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227.アイルの元婚約者の行方


「ユリアーヌ・シーブル嬢という名に心当たりはあるか?」

「いいえ、全く」

「…即答が過ぎるな。あまり早いと嘘くさく聞こえるぞ」

「そう言われましても…」

「だろうな」


レンドルフは統括騎士団長レナードの執務室に呼び出されるなり、席を勧められるよりも早くそう問われた。レンドルフは全く聞き覚えのない名前だったので、即座に否定する。それを苦笑されて対応されてしまっては、どうしていいか分からない。そんな一連のやり取りをした後、レナードはレンドルフにソファを勧めてその正面に自分も座った。


「お前の耳にも入っていると思うが、婚約者を奪われたとか何とか」

「はい、一応は。その、先程のご令嬢が…?」

「ああ、そうらしい」

「該当のご令嬢には覚えはありませんが、シーブルという家名は覚えがあります。二年ほど前に西のコルディエ皇国へ第二王子(エドワード)殿下が式典参加するので護衛で同行した際に一日滞在した伯爵家だった筈です」

「正解だ。よく覚えていたな」


レナードは軽く口の端を持ち上げてゆったりと足を組んだ。何だか試されていたようで、レンドルフは落ち着かない気分になる。



国土の半分以上が砂漠の西方のコルディエ皇国で皇太子が成人を迎えた式典に参加する為に、オベリス王国からも王族代表として第二王子エドワードが訪問することになり、当時近衛騎士団に所属していたレンドルフも同行していたのだ。砂漠の気候に慣れている者ならば不休で砂漠を突っ切る形で、二日程度で皇都に行けるのだが、当時のエドワードはまだ未成年だったこともあり体調面も考慮して遠回りでも砂漠の外側のルートを選んでいた。その道中で滞在して歓待を受けた貴族の中に、シーブル伯爵家が入っていた。



「しかし皇国の文化では、どんなに高貴な者が来ても女性は親族と配偶者以外に姿を見せてはならないという決まりがあったので、ご令嬢はおろか伯爵夫人も侍女もお目にかかっていませんでしたが」

「その通りだ。昨今では古い悪習として女性も公の場に出ることも増えて来たそうだが、王族とは言っても他国の男に、未婚の娘を近付けるような真似はしない。それくらいならば国内の資産家の商人に嫁がせる方がいいと言われているくらいだ」


コルディエ皇国とオベリス王国は古くから国交はあるが、それ故に互いの文化が違い過ぎることを分かっている。その文化の違いで過去に幾度となく戦争が起こりかけたという歴史がある為、当人達が納得の上に強く望むならば問題はないが、政略的な意味での婚姻は結ばないことを協定の中に盛り込んでいるのだ。

レナードの物言いは自国とは言え王族に対して少々不敬ではあるが、数日でも皇国で直接文化の違いを目にして来たレンドルフも分かる気がした。互いに歩み寄り譲り合えることもあるが、絶対に相容れない部分も確実に存在している。だからこそ年頃の娘を他国の男性の目に留まらせないようにするのは当然のことだろうとすぐに想像が付く。どんなに互いに愛情があったとしても、娘が嫁ぎ先で苦労するのは目に見えているので避けられるものならばそうするだろう。


「だがその一年後に、そこの令嬢が密かに想いを交わしていたオベリス王国の騎士がいる、と書き置きを残して消えてしまった。護衛で同行していたのが二年前だから、一年前くらいだな」

「それは…初めて聞きました」

「報せていないからな」

「どうして…」


一年前ならばレンドルフはまだ近衛騎士団に所属していたし、もしかしたら副団長に昇進した辺りかもしれない。その陰でそんな重大な事件が起こっていたなどというのは、一切耳に入って来ていない。


「まあ落ち着け。この駆け落ち紛いの騒動はな、早い段階で狂言だと確定した。もともとそのご令嬢は…何というか先進的な思考の持ち主でな…」


男性が表舞台に立ち女性は裏方を支えるのが昔からの風習として根強いコルディエ皇国で、どういった経緯で辿り着いたのかは不明だが彼女は女性こそが世界を支配するべきという極端な思想を唱えていたという。ここ数十年で、僅かではあるが才媛と名高い高位貴族の女性が外交の場に夫と姿を見せるなど、少しずつ変わって来ているが、彼女のような急進的な思想は不穏分子と取られる。その中で、かつて極端に人口が減った為に止むなく女性も後継者として認められて爵位を継ぐことも出来る方向に舵を切ったオベリス王国が随分魅力的に映ったのかもしれない。彼女はことあるごとにオベリス王国と繋がりを持ちたいと口に出していたようだ。

