243.真相の告白
「ねえ、レンさん。少しだけ話しても平気?」
「ええと…うん、周囲には誰の気配もないから、大丈夫だ」
ユリを抱えているにもかかわらず、レンドルフは風を切って走っていた。足音を立てないようにして周囲を探り、その上隠遁魔法を掛けながらなので通常よりは大分遅いのだが、ユリからすると体感的には常人の倍以上の早さだった。
周囲の音を感知しながら走っているので、ユリが話しかけるのは妨げになるかと思って確認をすると、レンドルフは足を緩めることなく周囲を確認したらしく少しの間の後に頷いた。
「あの…二人ね。多分別々の目的で私を攫ったんだと思う」
「別々の?どっちにしても誘拐は」
「それはそう!私も許す気はないよ。でも…あの、ネイサン様、の方は…」
ユリは前を向いているレンドルフの顔を見上げた。レンドルフも言葉を切ったユリに、一瞬そのヘーゼル色の目を向けた。その目には、ユリの言いたいことが全く予想がつかずに疑問が浮かんでいる。
「あの人は、レンさんを待ってた」
ユリの言葉にレンドルフの足が一瞬止まりかけたが、すぐに速度が上がる。
「誘拐した女性は、誰か他の人に引き渡されるみたいだった。でも、きっとあの人は違う日か、時間を教えてたんだと思う。そうやって時間を稼いで、レンさんが助けに来るのを待ってたように見えた」
「あいつが…」
「私が、偶然誘拐の条件に合う外見だったのと、レンさんと繋がりがあったのを、利用したんじゃないかな」
「何故…」
レンドルフの声に苦さが濃く滲む。ユリは一瞬、この予想をレンドルフに告げてしまうと彼の苦悩が深くなることは簡単に理解が出来てしまって、言うべきか迷いが生じてしまったが、いつかはレンドルフの耳にも入ることだ。予想といっても、ユリはネイサンの言葉や表情から漏れる感情を見て、ほぼ確信に近い言葉を告げる。
「レンさんに、この犯罪を暴いて欲しかったのかもしれない」
ユリの言葉に、レンドルフは言葉もなくほんの少しだけユリを抱きしめる手に力を入れたようだった。
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「アイル!せめて解毒薬を持って…」
「あーあ。もう一時間過ぎちゃいましたよ?それに僕が抜け出した時は、あのお嬢さん自分から部屋の中に入って行ったんで、もう手遅れじゃないですか」
「貴様…!」
「先に騙したのはネイサン様ですよ?僕に文句言える立場ですか?」
屋敷の地下の隠し扉から薬品の保管庫に浸入し、ネイサンは解毒薬を持ち出そうとした。が、入手したことで油断していたところを背後から塔から抜け出したアイルが襲い、痛めていたネイサンの膝を更に上から蹴り付けて完全に片足を使い物に出来なくしていた。普段ならばアイルの実力でネイサンに勝つことは不可能だが、既に動きが鈍くなっていたので狙いを定めるのは楽だった。
そしてネイサンはそのまま地下の奥にある牢に放り込まれていた。
「大丈夫です。後で僕が回収して来ますから。ご依頼主も別に相手の純潔は気にしないみたいですし、回収したら避妊薬飲ませてひと月くらい様子見すればいいんですし。初めてが好きな相手で済ませられたなら親切ってものでしょ。ま、理性も手加減もぶっ飛んだケダモノ相手にして、壊れ過ぎてなきゃいいけど」
「この下衆が…ッ!!」
「好きでもない相手達にさんざん壊されたとしても、何とかしてくれる資産がありますからいいですよね〜。さすが大貴族ってヤツですか?まあ、さすがに死んじゃったら無理ですけど。ん?もしかしたら死んだ方がマシってヤツかな〜」
「アイルッ!!」
ヘラヘラと笑いながら捲し立てるアイルに、憤怒の形相をしたネイサンが格子に拳を叩き付けた。ガシャガシャと派手な音を立てたが、これは決して外に漏れないようになっている。
