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244.過去の独白

引き続き人が亡くなる話や、少々エグいエピソードが続きます。ご注意ください。


話のキリに合わせて少々短めです。


「妻は…俺とは子供をもうけられなかった。だから縁戚の分家から密かに子供を引き取って、実子として育てることになっていた。色々な事情で、養子というのはその後の子供に不都合があるということでな。妻も承知の上で候補も決まっていると…そういうことだった」

「だが奥方は亡くなってしまった…しかし、そんな話は」

「秘匿された。まあ、五英雄の直系が絶えるような話だからな。だから妻の葬儀は、使用人と同じ質素なもので執り行われた。遺骨も、先祖代々の霊廟に納められていない」


ネイサンの声は静かだったが、まるで押さえた中に血の滲むような激情が含まれていた。握り締めた拳も、微かに震えている。


「昔、サマル家は不運な事故に見舞われて、現侯爵の夫人と嫡男を亡くした、という話は聞いたことがあるか」

「あ、ああ。お前が婿に入る時に、少し」

「あります。…その、事故…とは」


ネイサンの問いかけにレンドルフが頷き、ユリは頷いた後に少しばかり首を傾げて眉を顰めた。その様子に、やはり大公家の情報網は侮れないとネイサンは微かに苦笑する。


「ユリ嬢は何と聞いている」

「お身内の…と」

「ムカデ」

「…!」

「やはりか。さすが…優秀な薬師をお身内に持つだけのことはある」


ユリの表情を探りながら尋ねると、彼女の表情が一瞬凍り付いた。ネイサンは「身内が引き起こした事故」とまでは調べられたが、もっと深い悪意に満ちた真実を知ったのは死後に届いた妻からの手紙、告発状のおかげだったのだ。内部にいたネイサンですら辿り着けなかった真実を大公家は正しく掴んでいたのだ。その内容には毒が関わっていたので、たまたま入手したのかもしれないが、やはり大公家は敵に回すものではないな、とネイサンは感動すら覚えていた。



「妻が幼い頃、避暑の為に家族で保養地に訪れていた時に、夫人が虫に刺された。猛毒のムカデで、この国内にはいないものだった。避暑地で人里から離れていた為、通常の解毒薬では完全に解毒は出来ず、侯爵が自ら馬を駆って街に向かった。その場にはまだ幼い子供達がいたので、夫人と子供達の世話の出来る使用人を残した」


侯爵は夜通し馬で駆けて、ようやく大きな街に辿り着いた。が、知らないうちに彼もムカデに刺されていたらしく、その場で意識を失ってしまった。急いで来てしまった為に身元の分かるものを所持しておらず、その時は原因も分かっていなかった。街の者は所持品から貴族だと判断は出来たので急遽保護をし、隣の領地にいた優秀な神官を連れて来た。神官は毒を持つ生物にやられたのだと即王都に連絡を入れ、血清を要請した。しかし初動も遅れ、更に王都から離れた保養地であったので、完全に解毒の出来る血清が届くまでに二日掛かり、侯爵は一命は取り留めたものの意識を取り戻して残して来た妻子のことを伝えられるようになるまでに10日は過ぎていた。


「10日…それじゃ…」

「ああ、夫人だけでなく、残して来た使用人達も発見された時はひどい有様だったそうだ」


その話を聞いてユリが思わず口を押さえる。レンドルフには何のことか分からなかったが、ユリの様子からすると余程ひどい毒なのだろうと予測が付いて、軽くユリの背をさすった。


「レンドルフ、そのムカデの毒はな、生きたまま人を腐らせるんだ」

「生きたまま…」

「血清を打つまでの間は、治癒魔法を掛け続けなければ体の腐敗が止まらないという毒だ。大抵の人間は、放置しておけば二、三日で痛みと恐怖で自害を選ぶ。自害出来なかった場合も一週間もすれば体が完全に腐り落ちる。そしてこの国の気候では生きられないその虫が自然にいたとは考えられない…となれば、分かるだろう」

「誰かがわざとその虫を…」


過去のことではあるが苦々しい気持ちになって呟いたレンドルフに、ネイサンは何故か苦笑を貼り付けたまま首を縦に振った。


「侯爵の言葉から屋敷に駆け付けた警邏隊は、使用人も全員亡くなっているのを確認したそうだ。ただ、幼い子供だけが屋敷にあった食べ物を食いつないで生き延びていた。保護された時は軽い脱水だけだった」

