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23.別荘への案内


その日、久しぶりにきちんと糊の利いたシャツを着込み、体に合わせて作られたジャケットを羽織ったレンドルフは、見慣れぬ紋章の付いた馬車に揺られていた。



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先日、ステノス経由でパナケア子爵からもらった手紙に、伝書鳥と呼ばれる魔道具が同封されていた。


これは紙で出来た鳥の形をしたもので、息を吹きかけると本物の鳥のようになって手紙を届けてくれるものだ。手紙の配達はギルドの窓口や配送専門の商会などでも取り扱っているが、指定した相手や場所に直接手紙を送りたい場合などに使用される魔道具で、重要な機密から個人的な恋文など、様々な用途で利用されている。個人に指定しておけば国内外どこにいても本人に手紙を届けることが出来るので、長距離を移動する商人や冒険者なども自分を指定した物を家族などに渡していることも多い。自分の自宅を知られたくない女性などにもよく利用されているそうだ。

手紙には、旧友であるユリの祖父から依頼を受けての別荘貸与の快諾と、高齢故に領地から出られないので執事に全権を委任してあるという旨が綴られていた。そして信頼できる相手からの依頼なので、レンドルフの来歴については特に詳細を問わないとも書かれていた。

現在執事は別荘とは違う場所にいるので、伝書鳥で執事と連絡を取って、直接顔を合わせて別荘の詳しい説明を聞いて欲しいとのことだった。


レンドルフはまず別荘の使用許可への礼と、念の為、討伐開始まであまり期間がないが時間が取れるかどうかの確認などをしたためて封筒に入れた。そしてそこに自分を指定した返信用の伝書鳥も同封する。


自室の窓を開けてから、フウッと伝書鳥に息を吹きかける。すると紙の鳥は本物の鳥そっくりになると、レンドルフの手にした封筒をくわえてすぐに飛び立った。

それを見送って、レンドルフは窓を閉めた。どういった仕組みなのかは分からないが、受け取る時は窓が閉まっていても隙間から入って来るのだ。そしてどんなに悪天候でも伝書鳥がくわえている間は濡れたり破損したりしない。


手紙を送った後は、机の上に置いた貴族名鑑を開いてパナケア子爵について調べることにした。さすがにこれから世話になる相手のことを全く知らないのでは失礼に当たるので、慌ててレンドルフは屋敷内の図書室から貴族名鑑を引っ張り出して来たのだった。



伝書鳥を飛ばしたのは日が沈んでからだったので、返事が来るのは翌日だと思ってたのだが、30分もしないうちに新たな手紙が届けられた。伝書鳥から封筒を受け取りながら、レンドルフはもしかしたら執事は王都にいるのかもしれないと思った。


中を確認すると、最初にもらった手紙と同じ流麗な手蹟で、明日指定の場所まで馬車を迎えに行かせるので来て欲しいと書かれていた。急な申し出に対する詫びと、もしレンドルフの都合が悪ければそこまで誰か使いを寄越してもらたいと続き、最後には先に必要な荷物などを配送しても構わないとパナケア子爵の別荘の住所が記されて終わっていた。返信は望んでいないのか、伝書鳥は同封されていない。


最初の手紙よりもっと上質な便箋をランプに翳すと、見慣れない紋章が浮かび上がった。これがパナケア子爵の紋章なのだろう。

レンドルフは記憶にある限りその紋章を思い出そうとしてみたが、残念ながら該当するものを思い出せなかった。近衛騎士だった職務柄、国内だけでなく外国の王族や高位貴族の紋章は叩き込まれているが、下位貴族なると殆ど覚えていない。

しかし、寄親のいる貴族は自家の紋章の端に、寄親の紋章の意匠の一部を使うことがある。レンドルフは目を眇めて長い間その便箋の透かし紋様を眺めていたが、ようやく該当の高位貴族を思い出した。


「アスクレティ…大公…?」


予想以上の大物の存在に、レンドルフは大慌てで執事を呼んで明日の支度を整えるように頼んだのだった。



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こうして翌日、レンドルフは待ち合わせ場所に来た馬車に揺られて、パナケア子爵の別荘に向かっていたのだった。



途中まではいつもエイスの街に向かう道と同じだったが、途中で少し方向が変わる。窓の外を流れる景色に目をやると、整った木々が増えて来ていた。この辺りは貴族の別荘が多いため、途中の街道も手入れがされているようだった。


