229.来客への正しい対応
ユリからの報告書の束を受け取って、軽く目を通したレンザの眉間に皺が寄るのをユリはしっかりと目撃していた。絶対にユリには向けない渋い顔に、少しだけ「おじい様渋カッコ良い」とときめいていたのは小さな乙女の秘密だ。
「まあ、これでいいだろう」
レンザは執務机の脇に設置している箱の中に報告書を放り投げた。本当は報告書の態を成していないものもあるのだが、研究に関しては天才でも事務能力が皆無な者が多いのは、レンザがかつて学園都市で教鞭を取っていた時に嫌というほど知っていた。可能ならば一人の研究者に対して少なくとも一人以上の事務方も出来る助手を付けたいところであるし、実際それだけの人を雇うだけの財力もあるのだが、相応しい人間を捜し出すことが非常に困難なのだ。何せ研究を書類に纏めるだけの知識を持つくらい学んで来た者に、人に使われることを許容出来る人間は少ない。ある程度知識が付くと自身で研究をしたがるため、誰かの下に付くのは抵抗があるし、それが絶対に敵わない高みにいる存在だと認識すると矜持が邪魔をする。傍から見ると、助手の才はあると思えるのだが自覚していない者が多いことをレンザは残念に思っていた。しかし強引に助手を任せて、それが禍根となることは一番避けたい。あまり他国と交流を望まないキュプレウス王国と何年もかけてようやく漕ぎ着けた限定的な国交だ。これが失敗に終われば、今後の国交は絶たれることになるだろう。
それだけに、この中に入れる人物は厳選しなければならないのだ。
「ところでユリ、明日の休暇予定だが…変更は可能だろうか」
「え…ええと…」
「レンドルフくんとの食事の約束には間に合うように調整するよ」
「ご、ご存知でしたか…」
「これでも当主だからね。護衛の動きくらい把握しているさ」
「はい…そうでした…」
明日の夕方にはレンドルフとクレープの食べ放題を予約している。それが全て筒抜けになっているのはある程度は分かっていたが、正面切って告げられると少々恥ずかしいものがある。
「その、変更の理由は」
「明日、面倒な客が来る」
ユリが尋ねたところ、レンザにしては珍しく不機嫌な感情を声にも露にして顔を顰めたのだった。
急遽の申込で、明日レンザに面会に来るのは第三騎士団団長のダンカン・ボルドー侯爵だった。
第三騎士団は、王都だけでなく国内全域の凶悪広域犯罪に対処する任を負った騎士団である。
基本的に王都以外の領内で起こった犯罪などは、各領主によって対処される。が、幾つもの領を渡り歩くような広域で犯罪を行った者などは、情報の共有が不足していると捕縛された土地での処罰が変わることがある。例えば遠い領内で殺人など重犯罪を犯した者が、捕縛された領地では一度だけの盗みしか把握されていないと軽犯罪で済まされてしまうこともあるのだ。他にもその罪人が領主の血縁などの場合、罪状を忖度されることもある。そんな罪人有利な抜け穴を少なくする為に、第三騎士団はトップに王族を据えて、どんな身分の者であろうと裁くことの出来る騎士団なのだ。
そして時にそれは国外にも及ぶこともある。その為、第三騎士団団長は王の代理として、凶悪と見なされた犯罪者を裁く際にその場に限り王権を行使する権限が与えられている。各国の王同士で連絡を待っていたのでは時間が掛かり過ぎ、証拠や痕跡なども隠されてしまうことや、もっと大きな事件に発展してしまう可能性もある。そうならないように、オベリス王国に法に則った大鉈を振るう権限を有している者が迅速に裁定を行わなくてはならない。その為、第三騎士団は代々王族が団長に任命されているのだ。
今代の団長の実家であるボルドー侯爵家は、数代前に王妹が降嫁する際に持参金の一つとして新設された家門だ。そして先代では更に王族の血縁を妻に迎えている。臣籍降下して傍系であっても王族の血が濃く入っていることと、ダンカン自身剣の腕も立ち常に冷静で頭脳明晰な判断力に恵まれた逸材であるので、近年では最高の第三騎士団団長と評価が高い。玉座はあり得ないほど遠い順位ではあるが、王位継承権も有している。
「そのボルドー団長様が何の御用で?」
「最近、犯罪被害者の中に『吸血茨』を意図的に使用された者が数名見つかっている。その入手先を探しているらしく、ウチでも取り扱っているので保管状況を知りたいそうだ」
「ああ、私が保管場所の説明をするんですね」
「そうだ。『吸血茨』の管理責任者はミランダくんだが、彼女ではちゃんとしているものもちゃんとしていないような説明をするだろうからな。何ら疾しいところがなくても疾しく見える」
