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234.出発と墓参


レンドルフがエイスの街の駐屯部隊に出向になったのは、公表されてから一週間後のことだった。周囲の関係者にはそれよりも早く通達されていたので、同じ部隊の仲間にはそこまで影響はなかった。もっとも部隊の主戦力のレンドルフが一時的に抜けてしまうので、その間はあまり長い遠征任務は回されず、数名の新人を一時的に加入させて教育担当の部隊に任命されることになった。当初の予定ではレンドルフが所属する部隊ごと出向予定だったのだが、事情があってレンドルフが一人で行くことになったのだった。

その情報が公表された時に一番衝撃を受けていたのは、残さず綺麗に食べてくれる上に顔が良いと彼を気に入っている食堂勤務のシェフ姉妹だった。それから出向になる前日まで、食堂では毎日甘い物が好きなレンドルフの為にデザートがたっぷり添えられることになって、レンドルフと一部の甘味好きな騎士達が嬉しそうに食べている姿が見られたのだった。



今回レンドルフがエイスの街に出向になった任務は、以前定期討伐に参加した際に遭難していたギルド付きの斥候の男性を助けたことと関わっていた。


斥候の男性はナナシといい、盲目ではあるが強い魔力と高い魔法力で周囲を探知するので通常の人間以上に周囲を探索することが可能な能力を持っていた。その為、ギルドが抱えている中でも最も優秀な斥候として働いていたのだ。レンドルフが助ける切っ掛けになったのは、定期討伐前に魔獣の生息状況を把握する為に斥候に出された際、途中で強い呪詛の魔道具を発見して動きを止めたものの、魔力を制御する杖を壊してしまい身動きが取れなくなっていたことだった。


その後呪詛の魔道具や周囲の影響については騎士団預かりになり、当時は長期休暇中だったレンドルフは関わっていなかった。しかし今になって定期討伐時に遭遇した魔獣の異変や、川の水や周囲の植物などの異常がその呪詛の魔道具に関わっていると判明したようで、当時図らずも深く関わっていたレンドルフに調査の協力依頼が来たのだった。


現在レンドルフはオスカーが率いる部隊に所属している為、部隊ごと出向することが提案された。その件は一旦オスカーも承諾したのではあるが、調査に同行する当事者の一人であるナナシが特殊魔力持ちらしく、顔合わせの際にショーキが同じ部屋に入った瞬間倒れて人事不省に陥ってしまった。ナナシは普段魔力を制御する杖を使用していてそこまでの影響はないが、それを使用しても魔力や体質の合わない者が一定数いるらしい。その中でもショーキは特に拒絶反応が激しかったようだ。

こればかりは体質なので仕方なくショーキは外されることになったのだが、顔合わせがあった日に帰宅したオルトが妻のベルに抱きつこうとした瞬間「臭い!!」と叫ばれて家から叩き出されてしまった。オルト自身は何でもなかったが、体に残っていたナナシの魔力を妻のベルは悪臭と捉えたらしい。超が付くほどの愛妻家のオルトはかなりショックを受けて、この任務を受けるなら騎士団を辞めると翌日辞表を携えてまで任務の辞退を申し出た。

そして何ともないと思われた部隊長のオスカーも、帰宅して末娘を抱き上げた途端に「パパ!くしゃい!!」と拒絶されたらしく、オルトと共に翌日ひどい顔色をしていた。

ショーキがそれを聞いてポツリと「それはアイツのせいか分からないんじゃ…」と呟いていたが、幸いにもその呟きはショックを受けていた二人の耳には入らなかった。


とにもかくにも結果的に唯一当人に害もなく、生活を共にしている人間もいないレンドルフだけが出向という形に落ち着いたのだった。



「レンドルフ先輩、実家の焼き菓子持って行ってください」

「買い取ると言ったのに…」

「それは今度でいいです。言っていただければ送りますから」

「じゃあありがたく貰って行くよ」

「すみません…ご一緒出来なくて」


レンドルフが私物をノルドに積み込んでいると、ショーキが一抱えもありそうな紙袋を持って見送りに来てくれた。そこから甘い香りが漂って来る。彼の実家は王都で焼き菓子などを販売している店を経営しているので、レンドルフは時折ショーキに頼んで買っていたのだ。


