232.甘いクレープと苦いシュークリーム
ガラスペンとインクは専用の美しい箱に入れられて、それぞれ色の違う手提げに入れてもらった。ユリの方は淡いピンク色の可愛らしい色で、レンドルフの方は黒に近い濃紺のものだった。店側が敢えて互いの髪色に近くなるように気を利かせてくれたのだろう。
軽いものでも荷物を持とうとするレンドルフの手を断って、ユリは嬉しそうな顔で胸に小さな手提げを抱えていた。その様子を見て、レンドルフも衝動買いではあったが注文して良かったと心から思う。見本にはなかったレンカの花をオーダーしたのでその分文具品としては破格の金額になっているのだが、それはユリには告げる気はない。それに細工も出来映えも素晴らしいものだったのでレンドルフも十分満足していた。
「本当に素敵なものをありがとう!今度レンさんに合いそうなものを見つけたら贈らせてね」
「えっ…そんな…」
「私が選びたいの。だから、ね?」
「う、うん…その、ありがとう」
「それは選んでから言って?」
「あはは、それもそうだ」
店を出て馬車に乗り込むと、同乗して来たのはエマだけだった。
「フェイお兄様は無事に妹様を大切に守って下さる方にお預けしましたので、ここでお役御免になりました」
顔に出ていたのか、尋ねる前にエマが澄ました顔でそう告げて来た。とは言っても、別の形で近くに護衛として控えているので大丈夫だとも付け加えた。乗れなくはないが、体格の良い男性二人が乗った馬車はさすがに窮屈だろう。レンドルフはフェイに申し訳ない気持ちになったが、いくら努力してもどうにもならないことはあるのだ。
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目当ての店に到着すると、予約をしていない客が列を成していた。並んでいるのは女性客ばかりで、それを追い抜くようにレンドルフが通過するとほぼ全員に注目される。きちんと予約しているので別に悪いことをしている訳ではないが、隣にユリがいてくれることがこういった場面では心強い。
店内は外と同じように女性客が大半だったが数名は男性の姿が見える。予約をしていたからか奥の席に通されたので、ユリは観葉植物のある方の席をレンドルフに譲った。これで完全に隠れる訳ではないが、多少は目隠しになる。ユリは全く気にならないが、レンドルフのようないかにも騎士然とした体格の男性が甘い物を食べている姿をあからさまに奇異な目で見て来る者は一定数存在するのだ。せっかく楽しみに来たのだから、レンドルフには気持ちよく美味しく食べて欲しいと思ったのだ。そんなユリの気配りに気が付いて、レンドルフも「ありがとう」と小さく呟いていた。
食べ放題の簡単なルールを聞いて、早速専用のメニューを開く。
「どれも美味しそうだ」
「面白い組み合わせのもあるのね」
食べ放題のクレープはハーフサイズで、シェアは禁止となっていた。皮に使用する材料も何種類かあって、その中から選べるが、メニューにはお勧めの組み合わせが書かれている。
「コメ粉ってあるね。どんな感じなんだろう」
「モチモチして食べごたえがあるよ。前にスイ国風の料理で出て来た蒸したスイギョの皮にも使われてたんじゃないかな」
「知らないうちに食べてたのか。あれは美味しかったし、まずは海老と野菜のクレープをコメ粉で頼んでみようかな」
「私はスモークサーモンと野菜の組み合わせにするわ。あとは…鴨肉のオレンジソースも美味しそう」
二人でメニューを眺めながら色々な組み合わせに目を奪われる。色々と注文してしばらく待つと、一気に数種類のクレープが皿に盛り合わせでサーブされる。食べ放題なのにどれも見栄えよく飾り付けてあって、すぐに手を付けてしまうのが勿体無いほどだった。シェアは出来ないので端から食べて感想を述べ合って、次の注文の参考にしたりしていると、ユリの方があっという間に満腹になってしまった。
「私はゆっくりデザートの一枚を食べてるから、レンさんは気にしないで好きなだけ食べてね」
「うん、ありがとう」
ユリは最後にこの店の名物の薔薇クレープを注文して、ゆっくりと飲み物と楽しむことにした。片やレンドルフは、ある程度食事系を楽しんだ後に、甘いクレープに本腰を入れたところだった。ユリも食べる方ではあるが、そもそも体格が違い過ぎる。次々とレンドルフに吸い込まれて消えて行くクレープを見ていると気持ちが良いほどだった。
