235.最悪の騙し討ち
「お願いです!トミー爺と、弟を助けてください!」
「お願いします!」
少年がガバリと頭を下げると、それに続くように後ろにいた少女も同じように頭を下げた。
彼の言う「トミー爺」とは、ミリーが物心ついた頃から既に「トミー爺」と呼ばれる墓守だった。以前にチラリとミリーの父も「ずっと昔からトミー爺だった」と聞いたことがあるほど長年この墓地の墓守を担って来た男性だ。とは言っても最近は高齢の為に手が回らなくなり、スピロス家から一定の金額を渡して人手を確保し采配をする墓守の責任者を務めていた。
「彼は妻を早く亡くして、子供もいなかったと聞いていたのだけれど?」
「あ、あの…オレ…その、わたくし共は、孤児院の出で、血は繋がってません。でも、トミー爺が、跡継ぎにするから孫になれって…なるように言われて」
「そんな話は聞いてないけど…お兄様ならご存知かしら」
ミリーはユリ専属のメイドであるし、あまり積極的に実家には関わっていないのでそういう話があっても知らないこともあるだろう。確認してみないことには分からないが、目の前の子供達の言っていることに齟齬はない。
「その、トミーさんと弟さんがどうかしたの?」
「お嬢様」
「だって『助けてください』ってことは、何かあったんでしょう?話を聞いてみないと」
ユリがミリーの背後から出て来て、少し身を屈めて少年と同じ目の高さになった。ミリーは少し困ったような顔をしたが、薬師見習いである以上誰かが病気や怪我で困っているのなら話は聞かなければならない。
「二人とも、ちょっと前から咳がひどくて…軽い風邪だって言ってたから、ちょっと休めば治るからって…」
「そうじゃなかったのね?」
少年はぎゅっと手を握り締めて、無言で頷いた。少年の袖にぶら下がるようにしがみ付いている少女は、もう零れそうなほどに目に涙をいっぱい貯めていた。
「二人ともベッドから起きられなくなって、お医者様を呼んだら…トミー爺は酷い風邪だったけど、弟は…石肺病だって…」
その病名を聞いて、ユリが思わず息を呑んだ。高齢者の風邪も重篤化しやすいので決して軽視していいものではないが、彼らの弟が罹ったと言う石肺病というのは、特効薬を投与しないと確実に命を落としてしまう病だ。特に発症してから少しでも早く対処しなければ後遺症も残ってしまう。
「トミー爺は、どんなにお金が掛かってもいいから、弟に薬を売って欲しいって頼んだんだけど…いくらお金を積まれても、薬がないから手に入らないって言われて…」
石肺病の特効薬の原材料である金の青銅苔は、少し前にユリとレンドルフで採取をして多くの患者を救い、王都内では特効薬待ちをしている患者は一時的にいなくなっていた。だが、それでその後の発症がなくなる訳ではない。
「で、でもお医者様が、スピロス家の方にお願いしたら、もしかしたら…どこかにあるかもしれない薬を、探してくださるかも、しれないって…!」
そこまで伝えて、少年は堪えられなくなったのかポロポロと涙を零しながらしゃくり上げる。それに釣られたのか、少女の方も声を上げて泣き始めた。
スピロス家は医療や薬の象徴とも言われるアスクレティ大公家の分家だ。医療に携わる者ならば、誰しも直接的にも間接的にもアスクレティ家の力を借りている。その医者も、もしかしたらという可能性に賭けてみてはどうかという思いで彼らに教えたのかもしれない。
「弟さんの歳は幾つ?」
「た、多分、二歳…」
孤児院の子供ならば正確な年齢が分からなくても仕方がないが、特効薬の投与量は年齢などで繊細に変わって来る。ユリは少し逡巡してから立ち上がる。
「その弟さんと会わせて」
「お嬢様、いけません」
「でも、体格とか体重とかを測らないと投薬量が分からないわ。確か別邸の保管庫にサンプルを取ってあったでしょう。幼い子供なら間に合うかもしれないわ」
「え…じゃあ…!」
ユリの言葉に、少年が涙で濡れた目を上げて縋るように見て来た。しかしユリは眉根を寄せたまま難しい表情のままだった。
「本人を見ないことにはまだ分からないわ。残っているのは本当に僅かなの。量が足りなければ、効果は得られないの」
予測で希望を持たせて、結果的に足りなかったことを考えるといい加減なことは言えない。ユリの言葉に彼らは落胆したようだったが、それでも「弟を診てください」と頭を再び深く下げた。
ユリの判断にミリーは渋い顔をしていたが、潜ませている護衛達が何もして来ないところをみると本当にただの子供なのだろう。こうなってしまうとユリから離れないように着いて行くしかないのは長年の経験で分かっている。
「じゃあ、案内して」
「はい」
兄妹に案内してもらい、ユリは躊躇うことなくその後を着いて行く。ミリーもすぐに続いて、いつもよりもユリに近めの位置を取る。
(まだ症状も軽くて体力があるようなら、抑制剤と回復薬で時間を稼いで金の青銅苔の採取に行って…でもあの採取にはレンさんの力を借りなくちゃ。一番近いレンさんのお休みの日っていつだっけ?ううん、それよりも手持ちのサンプルで間に合うかもしれないし…)
「こちらです」
ユリは今後の対処を考えながら、少年に案内されるままに墓地の端の方にあった掘建て小屋に足を踏み入れた。
「お嬢様!」
普段ならば、見ず知らずの人間に初めて案内された場所に足を踏み入れるのだから、まず周囲に注意を払って踏み出していただろう。が、石肺病のことや、今度の対応について色々と思いを巡らせていた為に一瞬気が逸れていた。すぐ背後でミリーの只ならぬ声に我に返った瞬間、ユリの足元で白く光る魔法陣のようなものが出現した。
(これは、転移の…!)