「それは…」
もう周囲も慣れてしまったが、ミランダは研究熱心なあまりあちこちで「血をちょうだい〜」と声を掛けたり「茨育ちが良さそうな血管〜」などと呟いているので、怪しいことこの上ないのだ。それがただ単に研究に没頭するあまりの言動なのは分かっているが、面識のない人間には危険人物にしか見えない。勿論、きちんと調査をすれば彼女はただの研究バカなのは分かるだろうが、それを調べるだけの労力と時間が勿体無い気がしてしまう。
「来るのは団長と、保管場所を確認する調査担当が二名。ここはキュプレウス王国の管理下にある施設だから、変装の魔道具も認識を阻害する魔道具も外さなくていいから、顔を合わせても問題はないと思うが、心配ならば明日だけ顔立ちも変えられる方の魔道具を着けておきなさい」
「はい」
この国では王族の安全の為に、王族がいる前では変装の魔道具などの姿形を変える魔道具や、隠遁魔法や幻覚魔法などの使用は禁じられている。仮に王族がお忍びで居合わせてしまった場合、王族側から要求されなければ外さなくても許されるが、実質は正体を察した段階で解除することが暗黙の了解となっている。
この研究所は、大国との共同研究をメインとしている為に、少しでも一枚噛んで利権のおこぼれを得ようと狙っている者が多い。それは国内だけでなく近隣国も同様である。だからこそ、この研究所に入れる者は徹底して身分や後ろ盾を調査されて、問題のない者だけが入れるように精査している。しかし入所時には問題がなくても、後から研究員の出自を調べ上げて家族や伴侶などを人質に取って、研究成果を持ち出すように働きかけて来ないとも限らない。その為、この研究所では建物や敷地全体、そして個人全員が特殊な魔道具を装着して、外からは個人の認識が曖昧になるようにしているのだ。
そして今回のように王族が訪問して来てもその魔道具を外さなくても済むように、この敷地内は国王承認で治外法権を得ている。この中では、たとえ国王が命じたとしても従わなくてもいいのだ。
この治外法権を得ることは、共同研究を立ち上げる上で最も紛糾した条件の一つだ。敷地を使わせている国の王族の命を軽んじると受け取った者も少なくなかった。しかも王族すら信用していないと言っているようなものだ、と。しかしレンザはそれを悉くはねつけ、真っ向からも裏からも強引な手段と権力を駆使して治外法権を国王に認めさせた。レンザは王族の血縁ではないが、国王と同等とも言われるアスクレティ大公家当主の力を存分に揮ったのだ。
因みに王族を信頼していないという意見に対しては、その通り過ぎるので反論すらしなかった。
そもそも建国王とアスクレティ大公家始祖とは盟友ではあったが、この先も決して血の交わりは為さず王位継承権を永久に放棄する代わりに当主には国王と同等の権力を持たせる、という謎の誓約を結んだ間柄だ。始祖よりも遙か昔の先祖が対立していた所以だと伝えられているが、文献にも残されていないので定かではない。
その為、アスクレティ家の縁談は王族の血を引かない、そしてその後継が王族の魔力を越えない者を王家が代々王命で指名して結ばせていた。だが長年の誓約の重要性は薄れてしまったのか、ここ二代に渡って王家はアスクレティ家の婚姻で大きな失態を犯した。
ユリの両親は共にアスクレティ家の血を引くはとこ同士で、それぞれに王命で指名された婚約者がいた。通常ならば互いに惹かれ合ったとしても貴族としての義務を分かっていれば想いは秘めたまま消えただろうし、誰かに知られれば可哀想かもしれないが王家と大公家に揉み消されて終わった筈だ。しかし彼らは止められると思ったのか衆目の中でそれぞれの婚約破棄を宣言し、「魂の婚姻」と呼ばれる儀式を決行した。こうなってしまうと、誰にも止められずにそのまま二人の婚姻を認めるしかなかった。
当初は二大権力を持つ家をも出し抜いた稀代の純愛と騒がれたが、しばらくしてその背後に当時の王太子、現国王が手を回していたことが発覚した。そのことは大きな問題ではあったが、今更発覚したところで手遅れであったので、王太子は先代国王と当時の当主のレンザの父にこってりと絞られて、大公家が王家に貸し一つとして公表はしなかった。
だがその後、ユリの婚約者として王家より指名された相手が、戸籍上は誤摩化されていたものの実際は血縁上婚姻が禁じられている叔父にあたる近親者だった。いくら誤摩化されていたとは言え、少し調べればその可能性を示す証拠があっさりと出て来たのに、王家は王命の婚姻に対して重要性の自覚もなく、精査を明らかに怠っていた。