薔薇クレープは、クレープの皮を薔薇の花の形に似せて美しく丸めたもので、その上から好みのフルーツソースを掛けてもらうものだ。一番の名物は青い薔薇クレープで、鮮やかな青いソースとほんのりと青いクリーム、その上からアラザンを散らした涼しげな見た目のものだった。先に食べていたレンドルフ曰く、色が付いているだけで味は甘いミルク味、と言っていたので、ユリはレモンソースにクリームチーズを添えて、葉に見立てた櫛切りのオレンジという柑橘系をチョイスした。
「どれも美味しいけど、色々な味を食べているとシンプルに戻りたくなるな…」
レンドルフはオレンジにチョコレートソースがかかったものや、キャラメリゼしたバナナとナッツと生クリーム、バニラアイスにベリーのコンポートなどを平らげ、その合間にシンプルなブラウンシュガーやハニーバターなどを三回ほど挟んでいた。甘い物が大好物なレンドルフが言うと、何となく一家言あるように聞こえる。
ユリはゆっくりと自分の皿を突つきながら、食べられなかった種類のクレープを食べているレンドルフにどんな味なのか聞いていた。レンドルフは結構的確に味を表現してくれるので、食べていなくても何となく想像が付く。そんな会話をしていると、不意にレンドルフが何か思い付いたように少し不安そうに眉を下げてユリに尋ねて来た。
「あの…ユリさんは目の前でこんなに甘い物食べて大丈夫?ユリさんあんまり得意じゃないのに。今更だけど、気分悪くなったりは…」
「全然。いつもレンさんは美味しそうに食べるなあ、って思ってる」
「…それなら、良かった」
「初対面から食事おかわりしてケーキもしっかり食べてたし?」
「そうでした…」
エイスの街に初めて行った際に、レンドルフには初対面のユリに連れて行ってもらったミキタの店で特大ハンバーグをおかわりした上、試作品のケーキをユリの倍以上は食べていたのを思い出して少しだけ顔を赤らめる。
「レンさんは食べ方も綺麗だし、美味しそうに食べるし、食べ物の好みも近いから一緒に食べてて楽しいよ。それに沢山食べる人はす…いいなあ、と思うし」
一瞬「好き」と言いかけてユリは慌てて言い変える。しかし言い換えたところで受けたレンドルフは耳まで赤くして俯いてしまった。何だかその反応を受けて、ユリも気恥ずかしくなってしまって顔が熱くなる。それを誤摩化すように慌てて冷たい水を一口飲む。
「ゴメン、急に甘い物苦手な人の前で食べ過ぎて『見てるだけで胸焼けがする』って言われたことを思い出して…」
「それは酷いわ!嫌いなものを口に押し込んだ訳でもないのに、勝手に文句言うなんて!」
「もう会うこともない相手だから…ユリさんがそう思ってないなら、俺はそれでいいから」
少々憤慨したように眉を吊り上げるユリが、レンドルフの目からは仔猫が威嚇しているような微笑ましさがあって、更に何故かその姿に嬉しさまで覚えてしまい、思わず口角が上がりそうになるのを堪える羽目になってしまった。ユリが自分の為に腹を立てているのに、それを当人が笑って眺めてしまうのは大変よろしくない。
「レンさんが、もう気にしてないなら…いいけど」
「うん、もう全然。ただ本当に偶然会っただけの人だったし」
「それ、どういう状況?」
学生時代の卒業間近だった頃、小腹が空いたと言われて同級生に誘われて入ったカフェで偶然その同級生の婚約者と連れの友人と出会い、そのまま同席した時のことだった。先に来ていたレンドルフと同級生のテーブルにその婚約者と友人の令嬢二人が合流する形だったのだが、先に店の名物特大シュークリームをレンドルフは注文していたのだ。その友人の令嬢が見るのも嫌な程甘い物が苦手だと分かっていたら注文しなかったのだが、後から偶然の合流だったので予測出来なかった。そもそも初対面なので、甘い物が苦手ともレンドルフは知る由もない。そこで文句を言われてしまったので、レンドルフは怒るとか不快と思うよりも驚いたままその場は終了になった。
後からカフェに誘った同級生に平謝りされて、レンドルフは間が悪かったと笑ってその場を収めたのだった。
「それって…」
「もう顔も覚えていないような人なんだけど、言われたことが妙に頭に残ってたみたいだ」
(それ、レンさんに相手を紹介しようと同級生が場を整えたんじゃないの…!?)