即座にその範囲から出ようとしたのだが、何かひどくべったりとした甘い匂いが鼻を突いたかと思ったのを最後に、ユリの意識はプツリと途絶えた。
----------------------------------------------------------------------------------
レンドルフがエイスの街に隣接するようにある駐屯部隊に到着したのは、まだ昼よりも早い時間帯だった。入口の騎士に声を掛けると、話は既に周知されているのかすぐに開けてくれた。もっともレンドルフは高位貴族くらいしか所有していないスレイプニルに乗って来ていたし、これが王城所有の個体でも個人の所有であってもそれを使えるということはそれだけで身分が高いと判断出来るので、話が通っていなくてもすぐに案内されただろう。
「よーう、わざわざ来てくれて感謝するぜ」
敷地内に入って荷物を降ろそうとしていると、すぐにステノスが迎えに出て来た。大体の到着時間を報せてあったので、準備して待っていたらしい。さすがに王城騎士団の人間が出向でやって来るので体裁を整えたのか、ステノスにしてはきちんと正装を着込んでいた。その後ろからは、見るからに体を鍛えている長い金髪の騎士と、小柄でずんぐりむっくりした体型だが貫禄のある中年から初老のベテランといった印象の灰色の髪をした騎士が続く。こちらもきちんと騎士服を着込んでいて、襟章からするとステノスの補佐官という立場のようだ。
「お久しぶりです。本日からお世話になります」
「こちらこそ助かる。ま、今日はゆっくりしてくれ。正式な案内と紹介は明日になるが、もう今日からこの中は自由に動き回ってくれていいからな」
「お気遣いありがとうございます」
ステノスは後ろに控えていた二人を紹介する。金髪の騎士は副隊長のヨシメ、小柄な騎士は事務長のサカジと名乗った。
「あの、副隊長殿は以前お会いしていますよね?」
「わたくしのことはヨシメ、で構いません。覚えていただいて光栄です」
「ああ、レン、ここじゃ役職名はいらねえよ。ま、ちょいと畏まった場に出るときは付けることもあるが、基本的には呼び捨てでもいいってことにしてる。敬称を付けるのは個人の自由だが、レンもここにいる間だけでも呼び捨てにされてもあんまり怒らねえでいてくれるとありがてぇ」
「その方が楽で助かります」
実のところ駐屯部隊の人間はほぼ平民ばかりなので、平民の役職者と貴族の平騎士の関係はどの部隊でも難しい問題だと聞いていた。中に入るとまた違った側面も見えて来るだろうが、ひとまず部隊長のステノスがこの調子なのでそれに合わせれば問題はないだろう。
「このヨシメは趣味が筋トレで暇さえあれば鍛えて脱ぎ散らかしてるが、そこら辺にある銅像かなんかだと思えばそこまで鬱陶しくないからな。まあ、しかし腕は立つ。こっちのサカジは、昔はキレッキレの実戦部隊だったが、もう歳で三回剣を振るうと息が上がっちまうから、事務方に回した。真顔でつまらねえ冗談を言うが、笑わなくていいぞ」
「は、はあ…よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、レンドルフ殿」
ステノスの雑な紹介に慣れているのか、二人は特に何も言わずに握手を求めて来た。近くにいたサカジの方と先に握手を交わすと、その手の平は驚くほど固くて分厚かった。身長はレンドルフの胸辺りまでなのに、手の大きさはほぼ変わらないのではないだろうか。レンドルフはこれがベテラン騎士の手なのかと少々感動していた。
ヨシメの方も、やはり鍛えているのか手の平は固く剣の握りダコはハッキリと分かった。そして何故か器用にも手を握っていない反対の方の手で、自身の胸元のボタンを外して大きくはだけさせた。レンドルフは、一瞬何かの挨拶の一種かと思って自分もした方がいいのかと視線をステノスの方に泳がせたが、ステノスとサカジは二人揃って無言でフルフルと首を横に振っていた。どうやらやらなくてもいいらしい。
「どうぞよろしく…」
「こちらこそ、よろしく!今度共に僧帽筋を見せ合いましょう!」
ヨシメが爽やかな笑顔で言い放つ隣で、ステノスとサカジはまたしても無言で首を振っていたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
「レンドルフさんのお部屋はこちらです」