「僕は、ネイサン様のせいで人生を壊されて狂ってしまった婚約者を助けに来たんです。ネイサン様だって、協力してくれると言ったじゃないですか」
「それは…!」
不意に声のトーンを落としてアイルが昏い目を向けて来る。まるで正気ではないような豹変振りだったが、ネイサンはアイルが正気で、ネイサンに罪悪感を抱かせることで自身の望みを叶えようとしているのを知っている。その気持ちのほんの少しは分からなくもないが、ネイサン自身も譲れない部分でもある。もし表面だけ取り繕ってアイルの望みをネイサンが叶えても、誰も救われないのは嫌と言うほど分かっているのだ。
「…僕だって分かってますよ。彼女が勝手に自分の人生壊して勝手に狂ったことくらい。でも、それでも助けたいんですよ」
「お前がそう思うのなら、俺が受け入れられないのも、分かるだろう」
「分かりますよ」
立っているのも困難なネイサンは、固い石の床に座り込んだまま鉄格子に縋り付くように手を掛けてアイルを見上げた。先程叩き付けたせいで傷が付いたのか、彼の手は裂けて血が滲んでいた。
「僕とネイサン様は、目的は同じでも求める成果が平行線なんですね〜。そりゃ、上手く行く筈ないですよね。だ・か・ら、僕は僕のやりたいようにします。あのお嬢さんを回収して、あいつを引っ張り出します」
「よせ!お前が敵う相手じゃ…」
「うわっ…!?」
突然、アイルの足元から蔓のようなものが出現して、全身をグルグル巻きにしてしまった。さすがに身動きが一切取れなくなってしまったので、アイルは半ば顔から突っ込むように倒れた。
コツン…
微かな音に強引に体を捻ってアイルが音のした方向に顔を向けると、暗がりに天を衝くような大男が立っているのがうっすらと見えてアイルは思わず喉の奥で小さく悲鳴を上げてしまった。
「レン…ドルフ…」
牢の中のネイサンも掠れたような呟きを漏らした。
「お、おおお追って来た…!?ちょ、ちょっと…」
アイルは床の上を陸に上げられた魚のようにビチビチと全身を飛び跳ねさせて、器用にも鉄格子の前まで移動して来た。その顔色は、褐色の肌をしているにもかかわらず青ざめているのがハッキリと分かった。
天井近くに頭があるので表情は暗過ぎて見え辛いが、明らかにレンドルフに見られていると分かったアイルは、自分が盛った強力な媚薬のことを思い出してガタガタと震え出した。投与されてから約一時間で解毒しないと廃人になるような代物だが、確実に廃人になるわけではない。それにレンドルフは元の体が大きいので普通の人間よりも長く保つのかもしれないと思い当たり、置いて来た彼女を抱き潰してもまだ治まらずに獲物を求めて追って来たのかと考えたのだ。実際はユリを大事に抱きかかえているのだが、上着に包んでいるのでその姿がよく分からなかったのも要因だろう。
「ネ、ネイサン様…僕もそっちに入れてください…」
「いや、この程度の鉄格子ならあいつは簡単に破れるだろう。安心しろ、お前の次は俺だ…」
「安心出来ない!絶対出来ない!!」
どちらも完全に誤解していた。
「やっぱり解毒しておいて良かった」
怯える二人の耳に、この場にはそぐわない可愛らしい女性の声が聞こえて、思わず顔を見合わせた。目を凝らしてレンドルフを見ると、手に何か抱えている。その包みがモゾモゾと動くとレンドルフは少々渋い顔をしたが、両手で抱えるようにしてそっと包みを地面に降ろした。
「ユリ嬢…か…?」
「はい、そうですけど?そこにいるのはネイサン様ですか?確か、すぐに解毒薬を持って来ると仰ってましたけど?」
「そ、れは…すまない。そ…その…大丈夫、か…?」
「お嬢様意外と平気っぽい!なーんだもうかなり慣れてた」
ガゴンッ!!
