようにレンドルフを眺めている彼は、精神的には何一つ変わっていないレンドルフからしても非常に気色悪かった。この視線をユリが受けたのかと思うと、どれだけ怖かったろうと想像するだけで胃の辺りが重い熱を帯びて来る。
「そんなもので僕と戦う気?出来たら無傷で飾りたいんだけどな」
「貴様など、これで十分だ」
そう言って手にしている木の棒をブン、と振った。木の棒ではあるが、その先に細く裂いた布を寄り合わせたフリンジのようなものが付いている。レンドルフが手にしているのは、紛うことなきモップであった。
この塔の中では外部に出力するような魔法は使えないが、身体強化を極限まで鍛えているレンドルフからその魔力が漏れ出して、腰の辺りまで伸びた柔らかな髪が揺れる。これまでの人生の中で、最も髪を伸ばしていた学園に入学する少し前の13、4歳くらいまで体の時間が巻き戻っているのだろう。あの謎の繭の中に閉じ込められた影響なのは分かるが、今は原因を探っている時ではない。現在に比べると肉体的な力は落ちてはいるが、魔力はこの頃から安定していてそう大きく変わりはない。そして既にこの歳には、ほぼ完璧な身体強化魔法を操っていた。当然、自身の体とともにその延長として武器を強化する技術も使える。
「まあ、後で修復すればいいか」
「黙れ」
低い声を出したつもりが、女性のような高い声が出て迫力に掛けるが、たとえ男性の声でも止められるような相手ではない。レンドルフは腰の辺りで力を溜め込むように姿勢を落とすと、床が一瞬で抉れる程の強さで一気に彼に向かって距離を詰めた。
「残念」
ただ真っ直ぐに突っ込んで来るレンドルフを見て、彼は片方の口角だけを上げて笑みのような表情になる。それは血のせいなのか、サマル侯爵の笑った顔とよく似ていた。
彼は構える様子もなく、軽く翳した手の中からうっすらと見える透明な刃を大量に放出した。この塔では攻撃魔法は使えないが、この塔の主でもある彼に不利益をもたらすようには出来ていない筈だ。例外として彼だけは通常通り魔法を行使出来るのかもしれない。
彼の発動させた魔法は、バラバラの軌道を描いて一斉にレンドルフに襲いかかる。風魔法のウィンドカッターに似ているが、本来うっすらと視認出来るものではない。おそらく風魔法と何か別のものと合わせた複合魔法で、通常の物ではないだろう。
しかしレンドルフは複数の刃に襲いかかられても、手にしたモップを振り回してその魔法攻撃を弾き返してしまった。その音は、まるで固い金属の剣が斬り結ぶ音と遜色なかった。レンドルフの手元にある武器の形状がモップの形をしていなければ、金属よりも固い樹皮を持つと言われている世界樹の枝ではないかと思う程だ。
「水魔法を混ぜて重くしているようだが、大した重さじゃない」
「何だと…!」
まさか木で出来た柄のモップで応戦されるとは思わなかったのか、彼に初めて焦りの色が浮かんだ。が、それは一瞬のことで、すぐに人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「なーんて。顔は綺麗でも、脳筋は好みじゃないんだ」
彼は再びレンドルフに向けて魔法の刃を放つ。今度は先程よりももっと複雑な動きをしている。それでもレンドルフは冷静に一つずつ躱して叩き落として行く。そしてあらかた二度目の攻撃も防いだかと思った瞬間、残っていた刃が突如空中で霧散した。そしてレンドルフの頭から容赦なく霧状のものが降り注ぐ。それは異臭を放っていて、レンドルフの足元の絨毯に触れるとシュウシュウと音を立てて白い煙を上げた。最初の攻撃で彼は風魔法と水魔法が使えると思っていたが、更に毒魔法も使えるようだった。
「!?」
強い酸を含んだ毒を霧状にして顔以外万遍なく全身に浴びせかけたので、髪も皮膚も簡単に溶けて、服は肌に張り付いて焼け付くような痛みに苛まれる。苦痛でのたうち回っているところを無理矢理服を脱がせてやろうと、彼は一歩踏み出した。体に張り付いた服を強引に剥がせば、皮膚が一緒に捲れ上がって全身が真っ赤になる。美しい顔にはさぞ映えるだろうと思わず昂った思考に耽っていた為、レンドルフが一切声すら上げていないことに気付くのが遅れた。
一瞬、反射的に身を引くと、鼻先を風が掠めた。そしてそれがモップの先だったとこに気付いて、彼はそんな不浄なものを顔に近付けられたことに一瞬で頭に血が上った。
「俺に毒は効かない」
ユリに着けてもらった特製の装身具のおかげで、今のレンドルフはどんな毒も効かない。肌に触れた毒は、一瞬で分解されて皮膚を焼くこともなくサラサラとした光る粉と水に変わる。湿り気を帯びた髪が頬に張り付き、白いシャツも濡れて下の白い肌が薄く透けて、動き回ったせいで上気している様子までハッキリと見えいよいよレンドルフの色香が増した。
