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閑話.ユリシーズとレンザ

短めです。


『別邸の敷地の端にある離れを使ってもらえばいいのではないか?』

「おじい様!いくら何でも!」


その日の夜、珍しく夕食後に時間が取れたと連絡をして来たレンザに、ユリは遠話の魔道具でレンドルフの宿泊する場所の伝手はないかと相談を持ちかけた。それにレンザはすぐさまそんな返答をして来たのだった。


『同じ敷地内と言っても間に薬草園と生け垣が挟まって離れているし、出入りには厩舎の方を使ってもらえば顔を合わせることはないだろう?』

「そ、れは、そうですけど…」

『そうだな…彼が気兼ねしないよう、あの離れはパナケア子爵の別荘に名義を変更しておこう』

「そんな勝手に…」

『問題ないよ。あの当主は今更領地から動くようなことはないだろうし』



レンザの言ったパナケア子爵は、アスクレティ大公家の寄子にあたる家門で、老齢の当主夫妻だけで後継はいない。養子は取らず、このまま今の当主が亡くなった時点で爵位は国に返還することが既に決まっている。現在もわずかな領地は、大公家から派遣された管理人が運営している。爵位返還後もそのまま大公家が引き継いで管理することになっていた。

その為、レンザが急に名義変更したところで何の影響もないのだ。



『他に伝手がありそうな別邸を持つところは、大抵適齢期の令嬢がどこかにいるものだよ。恩を楯に縁談を持ち込んだり、偶然を装って夜に侵入されるくらいなら我が家の目の届くところにいてもらった方がいいだろう?』

「…はい」

『ああ、彼への案内と説明は私の方で使用人を手配しておくよ。ユリが説明すると色々とボロが出そうだからね』

「うっ…」

『彼とは()()()()でいたいのだろう?ユリのことを知ったら真面目な彼のことだ。正しい態度を取らずにはいられないだろうからね』



アスクレティ大公家は、表向きは王家に次ぐ身分とされている。しかし実質、建国王の時代より王家とほぼ同等の権限を有している。ただ、家門の気質が昔から表舞台に立つこと、ましてやその頂点に立つことを望まないという理由故に長らく臣下として存在しているのだ。


現在、国内の回復薬の原材料になる薬草の生産と流通の大半を扱っているのがこのアスクレティ家の一門だ。そして国から独立して干渉を受けないとされている薬師ギルドのトップの一人にレンザが名を連ねている。中央の政治に関わらなくても、国に多大な影響を及ぼす地位にいるアスクレティ家が本気を出せば、王家に取って代わることも新たな国として独立することも不可能ではない。


それだけの権力を持つ家の後継であるユリ、ことユリシーズ。辺境伯も高位貴族とはいえ、大公家とは歴然とした身分差が存在する。王家直属の騎士として仕えて来たレンドルフ自身、身分への意識は身に滲み付いているだろう。もしユリが大公家息女だと分かれば、どんなに彼女自身が望んだとしてもレンドルフとの距離が開いてしまうのは明白だった。



「おじい様に、お任せします…」

『ああ。そんなに不安そうな声を出さないでくれるかい?大丈夫だよ。悪いようにはしないと約束する。それに彼には恩があるからね。安心して任せておくれ』

「ありがとうございます、おじい様」


その後幾つか言葉を交わして、遅くなる前に魔道具を切った。


『ユリ、愛しているよ。私はユリを悲しませるようなことは絶対にしないよ』


途切れる直前のレンザの声は、彼女にとって世界一優しく、最も信頼できるものだった。



----------------------------------------------------------------------------------



ユリは自分のギルドカードを取り出して、自分の番号の部分の指を乗せる。


「レンさん。おじい様が宿泊場所の伝手があるそうです。おじい様が案内を手配してくれるそうなので、詳細が分かったらお知らせしますね」


カードに向かってメッセージを告げてから、登録している人物の名前から「レン」の文字を指定する。ユリはそのまま送信の指示を出そうとして、一度指を止めて自分のメッセージに何度か視線を滑らせた。

