閑話.サマル侯爵
過去イチ(かもしれない)胸糞なサイコパスが登場します。ご注意ください。
サマル侯爵は、自身の安泰と幸福に疑いを持ってはいなかった。
分家から迎えた妻とは政略ではあったが夫婦仲は悪くはなく、控え目な性格でよく自分を支えてくれた。自身に似た息子は賢く、少々荒っぽいところもあったが男の子ならよくある程度であったし、娘は妻に似て内気な性分だったが顔立ちは祖母に似て美しく整っていたので、将来は王族との婚姻を進めるのも容易だろうと思っていた。
だがその頃から片鱗は見えていたのに、彼は使用人の訴えを「よくあること」として聞き流していた。
使用人の訴えとは、息子が悪戯では済まされないような行動を取るようになっている、ということだった。小動物や害のない小型の魔獣を捕らえさせては残酷に殺している。剣術を教えていると、禁止されている行為を平然と行って相手に怪我を負わせる、などだった。
侯爵はその報告を聞いても、少々好奇心が強い男の子にはそういう時期もあるものだ、とさして取り合っていなかった。その後、剣術指南役の目を手合わせ中に潰したと聞いても、未熟な子供の不運な事故として扱った。そして息子には少し厳しく注意をして、指南役には高額な見舞金を支払った。
些末な問題はあったとしても、侯爵家の将来は揺るがない。彼だけでなく、周囲もそう疑っていなかった。しかし、ある年の夏の日、それは全て砂で出来た偶像に過ぎなかったことを思い知った。
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その年の夏は、お忍びで下位貴族のように気ままに過ごそうと侯爵家にしては簡素な装いで、普段よりも連れて行く使用人も少なく避暑地に赴いた。いつも使用人に囲まれて全てを任せている高位貴族の、少しだけ不便さを楽しむ為の遊びのようなものだ。子供達も、そんな遊びを楽しんでいるように見えた。
だが、その隙を狙われたのか妻が見たことのない虫に刺された。彼は慌ててそれを踏み潰して退治したが、その際に微かに毒の針が足を掠めたらしいことに気付かなかった。
見る間に妻の刺された痕が紫に腫れ上がり、痛みに呻く妻に解毒薬を与えたが、容態は悪化する一方だった。妻の看病と、母親の異変に怯える子供達の世話を使用人に任せ、彼は馬を駆って街まで走った。
夜の闇の中馬を走らせ続けていたので、街に到着した時はひどく体が怠く体のあちこちが痛んだが、ただの疲労だと思っていた。が、助けを呼ぼうと神殿の扉を叩いたところまで覚えているが、次に彼が意識を取り戻した時には全てが手遅れだった。
妻と連れて来ていた使用人は全員亡くなったが、まだ幼い子供達は無事だったと聞いて、彼は滂沱の涙を流して神に感謝を捧げた。彼がどうにかベッドから起き上がれるようになった頃、息子は気丈にも妻の最期を看取り、娘は当初は錯乱状態だったがしばらくしたら落ち着いたと報告を受けた。
動けるようになった彼は、この国にいない筈の毒虫が何故屋敷に入り込んだのかを調べ始めた。彼らを刺した毒ムカデは、生息地以外では特殊な保管箱に入れて置かないと外に出した時点で一日程度で死んでしまう。普段管理人が見回るくらいの保養地の屋敷に、侯爵家が訪れた時に偶然刺されることなど有り得ない。
歴史のある高位貴族であるサマル家にも、どこの貴族にもあるようにそれなりに恨みを買うことも妬まれることもある。しかし外部にはそこまでするような家は現在は見当たらない。あるとすれば、幾つかの野心を持った分家筋の者だった。状況から考えれば、あの毒ムカデをタイミングよく放ったのは内部の者としか思えない。使用人の誰かが買収されたのかもしれないと予想を立てた。
彼は自らの手で徹底的に証拠を探し、そして一つの事実に辿り着いて暫し愕然としたまま動けなかった。
入手経路が随分と複雑に誤摩化されていたが、妻の仇を討つ為にと血眼になってようやく分かった毒ムカデと保管箱を輸入した者は、他でもない自分の息子だったのだ。