「よくも僕にそんな汚物を向けたな…!殺す…グチャグチャに殺してやる…!」
ずっと余裕を保っていた彼が、今はその美しかった顔を醜悪に歪めて怨嗟の声を上げている。そして感情のままに翳した手から、無数の鞭のような黒い魔力が伸びた。それは大きくしなり、四方八方からレンドルフを捕らえようと動き回った。レンドルフはモップでたたき落としたり、身を翻して避けたりしているが、どんどん増えて来る鞭のようなものが部屋一杯に埋め尽くすようになって来て、行動範囲が次第に狭まって来た。
「レンドルフ!その部屋から出るまで下がれ!」
ようやく大きな声を出せるようになったネイサンが叫ぶと、レンドルフはネイサンが言い終わるか終わらないうちに素早く行動して、追いすがる黒い魔力の触手を弾きながら退避する。何度か手に直接巻き付かれたが、強引に振り解いて引き千切る。攻撃魔法が使えないので、レンドルフは全ての魔力を身体強化に回している為ちょっとやそっとじゃ皮膚すら傷付くことはない。さすがに絡まれた部分は白い肌が少しだけ赤くなってはいるが、ほぼ無傷でレンドルフは部屋の中から出る。
部屋の中から出た瞬間、レンドルフを追っていた触手は見えない壁に阻まれたかのように動きを止めた。それはレンドルフに届きそうで届かないことに苛ついたように目の前でウネウネと暴れているが、部屋の外には出て来なかった。
「追って来ない…?」
「あの部屋の床に魔法陣がある。だからあいつだけあの部屋の中に限り攻撃魔法を使えるんだ。絨毯に魔力隠す仕掛けがしてあって分からなかった」
「じゃああの部屋に立ち入らなければ攻撃は喰らわないということか」
学生時代によく同じ隊を組まされていたおかげで、レンドルフはネイサンが索敵魔法を使えるのを知っていた。視力の身体強化を併用すると、相当の精度が出ることも分かっている。だからこそ声を掛けられた瞬間にすぐにネイサンの指示に体が動いた。勝手な理由でユリを攫って巻き込んだことで、ネイサンの株はレンドルフの中で大暴落をしているが、それでもこれまでの信頼と実力は疑っていない。
「しかし、このままでは手詰まりだ。長引けばこちらが不利になる」
レンドルフはいくらこちらに攻撃は来ないと言っても何を仕掛けて来るか分からない部屋の方に顔を向けたまま、一瞬だけ背に庇うようにしているユリとネイサンを見た。ネイサンは片腕を落とされていて、今は血が止まっているとは言っても所詮応急手当をしただけで危険な状態を脱した訳ではない。ユリは大きな怪我はしていないが、誘拐された上に魔力を封じられている状態では精神的に相当疲弊している筈だ。いくら気丈であっても、限界は近いだろう。
レンドルフは本当は決着を付けなくてもこの場からすぐにでも撤退して、救助に来ているであろうステノスと合流したいところだが、ここから抜け出すにはサマル家の血族と一緒でなければ不可能だ。時間を掛ければ外からも何らかの手段で突入出来るかもしれないが、それを待っているにはおそらく時間が足りない。この目の前にいる厄介な相手を無力化させて連れ出すしかないが、それが最も困難でもある。
「レンドルフ、卒業試験を覚えているか?」
「ああ。だが」
「あの時とは逆だ」
座り込んでいたネイサンが立ち上がって、レンドルフの後ろから小さく声を掛ける。学園の騎士科に所属していた学生は、個人の技量だけでなく少人数での連携や、大隊での行軍なども重要視され、卒業試験に組み込まれている。レンドルフの卒業試験では、ネイサンを含めた三人の少人数連携で課題に挑んだ。その時は最も体が大きかったレンドルフが盾と目隠しの役割で他の二人を背に、先陣を切った。しかし今はレンドルフの方が体が小さい。だからネイサンは自分がそれを担当しようというのだろう。
ネイサンの体はもう限界を超えているのかもしれない。だが、その青い目の奥には強い意志と覚悟が見えた。レンドルフはほんの一瞬だけ返答を躊躇ったが、すぐに自分の中の優先順位と譲れない存在に腹を括る。
「分かった、任せる」
レンドルフは頷いて、後ろに下がる。その代わりにネイサンが前に出て背にレンドルフを隠すように立ちはだかる。彼の額にはびっしりと汗の玉が浮いていたが、その顔色はひどく白い。お互い何も言わなくても、レンドルフもネイサンもこれが最後の機会だと気を引き締める。
「ユリさん、少しだけ移動させるよ」
「レンさん…その…」
「本当はこれをユリさんに返すべきなんだろうけど」