そこへオベリス王国の王子の一団がやって来たのだ。彼女は何とかして接触を図ろうとしたが、滞在中は幽閉されて常に見張りの目があったので叶わなかったそうだ。


「しばらくすれば諦めるハシカのようなものだ、と伯爵家の者も思っていたらしいのだが、彼女は手持ちの宝石を売り払い資金を作り、注意深く伝手を繋いで一年かけて準備をし出奔を決行した。しかも『オベリス王国の騎士と密かに愛を育んでいたが、政略で婚姻が決まったために駆け落ちする』と迷惑な書き置きを残して」


慌てた家の者があちこちに探索の手を伸ばし、令嬢が一人で行動していたら目立つこの国ではすぐに目撃証言は集まるだろうと考えていた。が、それに反してそれらしき目撃情報はなく、令嬢の行方は一切掴めなかったのだ。

何か手掛かりになるような物は残っていないかと彼女の部屋を中心に屋敷を調査をしたが、奇妙なほどに何もなかった。密かに愛を育んだのであったならば、手紙の一つくらいあるかと思われたが一通も見つからず、持ち出したか処分したかと思われたものの、調べてみるとここ一年、彼女が国外の誰かに手紙を託したり受け取ったりした形跡もなかったのだ。

書き置きの手紙には、オベリス王国の騎士「クロヴァス様」と書かれていたが、その内容にもおかしなことが多かった。その中に、夜のように長くなびく黒髪に晴天のように輝く青い瞳、と書かれていて、それはどう考えてもレンドルフの外見とはかけ離れていた。レンドルフの髪は一度見れば印象に残る割と珍しい薄紅色であったし、邪魔になるので騎士に就任してからは長く伸ばしたことはない。その外見に似た騎士はいたのだが、名は「クロヴァス」とは程遠く間違いようのないものであったし、書き置きの中のその騎士はレイピアが得意らしいと推察されたが、当時の護衛にレイピアを使用する者はいなかった。その為、当時屋敷に滞在した王子一行を何らかの方法で垣間見るなりして、目に付いたり聞こえて来た外見や名を適当に流用したのだろうと思われた。

誘拐や拉致の可能性も早い段階で疑われたが、争ったような痕跡も誰かが入り込んだ様子もなく、状況はどう見ても彼女が自分の意志で自ら出て行ったとしか思えなかった。


様々な状況証拠から、彼女は駆け落ちに見せかけた家出で、事件性はないと結論付けられた。


万一本当にオベリス王国の者と駆け落ちしていないか確認する為に、諜報を専門にしている第五騎士団の者が、当時コルディエ皇国に同行した騎士や侍従全員の身辺を密かに洗い出し、その周辺には一切の疑わしいところはないと結論が出された。


「件のご令嬢の姉君が、現皇太子妃の一人でな。あちらの皇族は古き伝統を重んじる貴族を尊重しつつ、少しずつ時間を掛けて国際的な立場を上げる為の新たな施策を行っている過渡期だ。その重要でデリケートな時期に、妃の実家に急進的すぎる身内がいると言うのはよろしくない、というのは分かるな?」

「はい。だから公にしなかったと」

「そうだ。だから当時は表向きにはそのご令嬢は見聞を広げる為に他国に留学させた、としている。それでもあちらの皇国では褒められたものではないらしいが、駆け落ちや出奔などよりは遥かにマシ、だそうだ」


レナードはそう言って、苦笑混じりに銀縁の眼鏡をクイ、と指で軽く上げた。


「もっとも、世間知らずの若い令嬢が他国に後ろ盾もなく飛び出して、一年も無事に生きているとは思えんがな。もうあちらの伯爵家では留学先でそのまま嫁がせた態で除籍は済ませている」


その言葉に、レンドルフもうっすらと予測は付いていたがやはり人の口から聞かされると憂鬱な気持ちになる。水族館で生まれ育った魚が、海や河に放たれても生きて行けないのと同じことだ。もし生きていたとしても、国に帰って元の生活に戻れる可能性は彼女にはもうないのだ。


「それが俺が『婚約者を奪われた』と訴えられても慎重に調査を進めていた理由ですか」

「ああ。当時は全くの無関係だったと両国間で納得の上終了していた案件だ。第一、こちらは迷惑を掛けられた側で、蒸し返す義理がない。しかし、だ」


約一年近くも経過して、何故か令嬢の元婚約者を名乗る男が騎士団に入団して来た。それがアイルだ。

彼は母親がコルディエ皇国の出身ではあるが、オベリス王国の貴族の第二夫人として望まれて嫁いで来た為、生まれはこの国になる。本来両国間での政略結婚は禁じられているが、アイルは半分コルディエ皇国の血が流れているため、制度の隙を突くような形でシーブル伯爵家から強く望まれてあちらに婿入りする予定だったのは事実だった。その為婚約後シーブル伯爵家に居住を移して暮らしてはいたが、令嬢が行方不明になった為に婚約は白紙となった。婿にはなれず実家の後継でもないアイルが帰国後に身を立てる為に騎士団に入ることは、試験にさえ合格すれば別に難しいことではない。しかし何故今頃になって、しかも入団後に極秘裏に国家間で終わらせた案件を持ち出してまで吹聴して回っているのかが分からない。


