222.違和感の正体と指輪選び
とんでもないでまかせを口にしたアイルを、ショーキは呆然とした顔で見てしまった。
「ショーキ知ってるのか?」
「い…いや、初耳…」
「それはそうでしょう。お互いの為に、僕との婚約は最初からなかったことにされていますから」
アイルが言うには、彼は最初は母の出身国の貴族に婿入りする予定だったこと。しかしその相手の令嬢が外交で訪れたオベリス王国の王族の護衛で来ていたレンドルフと恋に落ちたこと。そしてレンドルフと添い遂げる為に縁戚のオベリス王国の貴族の養女になったこと。その影響でアイルはこの国に戻り、実家の世話になるには気まずいということで自ら志願して王城騎士団に入団した、ということだった。ショーキからしてみれば、よくまあスラスラと滑らかな嘘が吐けるものだと感心するような語りっぷりだった。これをレンドルフが聞いたら「それは誰のこと?」とキョトンとした顔で言いそうだ。
「奪われたと言うのは、言葉が悪かったですね。頭で分かっていても心はどうにかなるものではないですから…」
眉を下げて微笑むアイルは、本当に気の毒な様子に見える。ショーキ以外の三人の騎士達も、彼に同情しているような表情になっている。
「だ、だけどさ、よく騎士団に入る気になったな。鉢合わせとかしたら気まずくない?」
「彼女がきちんと幸せになっているか、確かめたかったというのもあります…我ながら未練がましいですが」
「…それって誰のことだろ」
「おい!」
「あ…」
一人が思わず漏らした言葉に、隣にいた者が脇腹を肘で突ついた。しかしアイルには聞こえてしまったようで、怪訝な顔になった。
「誰、とは?」
「ええと…その、先輩は、複数の女性とお付き合いがあるって噂が…」
「お前なあ…」
「だって!どうせすぐに耳に入るだろ!何だかんだであの人、目立つし」
「複数の女性と…そんな不誠実な人だったんですね…」
アイルの色の薄い水色の目が微かに潤んだように下を向く。その姿は、レンドルフのことをよく知らない者から見ると憐れみを誘い、つい味方したくなってしまうだろう。しかしショーキは何の感情も出さないようにアイルをジッと見つめた。
「それってどんな感じのご令嬢?」
「は?」
「ほら、髪色とか、目の色とか。可愛い系か色っぽい系か」
その中で、ショーキと同じ第四騎士団の青年がアイルに向かって口を開いた。一瞬アイルは二、三度瞬きをして首を傾げた。素で質問の意図が読み切れずに困惑しているようだ。
「ほら、そんな不誠実のなのがバレて別れたりしたら、アイルが迎えに行ってやって慰めるとかしたら株が上がるだろ?俺とショーキは同じ団だからさ、さりげなく聞き出してやるよ!」
「あ…ええと…そこまでしていただく訳には…それに、元に戻ろうなんて」
「そこはアイルの好きにすればいいけどさ。でももしそんな大事な女性が酷い目に遭ってたらイヤだろ。今どうしてるかくらいは調べるの協力するよ」
「え、ええ…」
「ほら、だから、そのご令嬢の特徴を教えてくれよ。名前は名誉とかあるだろうから聞かないでおくけどさ、髪色くらいなら大丈夫だろ?」
「……えと…茶髪、です」
「それは濃い茶髪?それとも淡いとか、赤っぽいとか」
「ふ、普通の…」
「へえ…」
元婚約者の髪色もはっきり言えずに狼狽えたような態度になったアイルに、さすがに他の者も少々訝しく思ったのか急に白けたような空気が流れた。
「ま、もしかしたら変装してるって可能性もあるしな。取り敢えず気を付けて聞き出してみるよ!さ、そろそろ待機も終わりだ。終了報告出しに行こうぜ!」
「あ、ああ。そうだな。それじゃ、またな」
時計を見ると、あと数分で彼らの待機時間が終了する時刻になっていた。特に何もなかったことを管理官に報告しに行って引き継げば勤務は終了となって王城の外に行くことも出来る。
三人が行ってしまったので、談話室にはアイルとショーキが残されることになった。どことなく気まずい空気が流れ、ショーキはガリガリと荒っぽく髪を掻きむしると立ち上がった。その行動を、困ったような顔でアイルが見上げた。その表情は、ショーキには先程とは違って本当に困っているように見えた。
「あー…あのさ」
「…はい」
