224.ヒトデの期待と牡蠣の楽しみ
区切りの都合でいつもよりちょっと短めです。
予約していたレストランの個室に案内されるとそれほど大きくないドーム型をした部屋で、その壁はどういった仕組みになっているか分からないが全てガラスで覆われていて水槽のようになっていた。その水に魔力で流れを作って環境を整えているのか、見たことがない華やかな色をした魚が群れをなして泳いでいた。
部屋自体は完全な個室にはなっているが、壁が水槽になっているのでうっすらと隣の個室に人影が揺らめいていたり、給仕が部屋の外を移動している姿はぼんやり程度は分かる。こうして個別に認識はされなくても互いに見えることで、完全な二人きりの空間で仕切られながらも妙な推測をされないという状況を敢えて作っているのだろう。個室の設定というのは店側でも評判に関わることなので、なかなかデリケートなものだ。
「水族館みたいね」
「水族館ってフィルオン公園の?」
「うん。あっちは魚の生態とか学術的な研究の為の意味合いが強いけど、ここは完全に観賞用みたい。すごく綺麗…」
「予定が合えば水族館にも今度行ってみる?人慣れしてる海獣とかもいるし」
「行きたい!毒性がなくて触れるヒトデがいるみたいだから、一度行ってみたいと思ってたの」
「ヒトデ…ヒトデでいいんだ」
レンドルフは以前に視察の一環で、第一王女の護衛で水族館に行ったことがある。その際に、海で暮らしているとは思えないほどふんわりとした毛皮を持つつぶらな瞳の海獣も見たことがあった。勿論、護衛であるのでじっくり見てはいられなかったが、何とも愛らしい仕草で口元が緩みそうになってしまったほどだ。そちらよりもヒトデに興味を示して思わず正直にはしゃいでしまったユリに、フワフワの愛くるしい動物とユリの組み合わせを一瞬期待してしまったレンドルフは何とも複雑な気持ちになった。
ヒラリヒラリと長い尾びれを揺らめかせながら、鮮やかな黄色の魚が目の前を横切って行った。少し口の尖った魚で、まるで鳥のようにも見える。その向こうでは小さな青い魚が群れをなして泳ぎ回り、時折光の具合か方向を変える度に銀色の波のような体色になる。水槽の中はいつまでも見飽きることはなさそうだった。
最初に運ばれて来たのはオレンジ色の鮮やかな身をしたサーモンで、生のまま薄くスライスしたものが細かく砕いた氷の上に乗っていた。そしてその上には褐色のジュレのソースと刻んだネギが掛かっている。
「これは…」
「この前行った遠征先で食べた郷土料理に近いものを作ってもらったんだ。氷鱒って鱒を使ったものだけど、今回はそれに近いサーモンを凍らせてあるんだ」
「半解凍にしてあるのね」
決まったコース料理もあるが、食べたいメニューをリクエストすればそれに合わせたコースを特別に組んでくれる店なので、レンドルフは先日トーリェ領で食べた料理に近いものをいくつか頼んである。その中でもユリが生魚が平気だと聞いていたので、氷鱒ならぬ氷サーモンを用意してもらった。掛かっているジュレは、トーリェ領で作られている発酵調味料を使いつつ、王都の人間でも食べやすいようにアレンジしてあるそうだ。
「これ、食べてるうちに溶けて甘みが出るのね。このソースも柑橘が効いててよく合うわ。少しソイに似てるのかしら?」
「確か茹でた麦と塩を発酵させて作るって聞いたよ。ええと『ブラン…ショー』?だったかな?」
「もしかしたら材料が違うだけで作り方は同じかも。ソイは茹でた豆に塩を加えた発酵調味料だから」
「へえ。言われてみれば似てるかもね」
次に出て来たのは、小魚の卵の塩漬けをフリットにしたもので、一緒に人参やインゲンなどの色の濃い野菜も同じように衣を付けて揚げてあるものだった。その上からは赤くて透明なソースが掛かっていた。口に入れると、ソースは甘味と酸味があり、その後からピリリと軽い辛味が来る。そしてサクサクしている衣の中からプチプチとした歯応えの魚卵が出て来る。塩漬けと言っても、塩抜きをしてあるのか思ったほど塩辛くなく、ソースの酸味が丁度良かった。
「このプチプチした食感が良いね」
「うん。これも遠征先の?」
「あっちでは頭から丸ごと揚げたものだったよ。内蔵も骨も丸ごと食べられた」
「そっちはそっちで食べてみたかったかも」
「じゃあ今度はそれが食べられる店を探してみるよ」
この料理は、おそらくリクエストを汲みつつ店の格に合わせて美しく手間を掛けているのだろう。さすがに大衆向けの店出て来たような丸ごとのフリットは、令嬢には抵抗があると思われたのかもしれない。ユリは何でも抵抗なく、初めての食べ物でも貪欲に挑戦するタイプだが、一般的には珍しい。
「あ、このスープもその発酵調味料が使ってある?」
一見すると冷製の海老のピスクに見えるが、先に一口飲んだユリが気付いた。レンドルフも遅れて口に入れると、確かに覚えのある風味がする。通常のビスクとは違って、僅かに発酵食品の香りと旨味として感じさせる微かな苦味がある。以前に氷鱒を食べた時にも思ったが、この調味料は魚介独特の香りを和らげてくれるような気がする。
「多分そうだと思う」
「懐かしいような味ですごく美味しい!あ、そうか、ソイペーストぽいんだ」