「それは…良かった…と言うべきなんだろうな…」

「そうだな。子供だけでも助かったと報せを受けた侯爵は泣いて神に感謝を捧げたそうだ。だが、無事かと思われた娘に、程なくして夢遊病の症状が出始めた」


後の検死の結果では、夫人の死因は自害ではなく多臓器が腐敗により不全に陥った為だと診断された。これは、夫人は最期まで夫が来るのを待ち続け、残される子供達を思って命を絶つようなことはしなかったのだと子供の証言で明らかになった。妻であり、母である者の鑑だと讃えられたが、目の前で弱り腐って行く姿は娘の心を蝕んでしまった。侯爵は落ち着くまで領地で療養させようとした矢先、深夜に無意識で部屋から彷徨い出た娘が窓から落ちた。


「彼女は辛うじて一命を取り留めたが、窓の下にあった薔薇の植え込みの上に落ちた。そのせいで傷を負い…彼女は…妻は表に出ることが出来なくなった」


声だけは辛そうな響きをしているのに、ネイサンの顔には相変わらず笑みが張り付いていた。彼を学生時代から知るレンドルフは、目の前にいる昏い目をした青年が本当に自分の知っている友人(ネイサン)だろうかと不安を覚えた。



「結婚してから、少しずつ妻にその時の話を聞いた。彼女は聡明で気丈な女性だったが、やはり無意識だったとは言え自分のしたことを受け入れるまでに随分と時間が掛かったそうだ。学園に通うことも、当然社交に出ることもなく、ただひたすらにせめて侯爵家の後継として相応しくあろうと、どんなに辛くても必死に政務に取り組んでいたよ。義父は時折やり過ぎなくらい彼女に厳しく指導していたが、彼女は『それだけ期待されている証拠だから』と笑っていた…」


しかしそれが重圧にもなっていたのか、彼女は時折ひどく魘されることがあった。夢遊病の再発を用心して眠る時は必ず自害防止用の装身具を付けていたが、あまりにも苦しそうなのでネイサンが起こすと、目を開けた彼女は引きつった悲鳴を上げてネイサンから距離を取ろうと身構えることが多かった。その時の彼女の顔は、血の気が引いて真っ白になっていた。しかしすぐにネイサンと分かると、全身の力を抜いて彼に擦り寄って来た。そんな時はネイサンも冷たくなった彼女の体を抱きしめて、落ち着くまで温めることが常だった。


「妻は、誰かに窓から放り出される夢を幼い頃から繰り返し見ていた。彼女が言うには、黒髪に青い目をした美しい少年が、自分を抱えて窓から投げ落とすのだと。そして落とされた地面から見上げると、その少年は笑って顔を覗き込んで来るそうだ」

「何だか、嫌な感じの夢ね」

「医者にも相談したが、夢遊病で窓から転落してしまった時に見た夢…いや、幻覚なのだろうと。俺が同じ髪色と目をしているから魘されるのかもしれないと、魔法で変えてもらおうとも思ったんだが、そのままでいて欲しいと言われて、結局このままだ」


結婚後は領地は義父に任せて、ネイサン達は王都の別邸で暮らすようになった。代理で子を産む候補の女性が王都にいるということで、そこで子供が産まれるのを待つ予定だった。


しかし、その頃から彼女の悪夢を見る頻度が増えた。ほぼ毎晩のように魘されては飛び起き、しばらく眠れないようだった。ネイサンも一緒に起きていたが、体力のない彼女の方が次第に窶れて来た。


『ねえ、昼間もあの少年が見えるの…少年じゃなくて、そのまま成長したような、気味悪く笑う男が。私、おかしくなったのかしら』


そう言って薄く笑う彼女は、目の下に隈を作って殆ど眠れていないように思えた。しかしネイサンも騎士団にいる以上任務があるし、広域な凶悪犯を追って遠征で何日も家に戻れないこともある。使用人にも十分に彼女の動向に気を付けるように申し付けたが、ネイサンは王城から戻って真っ先に彼女の執務室に駆け込んでは安否を確認していた。ネイサンはその度に彼女を抱きしめたが、確実に細くなっていてこのまま消えてしまうのではないかと不安になった。


