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225.綺麗な手と美しい手


注文してからひと月程度と言われていたが、それよりも一週間ばかり早く指輪が出来上がったと連絡を受けて、レンドルフはユリと休みを合わせて再び商会へと赴いた。


「わざわざご足労頂きありがとうございます」

「こちらから人目に付かないよう頼んだんだ。また場を貸してくれて感謝するよ」


以前も案内された応接室に宝石商のリーズと共に入ると、今回は職人のハンナだけが待っていた。前回のような畏まったスーツ姿ではなく、その場でサイズなどの微調整が出来るように使いこまれたエプロン姿で、額には大きなゴーグルを付けていた。部屋の隅の台の上には大きな鞄が二つ積み重ねられていて、あちらも随分使い込まれて端が丸くすり減っているところから、ハンナの商売道具なのだろう。


「思ったより早く出来ましたね」

「はい。こちらのハンナが良い石を見ると無駄…んんっ、張り切る質でして。こちらで微調整を行いましてから、改めて付与を掛ける形になります」


リーズがテーブルに置かれた革のトランクを開けると、紺色の布張りの中に包まれるように金色の指輪が並んでいた。


一回り以上大きなレンドルフ用の指輪は、厚みのある台を選んではいたが表面に精巧な彫金が施され、その中に埋め込まれるように小さいが黒く光って存在を主張する石が埋め込まれている。ユリ用に作られた指輪は、石の大きさは手に入れた時より殆ど大きさが変わらない印象を受けるが、明らかに輝きや艶が違っていた。削りすぎないように細心の注意を払って研磨してくれたのだろう。石が嵌まった指輪は注文の通り細身で繊細な立て爪リングで、隣に三つの上から嵌める用のリングがある。


それを見て、レンドルフもユリも目を瞬かせた。確かユリの分は指輪が一つにカバー用の金具が二つだった筈だ。その視線に気付いたのか、ハンナがヘラリと笑って頭を掻く。


「すいやせーん、お嬢さんを思い浮かべてたら創作意欲が止まらなくなってしまいまして…この一つはサービスにお付けしますんで、良かったらもらってください!」

「でもこれ…凄いものなんじゃ…」

「まあ腕が鈍らないような習作、とでも思ってくだされば」


ユリが注文していたのは、一つは金属に組紐のような細かい編み目を掘ったもので、すこし太目の金具になるのを軽やかに見せる装飾だ。そしてもう一つは気軽に付けられるように、楕円形の石を円形に見えるように覆い偏光色の部分を中心に据えて、それを猫の目に見立てて周囲を猫の足跡でグルリと囲むような細工を入れてもらった。その足跡部分に埋め込まれている小さな石は本物の宝石なのだが、デザイン的には貴族と言うよりは平民が日常で楽しむような可愛らしいものだ。


そしてハンナの創作意欲が暴走した結果出来たものは、石を木の実のように金属の繊細なフレームで囲い、指輪の部分は可愛らしい小鳥と花が彫り込まれていた。ごく浅く表面だけを彫り込んでいるので全体で見るとそこまで派手な印象はない。しかしそれだけでも十分細かい意匠ではあるのだが、どう繋ぎ合わせたのか下地はホワートゴールドで小鳥の花の部分がピンクゴールドとなっているのだ。ハッキリと色の差が分かるのに、その境目は全く繋ぎ目も見えないが、どう見ても着色などではない。しかも目を凝らすと、花の中心と小鳥の目の部分には石が嵌まっている。ようやく肉眼で見えるギリギリな程の細かい細工物だった。とてもではないが習作とは思えない。


「これはサービスなんて物じゃないでしょう!?」

「いーんですって。すんごい貴重な石を触らせてもらった分の価値ありますよ。それに、実はこの材料、ずっと倉庫に眠ってたもんなんすよ」

「ハーンーナ〜?」

「わあ!!すみません!口が滑ったっす」


うっかりポロリと喋ってしまったハンナに、笑顔なのにこめかみに青筋を立てたリーズが低い声で迫る。その圧力に彼女はバネ仕掛けの人形のようにビョン、と後ずさった。


「ま、まあ、そんな訳でして、よろしければ是非」

「あ、ありがとうございます…」


妙に押し切られる形で、結局三種類のカバーを受け取ることになった。今日の目的はサイズの微調整なので、ひとまず嵌めてみることにした。


レンドルフは最初は左手の小指にしようかと思ったのだが、剣を両手で扱うこともあるので親指にしてもらった。勿論討伐などで剣を抜く機会が予想される時は最初から外しておくが、不意に使用する時に最も邪魔にならない指を選んだのだった。利き腕とは違う小指なので影響はないと思っていたのだが、親指の方が存外影響がなかったのだ。