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侯爵は震える手で、かき集めた証拠の書類を何度も見直した。暑くもないのに額から汗が流れていたが、手は氷のように冷えきっていた。しかし何度見ても、その内容は息子が密かに毒ムカデを入手したという事実だけを告げていた。
彼は深夜を回っていたが、急いで執務室を飛び出して最上階の息子の部屋へと向かった。眠っているかもしれないが、叩き起こしてでも事実の確認をしなければならない。息子とは決して親子仲は悪くはなかった筈だ。それなのに毒ムカデを放つ理由が分からない。心のどこかで、うっかり保管箱から逃がしてしまったのだが、その事実が恐ろしくて言い出せないだけかもしれないと願っている自分がいた。
「…誰だ…?」
侯爵が廊下を急いでいると、不意に風の流れを感じた。立ち止まって風が吹いて来る方向に目をやると、窓辺に誰かが立っている影が見えた。内側からしか開かない窓が開け放たれて、そこに奇妙な人のような影がある。彼が目を凝らすと、空を覆っていた雲が僅かに切れて、その窓に差し込むように月明かりが差し込んだ。
「!?」
その窓辺には、ゾッとする程冴え冴えとした美しい横顔が見えた。まだ幼く男性にも女性にも属さない、子供特有の線の細い首のシルエットに、夜の闇よりも深い黒い髪が風に揺れている。月明かりを反射した冷たい青い瞳には、曇りのない楽しげな笑顔が浮かんでいる。
そしてその人物の腕の中には、あどけない顔で眠っている少女が抱えられていた。
「待っ…!」
侯爵が声を上げようとした刹那、その人物は抱えていた少女を何の感慨もなくポイ、と窓の外に投げ捨てた。
「あれ、父上。どうしたのです、こんな夜中に」
たった今、自分の妹でもある幼い少女を最上階の窓から放り出したのを見られたにもかかわらず、自分に似た顔立ちの少年はそう言ってごく普通にニコリと笑った。
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何故。
「生きながら腐るんですよ。見てみたいと思いませんか」
何故。
「母上なら私のことを思って、きちんと伝えてくれると思ったんですけどね。少しずつ腐って行くのはどんな感じか。折角自害しないように装身具を付けたのに、最期の数日は気が触れていて話になりませんでした」
どうして、こんなことに。
「ああ、乳母は内蔵が見えても結構生きていたので、なかなか面白かったです。人間の心臓ってああして動くのですね」
何故、あんなことを。
「先日読んだ本に、塔から身を投げた姫君の胸に突き刺さった薔薇が、朝露を纏って咲き誇る光景が美しい描写があったので、見てみたいと思ったのです」
それで、あんなことを。
「でも、よく考えたら人体を突き抜けた枝に蕾は残りませんよね。花が咲くまで、姫の遺体が綺麗に保存されている筈もありませんし。私としたことが浅慮でした。それなら先日手に入れた寄生蜘蛛を試せば良かったです」
じぶんの、いもうとに。
「ご存知です?あの蜘蛛は女性の子宮内に卵を産みつけて、まるで子を宿したような状態になるそうですよ。まだ未成熟な体でもそうなるのか、興味を引かれませんか」
なぜ、こうなってしまったのだ。
全く悪びれる様子も、そもそも悪いことをしているという意識もなくただ楽しげに早口で喋る息子を前に、侯爵は言葉を失っていた。
そして幾度となく使用人達から訴えられた内容が耳朶を打つ。今更振り返れば、どれも些細なこととして見逃してはならないものばかりだった。少々逸脱していると思えば注意はしたが、口頭で告げるだけで満足し、そのとき息子がどういった反応を示していたかを確認していなかった。息子は「申し訳ありません」とは言っていたが、心から悔いていたかをきちんと確かめた覚えはない。
侯爵は、息子が全く善悪の区別がない、そして残酷な程自分の欲求を最優先する人間なのだとようやく悟ったのだった。
