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240.護衛騎士の薬草姫



レンドルフとネイサンは互いに肩で息をしながら、その場から動けずにいた。先程までは気力で殴り合っていたが、とっくに動ける限界を超えていて、一度動きを止めてしまったら膝が笑ってしまって立ち上がる余力も残っていなかった。


「勝ち、だと?そんなもの、今は関係ない。彼女を攫って、傷付けたことを、全部消し去るだけだ」

「それも悪くないな。が、一応言っておくが、俺達はユリ嬢に指一本…いや、武器を取り上げるのに触れたが、変な目的では触れていない」

「信じろと?」

「お前が望むだけの自白剤でも、鑑定魔法でも何でも受けるさ。他言無用を望むなら、どんな条件の誓約魔法でも契約する」


ネイサンの言葉に、最初はレンドルフは眉を顰めて怒りを解く気はなさそうだったが、背後に庇ったユリの方にチラリと振り返った。まだレンドルフの上着を被ったままのユリは、すまなさそうな顔になって頷いた。


「ええと、隠し持ってた武器で反撃した時に取り上げられたり、したから…」


ユリが部屋の隅に視線を向けたので釣られてレンドルフもそちらに目を向けると、レンドルフの靴の半分くらいしかさなそうな小さなブーツが片方転がっていた。そしてよく見ると、その爪先には銀色に光る尖った刃が飛び出している。護身用というには物騒な造りのブーツを見て、レンドルフは思わずユリと交互に三回くらい見てしまった。


「じゃあ、何とも、ない…?」

「うん、大丈夫…」

「怪我は?あの…血の痕は」

「擦り傷くらいだから。あれはアイル(あいつ)に斬りつけた時ので…私のじゃないし。あ、でも髪はネイサン(あの人)に切られた」

「それは大変申し訳なかった!」


頭が追いついていないのか、レンドルフの表情は完全に抜け落ちていた。本当に「何か」あったのならその事実を当人に問い質すのはどうかと思ったが、おそるおそるユリに確認をする。ユリも何度も頷いて肯定したが、髪を切ったのだけはネイサンがわざと行ったことなのであっさりと告げ口をした。それを聞いた瞬間、すごい勢いでレンドルフに射殺さんばかりの視線を向けられて、慌ててネイサンはその場で頭を深く下げる。


「レンさん、髪はまた伸びるから、そんなにダメージはないよ」

「そんなに、ってことは、少しはあるってことだよね?やっぱり…」

「大丈夫!大丈夫だから!そ、それよりレンさんの怪我の手当しなくちゃ」


ネイサンがユリの髪を切り落としたのは、変装の魔道具を使用しているかの確認もあっただろうが、どちらかと言うと最も身体的にダメージが少ないが見た目は残酷に見えるように敢えてやったのではないかとユリは思っていた。

社交に出ている年若い貴族令嬢ならば、髪を切り落とされるというのは想像を絶するダメージだ。普段はカツラや付け毛などで誤摩化せるが、王族が参加する夜会などで咎められないかどうかはその時になってみないと分からない。危険物の持ち込みや、姿を変える魔道具や魔法を使用していないか確認をする際に、ある程度柔軟に機転の利くものがその場にいれば目立たぬように確認するだけに留めるかもしれないが、融通の利かない者や、家同士や当人に確執がある者が大仰に騒いでしまうかもしれない。それを避ける為に大きな夜会などを欠席してしまうと、それはそれで後々面倒な事態を招く。幸いにもユリは一切社交をしなくても良い立場で、当人もその気は一切ない。髪の長さを気にすることはないのだ。

ネイサンは正しくユリの正体と立場を分かっている。その上で、一番効果的な選択をしているとユリは感じていた。


この誘拐は()()()()()()()()犯人は掴まるが、誘拐事件そのものは攫われた女性の名誉の為に必ず秘匿されて表に出ることはない。ネイサンの目的はそれであり、ユリはその相手には最も相応しい存在だったのだろうと。



