247.騎士道の敗北
戦闘、怪我、流血表現があります。ご注意ください。
全員に即却下されて、レンドルフはちょっとだけ凹んだ。その様子を見て、他の全員は「何故行けると思った?」と内心突っ込みを入れずにはいられなかったが、気の毒になったので追撃はしないで黙ることにした。
結局、ユリから申し出て、彼女が気を失ったフリをしてネイサン達が侯爵を呼び出して、受け渡す隙に塔の中に入って捕縛するという作戦に決まった。最後までレンドルフは反対の様子だったが、その取り引きの場にレンドルフは隠遁魔法で姿を隠して同行することにしたのでギリギリ許容したのだ。
サマル侯爵は騎士団を辞する前は部隊長を務めていた。多少は身分などの忖度はあっただろうが、実力がない者には任せられない役職だ。ネイサンの話では侯爵は剣も魔法もバランス良く使うタイプで、どちらも突出はしていないが総合力はネイサンでも侮れないと言っていた。魔法に長けていると隠遁魔法では気配を読まれてしまう可能性はあるが、大柄なネイサンの陰に隠れるようにして近付けばレンドルフの間合いに持ち込めるだろう。
「この魔力遮断の魔道具が外れれば私も戦力になれるんだけど」
「これは時間が来ないと絶対に外れないようになっててな…申し訳ないが、ユリ嬢は大人しくしていただけると」
「侯爵の捕縛よりもユリさんの安全が最優先だからな」
「分かってる」
ネイサンは牢から出されて、アイルは拘束を解かれた。その場には通常の回復薬しかなかったので、ネイサンの膝の怪我は重く、アイルの加護で効能を上乗せはしたが完全回復は出来なかった。レンドルフは先程の媚薬の解毒薬は入手したが、首に巻いている特別な装身具で解毒した上に重ねて飲んでもいいのかはこの場では未知数だったので、ユリの判断から装身具を外して投与するのは避けることにした。毒のない状態で解毒薬を飲んでも害のないものもあるが、違法な薬ではどんな影響があるかは分からない。レンドルフも怪我は完全に回復はしていないが、それでもこの中では最大戦力だ。下手に試して大幅に戦力を削ぐ方が危険だと判断した。
「ユリ嬢、どこか痛む場所などはないだろうか」
「大丈夫です」
すぐに解けるようにユリの手足を縛り、麻布で包むようにした。相手も元騎士の為、結び目を見ればわざと簡単に外れるようになっていることはすぐに分かってしまうので、目隠しの為でもあった。ユリの準備が済むと、ネイサンが丁寧な扱いでユリを横抱きにした。一瞬だけ背後から殺気が飛んで来たような気がしたが、それは敢えて気付かなかったフリをする。
「この地下から繋がった通路を抜けて、あいつの根城の塔の入口に出る。入口は地下にあるから、一見外から見ると出入口が塗り籠められた幽閉用の建物に見えるが、この別邸の屋敷とは何カ所も隠し通路が張り巡らされていたそうだ。ただ、今は老朽化して使えるのは二カ所だとは聞いている」
「どちらもサマル家の者だけが?」
「ああ。とは言っても、俺達には地下の出入口しか教えられていないが」
「外に出る場合はどうするんだ」
「血縁の者が一緒なら出られる。最悪侯爵とあの男を殺しても、シーブル嬢がいればどうにかなる」
「分かった。それならあまり別行動をするのは得策ではないな」
レンドルフは隠遁魔法を発動して、ネイサンの後ろにつく。発動するところを見られているので、同行する彼らからはレンドルフの姿が見えているが、いない体裁の為に視線を寄越さないように地下道を移動を開始したのだった。
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「収穫無しかよ…手間掛けさせやがって」
「まあ、こんな普通のお屋敷に攫って来たお嬢様を隠すのはあんまりないですよね。大抵は地下室とか隠し部屋に閉じ込めますよね〜」
「んなこた分かってるよ。しっかし、そういうのがここにはねぇんだよな」