「体質なのは当人がどうにか出来るものじゃないだろう。冒険者の友人もナナシに会った時は側に近寄れなかったしな」


すっかりしょげ返っているショーキから紙袋を受け取ると、レンドルフは軽く彼の頭をクシャリ、と撫でた。レンドルフは許可を受けていつもエイスの街に行く時の栗色の髪に変えているので、茶色のショーキの髪がいつも以上に親しみを感じる。そんな会話をしたせいか、レンドルフはあの時共に討伐に行った「赤い疾風」の彼らは元気だろうか、と思いを馳せた。特にナナシの魔力に随分と拒否反応を起こしていたタイキは、現在分かっている時点では世界に一人しか確認されていない竜種の血を引く存在だ。ショーキは獣人であるし、もしかしたらナナシの魔力は人族でない血が入っていると過剰反応を起こしやすいのかもしれない。


基本的に冒険者は、いつ、何が原因で命を落とすか分からない危険と隣り合わせの職業だ。その分自由で、自分で仕事を選ぶことも出来るし、実力さえあれば一攫千金も夢ではない。そして大半が定住の地を持たないので、同じパーティメンバー以外の者とはあまり連絡を取り合わない。それこそ明日に突然消息不明になるような存在であるので、冒険者は「便りがないのは元気な証拠」で、出会いも別れも気軽に、という不文律があるのだ。その為、「赤い疾風」とは定期討伐で随分と親しくなったが連絡が来ることは滅多にないし、レンドルフ自身もそれに倣ってあまり連絡することもない。来たのは一度、どこかのダンジョンを制覇した、という自慢の報告だった。それに対してレンドルフは「おめでとう」とあっさりした返信をする程度だったが、冒険者同士は本当にその程度で十分らしい。


「レンドルフ先輩が任務を終えて帰るまで、うんと強くなっておきますから!」

「期待してる」


握りこぶしを作ってキリリと眉を吊り上げるショーキを、レンドルフは微笑ましく思いながら軽く背を叩いた。

今日レンドルフが出発することは決まっていたので同じ部隊のオスカーとオルトも見送りに来る筈だったのだが、オスカーは緊急の部隊長会議の招集がかかり、オルトは別の部隊長が担当する筈だった新人騎士の訓練教官に駆り出されていたので適わなかった。レンドルフとしては、長らくの別れでもないので却って気楽で良かったかもしれないと思っていた。


「何かあったら連絡してくれ。エイスの街なら半日あれば戻れるから」

「はい。先輩、お気を付けて!」

「ああ、行って来る」


レンドルフは胸の前に手を添える騎士の礼をしてノルドに跨がった。その仕草にショーキは感動したようなキラキラした顔になって、同じように礼を返した。

足の速いノルドはあっという間に走り去って見えなくなったが、ショーキはしばらくその場に立ってレンドルフが消え去った方向を眺めていた。


「やっぱり、ああいう人が騎士の礼をするとカッコ良いなあ…」


リス系獣人の特性なので仕方がないが、ショーキは鍛えてもあまり筋肉が付かない。その分身軽で、索敵や斥候などで十分騎士団でも役に立てるとは思っているが、それはそれとして物語にでも出て来そうな逞しく頼りがいのある騎士そのものなレンドルフを羨ましく思う気持ちもあるのだ。


「ま、僕は僕で頑張るか」


切り替えが早いことも自分の長所だと自覚しているショーキは、教官をしているオルトの手伝いにでも行こうかと訓練場に足を向けたのだった。



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ユリはミリーだけを隣に連れて、花束を抱えながら人気のない石畳を歩いていた。

ここは王都の端にある大公家が治めている土地の一つで、アスクレティ家に連なる者達の墓がある。領地を持つ者はそれぞれの領地に墓を建てているが、領地を持たない者も多く、ここにはそういった縁戚や長く大公家に仕えていた者達が丁重に葬られている。


今日のユリはシンプルな黒のワンピース姿で、つばの広い黒い帽子、顔の部分は黒のレースが半分ほど覆うようになっている。着けている装飾品は、胸元に揺れる乳白色の魔鉱石のペンダントと、黒のレースの手袋の上からシンプルな立て爪の石が付いた指輪だけだ。隣にいるミリーも、似たような黒装束で、一目見てこの先の墓地に向かうことが分かる。