「レンさん、傷薬は持ってる?その手じゃ塗れないだろうし、私がやるから」

「あの、それくらい自分で…」

「両手にそんなに深い傷受けてるくせに。無理しないで私に任せて。いつもの腰のポーチに入れてるんでしょ?」

「え、いや、それは…」


ユリがレンドルフににじり寄って、いつも傷薬がしまってある腰のポーチに手を伸ばす。レンドルフはさすがに羞恥があったのか、疲労で動きが鈍くなっているもののユリを止めようと体を捻って避けようとする。


「わっ!」


重たいレンドルフがベッドの上で身じろぎをしたので、マットが大きく沈み込んでユリがバランスを崩し思わずレンドルフの背中に抱きつくような恰好になってしまった。


「…え!?」


次の瞬間、あり得ない感覚が体を駆け抜けて、ユリは体を起こした。


「レン、さん…?」


レンドルフはユリに背中を向けたまま固まっていた。しかし呼吸が荒くなっているのか、彼の広い背中や肩が波を打つように上下に揺れて、次第にそれが早くなっている。


「ユリ嬢、離れろ!」


ネイサンの声がして、全く信頼出来ない人間な筈なのに反射的にユリはレンドルフから離れていた。彼の大きな上着を肩に掛けたまま、咄嗟にベッドから飛び降りる。その場を離れた瞬間に、今までユリが座っていたところにレンドルフの大きな手が振り下ろされていた。レンドルフにしては今までにあり得ないほど荒々しい行動で、もしユリがそこから離れていなかったら押さえ込まれていたかもしれない。


「嘘、でしょ…?」


レンドルフに触れた瞬間、ユリの装身具が作動したのだ。ユリに対して殺意や劣情を向けた際に発動するもので、これまでに幾度となく接触していたのに一度もレンドルフに対しては作動したことがなかったのだ。だからこそユリはレンドルフを全面的な信頼を寄せていたので、それが瓦解したことに動揺を隠せなかった。


「部屋から出るんだ!」


ネイサンの声に我に返り、ユリは急いで扉から出た。膝を痛めているネイサンも、顔を顰めながら強引に体を起こして、まだ気を失って倒れているアイルを引きずるようにして部屋を後にする。そして即座に扉を閉め、片手に下げた鍵束に付いている鍵を全て使って扉を施錠した。一つは通常の鍵穴のあるものだが、他の鍵は魔道具の一種らしく、鍵穴もないのに扉に吸い込まれるように刺さった。


「レンドルフ!解毒薬を持って来る!それまでは何とか持ち堪えろっ」


扉を閉める寸前、レンドルフはベッドの上に蹲るような姿勢で荒い息をしていた姿が見えた。背を向けるような位置だったので表情は見えなかったが、その様子は苦悶しているようにも思えた。完全に扉を施錠してから、扉越しにネイサンが大きな声を上げる。


「解毒薬!?毒を盛られたの?」

「…ああ。強力な媚薬だ」

「な…!何でそんなものを」

「アイルには持ち込むなとは言い聞かせていたんだが…申し訳ない」

「私に使う気だったと」

「申し訳ない」


ジロリとユリがネイサンを睨みつけると、彼は再び深々と頭を下げた。


「でも、レンさんだって防御の装身具を付けてるのに」

「アイルの加護だ。こいつの加護は、薬剤の効能を一割程度上昇させる。弱い薬なら大した結果は出ないが…」

「元が強力だと、一割でもなかなかの数値になる、って訳ね。道理で」


ユリや周辺の護衛達は通常よりも強力な防御の装身具を身に付けていた。違法に強力な薬でも対処出来るようにしていたのだが、そのユリを眠らせて攫うことが出来たのはアイルの加護で更に効能が上乗せされたものを使用したので効き目が上回ったのだろう。それは部屋の中にいるレンドルフも同じだ。