馬車に揺られながら、レンドルフは少々緊張していた。第一ボタンまで止めた襟元を思わず緩めそうになったが、その下にあるチョーカーに付いた魔石に指が触れて思い留まる。するりと指を離すと、乱れてもいない髪を整えるようにこめかみの辺りに滑らせた。

今日のレンドルフの髪型は、服装に合わせてきちんと撫で付けて前髪を上げている。ユリがどこまでレンドルフのことを伝えているかは分からないので、一応変装の魔道具で髪色を変えた状態で来ていた。しかし、もしすぐに解除が必要になった場合に備えて、いつもは足首に装着しているものを手首に変更している。


迎えに来た馬車は、そこまで大きくはなくシンプルな外装で、便箋の透かしにあった紋章と同じものが付いていた。下位貴族にはよくあるタイプの馬車だと思った。が、乗り込んでみたレンドルフは、随分と内装に手を掛けていることが分かり驚いていた。少なくとも座面のクッションは、クロヴァス家で最も格式がある馬車のものに引けを取らない。そして意外なほど揺れも柔らかく、車輪や馬車の構造も外見からは想像もつかないほど良い部品が使用されていることが分かった。


(やはり寄親の大公家が関わっているのだろうか…)



昨夜慌てて調べたパナケア子爵は、それなりに歴史はあってもこれといって目立つところもなかったが、アスクレティ領に隣接していることが縁で過去に直系の娘が嫁いでいた。それからは寄親にアスクレティ大公家がついているものの、そこまでの力はないようだった。現在は、手紙にあったように高齢な領主夫妻が領地で静かに過ごしていると分かった。

それだけでは明らかに知識が不足していたので、執事の提案を受けて、急ぎ母親の実家にあたるデュライ伯爵家に伝書鳥を使って連絡を取った。伯父が当主を務めていて、学園入学の為初めて辺境領から王都に出て来たレンドルフに、中央の貴族社会や社交界に付いての常識を教えてくれていた。貴族のことを尋ねるには最適な人物であった。


ちょうどタイミングが良かったのか、伯父はすぐに返答をくれ、貴族名鑑には載っていないパナケア子爵について教えてくれた。


パナケア子爵は後継がおらず、今の当主が亡くなると国に爵位を返上すると決まっていること。夫人が足を悪くしてからは夫妻揃って領地から出ていないこと。そして実質の領地経営は、寄親に当たるアスクレティ大公家の縁戚が担っていることなどを聞いた。


他にも、若い頃は旅行が好きで夫妻であちこちに出掛けていたようだが、夫人が思うように動けなくなってからどこにも行くことはなく、慰めに各地の風景画を収集していると教えてもらった。そして伯父から、最近開発された魔道具「写真機」で風景や人物などをそのまま切り取ったように紙に写し取れる「写真」を使った画集ならぬ「写真集」が発売されたばかりなので、手土産に持参してはどうか、とアドバイスまで貰っていた。


レンドルフはありがたくアドバイスを受けて、書店の開店に合わせて使用人に「写真集」を買いに行ってもらい、どうにか手土産の体裁を整えたのだった。


(確かユリさんがアスクレティ領出身って言ってたし、おそらくユリさんのおじい様もその繋がりかな…)


寄子が困難な事態になっていたら、寄親が手を貸すことはよくある。ましてや領地が隣接している。パナケア子爵夫人が足を悪くしていたと聞けば、腕のいい薬師などを紹介することもあるかもしれない。



ずっと領地で暮らしているような子爵家が所有しているとは思えない仕様の馬車に揺られながら、レンドルフはこの話の後ろには雲の上の存在であるアスクレティ大公家が間違いなく絡んでいるだろうと察して、いつになく緊張を募らせていたのだった。



念の為寄親のアスクレティ大公家にも礼の品を持参した方がいいかと伯父に尋ねたが、かの大公家は非常に特殊な立場の家門であり、貴族的な常識はあまり通用しないし望まない家風なので、下手に気を回すと却って不興を買いかねないと返答があった。落ち着かないかもしれないが、あくまでもパナケア子爵とのやり取りで大公家が名を出していないのならば、向こうから望みを言って来ない限りは何もしない方がいい、とアドバイスを貰っていた。