「シーブル伯爵家ではもう望みはないと思いつつも、万一娘が生きていて醜聞になることを恐れて、せめて所在だけでも把握しようと密かに捜索は続けていたらしい。それこそ死亡が確定するだけでもいい、とな。そしてその探索を請け負っていた者が、最近になってお前が『ユリ』と呼ぶ女性と一緒にいるところを見かけたと報告した」

「ユリ…そのご令嬢の名が『ユリアーヌ』だから…」

「別にそこまで珍しい名ではないが、一緒にいたのが当時王子に同行していた近衛騎士で、勝手に名を使われただけだと考えられていた『クロヴァス』…もしかしたら、と思わずにはいられなかったのだろうな」


レンドルフは思わず膝の上に乗せた手をきつく握り締めていた。


「…それはあり得ません。その…俺は彼女と出会ったのはまだ一年も経っていませんが、それよりももっと以前から親しくしている冒険者も複数います。ここ一年でやって来た貴族令嬢では有り得ません」


ユリに紹介されて一時的に魔獣討伐に参加していた「赤い疾風」の彼らは、確か彼女とは数年来の仲だと言っていた筈だ。それにユリは、やっと次から薬師の資格試験を受けることが出来るようになったと言っていた。薬師の資格試験を受けるには、その前に見習いとして師匠などに着いて実績を積まなければならないと聞いている。コルディエ皇国で学んでいたとしても、後ろ盾のない貴族令嬢が一年余りで実績を積めるほどの伝手があるとは思えなかった。


「私もそうだろうとは思うが、シーブル伯爵家(あちらさん)はすぐに納得してくれなくてな。まあ偶然にしろ、当時の関係者と似たような名前の女性が揃えば疑いたくもなるだろう」

「では、俺はどうすればいいでしょうか」

「私からレンドルフは当時勝手に名を使われただけで、今懇意にしている女性()とは無関係だ、と釘は刺しておく。アイルにも伯爵家にもな」


やけにレナードは「達」の部分を強調してレンドルフの様子を伺っていたが、そこは敢えて無視をしたので少々つまらなさそうな表情を浮かべた。当初はレンドルフも周囲でこれほど話題になるとは思わずに揶揄される度に戸惑っていたのだが、最近は大分慣れて来たのと、それに伴ってあまり話題にもされなくなっていた。そもそも実際はユリ一人であるので、レンドルフにしてみれば疾しいところは一切ないのだ。あまりにもレンドルフが堂々と振る舞うので、からかい甲斐が無くなってしまったのかもしれない。


「よろしくお願いします。それで納得してくれるといいのですが」

「あいつにはあいつなりの複雑な事情があるからな。引くに引けなくなっているのかもしれん」

「そこを説得するのが団長のお役目では?」

「…お前も言うようになったな。」


そう返すレナードの顔は、何だか嬉しそうに綻んでいた。


レンドルフは入団当初からレナードに目をかけてもらっていたせいか、他の団員と比べると話す機会も多かった。そして以前の上司であった近衛騎士団長ウォルターは、部下としてだけでなく私的にもレンドルフを可愛がってくれていた。団長同士のよしみからなのかこの二人は長年の盟友であるので、自然にレンドルフも通常の団員に比べて距離が近くなっている。これくらいの軽口ならば許される距離感だ。もっともレナードは他の団員でもこのくらい言い返されたところで笑い飛ばせるくらいの寛容な性分だが、やはり騎士団トップと言うことで団員の大半には距離を置かれている。だからこそつい言い返して来るレンドルフを構いたくなってしまうのだろう。


「複雑な事情はさすがにお前に話してやることは出来ないが、もうしばらくは寛大な対応を頼む。こちらとしても国家間でカタが付いた案件を蒸し返されるのも良しとは思っていないからな。少なくとも我々はお前の味方だ」

「分かりました」


アイルには初めて直接顔を合わせた際に少々絡まれた程度だ。それに他のアイルに近い団員達は多少レンドルフを遠巻きにしているが、今のところ違う団所属の者ばかりのおかげか悪い影響は出ていない。話はレナードから副団長ルードルフ、部隊長オスカーにも通っていて、アイルの思い込みで誤解が生じているのは理解されている。今後のアイルの出方次第と言うこともあるが、レンドルフはその内に誤解も解けるだろうと楽観的に考えていたのだった。



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