「ソイペースト?」
「うん。ソイは発酵させると滲み出して来る 液体の上澄みなんだけど、下の方に沈殿物が出来るのね。それをソイペーストって呼んでて、これも色々料理に使えるの。こうやってスープにすることもあるよ。豚肉とか根菜とかたくさん入れて、メインにもなる具沢山のスープって感じだから、こっちのとは違うけど」
「それも美味しそうだね」
「そのスープは寒い時向けだから…寒くなったら一緒に食べに行こうね」
「楽しみにしてる」
魚が有名なレストランだけあってその後も魚介中心のメニューが続いたが、様々な調理法や新鮮な食材を活かしたもので基本的に肉中心の食事が多いレンドルフも十分満足する内容だった。
「あの海老のビスクと白身魚のトマト煮込みが美味しかった!」
「うん、俺もビスクは好みだった。あと、牡蠣のチーズ焼きが美味しかったな」
「レンさん、牡蠣好き?」
「かなり。前に先輩に奢るから好きなだけ食べていいって言われて、うっかりバケツ二杯は食べて怒られた」
「それは…相当好きなのね」
出て来たメニューで、殻が付いたままの牡蠣が素焼きとワイン蒸しとチーズ焼きになって運ばれて来たのだが、それを見るレンドルフの目の輝きが明らかに違っていた。そして確実に三回以上はおかわりを頼んで、さすがにまだ他のメニューもあるので「これくらいにしておこうかな…」と非常に残念そうに呟いていたので大変分かりやすかった。
今は二人の手元にはデザートの器が置かれていて、丸いガラスの中に青いジュレとカラフルなフルーツを魚の形に型抜きしたものが入ったこの店らしい涼しげなメニューだった。好みで上から掛けるシロップも選べるのだが、ユリは特に掛けずにほんのりと酸味の効いたジュレのフルフルした食感を楽しんでいた。レンドルフはフルーツを煮詰めたというシロップを洪水のようにかけていた為に見た目がジュースのようになってしまっていたが、当人が幸せそうに食べているので問題はない。
「あ、そうだユリさん」
「ん?何?」
「さっき馬車の中で言いかけてたことって…」
(覚えてたー!!)
ユリは平静を保ちながらも心の中で絶叫していた。目の前の料理が美味しくてすっかり忘れていたのだ。どうにか誤摩化せないかを少しだけ視線を彷徨わせてから、これなら有耶無耶に出来そうな話題を思い付いたが、それを口にすると絶対にレンドルフが悶絶しそうな気がする。それを申し訳ないと思いつつ、これ以上話題が追求されないだろうとユリはそっとその魔法の言葉を舌に乗せる。
「あの…さっきの宝石商の人が『若君』って…」
「!!」
ユリが小さく呟いた途端、レンドルフが手にしていたスプーンをカラリと落としてしまった。マナー的に失態だが、その切っ掛けを作ったのはユリなのでそこは敢えて見ないフリをする。そしてレンドルフはガバリと両手で顔を覆ってしまった。しかしそれで覆い切れなかった耳が真っ赤になっているのを確認して、ユリは申し訳ない気持ちになった。ユリの狙い通りに話は逸らせたが、何だか悪いことをしてしまった気がする。
確かに宝石商のリーズからすればレンドルフは「若君」であるし、そう間違った呼び名ではないのだが、ユリの前では騎士でありたいレンドルフとしては大変恥ずかしい呼び名だった。
「そ、それは…忘れてクダサイ…」
「うん…何か、ゴメンね」
覆った手の向こうからくぐもった声が聞こえて来て、ユリはなるべくそちらを見ないようにするのが精一杯だった。しばらくするとレンドルフの方からも再び食べるのを再開した音が聞こえて来たのでホッとしたのだった。
「あ、あの、レンさん」
「っ!な、何?」
一瞬、レンドルフの肩がビクッと反応していたので、ユリの罪悪感はますます強くなったが、ここはもう何事もなかったように押し通そうと腹を括る。
「冬になるとね、ミキタさんのところでも牡蠣のフライとか出してくれるから、その時は一緒に行こうね」
「あ…うん!それは楽しみだなあ」
「それと!そのときにソイペーストも手に入れてお願いしておくから、特別な牡蠣料理も作ってもらおう」
「特別な牡蠣料理?」
「牡蠣の煮込みって言うのかな。ミズホ国から伝わった料理で、向こうでは『ドテ』って言うの。香りの強い野菜とか、魚とかと一緒にソイペーストを溶いたスープで煮込むの。すごくあったまって美味しいよ」
「ああ…いいなあ…早く寒くならないかな」
「気が早いよ!」
これからこの国は暑くなる季節がやって来るのだ。しかし想像だけでうっとりしているレンドルフは、もう寒い季節を待ち望んでいるようだ。
すっかり立ち直ったレンドルフに内心安堵しながら、ユリは心のメモ帳に「レンさんは牡蠣が好き」としっかりと刻まれたのだった。
話に出て来る料理は、豚汁と土手鍋です(笑)
お読みいただきありがとうございます!
最近反応をいただけることが増えて、ありがたい限りです。楽しんでもらえたら嬉しいなあ。
誤字報告もありがとうございます!いつも助かっております。読み直しはしているつもりなのに一向に減らない節穴アイ…お恥ずかしい。
基本的に書きたいこと全部盛りする方針の物語なので、長くなっておりますが今後もお付き合いいただけたら幸いです。