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すぐに娘を医者に診せて、使用人達には箝口令を敷いた。
息子は部屋に閉じ込めて、隠していた危険な生物や薬品などは全て取り上げた。しかし彼は特に不満そうな様子はなく、部屋に置いてある本を静かに読み耽っていた。
もはや息子に後継は任せられない。このままではいつ一命を取り留めた娘や自分が命の危機に晒されるか分からない。息子は表向きには遅れて毒ムカデに刺されたことにして、毒杯を与えることが正しい対応だろうと考えた。違法な毒虫を輸入して、それを自分の家族に試して平然としている。もう彼にとっては、息子は我が子ではなく恐ろしい化物としか思えなかった。
そうして準備を進めていた彼に、新たな絶望が齎された。
一命を取り留めた娘だったが、全身に薔薇の枝が刺さり小さな体を何カ所も貫いていた為、将来的に子を持つことは絶望的だとの診断が下されたのだった。
侯爵はしばし考えに沈んだ後、準備していた毒杯用の飲み物を息子ではなく、野心を持って本家に成り代わろうと虎視眈々と機会を窺っていた分家に送らせた。そして侯爵家の中でも力を持っていた分家が丸ごと一つ、家系図から消失した。その理由は公にされなかったが、毒虫を使って侯爵夫人と嫡男を殺害した為だとしばらくは貴族の間で噂が流れた。
公表はしていなかったが、侯爵自身も毒ムカデの影響により子をもうけることが不可能になっていた。つまり侯爵も娘も子を残せないことになり、唯一子を残せる直系は死んだ筈の息子だけになっていたのだ。侯爵も分家から養子を取ることも考えなくもなかったが、自分の代で、しかも息子のせいで長らく続いた家系を途絶えさせた無能な当主として名を遺すことを恐れてしまった。幼い頃から父や祖父から、この家を存続させて血を守ることが重要だと言い聞かされて育って来た。だからこそ、彼は分家の一つを犠牲にしてでも息子を別邸の敷地内にある塔に幽閉し、死んだことにして後継を残す為だけに生かすことを決めたのだった。
幸か不幸か、娘は怪我の影響で前後の記憶がなく、母親と兄の死を目の当たりにしたことで夢遊病を発症し、使用人が目を離した隙に不幸な転落事故を起こしてしまったと伝えた。
娘には後継教育と共に、婿をとった後に縁戚から実子として子を引き取り後継とするようにと繰り返し言い含めた。娘も年頃になると自分の体が貴族としての義務も果たせない傷モノとして理解して、弁えるように表に出ることはなく領地経営に打ち込んだ。
侯爵は、自分の母親を殺し、自分さえも殺しかけた兄の子を育てることになる娘を哀れには思ったが、当人に知られなければ問題はないと考えた。もし万一知られたとしても、このサマル家の血統と歴史を守る為だと説得すれば納得するだろうと思っていたのだ。
その中で侯爵は婿候補を探す為に、娘が一人でも領地経営が出来るようになると家名を使って強引に騎士団に入団した。上層部には、遠回しに娘の婿候補を見つけたい為だと密かに根回しはしておいた。勿論侯爵自身も剣術に優れていたこともあって、五英雄の直系を途絶えさせるわけにはいかないと上層部でも多少の融通を利かせてくれた為、存外入団はあっさりと決まった。
彼としても、政務を請け負うことの出来る優秀な婿の方が娘の補佐として役には立つとは思っていたが、下手に賢しい者だと引き取った子の出自を辿られないとも限らない。それよりは脳筋で政治にはあまり明るくなく、家の為に忠誠を誓うような騎士の方が扱いやすいと考えたからだ。
数年後、学園を卒業したばかりの新人として、息子と同じ黒髪と青目の色を持つバーフル家の子息が入団して来た。侯爵はバーフル領の独特な文化を知っていた為に、これは神が与えた奇跡だと思えた。さり気なく近付いて人となりを探って、実に人好きのする真っ直ぐな、そして付け入りやすい青年だと狙いを定めた。