貴族社会に詳しい伯父に言われても、やはりレンドルフは落ち着かない心地だった。



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「到着しました」


馬車が減速して完全に止まると、馭者が扉を開けてくれた。


緊張した面持ちでレンドルフが馬車から降りると、目の前に一軒の屋敷があった。三階建ての屋敷で、貴族の別荘と言うには少々小さいのかもしれないが、やはり裕福な平民の家よりは大きい。白い壁も真新しいものではなく全体的に経年を感じさせたが、それが却って落ち着いた風合いの建物に思えた。



そこまで豪奢な造りでなかったことに、レンドルフは安堵していた。


「ご足労いただきありがとうございます。わたくし、執事を務めておりますアレクサンダーと申します」

「この度はありがとうございます。……レン、と申します。その…家名の方は…」

「委細承知しております。どうぞ、中へお入りください」


玄関先に、既に初老の執事らしき人物が立っていた。アレクサンダーと名乗った彼は、元は黒髪だったのだろうが年齢のせいか半分ほど白いものが混じっていて、遠目にはグレーの髪に見えた。それほど大柄ではないが、スラリと伸びた姿勢や身のこなしで、どうにも年齢不詳な印象を受ける。



アレクサンダーの案内で中に入ると、男女三名ずつの使用人が並んで頭を下げていた。この別荘は社交を楽しむのではなくただゆっくり休暇を過ごす目的で作られた建物であるのか、エントランスもそこまで広くはなかった。吹き抜けのエントランスの上にシャンデリアが下がってはいるものの、それほど大きくはなく、詳しくないレンドルフでも少々古めかしい造りであることは分かった。内装も落ち着いた造りで、最近流行の色の濃い壁紙ではなく目に優しいペールグリーンを基調にしたもので、カーテンも調度品も落ち着いた緑色をどこかに取り入れている。各所を飾る金色の金具も、歴史を感じさせる飴色の静かな輝きではあるが、きちんと手入れがされていた。


初めて訪問した屋敷にも関わらず、どこか懐かしいようなホッとした感覚になり、レンドルフはほんの少し緊張が解けたような気がした。


応接室に通され、紅茶が供されて少し落ち居着いたところで、お互い改めて挨拶を交わす。通常であれば執事は座らないものであるが、今回は説明をしてもらう立場ということで、レンドルフは向かいに座ってもらうように頼んだ。


「わたくしは通常、中央の屋敷を管理しておりまして、あまりこちらには来ておりませんでした。急ぎ整えさせましたが、何か足りないものがございましたら、何なりとお申し付けください」

「いえ、こちらこそ急な申し出を受けてくださり感謝します。ええと…その、話は伝わっているかと思いますが、私は定期討伐に参加する予定ですので、眠ることと身を清めることさえ出来れば十分です。使用人は二名ほど付けてもらえれば問題ないかと思うのですが」

「身の回りのことやお食事などはいかがなさるおつもりでしょうか」

「自分のことは一通りこなせますし、食事は外で済ませるつもりでいます。ただ討伐からの帰宅となると庭や玄関先を汚してしまうこともあるでしょうし、休みの日以外は掃除に手が回らないので、そちらをお願いできればと思います。それと、スレイプニルを連れて来ますので、餌の準備をしてもらえる者を」


レンドルフの申し出に、アレクサンダーは一瞬キョトンとした表情になったが、すぐに柔らかい笑顔になった。


「あの…失礼なこととは存じますが…」

「はい、何でしょうか」

「レン様は貴族の方と伺っておりましたが…その…」

「生まれは王都から遠い辺鄙な場所ですから、あまり貴族らしいことは得意ではないのです。ですので、アレクサンダーさんも差し支えなければ楽に接してもらえるとありがたいです」

「ありがとうございます。それではレン様もご自分の屋敷と思って、もっと気を楽にしてください」

「ありがとう」


レンドルフは、心底ホッとしたように笑顔になった。



騎士として務めている時はきちんと貴族的な対応も出来るのだが、そうでない場面ではどうしていいか分からなくて戸惑うことが多い。特に、年齢は上だが爵位が下の貴族とのやり取りを最も苦手としていた。レンドルフも、自分の方が身分が上ならばそれ相応の態度を取らねば却って失礼なのも分かってはいるのだが、自身の無駄に大きな体が必要以上に尊大に見せてしまうこともあって、距離感の見極めが難しいのだ。