二度に渡り、しかも立て続けに王家から大公家を軽んじられたことを腹に据えかねているレンザは、既に王家に対して信頼をすっかり失っているのだ。
「団長殿から応接室で話を聞くのは私が対応する…が、あまり長く施設内に留まらせたくはないので、その間に調査担当をユリに案内してもらうことになる」
「はい、分かりました。案内ルートはどうしますか?」
「応接室で挨拶をした後、三番から保管庫前に転移出来るように設定しよう。一応保管庫以外で魔法の行使はしないように伝えてあるが、もし約定を破るようなことがあれば、すぐに転移の魔石を起動させなさい。外に…いや、屋上に設定したと見せかけて数メートルの誤差を設定しておくか…」
「それはいくら何でも…」
施設内にはあちこちに転移の魔石が設置されていて、どうしても外部の者を入れなければならない時に毎回違うルートになるように設定が可能になっている。レンザが指示した三番とは応接室のすぐ隣の部屋に設置された魔石で、ユリの案内が最短になるようにするつもりらしい。そして彼らが約定を破れば、屋上に放り出す…ように見せかけて数メートル離れた空中に転移させる気だ。相変わらずユリに危害を加える可能性がある相手には容赦がない。
「来るのは騎士だ。屋上から間違って転落したところで死にはせんさ。それよりもユリは危険を感じたら…いや、危険を感じる前に即座に処してしまいなさい」
「…十分に気を付けます」
まるで冗談のように言っているが、おそらくレンザは本気である。ユリも一瞬それはさすがにどうかと思ったが、即座に「ま、死なないなら回復薬出せばいいか」と考えてしまう辺り、確実にアスクレティの血族であった。
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「ユリちゃん、おかえりー。これすぐ終わるから、一緒にちょっと休憩しよ?」
「はーい。じゃあ私がお茶の準備しますね」
「ありがとー」
明日の予定は細かく決定したら書類で渡されるということで、ユリはレンザの執務室から薬局の在庫保管庫に戻った。もう騎士団の昼休憩が終わったので一旦受付を閉めて、ヒスイが在庫数の確認をしていた。
もうあと棚一つ分のところまで終わっていたので、ユリはそれを任せて外に設置されているウッドデッキの休憩場所へ向かった。
外はよく晴れていて気温が高めだが、冷気が出る魔道具付きパラソルを広げて影を作るとすぐに周囲がスッと涼しくなる。これは夏場のガーデンパーティーやオープンカフェなどでよく使用されているもので、最近では小型化して日傘でも売られている。しかし小型化したと言ってもそこそこ重みがある上にそこまで出力がないので、護衛騎士などに日傘を持たせるくらいの身分の令嬢にしか今のところ需要はないらしい。
(でもレンさんなら軽々持てるだろうし、暑がりだから今度贈ってみようかな。あ、でも体がはみ出しちゃうかも…)
それくらいならばこの頭上にあるパラソルを持った方が余程レンドルフには使い勝手が良さそうな気がして、思わずそれを想像してユリは微笑んでしまった。そしてこの大きさならば一緒に入れるかもしれない…などとうっかりレンドルフに子供のように片手で抱きかかえられている自分を考えてしまい、慌てて首を振って妄想を消し去る。
「お疲れさま〜。最近急に暑くなったね〜」
「お疲れさまです。今日はミントティーにしたのでスッキリしますよ」
「ユリちゃんの作るお茶は美味しいから助かる〜。自分で淹れるとイマイチなのは何でかしらね」
氷を入れてミントティーを注いだその上に小さなミントの葉を添えてヒスイの前に置いた。その隣に保冷庫に入れて置いたフルーツの琥珀糖を乗せた小皿を添える。ゼリーのようによく冷える訳ではないが、ほんのりと冷たくなった琥珀糖は初夏には丁度良い。
「ユリちゃんちょっと顔が赤いけど、大丈夫?もう少し調整して涼しくしようか?」
「あ、い、いえ、大丈夫、です」
「…ああ、指輪が熱いのね」
「そ、そういう訳じゃ!」
ユリは慌てたように左手の中指にある新しい指輪を右手で覆った。そんな初々しい様子のユリに、ヒスイはニコニコと嬉しそうに笑う。
ユリが初めて指輪をして来た日は、ことあるごとに視線を自分の指に向けていたし、時折日に翳したりして頬を染める様子が大変可愛らしかった。ヒスイはその様子を指摘すると止めてしまうのが勿体無くて、あまり揶揄わないようにしているのだが、それでもちょっと突ついた時の反応もまた別格の愛らしさがあるので困っているところだ。
