250.残酷な子供と謎の美少女
過去イチ(多分)サイコパスな登場人物がいますので、かなりエゲツない話題が出て来ます。ご注意ください、
行儀悪く執務机に座っているのに、見目の美しさと品の良い所作のせいでそれが当然のように見えてしまう。目の前にいる青年は、何とも抗い難い雰囲気を身に纏っていた。黒髪に淡い青の瞳は、先程出会ったサマル侯爵と同じ色味で、顔立ちも彼の若い頃はこうだったのだろうとすぐに連想出来る。自己紹介されなくても、この青年がサマル家の秘匿された嫡男に間違いないと確信を持った。父の侯爵と違うところと言えば、サマル侯爵が冷ややかな人間の印象であったが、この青年は顔は笑っているのに体温を感じさせない作り物めいた印象を与える。妙な感じではあったが、冷たく見えた侯爵の方が余程人らしさを持っている気がしていた。
「一方的に知っているけれど、会うのは初めてだね、義弟くん。それからそちらは本当に初めましてだね。僕の花嫁」
「…気持ち悪」
不躾なまでに上から下まで眺められて、ユリは思わずボソリと声に出していた。彼の視線はまるでザラついた感触を持っているようで、服の下の肌を直に触れられたかと錯覚してしまいそうな感覚になる。
「ふふ…いいね、その気の強い感じ。僕に従順な娘も良いけど、ちょっと飽きて来たからね。その大きな胸もなかなか魅力的だ。気に入ったよ」
「アンタに気に入られても嬉しくないわよ」
あまりにも直接的な物言いに、ユリは思わず手で自分の胸を隠すようにして睨みつけた。しかし相手は更に楽しげになっている。
「君みたいな気の強い女が、自ら懇願して僕の上で腰を振る様が今から楽しみだよ。ああ、媚薬なんてつまらないものは使わないから安心するといい。ちゃあんと君の意志で君から望むようにしてあげるからさ」
「侯爵家の嫡男にしては随分と下品な男だな。きちんとした教育を受けなかったのか」
「おや、下賎な君達に合わせたつもりだったけどね。どうやらお気に召さなかったらしい」
「ふざけるなっ!」
ネイサンが激昂してとうとう声を荒げた。利き手を失っているとはいってもネイサンも通常よりも遥かに体格の良い騎士だ。対して優美ないかにも貴族令息といった風情の彼の方は、みたところ明らかに分が悪いように見える。しかし全く動じないところを見ると、それに対抗する術を持っているということだ。
「ぅあー」
張り詰めた空気の中、それを破るような声が聞こえた。執務机の上に置かれた籠が微かに揺れて小さな小さな手がチラリと見えた。それが見えた瞬間、ユリもネイサンも思わず息を呑んだ。
ほんの一瞬ではあったが、その手の肌の色は褐色だった。アイルが危惧していた事態が現実になってしまった、とユリもネイサンも顔から血の気が引くのを感じていた。
「ああ、この子?父上はウチの血縁とは認められない役立たずだから処分しろって言ってたけど、僕が実験に使いたいって頼んで取って置いてもらったんだ。折角の女の子だし、ちゃんと言葉を教えて意思の疎通が出来るようになったら寄生蜘蛛を使おうと思ってさ。未成熟の女でもちゃんと寄生するか調べたいからね」
「二次性徴の起こっていない女性には寄生しないと論文が出ていますが」
「君詳しいね。ああ、薬師だっけ。でもあの論文は多く症例から推測したものだろう?実際に試してみないと分からないじゃないか」
寄生蜘蛛は生物の子宮内に卵を産みつけて妊娠したように見せかけて胎内で成長し、宿主の腹を食い破って孵る。寄生された生物に合わせて妊娠期間も変化するので、期間の長い生物を特に好むと言われている。人間もその好まれる生物の一つだ。そして寄生されると母体に何らかの影響を及ぼすらしく、卵を最後まで本能的に守り続け、最終的には孵った蜘蛛達に自分から身を差し出して喜んで餌になるのだ。
目の前のこの青年は、サラリとそんな恐ろしいことを自分の子に行おうとしている。ユリは全身が粟立つような嫌悪感を覚えた。寄生蜘蛛は生物としては脆弱である為、孵化してから繁殖可能になるまでに大半が死んでしまうのであまり広く知られる生物ではない。その為ネイサンはあまりピンと来ていないようだったが、ユリの反応で彼が非道な行いを計画しているのだけは理解した。
「試すって…よくそんなことが…」
「それに、臨床結果があったとしても僕が知りたいんだよ。ちゃんと詳細は書き記すから、君にも読ませてあげる」
「要りません!」
決してそんな無邪気な笑顔で言っていいことではない。出会ってすぐではあるが、ユリは彼が善悪の区別のない決定的な何かが欠けている化物なのだと心底悟った。そしてユリの想像にしか過ぎないが、ネイサンの妻が自死を選んだのももう直系がいないことを周知させて、この男の血を残さないようにしたかったのではないだろうかと思った。ただそんな彼女の思惑を、実の父がそこまで踏みにじるとは思わなかったのかもしれない。
「さて、義弟くんは花嫁の配達ご苦労様。父上のその内戻って来るから、一緒に帰っていよ」
「これ以上貴様の思い通りにはさせん!」
「ネイサン様!駄目です!」
とうとう堪えられなくなったのか、ネイサンは左腕を大きく振ると仕込んだ刃を剥き出しにして、目の前の青年に向かって走り出した。先程増血剤に続いて、ユリの靴に仕込まれている暗器の仕掛けを取り出してネイサンの左腕に装着していたのだ。ネイサンの武器は侯爵の攻撃を受けたあのホールに右腕と一緒に転がっているし、武器になるような物を他に持っていなかった為にユリが貸したのだ。
ユリは余裕綽々な彼の態度を見て、何かを企んでいると感じてネイサンを止めた。しかし、妻の不幸の始まり、死の元凶である男を前に完全に頭に血が上っていた。
ガシャーーン!!!