「では、さっそくお願いが」

「はい」


アレクサンダーが、先程よりは少し砕けた様子で口を開いた。さすがに「気を楽に」と言われても、執事という立場上ある程度の丁寧さを外すことは出来ないのだろう。


「先程の使用人達は、やはりこちらに置いていただきたいのです。実は彼らは領地から急遽こちらに来たばかりのまだ経験の浅い新人でして、至らないところも多いと思いますが、訓練の一環と思ってお世話を任せてはいただけませんか?」

「それは…いいのでしょうか?」

「それはこちらが申し上げることですよ、レン様。もしあまりにも目に余るようでしたら、どんどん指摘して鍛えてくださって構いません」

「鍛える……その、俺で良ければ」

「よろしくお願いします」


アレクサンダーは、にこやかでありながら圧の強い笑顔でレンドルフの戸惑いをそのまま押し切ったのだった。

奇妙な提案であったが、それでこの別荘を借りる礼の一部にでもなればと、レンドルフは自分自身を納得させた。



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その後、レンドルフはアレクサンダーに屋敷の中を案内してもらった。どの部屋もきちんと掃除が行き届いていて、長らく使用していなかったようには見えなかった。レンドルフが使う予定として準備されていた主寝室のベッドは非常に広く、寝返りで二度くらい転がっても落ちそうにない幅だったのでひとまず安心する。


ここの主人は緑色を好んでいたのか、主寝室も落ち着いた深緑のカーテンが使われている。部屋の窓際に置かれた机の上には、透き通るような青い色の花が生けられていて、爽やかな香りが漂っていた。


最後に庭に出て来た際に、以前にあった厩舎は老朽化して取り壊してしまったので、連れて来るスレイプニルは隣の敷地にある厩舎を利用して欲しいと告げられた。そしてそちらの屋敷の厩番が、まとめて世話を請け負ってくれるとも説明される。


「隣はどちらのお屋敷でしょうか」

「アクスレティ大公様の別邸になります」

「それは…」

「もう許可はいただいています。パナケア子爵家の寄親にあたるご縁がございますので、遠慮なく使って欲しいと言われております。この厩舎へ続く裏手の出入口の利用が出来ますので、レン様の出入りもここからの方が便利ですよ」

「ああ、確かにそのようですね」


正規の別荘の入口より、案内された厩舎を経由した方が確かに近かった。ノルドに乗ってエイスの街を行き来するならその方が便利だろう。馬車を利用したり、格式に拘らないレンドルフは、アレクサンダーの言葉通り裏手の方から出入りさせて貰うことにした。


「大公様の別邸には今どなたかが?」

「縁戚のご令嬢が療養の為に訪れています。誤解を招くといけませんので、あまり近付くのはおすすめしません」

「気を付けますね」


敷地を分ける場所に背の高い植え込みと木が生えているので、それこそわざと侵入しようと思うのでなければ間違ってあちら側に行くことはないだろう。レンドルフの身長では植え込みの上から向う側が見えてしまうが、基本的にここで過ごすのは夜だけなので問題はなさそうだった。討伐が休みの日は、あまり近寄らないようにするか、クロヴァス家の方に戻ってもいいかもしれない、とレンドルフは考えていた。



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アスクレティ家別邸の中にある調薬室で、ここの主であるユリは粉砕の魔道具で乾燥させた薬草を細かくする作業に没頭していた。もうすぐ始まる定期討伐に向けて出来る限り準備をしておきたかった為に、朝から調薬室に籠っていたのだ。


「さすがに飽きて来た…ちょっと息抜きに『コンブ』粉砕しよう…」


やっていることはほぼ同じなのだが、ユリの中では息抜きに該当するらしい。一旦周辺の粉砕した薬草粉を片付けて、棚の中から同じような魔道具を取り出す。その魔道具を入れている箱には直接「食物用」と書いてある。


円筒形の容れ物の底に、魔石で回転する刃が付いていて、それを回すことで容れ物の中の物を細かくする魔道具だ。


ユリは袋の中から乾燥した黒くて薄い物体を適当な大きさにパリパリと割り砕いて魔道具の中に入れる。この黒いものは乾燥させた海藻で、以前レンドルフにも渡したスープの素だ。


飛び散らないように容れ物の蓋を手で押さえながら、回転のスイッチを入れる。最初はバリバリと派手な音がするが、しばらくすると細かい粉になるので音も静かになって行く。そうなったら魔石を停止させて中の粉をそっと別容器に移す。それを何度か繰り返し、大きめの容器の中が粉で一杯になるまで続けられた。