その甘い物を食べているレンドルフに文句を言った令嬢がそれを知っていたかは微妙だが、それで一気に場が悪くなってそのまま話は立ち消えになったのだろう。だから鈍いレンドルフが気付かなかったのだとユリはすぐに察した。それならばわざわざ蒸し返すことはない。顔も覚えていない相手なら、レンドルフの中には何も残らなかったということだ。
「レンさんは甘い物を食べてるとき、すごく嬉しそうな顔してるよ。だからそれを見てるとこっちまで嬉しくなっちゃう」
「ユリさんが、そう言ってくれるなら…ありがたいな」
「うん!だからどんどん食べて!」
「…いや、さすがにそろそろ満腹になって来た…」
そう言いながら、レンドルフは締めにシンプルなシュガーバターを注文した。これはユリも食べたもので、少し粒が残ってシャリシャリした砂糖と、塩気のあるバターの組み合わせがクセになりそうな味だった。
「もしかして全種類制覇した?」
「甘い方はしたかな。食事系のは…この辺は選ばなかった」
メニューを開いて、ある一部分にレンドルフはサッと指を走らせる。その辺りのメニューの共通点に気付いて、ユリは首を傾げる。
「レンさん、辛いもの苦手だったっけ」
「いや、ものすごい激辛とかじゃなければ平気。…なんだけど、思ったより辛くて水分沢山取ることになって食べたいメニュー食べられなくなったら惜しいとか…思って」
自身で言っていて恥ずかしくなったのか、レンドルフの声はどんどん小さくなって、最後には両手で顔を覆ってしまった。体の大きなレンドルフが乙女のような仕草をするのもどうかと思われそうだが、ユリからすると可愛らしく見えて来るから不思議であった。ただ、やはり観葉植物で半分以上隠れている座席を勧めておいて良かったと彼女は密かに思っていたのだった。
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注文分は全て完食して、そろそろディナーの時間帯にかかる頃合いになった。食事系のメニューやそれに合わせたアルコールも割と充実しているので、先程よりも男性客が増えて来たようだ。しかしほぼ満席なままだったので、まだ予約の時間は過ぎていなかったが、二人は店を出た。
どこかできちんと控えていたのか、姿が見えなかったエマが店を出るとすぐに近寄って来て馬車を呼ぶか聞いて来た。
「お腹いっぱいだから、ちょっとだけ歩きたいけどレンさんは大丈夫?」
「勿論。確かこの通りの少し先に公園があったから、行ってみる?」
「うん。出来たらゆっくりでオネガイシマス」
今日は沢山食べるつもりでウエスト部分を絞っていないワンピースを着てはいたが、少々食べ過ぎで苦しいのは変わりがない。レンドルフはあれだけ食べたのに平然としているので、一体どこに消えているのかユリはちょっと不思議に思った。
差し出されたレンドルフの左手にユリが手を重ねると、親指に嵌めた指輪の固い感触に触れる。レンドルフの温かい手に少しだけヒヤリとした感覚が新鮮で、半分無意識的にユリは指輪に小指を絡めるように手を握っていた。普段は軽く手を重ねるように繋いでふんわりと包み込むようにしているのだが、ユリの方から積極的に指を絡ませて来たのでレンドルフは妙に緊張してしまった。心の中で「平常心、平常心」と呟いているのだが、その時点で既に平常心ではない。
そのゆっくりと並んで歩く二人の後ろに控えていたエマは、不思議な絡ませ方をしているユリの手と、ほんのりと耳が赤くなっているレンドルフの後ろ姿を微笑ましい気持ちで眺めていたのだった。