「傷が付かないかだけが心配だな…」

「もっとも頑丈な付与を掛けるように手配しておりますから、余程のことがない限り問題はございません。むしろそこまでの衝撃になると指輪よりも先に若君の指の方が心配かと…」

「わ、分かった。じゃあ、それで頼むよ。サイズの方が特に問題はなさそうだ」

「畏まりました」


今度はユリの番になり、まずは何も装着していない立て爪リングを左手の中指に嵌めた。まるで吸い寄せられるようにユリの手に収まった指輪は、彼女の小さな手だと随分大きく見えた。石を引き立たせる為に他の装飾は極力少なめにしているので、石を押さえる爪の脇に小さく透明な石が付いているだけだ。


「いかがでしょうか」

「大きさは丁度いいわ」


ユリは、斜めに白い偏光色が浮かび上がっている淡褐色の石を見つめた。その石の中央は、吸い込まれるような美しい緑色が滲んでいて、レンドルフの瞳が光を反射した時そのもののようだ。その色合いに見惚れると同時に、短く切り揃えられた爪と少し荒れている指先が気になってしまった。普段ミリー達が手入れをしてくれてはいるが、どうしても薬品を扱ったり薬草園で土いじりをしていると荒れてしまう。シンプルで優美な指輪だからこそ、それが目立ってしまうような気がしてほんの少しだけ指先を丸めるようにしてしまった。

自分の荒れた指を恥じたことはないが、何だかこの指輪には相応しくないような気がして気が引けるような思いが浮かんで来てしまった。


「親方、これは貴族のパーティーとかでも通用しそうっすから、手袋を嵌めた状態で合わせた方がいいんじゃないすか?」

「誰が親方だ…」

「あ!ついじーちゃんと間違ったっす。こっちはいいとこに着けてくように手袋込みのサイズに少し大きくして、こっちのカバーの方は指のサイズに合わせたままにすればいいんですよ。そうすりゃ落っこちることもありませんし」


ハンナは「ちょっとお待ちを」と隅に積まれていた鞄を開けて、中から白い手袋を引っ張り出した。そして幾つか違う厚みやサイズのものをユリに装着してもらいながら、メジャーやらよく分からない器具やらで指回りや長さを測っていた。


「お嬢さん、手がちっちゃくて可愛いっすね」

「は、はあ…ありがとうございます?」


計測を終えて手袋を外し、何故かハンナはユリの手をニギニギしていた。それを見ていたリーズが止めないので、もしかしたら何か職人的に必要なことなのかと思って、ユリは少々疑問系で礼を言いながらされるがままになっていた。


それからハンナはエプロンのポケットからタオルやらペンチやらを取り出して、一旦ユリの指輪を回収すると大胆にも金具をパチンと切ってしまった。思わずギョッとしてしまったが、ハンナは何のこともない様子で手元の工具で色々と指輪をいじっている。


「ご自分の手袋って持ってます?なかったらこの辺の…」

「大丈夫です。自分のものがあります」


ユリは急いでハンドバッグにしまった自分の白い手袋を取り出した。そして左手に嵌めると、ハンナが「失礼します」と言って手にしていた指輪を嵌め直した。薄手の手袋と言ってもやはりサイズが変わる。手袋の上から嵌めた指輪は、丁度良くなるように調整されていた。


「うん。サイズは良さそうっすね。じゃあ指輪の方はこっちのサイズで作り直しておきます」

「よろしくお願いします」


中の指輪はそのまま調整するとして、今度は三種類のカバーの方を確認する。こちらもさすがと言うか、指にぴったりのものだった。こちらは手袋の上から付けるようなものではなく普段使い出来るようなものなので、多少手が荒れていても気にはならなかった。


調整と付与が終了して渡せるのは五日後ということで、その時はユリの都合が付かないのでレンドルフに渡されることになった。



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「ユリさん」


帰りの馬車に乗り込んで動き出すと、レンドルフが静かな口調で手を差し伸べて来た。馬車の乗り降りの際に手を差し伸べられることはあっても、馬車の中で差し伸べられたことは記憶にないので、ユリはキョトンとした顔でレンドルフと手を交互に眺めてしまった。


「その…手に少しだけ触れても?」

「え…うん」


レンドルフの意図が見えなかったが、何か悪いことを考えている訳でもないだろうし、たとえどんなにレンドルフを信頼していてもユリは悪意を持って触れて来ようとする人間を弾く魔道具は常に装着している。少しだけ首を傾げながらも、大きなレンドルフの手にそっと指先だけ乗せるようにする。