アイルの言葉に品のなさを察知してレンドルフが側の壁を殴りつけた。まるで砂のように壁にレンドルフの拳がめり込む。魔法も自由に使えるようになったので、今のレンドルフは石壁など凹ませることは容易い。それを見てアイルはヒッと小さく悲鳴を上げる。
「ユリさんのおかげで解毒出来たからな。感謝した方がいいんじゃないか…?」
「は、はい…アリガトウゴザイマス…」
アイルは床に転がったまま、涙目になって震える声で礼を言った。ちょっと鼻水も垂れていたが、レンドルフはそれを無視して拘束用の土魔法を解かないでおいた。
「解毒薬はどこです?」
「もう解毒したんじゃないのか…?」
「一応問題ないとは思いますが、ちゃんとした解毒薬の材料を調べておきたいんです。後々後遺症が出たら対処しやすいですし」
「さすがアス…んんっ、薬師の家系だけあるな」
ユリの正体を知っているネイサンが家名を言いかけたが、ユリが一瞬でレンドルフに背を向けてネイサンだけに「呪い殺す」と言わんばかりの殺気の籠った目で見て来たので、慌てて誤摩化した。ネイサンは内心、アイルが彼女の正体を知らせておかないで良かったと心底思っていたのだった。アイルならば、そのままユリとレンドルフの前でペラペラ喋りかねない。
「この牢とは反対側の突き当たりにある隠し棚の、下から三番目の引き出しの中にある小瓶が媚薬で、同じ引き出しの中が二重底になっていて、そこに解毒薬がある。開けた後に捕まったから、多分棚は開いているだろう」
「分かりました。中身は貰って行きますね」
「好きにしろ」
ユリはネイサンの返答よりも早く、既に棚に向かって薬を探しに行っていた。レンドルフの上着を頭から被ったまま走って行く姿は、何か新種の小動物のように見えてしまった。目的の引き出しだけでなく、他の場所を次々と開けて行くのは小さな体のユリが行っていると、悪戯好きな妖精が遊んでいるようにしか思えなかった。実際は強盗に近い所業ではあるのだが。
「…どうやってここが分かったんですか」
まだ拘束されて転がったままのアイルは、レンドルフがユリが探索している姿を微笑みを浮かべて眺めているのが何故だか腹立たしく思えて、それを邪魔したくなって不機嫌そうに尋ねた。レンドルフはそんなアイルの思惑など気付いていないかのように一瞬だけ視線を落としたが、すぐにユリの方に視線を向けてしまった。
「匂いだ」
「匂い?」
「お前は変わった傷薬を使っているとユリさんが言っていた。凝血作用の強いブルーグラスの配合が明らかに多いものだと。だから俺が身体強化で嗅覚を上げて、ブルーグラスの匂いを追って来た」
ギルドで販売している一般的な傷薬の匂いならば、途中で遭遇しかけた見張りの兵士や、屋敷の中にいた従僕や庭師も使用していた。小さな傷に手軽に使うものなので、もしアイルが変わった傷薬を使用していなければすぐに特定することは難しかっただろう。
「ブルーグラスの匂いなんて分かる騎士がいるんですか」
「彼女の薬草採取に協力しているからな。よく色々な効果の薬草を教えてもらってる」
一応騎士として何かあった時の為に、怪我や病気などに効果のある薬草のことは一通り学ぶ。しかし素材のままの薬草では効能は低く多岐に渡る効果は得られないので、基本的に回復薬や精製された傷薬に頼る。その為、ただの知識だけで実際の薬草を知らない者も多い。レンドルフもユリと出会うまではその程度の知識だけだったが、彼女とあちこちに出掛けるようになって実物の薬草に触れる機会も随分増えた。だからこそ魔力を封じられて身体強化で匂いを辿れないユリの代わりに、レンドルフがアイルを追うことが出来たのだ。
「レンさん!あの棚の薬品はほぼ回収したよ!」
「解毒薬だけじゃなかったっけ」
「…それは、ついでに」
こんな状況なのに妙に弾んだ声でユリがレンドルフ元に戻って来た。おそらく解毒薬だけでなく様々な薬品が置いてあったので、ユリはつい我を忘れてご機嫌に回収してしまったのだろう。
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「…さて、これからどうするつもりだ、ネイサン」