ネイサンは何度も騎士団を辞めて、二人で内密に領地へ戻ろうと提案した。子が産まれた日にちをひと月くらいずらしたところで問題はないだろうから、産まれたという連絡を受けてから再び領地から戻ればいいと懇々と説得を試みた。領地にいた時も悪夢は見ていたが、ここまで頻度は多くなかったし、昼間に幻覚を見るようなこともなかった。

けれど彼女はたった一人の後継として、子を残すことが出来ないのならばせめて完璧な采配をして次代に渡すことが役目なのだと主張して、王都の別邸から動く気はなかった。彼女が一人後継者としての重圧を受けるのも、自由に外の世界を楽しむことが出来ないのも、全て自分のせいではないのに、彼女はそれをずっと真摯に受け止める以外の道を知らなかった。ネイサンはだた抱きしめて落ち着かせることしか出来ない自分を歯痒く思っていた。


「やがて妻は、夢の中の男だけでなく、自身の姿まで見るようになったと言い始めた。まるで『そうなりたかった自分』が、美しく着飾り、軽やかに歩き去って行く姿が」


『もう一人の自分を見た人間は、死期が近いって本当かしら?』


そう言って笑う彼女の姿は、もうまともには見えなかった。侯爵家の政務に関しては何の問題もなくこなしていたようだったが、影響が出て来るのも時間の問題だろう。それよりも疲弊し切った彼女の体を心配したネイサンは、やはり彼女を領地に戻して静養させるべきだとサマル侯爵に訴えた。さすがに再三届くネイサンの訴えに侯爵も危機感を覚えたのか、すぐには無理だが調整をすると返答があった。


そんな矢先、突然彼女が「自分の後継はネイサンの血を引く者以外認めない」と宣言をして、当主の印章を隠してしまった。サマル家の後継は、その血を引く者であることが重要だ。一切血を引かないネイサンの子では成り立たないのは彼女自身もよく分かっている筈だ。慌てた侯爵が領地から駆けつけ、そのことをネイサンに伝えた。そしてネイサンはその真意を確かめようと別邸に戻る最中に、彼女の訃報を知ったのだった。


「昼間は自害防止用の装身具は付けていなかった。今になって思えば、常に付けさせておくべきだったと後悔ばかりだ。妻は…ポーラニアは屋根から飛び降りた。即死だったよ」


ネイサンは遠い目をして、それでも顔は笑っていた。レンドルフは足の上に乗せているユリが胸に身を寄せてシャツの胸の辺りを小さな手でキュッと握り締めるのが分かって、許可は取らなかったが思わずそっと肩を抱き寄せてしまった。


「だが、侯爵は娘の死を秘匿した。彼女は、子を引き取った後に出産後に体調が戻らなくて亡くなったことにする、と。俺は納得が行かなかった。行かなかった…が、妻はこれまで侯爵家を次代に正しく引き継げるように、それだけを目標に厳しい後継教育を受けて来て、血の滲むような努力も怠らなかった。だからせめて、それだけでも叶えようと俺は妻の死を隠すことを承諾した」


彼女は優秀な人間であったが、学園に通って広い知見を得る機会や、人脈を広げることは出来なかった。ずっと領地の屋敷に籠って領地経営の政務をこなす毎日だった。行動範囲も限られるので、広い領地に視察に赴くことも出来ずに集まって来る報告はどうしても精査に時間を要する。そんな不利な環境であったので、彼女は長年相当な努力を重ねて来たのだ。たった数年の結婚生活ではあったが、ネイサンはその妻の支えになろうと側にいてその仕事ぶりを見て来たのだ。彼女の気持ちを汲んで、理不尽も飲み込んだ。


「しかし…数ヶ月後に俺宛にポーラニアから最期の手紙が届いた。最初は遺書かと思ったよ。だが、それは…それは彼女に人生を踏みにじった、悼ましい事実の告発状だった…!」


そう血を吐くような声を絞り出したネイサンの顔からは、先程まで浮かんでいた笑みは消えていた。



「ポーラニアの兄…サマル家の嫡男は、生きていたんだ…!!」



お読みいただきありがとうございます!


しばらく不穏ターンが続いておりますが、評価、ブクマ、いいねなど反応をいただけて嬉しい限りです。

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