レンドルフも手を握り締めるのではなく、乗せられた手を軽く親指で挟み込むように触れただけだった。


「俺は、ユリさんの手は綺麗だと思う」

「え…」

「ずっとそう思っているし、一度も綺麗じゃないなんて感じたこともない」


少しだけユリの手を持ち上げて、レンドルフ自身は僅かに頭を下げる。ちょうど目の高さにユリの手が持ち上げられた形になり、ユリは自分の手の向う側にレンドルフのヘーゼル色の瞳を正面から見るような視点になってしまった。まるで先程の指輪を思い出してしまう。


「…分かっちゃった?」

「うん…ゴメン」

「ううん、そうじゃないの。ただ、あの指輪があんまりにも綺麗だったから気後れしちゃって」

「あれは…偶然貴重なものだっただけで、その辺りの出店で買ったものだよ。気後れなんてする必要はない」

「何か、恥ずかしいな…気後れすることも、それを気付かれてたのも…」

「気付いてない!気付いてないから!」


慌てて言い募るレンドルフに、ユリは思わず声を上げて笑ってしまった。それに釣られるかのようにレンドルフも少しだけ恥ずかしげだが笑みを浮かべる。


「ユリさん…の手は、綺麗だよ。今もだけど、これからも多くの人を救う手だ。俺も、沢山助けられた」

「…ありがとう。それならレンさんの手と同じだね」

「え…」

「レンさんも、沢山の人を救う綺麗な手だもの」

「あ、あの…ありがとう」


何故かレンドルフの方が照れたようになって、そっとユリの手を下ろして指先を離した。レンドルフの固く乾いた温かい手が僅かな熱を残して離れて行くことをユリは不意に寂しくなって思わず追いかけたくなってしまったが、グッと気持ちを押さえ込んだのだった。



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夕食を共にしてユリを馬車まで送り届け、レンドルフは城内の騎士寮に戻って来た。基本的に酒には強いが、少しだけ飲んで来たのでどことなく浮ついた気持ちになっていた。


「あ、レンドルフ先輩!」


寮の入口をくぐると、ちょうど出ようとしていたショーキが手を振りながら小走りにやって来た。騎士服を着て帯剣しているので、これから夜番に向かうのだろう。ショーキは力は強くないので、身軽さを活かせるように短くて細身の剣を愛用している。レンドルフの持つ大剣からすれば、大きさも重さも半分くらいではないだろうか。


「これから夜番か。気を付けろよ」

「大丈夫ですよ。この王城に不審者なんて入り込めないですよ」

「それでも油断はするなって話だよ」

「はーい。先輩はカノジョさんとデートでしたか」

「…まあ、そんなところかな」


レンドルフの今日の服装は、宝石商に行くので半正装をしている。分かりやすいことこの上ない。


「あの、先輩、今日は別の入口からか早足で部屋に戻った方がいいかもしれません」

「…ああ、例の?」

「はい。しかも当人がいるので。普段なら絡んで来ないと思うんですけど、ちょっと奴ら酒が入ってるみたいで」


ショーキが少し物陰にレンドルフを引き入れるように袖を引いて声を潜めた。入口から一つ曲がった向こうの明るくなっている方向から、賑やかな声が聞こえて来る。そこには寮の共有の談話室があるので、明日休みの者達が酒盛りでもしているのだろう。



ここ最近入団した新人で、レンドルフに私怨を抱いている可能性がある者がいるとの報告を受けていた。その報告をしたのはショーキであったが、他の団員からも数件似たような報告が上がって来ていたので騎士団でも調査したらしい。その結果、何やら複雑な事情はあるがその上でレンドルフは無関係であると判明した。何故そのような誤解が生じたのか根拠らしい情報は出て来ず、当人の思い込みかそれともレンドルフの名を騙った者がいる可能性があるということだった。

現在のところ、何故そのような誤解を招いたのかの原因を引き続き調査はしているそうだが、表立った騒動にはなっていない為にしばらくは余程のことがない限りレンドルフに穏便に対処して欲しいと言われている。本来ならば相手方にも注意を促すところではあるが、何やらあちら側に表沙汰にしない方がいい事情が絡んでいるらしい。きちんと調査結果が確定したところで相手にも納得が行くように説明をするので、その間は先輩であるレンドルフが距離を取って欲しいと頼まれてしまったのだ。