別邸に潜入した影達と手分けをして屋敷中を探したが、ユリの姿はおろか手掛かりになりそうなものすら見つからなかった。ユリも色々と護身術は心得ているとは言え、同程度の実力の男性を相手にすれば元の力量や体格差でまず敵わない。そうなったとしても、即殺されたりしない限り必ず優秀な大公家の影が来ると分かっているので、何らかの手掛かりを残す筈だ。しかし別邸の中にはその手掛かりすら見当たらなかった。
「あの敷地内の遺跡の塔に行った者からは?」
「四つのうち一番デカイのは入れなかったらしいが、一つに争った痕跡があったそうだな。ただ、そこにもお嬢様どころか誰もいなかった」
「ふーん、男性のものと見られる大量の血痕…ねえ」
探索に行った者が簡単に書き記した報告書を手渡されて、カナメはサッと目を通した。一つの塔の最上階に激しく争った真新しい跡があったようだが、あちこちが崩れて危険だった為に内部は詳しく調査出来なかったようだ。ただ、室内には床だけでなく壁にも天井にもすぐに血と分かる程度に新しい染みが飛び散って、凄惨な有様だったそうだ。
一瞬カナメは、先行してユリを探しに来て乗り込んでいるレンドルフの姿が思い浮かんだ。直接顔を合わせたことはないが、陰ながらユリの護衛に付くこともあったので遠目から何度も見ている。いくら密かに動いているとはいっても、あれだけ目立つ容貌の巨漢が全く目に付かないのは少々不安を覚えたが、死体を見た訳ではない。最悪の予感をカナメは慌てて頭から追い出した。
「お頭、多分地下、ありますよ」
「お前…背後から話かけんの止めろって言っただろうが!お前の顔色と骸骨みてぇなツラが視界の端に映ると、アンデットと間違えてぶった切りそうになるんだよ。あとその『お頭』も止めろ」
「すいやせん」
ステノスがカナメと一旦外に出て物陰に潜んで小声で今後の作戦を話していると、不意にステノスの背後から不健康なまでに痩せた顔色の悪い男性がヌッと現れた。ステノスが苦情を言うのも無理はない程頬が痩けていて、目の下の隈も真っ黒に染み付いている。暗がりでいきなり遭遇したら大抵の人間は叫ぶのは間違いないという風貌だ。
「ジャック、どういうことだい」
「へえ、姐さん。このお屋敷は外観と内装が激しくズレてておりましてですね。柱とかの感じからすると、地下がないとおかしいくらいの配置でさあ。まあ貴族のお屋敷には緊急の脱出通路とかそういうのが多いんですけど、ここはビックリするくらい無駄に作られてますぜ」
「隠し通路とか、ってことかい?」
「そうです。ほぼ全部の部屋にありやす。でもそいつは何故か外に繋がってません」
彼はかつて別の貴族の元で諜報員兼護衛をしていたのだが、その貴族が取り潰しの憂き目にあった際に、その件に関わっていたステノスに何故か心酔してそのまま大公家の諜報員に転職していたのだ。彼は一体どこで身に付けたのか分からないが大変器用で、魔道具の改造や暗器などの特殊な武器製作などをこなせたので、今や大公家の影を支える立派な一員だ。以前はもっと普通の言葉遣いだったのだが、ステノスのミズホ国風の言い回しを真似していたら妙な形に進化してそのまま定着してしまった。
最初は余りにも痩せ細った風貌から、余程待遇が悪かったのだろうとステノスは同情して世話を焼いていたのだが、いくら食べても不健康に見える体質ということが分かってからステノスからの扱いは適当になった。しかし適当に扱われれば扱われるほどステノスに懐くので、被虐趣味なのではないかと仲間内で囁かれている。因みにカナメにも心酔していて、カナメは任務に影響のない程度に自分の仕事を押し付けて下僕扱いをしている。
「何でそんなものを。覗き趣味かなんかのヤツがいたのかね」
「多分そうでしょうね。一応見て回りましたが、ほぼ人の使ってなさそうな部屋のとこは十年単位くらいに埃が積もってましたけど、使用人の居住区なんかは毎日覗いてるみたいに綺麗なもんでした」
「うえ…」