「一時間以上そのままにしておくと廃人になる危険もある。解毒薬をすぐに持って来るから、ユリ嬢は安全な場所に避難していてくれ。さすがに貴女のところから迎えも来る頃だろう?」

「だけど…」

「この部屋はもともと敵将の監禁の為に作られたもので頑丈に出来ているが、あいつは馬鹿力だからな。理性が壊れた状態で貴女を前にしたら何をするか分からん。それはあいつが一番望まないことだ」


ネイサンは話をしながら、手早く置いてあったロープでアイルを拘束して行く。やはり凶悪犯を捕らえることに慣れている第三騎士団所属なので、簡単に見えて確実に動きを制御する結び方に迷いがない。


「悪いが様子を見て上手く逃げてくれ。もしあいつが扉を破ったら、アイルを転がしておけば…まあ、足止めくらいにはなるかもしれん」

「ええ…そこまで理性がなくなるヤツなんですか…」

「……そんなとこだ」


ネイサンはユリを心配しながらも誰かを付けておくことは出来ないので、何度も「気を付けろ」と繰り返して塔を降りて行った。レンドルフとの戦闘で足を痛めてしまっていたが、少々無理をしている様子で可能な限り急いで解毒薬を取りに向かった。



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「レンさん…」


ユリはすぐには動かずに、扉の向こうの気配に耳をそばだてた。何か時折暴れているような音が聞こえるので、レンドルフ自身が正気を保とうともがいているのかもしれない。

ユリは切なげな表情を浮かべると、閉ざされた扉の表面をそっと撫でた。



ユリは産まれてしばらくは病弱だった為に成長が悪く、12、3歳になっても10歳より上に見られることがなかった。レンザの看病とあらゆる薬を取り揃えてくれたおかげですっかり元気になったと同時に、急激な第二次性徴で一気に女らしい体付きになった。残念ながら身長への反映はなかったが、却ってそれがユリに困ったタイプの男性を寄せ付ける要因になった。その為大公家で総力を挙げて作り上げた防御の装身具なのだ。

レンドルフと会う時もその装身具は常に起動している状態だったが、あまりにも反応がないので故障を疑われたほどだった。そんなユリに対してどこまでも紳士なレンドルフに、薬の力で強引に劣情を抱かせられたことは分かっていても、ユリに取ってはかなりのショックだった。


しかしそのおかげでレンドルフの様子がおかしいのにすぐに気付くことが出来たのだ。せめて不幸中の幸いと思うことにした。それに、ネイサンとアイルに武器を取り上げようと触れられた際に、やはり装身具の反応はなかった。だからユリにはすぐに彼らは自分に危害を加える気はないのだとすぐに分かったのだ。



「もしかしたら、この万能の解毒の装身具を使えば…」


ふとユリは用心の為に装着していた物を思い出して、自分の腹を撫でた。そこには機動はさせていないがあらゆる薬効成分を無効化する特別製の装身具が巻かれている。通常の毒などは防毒の装身具で防げるが、一部薬効成分と認識されてしまう物の中にも人体に有害な効果をもたらすものもあり、そういったものは装身具が効かない。ユリが身に付けているのは薬の成分も纏めて無効化する特殊な物で、回復薬ですら無効にするので実用には向かないのだ。しかし通常の防毒では効かないものを凌ぐ為に、一時的に使用するのはかなり有効だ。以前、レンドルフが凶悪な毒を持つ蛇に噛まれた時にもこれを使用して事無きを得た。

シュルリと自分の腰に巻き付けていた物を外して手に持つ。これは特殊過ぎて直接肌に触れさせないと効果がない。レンドルフに装着する為には、部屋の中に入らなければならない。


このまま待っていれば、ネイサンが解毒薬を持って来るのは疑っていない。しかし彼は足を負傷していたし、どこまで解毒薬を取りに行ったかまでは聞く余裕はなかった。ただ彼らの会話からすると、女性を攫うように指示した誰かは比較的近くにいる筈だ。その仲間の目を誤摩化してすんなりと解毒薬を持って来られるのかまでは分からない。