ユリは幾つも似たような墓石が並ぶ間を迷わず進み、目的の石の前で足を止めた。その墓石の前には、少しだけ萎れているが真新しい花束が幾つか置かれている。その隅には控え目にピンク色をした瓶が備えてある。ユリの記憶にはないのだが、ここに眠っている故人が生前好んでいた薔薇と桃の香りがする果実水だそうで、毎年ここに来る度にここに置かれていた。


ユリは静かに抱えていた花束を置くと、膝を付いて祈りを捧げる。少し長めの黙祷の後、ミリーが手にしていたバスケットの中から、既に備えてある果実水の瓶と同じものを取り出して、小さなガラスのカップを三つ並べる。そして瓶の蓋を取ると、そっとカップに注いだ。フワリと周囲に甘い香りが広がる。


「マリア…私、薬師の資格試験が受けられるようになりました。すぐには合格は難しいけど、きちんと受かって薬師になるから」


ユリは敢えて声に出して、手にしたカップを捧げるように墓石に向ける。そして半分ほど注がれた果実水を一気に飲み干した。その隣に控えていたミリーも、薄く微笑みを浮かべてユリに続いてカップを空にした。



この墓には、ユリの侍女であったマリアが眠っている。ミリーはこのマリアの娘であり、自ら望んで母の意志を継いでユリの専属メイドになれるように研鑽しその夢を叶えている。彼女の命日は三日前であったが、ユリは当日は家族で静かに偲んで欲しいと毎年数日遅れで墓参を行っている。ミリーは家族なのだから合わせなくてもいいのに、と言ってはいるのだが、ミリーはユリと共に来たいと主張して毎年一緒だった。



ユリにとって、当時の唯一の味方であり、ユリの為に命を落としてしまったマリア。彼女の献身により死にまみれた泥沼から救い出されたおかげで、ユリはこうして明るい場所に立つことが出来ている。

しかし残念なことに、ユリの記憶の中にマリアの存在は殆ど残っていない。ただぼんやりと心が暖かくなるような感情と、幾つかの優しい思い出と、彼女の死を知った時の胸が引き裂かれるような強い悲しみだけだ。


本当は、両親にも持て余されて押し付けられるような形になったユリを、一度も会ったことがなかったレンザが処遇に迷っていた頃に、母方の祖父にあたる家が大公家からの援助金目当てで引き取った時からマリアはユリに付き添っていた。その時は今では考えつかないほどレンザはユリに無関心で、それをいいことに引き取られた家でユリは冷遇されていた。それが漏れないよう、ユリを従順な操り人形にする為に使われていた違法な洗脳のせいで、当時のユリは切れ切れにしか記憶がないのだ。

そのことをマリアが命懸けでレンザに報せたことによりユリは救出され、皮肉にもマリアの死を知らされたことでユリが感情と魔力を爆発させ洗脳を解く切っ掛けとなった。


ただ、あまり当時のことを覚えていないユリに背負わせるにはあまりにも重すぎるとして、幾つかの事実は伏せられて伝えられた。両親は病弱だったユリを助ける為に王都のレンザに預けようとした途中で、不幸な事故に巻き込まれたこと。唯一の息子夫婦が亡くなったことでレンザが後処理に奔走している間にユリを母方の実家に託したこと。しかしその先で適切な治療をされなかったこと。冷遇されていたことが判明してレンザが罰を与えてユリを引き取ったこと。事実を混ぜながら、ユリの心が壊れてしまわないように、ユリの中に残っている記憶と繋ぎ合わせて現実よりも少しだけ柔らかな過去を作り上げた。

そしてユリを助ける為に命を落としたマリアは、その事実を伝えるのはユリには非常な負担になるとして、買い物の途中で事故に巻き込まれて亡くなったのだと教えてある。



「…それからね、あの時の騎士様にまた会えたよ」


ユリがいつもより少し低く、柔らかい口調で呟く。


かつてまだレンドルフが学園に通う学生だった頃、一度だけユリは彼に出会って助けてもらっている。その時のユリは変装もしておらず、今とは大分印象も違っているのでレンドルフは同一人物と気付いていない。しかし周囲から冷遇されていたユリにとって、その出会いは数少ない宝物のように大切で美しい思い出なのだ。