ジャックの報告に、カナメは顔を顰めた。どうやら彼は道具だけでなく建築に関しても造形が深いらしく、探りながら書き留めたのか簡易版ではあるが別邸の見取り図と、隠し通路の場所の一覧を広げてステノスに差し出した。見やすいように隠し通路には赤いラインが引いてあるのだが、ほぼ屋敷中が真っ赤になるほど細かく張り巡らされていた。
「あと、こいつを一つ拝借して来たんでさ」
「これは…お前、バレたらヤバいだろうが」
「そこは抜かりはありやせん、お頭」
ジャックが懐から続いて取り出したのは、屋敷内に大量に設置されていた消音の魔道具だった。こういった屋敷に設置されている魔道具は、どこかで管理をしていて盗難が起こった際に通報されることが多いのだ。だからこそステノス達は邪魔だと思いつつも苦労しながら触れないように邸内を探っていたのだ。
「こいつは有線で一括管理のヤツだったんで、繋がってる線を劣化した風に見せかけて切断して、そこいらのガラクタをちょちょいと集めてそれっぽい残骸を置いて来やした。それで分解してみたら、面白い仕掛けが見つかりました」
「面白い仕掛け?今そんなの関係ねぇだろ…」
「すいやせん。じゃあ、あっしはこれから地下の方を…」
「その面白い仕掛けってなんなのさ」
「おいカナメ…」
「何か聞いた方がいいと思ったんですよ。女の勘です」
そう言われてしまうと、女ではないステノスは頭から反対し辛い。仕方なくジャックに「手短に話せ」と促す。
「この魔道具はですね、確かに生活音とかを消すんですけど、代わりに微弱な音を流してます。実際聞いてないので予測ですが、微妙に不快にさせる音と何となく心地好い音を、不規則に交互に流してると思うんでさあ」
「それは聞こえるのか?」
「どうでしょうね〜そもそも小さい音なんで、人によると思いやす。子供が聞こえることは多いですが、ここにはおりやせんし。で、更に面白いのはここからで。部屋にいる人間が一定以上一人きりだと判断すると、人の声を流すように作られているんですよ」
周囲に誰もいないのを確認してから、音量を絞ってジャックが再生させた。その声は男性とも女性ともつかないような声で「ねえ」「ちょっと」などと短く呼びかけるようなものだったり、「どこにいるの?」「こっちに来ない?」と問いかけて来るようなものなど、ジャック曰く、100種類近くあるそうだ。
「…これ、一人の時に不意に聞かされるんでしょう?そんなの繰り返されたら自分の気が狂ったかと思うわ」
「ですよね〜、姐さんでもそう思いますよね〜」
「悪戯にしちゃシャレになんねぇな。嫌がらせ、っつーか、拷問?」
聞こえない程度に鳴り続ける不快と快楽の音に、不意に誰もいないところから話しかけられる幻聴のような声。何も知らないまま長らく過ごせば、少しずつ削られてまともな精神が疲弊して行くだろう。
「どうにも嫌な場所だぜ。ジャック、とっとと地下に潜るルートを探って来い」
「承知」
ステノスの言葉に、ジャックが音も無く影に溶けるように消えて行った。
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地下道の突き当たりに来ると、ネイサンは壁の煉瓦の一つに手を掛けた。少し力を入れるとその部分だけが奥に吸い込まれるように引っ込んで行く。この煉瓦は周囲と比べると少し色が濃い。慣れて来るとすぐに見分けが付くが、最初の頃はなかなか分からなくて、何度も周辺の煉瓦を無駄に押していた。
完全に奥に押し込むと、上から紐が数本降りて来る。その紐を色の濃いものの順に引くと、その脇にある壁がぽっかりと人が通れる程度に消えた。どういった仕組みかは分からないが、この塔を作った者の開発した仕掛けのようで、この国の建国以前からある遺物なのにきちんと稼動していた古代装置の一種らしい。過去にここに来た研究者によると、魔力や魔石を利用した魔道具ではなく、完全なからくり仕掛けらしいのだが、複雑過ぎて分解しても元に戻せないので手が出せなかったと聞いていた。
「義父上、急なお呼出をしまして申し訳ありません」