その話をされた際に中心人物である新人騎士を遠目で教えてもらったが、騎士にしては随分と細くて頼りない体格の青年だった。レンドルフとしても何か絡まれて喧嘩のようなことに発展してしまった場合、相手に大怪我をさせてしまいそうで怖かったので、調査が確定するまで関わらないようにすることを選んだのだった。


しかしその報告からひと月以上経過して、同じ年くらいの気安さからか件の新人騎士に味方をする若手が次第に増えて来ていた。特にレンドルフが女性絡みで近衛騎士団を降格になったという噂を信じている者や、正義感が強いがまだ視野の広くない者が義憤に駆られているようだ。その根底には優秀なレンドルフに対する嫉妬も含まれているのだが、自覚のない彼らはレンドルフに厳しい目を向けている。

レンドルフ自身は、昔はそんな頃もあったなあ、と寛容に対処しているが、どちらかと言うと周囲の方がハラハラして眺めている。今のところ任務には影響は出ていないが、万一それが拡大して私情が挟まったことで支障を来すようなら、罰せられるのは彼らの方だ。



「あ、クロヴァス先輩じゃないですか〜?」


酒宴をしている中でトイレにでも立った者が戻って来たのだろう。ちょうど談話室から見えない位置にいたレンドルフとショーキに気付いて、呑気に声を掛けて来た。それなりに酔っているのか、真っ赤な顔をして足元が覚束ない。そのせいか声も大きくなっていたので、一瞬だが見えないところで騒いでいた声が途切れた。


「ショーキ、夜番頑張れよ」

「先輩…」

「いいから」


困ったように眉を下げるショーキの肩を軽く押して、レンドルフは外に行くように促す。夜番は二交代制なので、ショーキが行かないと先に担当していた者に迷惑がかかる。少しばかり酔っているとは言っても、冷静な判断が出来ないほどではない。今更顔を合わせないように別の入口から入ろうとしても、却って疾しいところがあるのではないかと思われるだけだ。ショーキを安心させるように穏やかな表情を意識してレンドルフが微笑むと、彼はペコリと頭を下げて足早にその場を後にした。


「どうです?先輩も」

「今日はもう食事は済ませて来たから。気持ちだけもらっておくよ」


談話室に足を踏み入れると、七、八人ほどの若い騎士が座っていた。ローテーブルとソファを移動させて車座になっていて、随分前から飲んでいたのか空になった酒瓶が幾つも部屋の隅に並べてあった。参加している顔ぶれを見ると、ハッキリと確信はないが第三騎士団の若手が中心のようだ。その中で、一際目立つ容姿の細身の青年がいる。褐色の肌に淡い金髪と水色の瞳をした整った顔立ちで、すぐに王城にいる侍女や女性文官などの間で話題になっていた。そしてその彼が、レンドルフに私怨を抱いていると報告を受けていた人物だった。

レンドルフは事態がはっきりするまでは無用な諍いは避ける為に直接顔を合わせないようにしていた為に、彼の顔をこうして近くで見るのは初めてだった。遠目でも騎士らしからぬ見目だと思ったが、近くで見るとより強くそう思った。


「…初めまして、ですよね?」

「…ああ」


何か反応を見せるかと思ったが、彼は感情の分からない貴族らしい笑みを浮かべながら立ち上がってレンドルフに近付いて来た。その様子を周囲の騎士達は止めようと顔色を悪くする者と、面白がってニヤ付いている者の二極に分かれているようだ。


「クロヴァス卿ですよね?僕はアイルと言います」

「ああ、レンドルフ・クロヴァスだ。初めまして」


アイルは、この国では見慣れない肌の色のせいもあるが、全く酔っていないように見えた。色のせいなのか、感情の見えない薄い色の瞳がジッと見上げていて、レンドルフはどことなく居心地の悪さを感じた。別にこちらが悪いことをしている訳ではないので堂々としていないと妙な誤解を招くことは理解しているが、ほんの僅かに視線を逸らしてしまった。それに気付いたのか、アイルの口角が先程よりも持ち上がり、目が弓張月のような形になる。


「ご一緒にいかがですか?皆同じような時期の入団ですので、先輩の()()()()()()でもお聞かせ願えませんか?」

「今日はもう食事も済ませているし、少々酒も入っている。これ以上は明日の任務に支障を来すのでまたの機会にさせてもらうよ」

「ほんの少しだけでも。何せ独り身の者が多いですから。お美しい女性達を楽しませるコツでも伝授していただけませんか?」

「…そんなものがあったら俺が聞きたいよ」


体も大きく力の強い者が多い辺境領の男達は、どんなに強そうに見えても女性は考えている三倍丁重に扱ってやっと人並みだと教えられる。レンドルフも例外ではないし、それどころか人並み以上の体格の彼はそれ以上に気を付けている。特に小柄なユリに対してはいくら丁重に接しても追いつかないのではないかと思っているくらいだ。楽しませられているかなど、後回しになってしまってさっぱり分からないと言うのが正直なところなので、挑発的なアイルの物言いに素直に答えてしまう。