「あの時と変わらない…ううん、あの時よりももっと素敵で優しい、立派な騎士様になってたよ。……だから、安心して?」


まるでユリの言葉に返答するかのように柔らかい風がクルリと周囲に渦を巻いて、ユリ達の服の裾を揺らした。隣にいたミリーは、微かではあったが確実に母マリアの香りを感じた。彼女が昔から好んでいた、甘く石鹸の香りを思わせる優しいものだ。ユリもミリーも彼女が愛用していた思い出の香水を持ってはいるが、今日は使っていない。ミリーは本当に母がユリの言葉を聞いてそれに応えてくれた小さな奇跡なのだろうと思い、少しだけ目の奥が熱を帯びたような気がした。



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ミリーが持参したカップを魔道具で洗い清めた後、専用のケースに丁寧にしまい込む。他の持ち込んだものは、花が朽ちる頃に墓守が回収してくれるので、封をしたままの瓶の脇に少しだけ減った同じ瓶を置いた。


「さあ、お嬢様、帰りましょう」

「うん。でも本当にスピロス家に顔を出さなくてもいいの?ミリーの実家なんだし、挨拶くらいはした方がいいんじゃない?」

「大丈夫です。お嬢様にアレは視界に入れたくないので」

「アレって…」


ミリーの実家のスピロス子爵はアスクレティ大公家の末端分家の一つで、ごくごく薄いが血縁でもある。生まれは商家の平民だったマリアがしっかり者の性格を見込まれて嫁いだ先で、当時は領地のない男爵家であったが、マリアの死後に大公家から感謝の報賞として子爵位と広大ではないが温暖で豊かな領地を与えられていた。

ここは男爵だった頃のスピロス家が管理していた土地で、墓所の手入れをする役割を受けていた為、隣接する地区に爵位にしては広いタウンハウスを所有していた。現在子爵位と領地を得てもまだ墓所の管理を任されているので、そのままスピロス家のタウンハウスにはミリーの兄と父親が暮らしている。

本家のユリが顔を出しても問題はないのだが、ミリーは墓参を終えるとすぐに帰ろうとするのだ。どうもこのスピロス家は女性の方がしっかり者の気質らしく、王都の屋敷にいる当主になっている兄と引退した父をユリに会わせたがらない。ミリー曰く「決して悪い人間じゃないんですが、あんなのと血縁だと思われて私が解雇されたら困ります」ということだ。実質補佐役に付いている姉夫婦が領地に居を構え、領政を回しているというのはユリの耳にも入っている。ミリーは話したがらないのでどういった方向に問題があるか少々興味本位で会ってみたい気もするが、今のところは適わないでいた。



「あの…スピロス家のお方でしょうか…?」


不意にそう声を掛けて、墓石の影から小さな少年と少女が恐る恐るといった様子で出て来た。まだ少年の方は10代になるかならないかといったところで、その隣で背中に隠れるようにして顔だけをのぞかせている少女はもっと幼いようだ。二人とも癖の強いふわふわした茶髪で、顔立ちもよく似ていたので一目で兄妹だろうと予測が付く。着ているものはいかにも平民のもので、その中でも特に貧しい者達なのか、擦り切れあちこちに継ぎ当てがありサイズも合ってはいなかった。


「何の用でしょう?」


幼いと言っても、明らかに貴族と思われる相手にいきなり声を掛けて来たのだ。ミリーが警戒してユリの前に立つ。ミリーが側にいるし、静かに墓参りがしたいというユリの希望を汲んで護衛は見えるところにつけてはいないが、遠巻きに潜ませている「影」はいるはずだ。幼いから危険はないと見逃されたのかもしれないが、ミリーは油断せずに尖った声で聞き返す。


「墓守の、トミー爺の…孫、です」


ミリーの勢いに押されるように、少年の方がおずおずと口を開いた。その名に聞き覚えがあって、ユリとミリーは思わず顔を見合わせたのだった。



そろそろ本格的に不穏が仕事始めます…と思ったら、辿り着く前に終わってしまいました。次回辺りから色々と動きます。

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