少しずつ体の痺れは取れて来ているが、まだ自由に動けないユリをレンドルフは横抱きにして部屋の正面から外れた場所にそっと座らせた。抱き上げられたユリは、細くなってしまった腕ではあったが、安定感は変わらないことにやはりレンドルフなのだと改めて頼もしく思った。レンドルフは白く細い首に巻き付いている金属のプレートに見える装身具に指先で触れて、少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「ううん。そのまま使って。足を引っ張ってるんだから、これくらい」
「…ユリさんは、無事でいてくれたらそれだけでいい」
レンドルフはそう言って、長さが不揃いなままのユリの髪のまだ長く残っている一房を手に取ると、その先にそっと唇を寄せた。通常のレンドルフに同じことをされてもやはり赤面していただろうが、今の美少女化している姿はその上に妙な背徳感が上乗せされてしまう。サラリとレンドルフの手の平からユリの髪が零れ落ちる。近くで見るレンドルフの顔は整って美しいだけでなく、瞬き一つですら扇情的に思え、視線を向けられるだけでクラリとするような色香に中てられる気がする。ユリはいつもよりも早い鼓動を押さえながら、辛うじて「気を付けて」とだけ呟いたのだった。
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「何かあったら、ユリ嬢を抱えて逃げ回れ。あの魔道具が外れるのは後一日程度だ。お前とユリ嬢の魔力があれば、どんなことでも打開出来る筈だろう」
「もとより、優先するのは彼女だ。…悪いがな」
「それでいい」
ふ…とネイサンが肩を落として何の合図もなく走り出す。レンドルフは承知しているとばかりに後ろに張り付くように続いた。
「怪我人が、死にに来たのか?」
攻撃魔法が使えない場所では、身体強化した騎士二人とは不利とばかりに部屋から出る気配のなかった彼が、再び自ら仕掛ける為に部屋の中に侵入して来たのを見て口角を上げて唇に舌を這わせた。そして獲物が来たとばかりに、部屋の中を這い回っていた触手が一斉に飛び込んで来たネイサンとレンドルフに向かう。
「おおおおぉぉっ…!」
ネイサンが左腕に装着した刃を揮う。利き腕ではないので精度には欠けるが、腕と一体化しているのと相手が魔力の触手なので振り回すだけでも十分対抗可能だ。精度が足りなければ、手数を増やせばよいだけの話だ。ネイサンは大分血が流れて体力も底を尽きかけているが、そんなことを微塵も感じさせない猛攻で、ひたすら腕を振り回して前に進む。先程レンドルフに浴びせかけた毒を使用して来る可能性もなくはなかったが、ほんの少し対峙しただけでも彼の矜持の高さから、一度使用して失敗した手は使って来ないだろうと半ば確信していた。それに先程ネイサンに効果があった医療用の麻酔薬は、レンドルフが開けた壁の穴で外に流れてしまって使い物にならない。本当は完全に毒が無効化出来るのはレンドルフが装着している装身具だけということは彼には分からないので、通用しなかった毒魔法を上乗せして攻撃魔法の威力を下げるようなことはないだろうと踏んだのだ。
ネイサンの腕があと少しで彼に届きそうになった瞬間、触手が一斉に彼の前に集束した。そして伸ばした刃が腕ごと弾かれる。
「…なっ!?」
無数の針山のようになった触手が駆け込んで来るネイサンの全身に突き刺さる寸前、ネイサンの体が横に吹き飛んで壁のようになっている本棚に突っ込んだ。彼の目には、一瞬ネイサンが消えたように見えたので、思わず声が出ていた。身体強化を掛けた速度で迫って来ていたネイサンが、ほぼ直角の真横に飛び退くなど人間技とは到底思えなかった。そしてネイサンのすぐ後ろから来ていたレンドルフの姿も消えている。
次の瞬間、彼は自分の真横にネイサン、そして斜め上の天井まで跳躍して体を入れ替え天井に足をついた状態でモップを構えたレンドルフがいた。両脇に挟まれた状態でしかも上下の高さが違う位置を取られた為に、彼の魔法の制御が一瞬混乱したのか殺傷能力を上げる為に硬化した触手の刺が左右に分かれる時にぶつかり合った。
「「うおおおおぉぉぉっ!!」」
レンドルフとネイサンは、同時に雄叫びを上げながら天井と本棚を蹴って中央に挟んだ彼に向かってそれぞれの武器を振り下ろした。
お読みいただきありがとうございます!
評価、ブクマ、いいねありがとうございます!誤字報告助かっております!!
小心者なので書き続けることを第一にする為に感想は閉じておりますが、何かしら反応をいただけるのは本当に励みになっております。ゆっくりした展開ですが、今後も気に留めていただけたら幸いです。