「僕たちみたいな平騎士は、色々と上の命令とか聞かなきゃな時もあるから大変だと思うけど」
アイルの日焼けとは違う褐色の肌は、この国では比較的珍しい為に顔色などを判断するのはショーキには難しい。しかしそれを差し引いても彼の顔色はあまり優れないように見えた。
「せめてもうちょっと剣ダコが出来るまでは握手はしない方がいいと思うよ」
「…!」
彼と会話をしている途中で、ショーキは握手をした際の違和感の正体に気付いた。アイルは自ら一年ほど「魔法騎士」をしていたと言ったのだ。もしただの魔法士であったならば、手の平が柔らかくても何も思わなかっただろう。しかし魔法士ならば騎士団に入るのが根底からおかしな話になってしまう。彼は何か目的があって、或いは命じられて騎士団に入団したのだろう。それもレンドルフか、それに繋がる「誰か」を探る為に。
何が目的は分からないが、ショーキは後で部隊長のオスカーと第四騎士団副団長ルードルフに報告はするつもりだった。しかしどことなく自らの意志とは関係なくアイルは動かされているのではないかと思って、つい余計な忠告をしてしまった。おそらく先程一緒にいた三人もアイルに多少の不信感を感じた筈だ。それを上に報告するかまでは分からないが、黙っていて万一巻き込まれたり知っていて黙っていたと見なされるよりは早い段階でさっさと報告しておいた方が身の為だということは知っているだろう。
「あ、あの、このワインは…」
「あいつらが置いて行ったんだし、貰っちゃえば?飲めないんならそこの保冷庫に入れて置けば、明日の朝には空き瓶が転がってると思うよ」
「…あ、ああ、そうする」
ショーキは「おやすみ〜」と気軽に後ろ手に手を振って、自室へと引き上げた。
ショーキは持ち前の勘の鋭さとユリの特殊魔力を見分ける感覚がある為、レンドルフが一見複数の女性と付き合っているように周囲に思わせて、たった一人を大切にしているのを知っている。詳しい事情は分からないが、レンドルフは自分が不利益を被ろうが守るべき対象を庇う人間だというのは短い付き合いでも分かる。色々言われているが、近衛騎士団から降格になったのもきっと噂とは違う理由があるのだろう。
「先輩が休暇中でいなくて良かったのかな…」
ショーキはポツリと小さく呟きながら、まだ休暇で不在にしているレンドルフへの連絡は上の判断を仰ごうと考えていたのだった。
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その日、王都でも有数の貴族と取り引きのある宝飾店のお得意様専用の入口に、家紋は付いていないが質の良い大型の馬車が一台やって来た。この店は身分を隠してお忍びで王族なども利用することもあり、馬車から建物内に入る時も外から見えないような作りになっている。
そこから黒の騎士服風のかっちりしたシルエットの立て襟上着に、ワインレッドのサッシュを巻いた大柄な男性が出て来る。その身のこなしは明らかに騎士のものだ。見上げるような身長に厚みのある胸板という体型だけで威圧感を与えそうだが、それに反して髪色は薄紅色でふんわりと柔らかな髪質をそのまま固めていないことと、表情の穏やかさで随分の和らいだ印象になっている。そこから続いて顔を覗かせたのは、燃えるような赤い髪を美しく巻き上げた金の瞳の美女だった。光沢のある茶色のエンパイアドレスで、胸元はビスチェタイプだったが、その上から細かい黒のレースが素肌の露出を覆い隠すようになっているので、艶かしい肢体のラインはうっすらと見えるようで実際は殆ど見えないという作りで上品さがある。小物や宝飾品は白をメインにしているので、首元や髪を彩るのは主に真珠だった。ただ、耳に付けているピアスだけは相手の髪色を意識したのか上質なコンクパールが揺れている。
手慣れた様子で彼女を馬車から抱きかかえるように降ろすと、サッと腕を差し出す。彼女もほんのりと微笑んで差し出された腕に軽く指先を掛けた。妖艶な空気を纏っているような美女が、初々しくちょこんと細い指先だけを彼の腕に添えている姿は妙に目を惹いた。この入口を使用するような客は高位貴族などが多く、たとえ初来店でもこなれた空気感を出すのが大半だ。それだけに迎えに出たベテラン店員も、一瞬我を忘れて見惚れてしまった。