そして思惑通り、望み通りの婿を迎えることに成功し、今度は子を産む為の女性候補を洗い出した。産まれる子供が娘夫婦のどちらかに似た髪か目の色を有していた方が実子と思われやすい為、選ぶ女性は黒かそれに近い濃い髪色か、娘の緑の目か、青の目を持つ者を選出した。
当初は分家の中で、本家に逆らえない下位の家から二名の令嬢を選び出した。しかし、結果は息子と魔力量が違い過ぎて行為の直後に女性は亡くなってしまった。その後も何人も外見の条件に合う遠縁の者を強引に金を積んで買い求めて息子に会わせたものの、結果は同じだった。やがて女性を見付けて連れて来るよりも、その度に増える遺体を関係がない風に装うことに随分と苦労することになった。
その内に、いつの間にか息子は幽閉していた塔から別邸に繋がる隠し通路を発見し、別邸内を好きに歩き回るようになっていた。既に死んでいる自分が生きていることが分かるのは良くないことは承知しているので、敷地の外に出ることはなかったが、侯爵は気が気でなかった。息子はどこからか手に入れた魔道具を通路に設置して、サマル家の血を引く人間以外は通れないように設定したから大丈夫だと笑っていた。
もはや息子には幽閉している意味はなく、何らかの伝手を使って塔の中に様々な悼ましい書物や実験器具、毒薬や魔道具などが取り揃えられていった。
本来ならば、当主で父親でもある侯爵が言うことを聞かせて従わせる関係であった筈が、次第に息子の要求が多くなって行った。気に入らなければ折角苦労して連れて来た女性に、新しく手に入れた薬品や魔道具で実験を行ってすぐに殺してしまう。いつしか息子の「要求を聞かなければ子は作らない」という脅しを前に、侯爵と息子の立場が徐々に逆転して行った。
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そんな折、侯爵は奇妙な噂を耳にした。とある港町にある娼館で、そこに気の触れた娼婦がいるという話だ。まだ若く美しい外見をしているのだが、どうやら男に捨てられたか騙されたかで売られて来たらしい。そんなことは娼館では珍しいことではないが、彼女はある男の名を呼び続けていて、客がどんな年格好の者でもその男だと名乗るとたちまち蕩けるような笑顔でベタベタに甘えて来る従順な様子になるという。違う名で呼ばれることに目を瞑れば、本物の恋人のような甘い時間が過ごせるとそれなりに人気があった。逆に名乗らなかった場合は嫌がって抵抗するので、それを屈服させる嗜虐好きな客にも受けが良かった。
その娼婦が呼び続ける男の名が「ネイサン」といった。
サマル家の婿であるネイサンは愚直なまでに妻に一筋であったので、単に同名なだけだろうとすぐに思われた。しかしその女性の外見が濃い茶色の髪に緑の目をしているのを聞きつけ、更に所作が平民とそれとは明らかに違うので、騙されて売られた貴族令嬢ではないかとも噂されていた為、侯爵は密かに身請けをして息子のところに連れて行った。
彼女はすぐに息子を「ネイサン」と思い込み、甲斐甲斐しく尽くした。息子も満更でもなかったらしく彼女に対しては実験を行わず、幸いにも魔力量も多かったおかげですぐに妊娠が明らかになった。侯爵はこれで無事に直系の子が産まれれば、次代を繋ぐ重責からも、増え続ける遺体の処理からも解放されると安堵していた。
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『あんな悼ましい男の子供を育てることはお断りします。私の子は、旦那様の血を引く者以外は認めません。化物の血など、絶えればいい』
突然侯爵の手元に、そんな娘からの手紙が届いた。そして同封されていた報告書には、全てではなかったが、死んだとしていた息子が生きていることと、息子が違法に入手していた毒などの購入経路などの概要が記されていた。そしてその中には、妻を殺した毒ムカデも含まれていた。手紙の最後には『もっと詳細を記した資料は誰も知らないところに隠してあります』と締めくくられていた。