「ああ、ユリちゃん、明日は来客を案内するんでしょ?お休みなのに」
「午前中だけですけど」
「ごめんねぇ、替わってあげたいけど、私じゃ薬草は門外漢だから」
「大丈夫ですよ。ただ在庫と持ち出し数を照合して、部外者が浸入していないかとか怪しいところに横流ししてないとかを確認してもらうだけなので。後ろ暗いところなんてないからすぐに終わらせてお帰りいただきますよ」
「でも気を付けてね。あのレン様のお友達が来るみたいだから」
「え…!?」
何度かレンドルフの友人だと告げて、ユリを奥から顔を出させようと言葉巧みに色々と言って来たネイサンのことだろう。彼に関しては、レンドルフに直接聞いて本当に友人で、第三騎士団の部隊長だと分かっている。しかしありがたいことにレンドルフはユリの感情を優先してくれて、友人だから挨拶くらいなら大丈夫、というようなことは一切言わなかったので、ユリは相変わらず顔を出さないでいる。
「来るなり『明日施設内の調査に入るので案内をよろしくとユリ嬢に伝えて欲しい』って。一応ユリちゃんからレン様のお友達って聞いてたけど…やっぱり何か気持ち悪いヤツなのよね…あ、ゴメンね!レン様のご友人なのに」
「ううん。ヒスイさんの勘も大事ですよ。私も壁越しにやり取り何度か聞きましたけど、顔を出す気にはなれなかったし」
「男の言う『良い奴』って女から見ると全然違うからねえ。ま、私は男だけど」
見た目は少し背は高めだが可愛らしい美少女顔をしているヒスイではあるが、中身は20代後半の男性だ。当人によく似合う甘めのテイストの服を好んで着ているが、完全に女装という訳ではなく中性的な出で立ちだ。ただ薬局にいる時のユリの護衛も兼ねているので、ユリの側に自然に居られるように女性寄りの言動を取っている。薬局に来る騎士の殆どはヒスイを女性と思っているが、その辺りは敢えてぼかしてどちらとは明言していない。ユリも男性なのは知っているし、異性愛者なのは当人から聞かされているが、どちらかと言うと年上のお姉さま好みらしいので、ユリとは女友達のような気楽さで接してくれている。ユリからすると、一緒に仕事をしていて頼れる先輩だった。
「第三騎士団の団長様が来るので、部隊長のその人が来てもおかしくないのかもしれないけれど…許可された時間も短いし、私と個人的な話をする暇はないと思います」
「とにかく、気を付けてね。いざとなったら転移の魔石で外のポイントCに飛ばしていいから」
「ポイントCって…あの堆肥置き場!?」
「そ。今イイ感じに熟れて来てるから、落ちたらすぐには出られないわよ〜」
ここにもユリの過激派がいたので、ユリはありがたいような申し訳ないような複雑な気持ちになっていたのだった。
設定的メモ
各騎士団は近衛騎士団が上位で、他の第一〜第四騎士団は表向きは上下はないことになっています。
近衛騎士団は、王族や国賓の護衛を務めるので、基本的に伯爵位以上の出身が求められます。レンドルフのように家を継がない者は、働き次第で伯爵辺りを叙爵されます。(大抵結婚と同時)婚家が高位貴族ならばそのままなことが多いです。
第一騎士団は、王城内警備が中心なので、基本的に爵位持ち。腕が立って貴族の礼儀を心得ていると判断されれば一代限りの騎士爵(男爵相当)がもらえるので、爵位を継がない嫡男嫡女以下が多い。血筋は貴族なので、近衛騎士団の次に高い地位と思われています。
第二騎士団は、王都の中心街担当なので、生まれも育ちも王都出身者が大半。半分以上が領地を持たない貴族出身が多いのと、都会育ちと言うことで第三騎士団より上と思っている為、第三とは仲が悪いです。
第三騎士団は、第二騎士団より貴族出身者は少ないが、団長は必ず王族と決まっているので第二よりも上と思っていて、第二のことは都会の貧弱者と評しているので第二と第三は犬猿の仲。
第四騎士団は、腕さえあれば誰でも入りやすい騎士団なので最も平民が多いです。地方の駐屯部隊も第四騎士団所属なので、それを含めると平民率は七割以上。貴族出身者は役職付きが殆どなので、平騎士になったレンドルフを左遷と見ている者が割と多い。騎士団では最下位の団と思われています。
各団長は会議や式典などで王族の前に出ることもあるので、伯爵位以上が任命される決まりです。副団長は特に爵位は必要ないけれど、団長に出世するには爵位は必須。その辺で色々忖度やら癒着やらもあったりするので、トップのレナードは頭を痛めています。