レンドルフは背にユリを隠すようにして、ネイサンが閉じ込められている牢の鉄格子の前に立った。座り込んでいるネイサンが見上げると、塔の部屋に飛び込んで来た時のような荒々しさは治まってはいたが、まだ怒りは持続しているのはレンドルフの目を見ればすぐに分かった。
「このまま放置してくれてもいい。どうせしばらくすれば騎士団が突入して来るだろう。いや、お前が報告すればいい手柄になるな。せめてもの迷惑料だ」
「説明する気はないのか」
「……」
「ユリさんは、お前が俺を待っていたと…犯罪を暴いて欲しいと望んでいたようだったと聞いた。それは本当なのか?」
レンドルフの言葉に、俯いていたネイサンはハッとしたように顔を上げた。そしてレンドルフの顔と、彼の背後から顔だけを覗かせているユリの顔を交互に見た。ユリを見た瞬間、ネイサンは片方だけ僅かに口角を上げて、苦笑した表情になった。その表情で、レンドルフもユリの言っていたことはほぼ正解だったのだと悟った。
「ネイサン様がこの女とレンドルフ先輩はもう切れてるって言ってたのも、嘘だったんですね」
「この女…」
「いや、そこは流してください!怖いから!それに第一、貴方が捕まったら駄目だし、お嬢様をエサにあいつらを引っ張り出すのが作戦だったのに、最初からその気はなかった訳ですか」
アイルがユリのことを「この女」と言った瞬間、レンドルフから不穏な空気が流れ始めた。アイルは器用にも拘束された状態で背後に飛び退く。そして鉄格子に寄りかかって、中にいるネイサンに喚き始めた。
「…ネイサン、アイル。お前達は、何を企んでいた」
「あまり、ユリ嬢には聞かせたくないんだがな」
「聞かせて」
「ユリさん…」
「これでも薬師目指してるもの。綺麗事じゃ済まないことも、それなりに知ってるわ」
ユリの目に真っ直ぐ見つめられて、ネイサンは目を逸らせて長い溜息を漏らした。
「…分かった。少し長い話になるかもしれん」
「ああ」
そう言われてレンドルフは、ネイサンに正面から向かい合うように床に直接座り込んで胡座をかく体勢になった。ユリも一緒にその隣に座ろうとして膝を曲げると、レンドルフがひょいと抱き上げて自分の太腿の上に乗せてしまった。
「レンさん!?」
「女性を冷たい床に座らせる訳にはいかないし、床よりは固くないと思うから」
ユリは慌てて降りようとしたが、直接触れられてはいないがレンドルフがガッチリと支えているのでほぼ身動きが取れない。もうこうなってしまうとレンドルフは譲ってくれないのを悟って、ユリは諦めて背に回された彼の安定感のある腕に軽く凭れるように体を預けた。誘拐されたことが余程心配だったのかいつも以上に過保護なレンドルフではあったが、ユリとしてもその気持ちは分かってしまうので素直に頼ることにした。
「…俺達の…いや、おれの目的は、サマル侯爵家当主の交替だ」
「ネイサン様…交替じゃなくてサマル家の全員を殺すって僕には言いましたよね?悪事を明るみに出してこの国からサマルの名を消す。それが目標だと言っていたから僕も協力したんですよ。最初から僕を騙す気だったんですか…」
「最初は俺もそう思ったさ…すまない。だが、建国王の時代から続く五英雄の家はそう簡単には消えん。それに、腐っているのは直系の血だけだ。分家には罪はない」
「貴族なんて似たようなものですよ」
「それでも…今回のことが王家に知られればサマル家は降爵は免れんし、その後も厳重な監視下に入る。少なくともご当主は毒杯が下される筈だ」
「…っ!それは、そうです、けど…でも、それじゃあんまり…」
「…それに、あいつは俺が必ず殺す」
アイルは最初は激昂していたが、最後に低く呟いたネイサンの本気の肌が泡立つような殺気を受けて声を詰まらせた。しかしそれでも納得が行かない様子で少し血が滲むほどに唇を噛み締め、どうにか溢れる感情を止めようと必死に堪えて肩が痙攣したかのように揺れている。
「…ネイサン。お前はサマル家の一人娘の婿だった筈だろう。それに、もうすぐ子が産まれると先日言っていたばかりだったじゃないか。それならば、すぐではなくても奥方が当主に」
「いないんだ」
「え…?」
ネイサンは、そう言って何故か微笑んだ。しかしその晴れた空のような、彼の性格をそのまま表わしたような明るかった青い瞳は、一切の光を宿さず昏く澱んだ感情を湛えていた。
「次期侯爵家当主だった彼女は…俺の妻ポーラニアは…一年以上前に亡くなっている」