ネイサンにはそのつもりはなかったようだが、アイルはどこかの母子を助け出す為にユリを生贄にするつもりだったようだ。自害防止や魔力遮断の魔道具を装着させたり強力な媚薬を使用しようとしていたことから、ユリを誰かと強制的に子を成す行為をさせる計画だったのだろう。そしてアイルが漏らした「子を孕めば」という言葉と、ユリの外見を確認していたことから、誰かの代理で子を産ませようとしていたのだという予測に辿り着く。

必要なのは黒かそれに近い濃い髪色と、緑か青の瞳を持つ魔力の高い子供。その外見や特性を受け継いだ子を得る為に、それに該当する女性を攫ったのだろう。

そしてネイサンはその計画に従うフリをして、それが失敗に終わるように決して手を出しては行けないユリをわざと攫ったのだ。もし最初から大公女を攫うと知られていたら、絶対に手を出さないように命じられて別の女性を捜すようになっていたのは目に見えている。それだけアスクレティ大公家に手を出すというのは危険なことなのは、国内で貴族のことを知る者ならば理解出来る筈だ。



(放置すれば一時間で廃人の危険…それって、一時間以内に解毒薬を投与すれば必ず大丈夫って訳でもないのよね…)


時限爆弾ではないのだから、時間前に解毒すれば完全に安全と言うものではない。時間の経過とともに毒は体を蝕み、何らかの後遺症が出ないとも限らないのだ。

だが今のユリは魔力を完全に封じられた状態だ。この場所は魔力の流れをおかしくして上手く制御出来ないように作られている塔の中なので、レンドルフも制御は出来ないだろう。しかし全く使えないのと多少は使えるのでは雲泥の差があるし、そもそもユリとレンドルフでは力の差が歴然すぎる。完全に無力な状態で部屋の中に入り込めば、それこそ猛獣の檻に小ウサギが放り込まれた状態だ。


ユリはスカートのポケットに入れていた懐中時計を確認した。正確な時間は分からないが、まだレンドルフが媚薬を摂取してから10分程度しか経っていない筈だ。


「一瞬でも肌に貼付けることが出来れば…」


媚薬を投与されて理性が飛んでいる状態ならば、あちらから接触して来る可能性は高い。その隙を狙って装身具を装着出来れば動きを止めることも出来るかもしれない。

ユリはグッと手に装身具を握り締めて、どこかに入り込める場所はないかと探し始めた。塔の最上階にあるたった一つの部屋なので、すぐに周囲は回れてしまう。


「中の部屋の広さと、外周の大きさがおかしい…壁が二重になってる?それならどこかに隙間が…」


ペタペタと壁に触れていると、唯一二重になっていない塔の外壁に接している部分に、うっすらと切れ目が入っているのが分かった。おそらく部屋の内部構造から、唯一窓があった壁だろうと推察する。その切れ目にナイフを差し込むと、少しだけ隙間が開く。


(ここに暗殺者かなにかを潜ませて、部屋に入った者を制圧するとかかしら…)


金具が錆び付いていたので開けるのには苦労したが、どうにかユリが入り込める程度の隙間をこじ開けて体を滑り込ませる。中は想像していたよりも広く、きちんと採光の仕組みもあるらしく足元もよく見えた。しかしさすがに使用はしていなかったのか、降り積もった埃や蜘蛛の巣が大量に目に付く。ユリは袖で口と鼻を覆いながら、仕組みとしては中の部屋に入る為の出入口がある筈だと探し始めた。


(この狭さなら、レンさんをここに誘い込むことが出来れば身動きが取り辛くなってこれを巻き付けられるかも…)


ユリは作戦を考えながら、慎重に奥に続く壁の隙間を、蜘蛛の巣をくぐり抜けながら進んで行った。



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