「今度は干しキノコも試してみようかなあ」


そんなことを呟きながら何気なく窓の外に目をやると、離れの庭の辺りに動く人影があった。


「あれ?レンさん?もしかしてもう来たの?」


目に身体強化魔法を掛けて眺めると、確かにレンドルフがいた。


「わあ…何かいつもと違う…前髪上げてるのって新鮮…」


普段は柔らかい髪質のままフワリと前髪を下ろしているレンドルフだが、今日は身なりに合わせているのか前髪を上げて固めている。それでも顔立ち自体は優しげなのだが、多少年齢が上がったように見える。


「やっぱりああいうジャケットは胸板で着るものよねえ…しかもサイズもぴったりだし…いいわぁ…」


今までラフな平民風な服しか見ていなかったユリは、レンドルフの貴族風な出で立ちをうっとりしながら眺めていた。レンドルフも貴族であるし、服は基本的にオーダーメイドなのでぴったりなのは当然なのだが、貴族の中には体格を良く見せようと大きめのサイズで作って詰め物をする者もそれなりにいたりする。却ってその方が本体の貧相さを強調してしまっているのだが、なかなか本人には言い出しにくい悪循環が発生していた。


「んー、あれだと植え込みがレンさんにはあんまり目隠しになってない…休みの日に薬草園の手入れは当分難しいな…」


植え込みの側には、実験用の薬草園を作っている。土壌や水質を変えて成長を比較している場所で、それほど大規模ではない。一応薬草の手入れも出来る庭師もいるのでユリがいない時は任せているが、今度の討伐では休みの日が同じになるレンドルフと鉢合わせする可能性があるだろう。


「あの人がおじい様の手配した……って、おじい様っっ!?」


レンドルフの側を歩いていた人物は、最初は植え込みの陰になっていて見えなかったが、その陰から出て来たので何気なく目を向けると、その姿は紛れもなくユリの祖父レンザ当人だった。

驚きのあまり思わず叫んでしまったユリだったが、そのタイミングでレンザがユリのいる調薬室の窓の方に向かって軽くウインクをして来た。本来ならば絶対聞こえない筈の距離であるが、彼はユリがいつ気付くのか期待して意識を向けていたのだろう。


「何やってるのよ、おじい様…」


わざわざ執事の服まで用意して、レンザはレンドルフを連れて庭を案内していた。確かユリの記憶ではレンザと体型の似た執事はいなかった筈なので、今日の為にわざわざ作ったのだろう。その楽しげな様子に、ユリは思わず頭を抱えてしまったのだった。



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「それでは明日からよろしくお願いします」

「畏まりました。わたくしはたまにしか来られませんが、何かありましたらこのキャシーに申し付け下さい」



討伐の始まる一日前になるが、多少は慣れておいた方がいいだろうと明日からレンドルフはこちらの別荘で過ごすことになった。


アレクサンダーに紹介されたのは、使用人の中で一番年上に見える女性だった。キャシーと呼ばれた彼女は、赤みの強い茶髪をキリリと纏めて、少々きつめに見えるがなかなか整った顔をしている。アレクサンダーは新人と言っていたが、彼女はベテランのメイド長と言われても納得してしまうような雰囲気を持っていた。


「15年ほど前に我が家に務めていたのですが、一度婚家の都合で退職致しました。子供も成人したのであらためて働きたいと今回申し出て来たのです」

「レン様、よろしくお願い致します」

「こちらこそ、しばらく世話になります」


久しぶりの屋敷勤めのようだが、全くの新人ではないことを聞いてレンドルフは安心していた。

アレクサンダーに鍛えて欲しいと言われて思わず返事をしてしまったが、レンドルフの知る使用人はクロヴァス家や親戚の家の者くらいであったし、実家でも使用人の教育に関する権限は全て母親が握っていた。後継教育の中にそういった項目もあるが、レンドルフはごく一般的な概要くらいしか教わっていない。自家の使用人ですら怪しいのに、ましてや他家の使用人に対してどこまで何を指摘していいのか全く分からなかったのだ。