ノルドを世話してくれる厩舎番に挨拶をして任せた後、積み込んで持って来た荷物を持って単身寮に案内される。王城の騎士団寮は基本的に単身の者しか入れないのだが、駐屯部隊は土地勘のある地元出身者が入りやすいため、一度故郷を出て家庭を持った者が故郷に戻って来て入隊する場合も多い。そもそもが領専属の騎士団や自警団などでは手が回らない場所に駐屯部隊の設置を求められているので、少しでも人手を確保する為に単身者だけでなく家族ごと住む場所を整備しているところが大半なのだ。このエイスの街の駐屯部隊にも、数は多くないが家族寮も建てられている。もっともそちらは部外者になる家族などが敷地内に入り込むことを避ける為、少し離れた場所にあるそうだ。
「送られて来た荷は、寝具以外は荷解きせずそのままです。お手伝いが必要であれば声を掛けてください」
「ありがとうございます」
「念の為、こちらの扉が非常口になっております。しかし身体強化出来る方は窓から避難した方が早いそうなので、万一の際はそちらをお勧めします」
案内してくれた中年の事務官は、クスリと笑いながら廊下の突き当たりにある非常口を開けてみせた。レンドルフが開けてもらった非常口から外を見ると、一応避難用の階段は設置されているものの明らかに狭かった。平均的な大人なら使えるかもしれないが、体の大きな者が多い騎士、その中でも極めて大柄なレンドルフでは確かに窓から飛び降りてしまった方が却って安全そうだった。レンドルフの部屋は、寮の建物の最上階の一番奥だ。最上階と言っても三階なので、身体強化を使えば簡単に窓から直接出入りも出来そうだった。しかしそんな考えが顔に出ていたのか、それとも同じように考える者が他にもいるのか、事務官に「平常時は中の階段をご利用ください」と言われてしまった。
「…ここは…その、使わせてもらってもいい部屋なのでしょうか?」
室内に案内されて、レンドルフはやけに広くて豪華な内装の部屋に思わず入口で立ち止まってしまった。
入るとリビングのような部屋に立派な応接道具が置いてあり、空にはなっているが立派な細工が施された飾り棚まである。そして奥にはまだ部屋があるようで、どう見ても一介の平騎士が使っていい寮の部屋ではなかった。
「今はここしか空きがなかったのです。申し訳ありませんが我慢していただけますと助かります」
「い…いいえ!こんな広い部屋、俺には勿体無いと言いますか…」
「この部屋は前部隊長が使用されていた部屋なのです。前部隊長は自分の屋敷も所有していたので、こちらは…まあ、部隊に顔を出した時のサボ…休憩用に使用していた部屋で」
確かステノスの前の部隊長は貴族出身で、身分を嵩に恐喝や賄賂などを受け取ったりしていたことが発覚して失脚したと聞いていた。冤罪で犯罪者をでっち上げて、秘密裏に領主に売りつけていた人身売買にも荷担していた筈だ。
「あ、あのきちんと清掃はしてありますので」
「ありがとうございます。ありがたく使わせてもらいます」
「そうしていただけると…レンドルフさんの寝具はこちらの部屋に設置しております」
前に使用していた人間に問題があると、次の使用者が嫌がるということを聞いたことがあるので、事務官はレンドルフがそれを懸念していると思ったのかもしれない。レンドルフは分不相応に豪奢な部屋なので戸惑っていただけで、前の使用者についての抵抗は無い。
案内をされると、リビングのような部屋の隣は、せいぜい湯を沸かす程度だろうが小さなキッチンと大きなサイドボードがあり、更に奥のもう一部屋に寝室があった。そこに入ると、見慣れたシンプルでサイズだけがやたらと大きなレンドルフのベッドが置かれていた。内装からするとどう見ても浮いているが、別に誰かを招く訳でもない。そしてベッドの隣には梱包に包まれたままの塊が置いてある。あれはサイズが合わないことを懸念して王城の寮から送った机と椅子だ。本来は寮に必要最低限な家具などは置かれているのだが、サイズが足りないことは分かり切っていたので特注で作ってもらった王城での寮のベッドを特別に送らせてもらったのだ。短期間ならともかく、進捗次第ではどのくらいになるか分からない出向任務である為、きちんと日々体を休めることは重要だ。
「あちらはバスルームになっておりますが、この寮の地下に大浴場もありますのでご自由にお使いください」
「大浴場はありがたいです」
一通り案内してくれた事務官は、レンドルフに寮内と敷地内の説明書類と鍵を渡して退室して行った。
「…これに慣れたら、王城に戻った時が大変だな」
一人になってあちこちを覗いて回って、住んでもいないのにこれだけ立派な部屋を独占していた前部隊長の人となりが透けて見えるようだが、広い部屋を宛てがってもらえたことはありがたい。しかしこの広さに慣れてしまうと、必要最低限のものしか置いてない王城の寮の部屋に戻った時に色々と感覚が狂ってぶつけてしまいそうだ。ぶつかるだけならいいが、レンドルフの場合は破壊しかねないので、来たばかりなのについ戻った時の心配をしてしまったのだった。