侯爵は慌てて王都の家令に連絡をして娘の様子を知らせるようにしたが、どうやら彼女は当主の印章を隠してしまったらしい。印章が必要のない政務は執り行っているようだが、印章が必須な大きな案件は放置されていた。このまま彼女が拒否し続ければ、いくら歴史のある侯爵家でも只では済まされない。むしろ各方面への影響が大きすぎるので、あっという間に王家やそれに連なる者達が介入して来るだろう。家の政務は処断される程の疾しいところはない筈だが、今王家に介入されたら息子が生きていること、そして過去に犯して来た犯罪を娘が明るみにするだろう。
彼はよい対策も思い付かないまま、ひとまず王都へ向かうことにした。事情を知らない婿のネイサンに協力を取り付けられれば言うことを聞くのではないかとの算段はあった。ネイサンはまだ娘から話を聞いていなかったらしく、聞き出してみると慌てた様子で屋敷へ戻って行った。脳筋な婿に賢しい娘の説得が出来るとは思わなかったが、時間稼ぎくらいにはなるだろう。
「ああ、先日ポーラニアが訪ねて来ましたよ。思ったよりも早かったですね。私としては嬉しいような残念なような心持ちです」
何故娘に知られたのかと急いで息子を幽閉している別邸の塔を密かに訪れると、息子はあっさりとそんなことを言い出した。
「私のことを忘れていたようなので、寝室に薄く過去を思い出させる香を焚きしめたり、誰もいない場所でこっそり姿を見せたりしてね」
「な、何故そのようなことを…」
「人が狂って行く姿を見たかったのですよ。ほら、もう手元には狂い切ってしまった女はいますから。そこに至るまでの過程が見たかったのです」
やはり侯爵には理解出来ない思考回路のままの息子を見て、化物だと再認識するしかなかった。
息子はまるで幻覚を見せるかのように娘の前に姿を見せて、狼狽える姿を楽しんでいた。その内に、子を宿した女も血を引いていると認識されて別邸への通路を通過出来ることに気付いて、妹が好んでよく着ていた装いをさせて共に別邸をうろついては彼女を揶揄って遊んだ。彼女は自分が幻覚を見て、おかしくなっているのではないかと次第に追い詰められていたので、面白くなってついやり過ぎてしまった、と息子は笑いながら語った。
聡明な娘は、僅かに残された痕跡を手掛かりに、自分がおかしくなっていないことと、死んだ筈の兄が生きていたことの事実に辿り着いた。そして隠し通路を見付けて、直接兄と対峙しに来たということだった。侯爵は、娘があの手紙を送りつけて来た理由をようやく理解したのだった。
「あら、お義父様、いらしてたのですか?」
侯爵がどのように誤摩化したものか頭を抱えていると、部屋の中に場違いな程明るく弾んだ声が響いた。振り返ると、顔立ちは似ても似つかないが娘と同じ色を持った女が入って来るところだった。その女は、娘が普段着ているドレスによく似たものを纏い、髪型も顔の半分を覆うように前髪を下ろしていない以外はよく似た形にしていた。こうして別邸に赴いては娘の前に姿を現していたのかと思うと、侯爵は尋常ではない行動にゾワリと肌が粟立つのを感じた。この空間にいるのは、自分以外狂人しかいない。そう考えるとひどく息苦しく思えた。
「今、乳母に挨拶をして来ましたの」
「乳母?」
「ええ。大切なネイサン様との子供なので、よろしくね、って。うふふ、楽しみですわ。子供が産まれたら、わたくしがネイサン様の正式な妻になるのでしょう?」
「なっ…!」
まともに会話が通じない目の前の女が、誰を乳母と認識して宣言したのかは分からない。しかし騒ぎになるのは確実だ。侯爵は急いで部屋を走り出て、別邸の方へ向かった。
そこで侯爵が見たものは、中庭の石畳の上に飛び散る血溜まりと、少し離れたところにある白シーツに包まれた人に似た形をしたものだった。
この後しばらくはインモラルだったり残酷寄りなエピソードが続きます。