「レン様は、お食事のご希望や習慣にしていることはございますか?」

「特に好き嫌いはないけれど…その、量を多くしてもらえたら…」

「畏まりました」

「あとは、討伐に向かう時間にもよるけれど、基本的に朝は鍛錬を行います。ただ、それに合わせる必要はないので、あまり気にしないで下さい」

「はい」


他に幾つか簡単に要望を伝え、本日はそれで終了となった。



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「やあ、ユリ。似合うかな?」

「おじい様〜」


レンドルフを行きに待ち合わせた場所まで送る馬車を見送ってから、アレクサンダーという執事を名乗っていたレンザは、そのままの格好で隣の大公家別邸に戻った。


迎えに出たユリに向かって、悪戯っぽい笑みを浮かべながらレンザは両手を広げてみせた。その様子に、ユリは呆れたように半目でレンザを睨んでいる。しかしレンザにとってみれば、可愛い孫娘の睨みなど、せいぜい仔猫が精一杯頑張って威嚇しているようにしか見えないので、全く効果はない。


「ユリの話を聞いていたら、ついレンドルフくんに会ってみたくなってね。いやあ、立派な体格の青年だねえ」

「…おじい様ばっかり、いつもと違うレンさんを側で見て」

「私だけじゃないよ。キャシー達もいただろう」

「そう言うことじゃないです!」


完全にむくれた顔になって、ユリはプイ、と横を向いた。その子供っぽい様子を見て、レンザは少しだけ眉を下げたものの蕩けるような笑顔になって、ユリに跪くようにして包みを差し出した。


「これでお姫様は機嫌を直してくれるかな?」

「…何ですか、これ?」

「あの青年からの手土産だよ」

「でも、私にではないでしょう?」


レンドルフはパナケア子爵の別荘だと思っているので、これはパナケア子爵に渡した方がいいのではないかとユリは思ったが、ついその包みを受け取ってしまった。少し重めの包みで、ユリからすると一抱えはありそうだった。


「パナケア子爵には私から同じものを送っておこう。後で何だったか教えておくれ」

「……はい」


ユリはその包みを胸に抱きかかえて、コクリと頷いた。


「それと、これも渡して置こう。離れの使用料だそうだよ」

「これ…そんなつもりじゃなかったのに…」


続いて革袋をレンザから手渡されて、その重みにユリの顔色が変わった。持っていた包みを腕と胸で挟み込むようにして、両手で袋の口を開けて中を覗き込んだ。この国の硬貨の中では一番高額な大金貨が五枚入っている。平民向けの一軒家ならば、大体半年くらいは借りられるくらいの金額だ。


「大金貨…」

「まあ、貴族の別荘をひと月借りることを考えたら妥当な金額ではないかな。よく食べるようだしね」

「却って、悪いことをしたんでしょうか…」

「そうかな?彼に万全な状態で魔獣討伐に臨んでもらうには必要なことだろう。それに、あの性格ではただ甘えるだけでは心苦しいと思うだろうからね。気兼ねなく使ってもらう為に受け取っておいたよ。もしユリが悪いと思うなら、他のことで彼に返してあげなさい」

「そうします」


ユリはそう呟いて、もう一度包みをギュッと抱き締めた。



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レンザは、レンドルフと直接会話をしてみて、彼の貴族としての危うさを感じていた。


あの無骨な父親の血を良くも悪くも引いているのか、素直すぎるきらいがある。あの性格を見事に見抜いて、即断で近衛騎士団に配属した総括騎士団長の判断は称賛に値すると思うしかなかった。近衛騎士という身分は、王族を守る楯でありながら、同時に彼自身を守ることにもなっていた。

騎士としては間違いなく優秀ではあるが、貴族としてはこの王都では生きにくいだろう。しかしああして直接彼と顔を合わせてしまうと、不思議とどうにかしてやりたくなる気持ちにさせられるのもまた魅力なのかもしれない、とレンザは考えていた。

レンドルフが持参した手土産を大切そうに抱えるユリを見ながら、彼女もまたその魅力に取り憑かれているのだろうな、と思うと、レンザとしては納得しつつも少々腹立たしいような複雑な気持ちにさせられたのだった。


その感情は、レンドルフを前には絶対に辿り着かないであろう()()()というものに近いのだが、レンザであってもそのことには全く気が付かないのであった。



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後日、レンザが同じ写真集をパナケア子爵家に送り、それに感動した本当のパナケア子爵から熱烈な礼状がレンドルフの元に届いた。そんなに良かったのなら、と興味が湧いてレンドルフは自分用に購入後、彼自身もあまりにも感動してしまったので更に追加購入し、ユリに贈ったのだった。


そういった経緯でユリの自室の本棚には、同じ写真集が宝物として二冊並ぶことになったのだった。




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