ネイサンが真っ直ぐに青年の顔に向かって刃を突き出すと同時に、何かが割れる音がして目の前の景色が砕け散った。
「なっ…!?鏡?」
バラバラとネイサンの足元に光る破片が飛び散って、その奥には壁のようになった本棚が覗いていた。
「カハッ…!」
一瞬呆然とした様子で立ち尽くしたネイサンが、急に咳き込んで膝を付いた。ユリも慌てて口元を袖で押さえたが、クラリと足元が覚束なくなってその場に崩れ落ちてしまった。多少意識は鈍くなっているものの、完全に昏倒している訳ではない。ただ体の自由を奪われて、辛うじて視線が動くだけの状態になっていた。ユリは必死に頭を回転させて、この状態になった原因と打開策を巡らせた。
「これは医療用の麻酔薬を幾つか組み合わせたものだよ。意識はハッキリしてるけど体は動かなくなるように調整には苦労したよ」
ゆっくりと靴音を響かせて足音が近付いて来る。うつ伏せに倒れたユリは顔を上げることも出来なかったので姿は見えないが、相手はすぐに分かった。
(だから防毒の装身具が効かなかったのね…)
毒は無効化したり防いだりする装身具ではあるが、薬が効かないと日常的に使用するのは危険を伴うので薬効成分は除外されている。毒性と常用性が強く危険とされているミュジカ科の薬草が薬効成分を含んでいるので完全に除去する装身具が作れないのと同じように、医療用の麻酔薬も除外されてしまったのだ。相手の青年は平然としているのは、これを彼が自身で開発したので、何らかの対抗策を講じているのだろう。
靴先で肩口を押されるようにして、ユリは仰向けに転がされた。視界がグルリと回転して、美しいのに総毛立つ程気味の悪い男がユリの傍らに立って覗き込んでいた。側に寄られることも避けたいのだが、ユリは体が思うように動かずにただ目に力を入れて睨みつけることが精一杯だった。
「やっぱりその目、心を徹底的に折ってあげたくなるね」
彼は楽しげにそう言って、上着のポケットから小さな巾着袋を取り出した。そしてその中から何かを摘み出してユリの視線の上に翳した。ユリがその摘んだものを認識した瞬間に目が大きく見開かれたのを確認して、彼はクスクスと笑う。
「ふふふ…分かったみたいだね?これは吸血茨の種だよ」
吸血茨は傷口から入り込んで体内に根を張る寄生植物だ。血管の中で刺だらけの枝を体全体に伸ばして行き、激しい痛みを伴う為に拷問用に使用される程の恐ろしいものだ。声も出せないユリの喉の奥が、吸い込んだ息で微かにヒュッと音を立てた。
「これを君の胸の先に埋め込もうか。大丈夫、殺しはしないよ。だって君は僕の子を孕んでもらわないといけないみたいだしね。そうだ、片方の胸の中だけに茨が蔓延るように調整しよう。これでも随分実験したから、完全に駆除せず、一定以上は体内で成長しないように調整出来るんだ。君から望んで足を開くまで育ててあげるよ。どれだけ痛みに耐えられるか、楽しみだね」
彼は吐く言葉とは正反対の、まるで邪気のない美しい笑顔を浮かべている。ただ本当に子供が何かを楽しみにしているようにしか見えない。ユリは体中から汗が滲み出すのを感じていた。
彼は「その前に自害防止用の装身具を付けないと」と言って、摘んでいた種を丁寧に袋に戻してポケットにしまい込んだ。そして今度は懐から黒いチョーカー型の革紐を取り出した。それをユリの首に巻き付けようと首筋に触れた。
自害防止用の装身具を装着される前に何か出来ることはないかとユリが全力で考えたが、体が全く動かない。一瞬レンドルフのように舌を噛み切ることも頭をよぎったが、顎に力が入らないのでそれも叶いそうになかった。
(絶対…屈するもんか…!)