「そう仰らずに…」


不意に手を伸ばして腕に触れようとして来たアイルにどこか嫌な気配を感じて、レンドルフは反射的にその手首を掴んだ。見た目通りにアイルの手首は細かったが、やはり男性のものなのでそれなりにしっかりしている。だがレンドルフが本気で力を込めたら手首を砕いてしまう恐れがあるのでそれなりに加減はしたが、アイルは痛そうに顔を顰めた。それは人によってはまだ体の出来ていない新人を痛めつける上官のようにも映った。


「も、申し訳ありません…!」


そこまで力を入れたつもりはなかったが、体の大きなレンドルフの側で一際華奢に見えるアイルが声を上げると、より一層レンドルフの理不尽さが浮き上がって見える。その場にいた騎士の一人が、誰かを呼んで来るつもりなのか走ってこの場を立ち去って行くのが視界の端に映った。


「…随分と美しい手だな」


レンドルフはこの場には相応しいとは思えないが、酒の影響だったのかつい思ったことを呟いてしまった。昼間にユリが自身の少し荒れた手を気にしていた様子も頭の片隅に残っていたのかもしれない。しかしそう呟いてしまうほどアイルの手は荒れてもおらず、爪の形も磨かれたように整っていたのだ。このような手は、警護をされる側の貴族でくらいしか見たことがなかった。

その呟きにアイルは本気で怯えたような表情になって、その細い体から出るとは思えないほど力強くレンドルフの手を振り払った。殆ど痛みはなかったが思ったよりも大きな音を立ててレンドルフの手が払いのけられたので、側にいた騎士達も驚いて固まってしまった。傍から見たらどちらが悪いのか一瞬分からなくなったのかもしれない。それくらいアイルの行動は乱暴に映った。


「…!」


アイルはほんの一瞬だったがレンドルフに剣呑な目を向けると、その場を無言で走り去った。後に残された騎士達の間でも微妙な空気が流れる。


「どうした?」


廊下の向こうから、呼ばれたらしい年上と思われる男性が小走りにやって来た。寮内では、上官に当たる資格を持った者が何かあった際に対処する権限を有している。おそらくそれでどこかの部隊長辺りが呼ばれたのだろう。


「何があった?速やかに報告を」

「酒宴に誘われたのですが、既に外で許容を越えておりましたので、辞退したところ問答となりました」

「そうか。間違いないか?」

「は…」

「ええと…」


集まっている中で最も年上と思われるレンドルフに真っ先に訪ねて来たので、多少ぼかしたものの正直に答えた。他の騎士達にも問い質したが、どこか歯切れが悪い。


「後できちんと調べるから嘘は言わぬことだ」

「こちらも酒が入っていましたので、少々キツい対応になりました。お騒がせして申し訳ありません」

「…そうか」


赤ら顔で足元の覚束ない者もいるラフな恰好をした若手達と、半正装をして全く酔った様子も見受けられないレンドルフを見て何か思うところはあったのだろうが、呼ばれた上官は「あまり飲み過ぎて翌日支障を来さないように」とだけ告げると踵を返した。寮内での争いごとは団長か副団長へ報告されることにはなるだろうが、実際大きな何かがあった訳ではないので咎められることはないだろう。

彼が去った後、アイルも戻って来ないのでどこか気まずい空気が流れる。レンドルフは小さく溜息を吐くと、これ以上この場に留まっていても仕方がないと第四騎士団の寮に続く廊下に踏み出す。その動線の近くにいた数人が、まるで何かに恐れるかのように大きく飛び退いた。


そう威圧をしたつもりはなかったのだが、どうにも怖がらせてしまったようだ。こればかりはアイルとの誤解が解けるまでは解決しなさそうな気がした。内心申し訳ないと思いつつ、先程のアイルの奇妙な気配は何だったのだろうと考えながら、レンドルフは自室へと引き返したのだった。




ショーキ「レンドルフ先輩。先輩が騎士を口説いてたって噂があるんですけど」

レンドルフ「そんな覚えはないぞ」

ショーキ「デスヨネー」

レンドルフ「騎士団が平和なのはいいことだが、大丈夫なのか…?」


多分、手を掴んだ時に色々誤解された(笑)

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