「ようこそお越し下さいました」
「ああ、よろしく頼むよ」
「ユリと申します。本日はよろしくお願いします」
彼らを出迎えたのは、クロヴァス家のお抱えの宝石商リーズだった。
今日は、レンドルフが超格安でうっかり手に入れてしまった稀少な石をどのように加工してもらうか相談する為にユリとともに訪れていた。
いつもならばリーズにタウンハウスに来てもらうのだが、そこにユリを招いてしまうと人目に付きやすい。変装をしていたとしても、クロヴァス家に宝石商と縁戚ではなさそうな女性が出入りしていたとなると、周囲からはすわ婚約か結婚か、と騒がれるのは目に見えている。レンドルフとしてはそういった形で外堀を埋めるようなことは避けたかった。
そこでリーズが所属している商会の一室で話し合いをすることにした。ここならば出入りする姿も、守備義務も厳しく統制されている。
何せ秘密にしたいのはユリのことだけではなく、無駄に厄介ごとを引き寄せそうなほどの珍しい石を扱ってもらうので、とにかく用心に越したことはない。
「こちらのデザイナーのロンド・ウエサルと職人のハンナ・ドロースが担当いたします。勿論、この打ち合わせより秘匿の誓約を交わすようにしております」
店内の応接室に案内されると、先に二人の男女が控えていた。デザイナーと紹介されたロンドは口髭を丁寧に整えている30代くらいの男性で、職人のハンナは小柄で童顔なせいか10代にも見えるが、さすがにこの商会で働いているということは20代には達しているだろう。どちらもスーツ姿であったが、ハンナの指先が黒ずんでいて荒れているのが見てとれた。さすが職人らしい手と言える。
ソファに案内されてレンドルフとユリが並んで座ると、正面に座ったリーズが石の入った箱と書類を差し出して来た。内容を確認すると、今回の石の加工についての他言を禁じる誓約魔法の為の契約書だった。レンドルフやユリにも、他の者よりは項目が少ないが契約書がある。迂闊に石の本当の価値を喋って危険を招かないようにする為の対策だ。もし本当の石の価値を証明する際には、許可された鑑定の資格を持つ者以外は読めないようにした鑑定書を発行しておくので、万一当人に自白剤などを使われたとしても本当のことを言わないで済むのだ。
「問題はなさそうだけど、ユリさんは?」
「大丈夫」
それぞれ個人用に作成された契約書を念の為交換して確認したが、特に問題はないようだった。
「それではすぐに魔法士を呼んで契約をさせます」
テーブルの上に置いてある通信の魔道具で連絡をすると、既に近くで控えていたのかローブ姿の中年男性が現れた。ローブにはこの宝飾店の商会紋が刺繍されているので、専属契約している魔法士なのだろう。こういった高級品や貴族との取り引きの多い商会では当然のように所属している。
全員に小さな針の付いた器具が渡され、指先を突ついて血を契約書に乗せる。別に血液でなくとも誓約は結べるが、最も強固な誓約を結ぶには血液が適していると言われている。
ごく細い針なので殆ど痛みはないが、レンドルフは自分の指先をぞんざいに拭うと、テーブルの上に置かれた布でユリの手を取ってそっと傷を付けた指先を包み込んだ。全く痛みもないくらいの小さな傷に大仰な対応をされて、ユリは小さく「全然大丈夫だから…」とレンドルフに向かって呟いたが、しばらくは布ごと手を離してもらえなかった。視界の端で何だか暖かい眼差しのリーズ達が映って、ユリは少しばかり頬が熱くなった。
無事に誓約も済んで、魔法士が退出した後にテーブルの上に並んでいた石の入った箱をリーズが開けようとしたが、ほんの一瞬だけレンドルフに確認するような視線を投げた。まるで「本当にいいか」と念を押すような様子に、レンドルフは戸惑ったように何度か瞬きをする。それを先に察したのはユリの方で、軽くレンドルフの袖を引く。
「レンさん、変装解いた方がいいと思うの」
「え?あ、ああ…ユリさんは大丈夫?」
「さっき誓約結んだし、大丈夫」
そう言ってユリは、今日は手首に付けている繊細な鎖のブレスレット風の変装の魔道具の出力を変更した。間違って停止させないように何度も屋敷で練習して来たが、それでも少し緊張して魔石を摘む指が震えそうになった。