「構わん。我がサマル家の大事だ」
ネイサンが入口をくぐると、塔の中のエントランスホールのような場所に出た。天井のシャンデリア以外は特に何も置いていないが、壁の装飾が非常に美しく荘厳な宮殿のようにも思える。入口は今入って来たところのみで、その反対側に重厚な扉が見えるが、これはサマル家の血を引く者だけが開けることの出来る魔道具が設置されている。
このホールの中央に、背の高い壮年の男性が待っていた。ネイサンと同じ黒髪に青い瞳を有しているが、その目の色はネイサンより淡く冷たい。上着は着ておらず黒のベストとトラウザーズというシンプルではあるが飛び抜けて質の良さそうな衣服に身を包んだ彼は、細身ではあっても貴族にありがちな優美な印象ではなく、均整の取れた体格と立ち姿は騎士そのものだ。鞘に納めているが隙なく腰に下げた長剣はいつでも抜けるように手を添えられ、服の下に鍛え上げられた肉体がまだ健在であることを示していた。
「先日のリストに記載されていた者か?」
「はい。薬師見習いの女性です」
「随分小さいな。子供ではないだろうな」
「小柄ですが成人女性です。健康にも問題はないのは調査済みです」
「そうか。ご苦労だったな」
油断していた訳ではなかった。
一瞬、ネイサンの視界を鋭い光が走ったかと思うと、パッと目の前に赤い飛沫が飛んだ。全てが何故かゆっくりに見えた視界の中で、サマル侯爵の持つ剣がいつの間にか抜かれて、その銀色の切っ先が赤く濡れているのが分かった。
「うわぁっ!!」
「ユリ嬢!?」
ネイサンの斜め後ろに控えていたアイルの叫びと同時に、ネイサンの腕に抱えられていたユリが何故か落下しそうになっているのに気付いて慌てて抱え直そうとしたが、次の瞬間ユリをサマル侯爵に奪われた。しっかりと抱きかかえていた筈なのに、と思った瞬間、ネイサンの足元にゴトリと重そうな音を立てて血塗れの右腕が転がり落ちた。
サマリ侯爵はいきなり剣を抜いて、アイルの胸とネイサンの腕を同時に薙ぎ払うように斬った。ネイサンも気を抜いたつもりはなかったが、両手が塞がっていた状態なので対処が出来ず、腕とともにユリが落ちそうになったところをユリだけ侯爵に奪われてしまった。まさかこんな風に最初からネイサンもアイルも始末する気でいたとはさすがに思っていなかった。十分警戒をしていたつもりだったが、そこまで追い詰められて騎士にあるまじき行動に出るとは思っていなかった自分の甘さにネイサンは痛みも忘れて歯がみした。
そのままサマル侯爵はユリを抱えて扉の方へ走り出した。あのまま侯爵だけが扉を抜けてしまったら塔への侵入は困難になる。ずっと籠っている訳にも行かないのでいつかは侯爵は出て来るかもしれないが、その時までユリの身の安全が保障されないことは嫌でも予想がつく。
「ぐっ!」
ネイサンは大量の出血も構わずにサマル侯爵を追った。隣で倒れているアイルは身動きもしないが、彼の様子を看るよりも優先しなければならないことがある。
しかしネイサンが追いつく前に扉は半分閉まりかけている。
「くそ…っ!」
苦しげに顔を歪めて、閉まりかける扉に体を滑り込ませようとネイサンは必死に走った。全力を出しているつもりでも、治り切っていない膝と、滝のように腕の切り口から溢れる血のせいで明らかに普段よりも遅い。その閉まりかける扉の向こうで、塔の上に階段に向かう侯爵の姿が見える。
そしてサマル侯爵は、ネイサンが扉が閉じる前に絶対に間に合わないことを確信して、一瞬だけネイサンに顔を向けて、笑った。
お読みいただきありがとうございます!
ジャックは「45.【過去編】似た者夫婦と似た者親子」にチラリと出て来ます。その時に仕えていた夫人も一応存命なので、いつかどこかで絡ませられたらいいとは思いますが、今のところ未定です。
以前も書きましたが重度の舞台オタクなので、大公家諜報員は某劇団の役者さんをイメージしたキャラが多いです。分かった方だけニヤリとしてもらえたら嬉しいです。