たとえどんな目に遭わされたとしても、アスクレティ大公家が、レンザが黙ってはいない。そしてまだあの繭の中に閉じ込められているが、レンドルフが必ず助けに来てくれる。生きていれば必ずここから出られる。レンドルフにした約束を自分が守らなくてどうするのだ、とユリは腹を括った。
「へえ。君は長く楽しめそうだね」
ユリの目がまだ絶望に塗り潰されていないのを見て、彼は感心したような声を上げた。
次の瞬間、大きな爆発音がして目の前が煙のようなものに包まれた。
「なっ…!?」
ユリの視界の端に何か白い塊が走ったかと思ったら、目の前にいた彼が飛び退いたのか視界から消えた。当然触れていた手も離れて、僅かに安堵する。仰向けになっているので目だけを動かしても状況が読めなかった。だが、ユリは埃のような匂いの中に、誰よりも安心出来る香りが混じっているのに気付いていた。
そして体がグッと床から離れたかと思った瞬間、鼻先に押し付けられた布の感覚と共に涙が出る程温かい体温に包まれていた。
「ユリさん、無事?」
(だ、誰っ!?)
ユリを抱きかかえて部屋の外に移動し、壁に凭れ掛からせるようにしてから身体を離して覗き込んで来た人物は、目も眩むような美少女であった。
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サラリと揺れる艶やかな長い髪に、けぶるような長い睫毛は真っ白な頬に影を落としている。シミ一つない陶器のような滑らかな肌に、小さく形のよい鼻、そして淡いピンク色のプルリと柔らかそうで少しだけ薄い唇。身に付けているチョーカー型の装身具でさえ重そうに見えるほどたおやかな細い首筋のラインから、大きめに開いたシャツの胸元の華奢な鎖骨が覗く。薄い体付きであるにもかかわらず、妙な色香が駄々漏れになっている。そしてユリに掛けた声は高く澄んでいて、こんな状況なのに耳に心地好く聞き入ってしまいそうになる。その存在は神の国からやって来た花の精霊か、それとも伝説の美しき幻獣と呼ばれるペガサスが人の形をとったものかと思わずにはいられなかった。
だが、その相手は特徴的な髪色と瞳の色で、そして纏っている香りはユリが間違える筈がない。
「あ…レン、さん…?」
「怪我はない?どこか痛いところは?」
「へ、いき…動け、ない、だけ…」
廊下に連れ出されたおかげなのか、まだ体は自由に動かなかったが少しだけ口は動いた。
目の前にいるどう見ても美少女は、薄紅色の髪と柔らかなヘーゼル色の瞳をしている。その色を持っていてユリのことを知っているのはレンドルフしか知らない。その人物はユリを心配そうに潤んだ目で覗き込むと、そのすんなりと細く美しい指でスルリとユリの頬を撫でた。何故レンドルフがこんな美少女に変貌したのか分からずユリは混乱していたが、それと同時にその優しく触れる手の仕草が間違いなくレンドルフだと心が告げている。ふと視線を下げると、すっかり体も華奢になっているので着ていたシャツがブカブカで、片袖が肩から千切られているのに肩幅がなくなってしまったせいで半袖くらいの長さにまでなっている。サイズが緩くなってしまって仕方なくその辺にあるものを使ったのか、腰にグルグルと巻いた紐のおかげで折れそうに細い腰が強調されていた。レンドルフであるなら美少年と言った方が良いのだろうが、その中性的な体型にも関わらず、匂い立つような艶かしさにどうしても美少女と言いたくなってしまう。
「あの…細くてみっともないから、あんまり見ないで欲しい…」
ユリの視線に気付いて、レンドルフは顔を赤く染めて腕で体を隠す仕草をした。抜けるように白い肌のせいで、顔だけでなく首もほんのりと色づいているのが丸分かりだった。
(いや、それは反則…)
「レンド…ルフ…」
「ネイサン。命は拾えたようだな」
「ああ…その姿…懐かしいな」
「あまり戻りたくはなかったがな。……ユリさんを頼む」
ユリと共に倒れていたネイサンも一緒に連れ出していたようで、彼も廊下に座り込んでいた。体が大きいせいで麻酔の効きが悪かったのか、ユリよりもハッキリと言葉を発している。どうやら美少女化したレンドルフの姿を、ネイサンは知っているらしい。懐かしい、と言うことは、成長期が終わる前のレンドルフはこのような姿だったのだろうとユリは予想する。
以前にレンドルフに、幼い頃は華奢でよく女性に追いかけ回されていたと聞いたことがあったが、申し訳ないと思いつつユリは「これは仕方がない気がする…」とつい納得してしまった。何せ筋肉を脱いだレンドルフは、全身から魔性が駄々漏れている。
レンドルフはネイサンの言葉に少しだけ苦笑しながらその手に棒のようなものを持って立ち上がって、部屋の中に向かって臨戦態勢をとった。