どうにか無事に切り替えに成功して、視界の端に見える前髪が黒くなる。レンドルフも驚いたような反応はなかったので、瞳の色もいつもの緑色になっているようだ。
「なるほど…失礼致しました。では、石のご確認をお願い致します」
リーズは、片方はレンドルフの瞳によく似た色味の石なのに、連れて来た女性が緑色を有していなかったのでそのまま見せていいか迷ったらしい。レンドルフが自分用に持ち込んだ石は、室内では濃い緑に金色の偏光色が入っている。日の光の元で見ると青い色になる性質なので、連れて来るのは緑か青い瞳の女性と考えていただろう。普段の色に変更したユリの目は、濃い緑に金色の虹彩が入っている、レンドルフが選んだ石そのものの色をしているので、安心したようだ。
「ご希望は指輪と伺っておりますが」
「ああ。常に付けていることは出来ないが、なるべく普段でも身に着けられるようにシンプルな形にしてもらえたら、と思っているが」
話を詰めて、基本的には傷や破損に強くなるように強化の付与を掛けてもらい、盗難にも備えて持ち主以外が指に嵌めたり加工しようとすれば商会の警備に通報が行くようにした。そして悪意を持って鑑定を勝手にされても本来の価値が分からないように「鑑定上書き」という付与も施してもらう。これは本来の価値よりもわざと落とした鑑定結果が出るもので、稀少すぎる石なので違法手段に出てまでも入手しようとする通称「石狂い」と呼ばれるコレクター除けの為だ。その付与は外しにくい為、掛ける前に国に認められた正式な鑑定士が正確な鑑定書を発行することになっているので、もし売買をする場合は多少の手間はかかるが価値が落ちるようなことはない。
レンドルフの方のデザインは、少し厚みのあるゴールドの台にして、石が引っかからないように埋め込むような形状の物にしてもらった。さすがに石が大きめなので少し石の一部が突出はするが、そこに保護と強化を重ねがけしてもらうことにする。そのままだと少々ゴツすぎるので、浅めに鳥の紋様を掘って軽やかな印象のデザインを勧められたので、それを取り入れることにした。クロヴァス家の紋章はフェニックスを模しているので、それを分かって勧められたのだろう。
「これ…植物っぽいものと組み合わせは可能かな?」
「植物ですか?可能ですが、どういったものがご希望でしょうか」
「ユリさんは何がいい?」
「え?私?」
「うん。ユリさんの方が詳しいから、選んでもらおうと思って」
おそらくレンドルフからすれば単に植物に詳しいユリに選んでもらった方がいいという考えが主だったし、折角ならユリに選んでもらった方が嬉しいという素直な理由だったのだが、婚約指輪などに互いの家の紋章のをモチーフに彫り込むのはよくあることなので、一瞬この場が固まってしまう。リーズ達も予め婚約指輪ではないと聞いていたので完全に戸惑っている。先程のレンドルフの発言は「自分の家の紋章だから」ユリの方が詳しいと言ったようにも取れてしまう。
「え…ええと、指輪に入れるなら、どんなデザインがお勧めですか?」
「そうでございますね…やはり形状で考えますと、蔦、辺りが入れやすいモチーフかと」
「蔦…」
ユリは、レンドルフには家紋を選んでもらう的な意図はありませんよ、と言わんばかりに正面に座ってデザイン画のファイルを広げているロンドに丸投げした。そしてその中から幾つかのデザイン化された蔦のモチーフを広げて見せた。
それを勧められて、ユリは人知れず背中に冷や汗が伝うような感覚になった。おそらくロンドも指輪にあった細長い植物ということで勧めて来たのだろうが、実のところアスクレティ大公家の紋章は「白い蛇と絡まる蔦」なのだ。蛇を冠するのは本家と筆頭分家だけなのだが、他の分家や縁戚は紋章のどこかにほぼ蔦が入っている。蔦自体は一般的に使われてもおかしくないモチーフなので、別に意図するところはないだろうと思い直してユリはその中から何となく血止めの効能のある葉を似ているものを選んだのだった。
そんなに話に絡んで来ないだろうと思って名前を付けていなかった宝石商が、思いの外出番が増えたので「リーズ」と名付けました。