そしてようやく納得したように、ユリはそっと送信の指示を出した。その際に何故か息を詰めていたことに気付いて、フウッと大きく息を吐いた。


「ちゃんと見られてるかな…」


何となくカードを手放せなくて手の中で弄んでいると、メッセージが来たことを知らせる光が灯る。


「良かった。レンさん、ちゃんと使えてるみたい」


届いたメッセージの相手を確認すると、そこには「レン」の文字が浮かんでいる。ミスキに教わりながら幾度も不安げに首を傾げていたが、どうやら杞憂だったようだ。


『ユリさん。こんばんは。連絡ありがとう。ええと、助かりました。宿泊料のこととか、確認してなかったので、今度教えてください。これ、どうやって止めるんだろ。あれ?修正。うわあああ』


「ぐふっ!」


レンドルフからのメッセージを開くと、声のメッセージに不慣れな様子がそのまま送られて来ていて、ユリは思わず令嬢としては完全にアウトな妙な声を出してしまった。


『ごめん、ユリさん。あの、悪戯とかじゃ、ないから。慣れなくて。あ、レンです。今度、ちゃんと聞くので、話を』


すぐさま追加が送られて来て、それを見たユリは完全に撃沈していた。

もう文字だけで、顔を赤くさせながらアワアワしている不器用で微笑ましい彼の姿が目に見えるようだった。送った相手に誰からのメッセージと分かるようになっているのに、きちんと名乗っているところも更に微笑ましさを倍増させる。


「レンさん、ありがとう。ちゃんと伝わってるから、焦らないでいいよ。直接会った時に、分からないことがあったら聞いてね。それじゃ、おやすみなさい」


笑いを堪えながら、ユリは再びメッセージを送る。その声は完全に震えていたが、それは文字には表れないのが幸いだった。


『ありがとう。ユリさん。おやすみなさい』


すぐにシンプルな返信がレンドルフから届いた。きっと余計なことをしないように気を付けた結果なのだろう。ただの文字なのに、その向こうの人柄が透けて見えるような気がして、ユリはサラリとカードの表面を指で辿った。そのカードに浮かぶメッセージを眺める彼女の青い目に、ほんの少し熱が篭っていることは彼女自身まだ気付いていなかった。


「可愛いなあ、レンさん」


当人を前には言えないが、ユリは思わず部屋で一人口に出しながら、彼が初めて送って来た辿々しいメッセージ三通に保存の設定をしたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



孫との通話を終了した後、レンザは机の上に置いてあった眼鏡を改めて掛け直した。手元にあった書類の半分は目を通したが、それでもまだかなりな高さが残っている。


「…やれやれ。厄介な相手に望んでもないのにつきまとわれるのは、ユリといい勝負だね」


レンザは、部下達に集めさせたレンドルフの報告書を読んでいた。



もともと、レンドルフは職務上王族とも関わりが深かったということもあって、周囲はそれなりに騒がしかった。だが彼は特に付け入る隙もなければ、任務に忠実な護衛騎士の鑑のような人物だった。それ故に、彼を取り込むなり陥落させるなりに手間を割くよりは、もっと容易く付け込める人間に近付いた方が手っ取り早いとして見逃されていたようなものだった。

しかし今は、国賓扱いであった公爵令嬢脅迫未遂の首謀者疑い、という何ともはっきりしない事件の責任を取るというかたちで近衛騎士団を解任され、強制的に長期休暇状態になっている。その処分に対して王太子や第二王子がレンドルフを必要以上に気に掛けている為、更にその影響があちこちに波及している状態だ。レンドルフの実家が中央でそれなりに力を持つ家門であれば、上手く立ち回ることも出来ただろう。だが、実際は中央から遠く離れた辺境領を治める武門の家系である為、政治的な駆け引きをまだ若い騎士の三男が捌くことは到底無理な話だ。



「…まあもうちょっと騎士団の方で頑張ってもらおうか」


幾つかの書類を眺めて、今のところレンドルフの今後の処遇についての打診をまとめて受けているのは、元上司の近衛騎士団長と現上司の総括騎士団長だと報告が上がっている。両団長が苦労して強引な勧誘を押し止めているので、最終的には悪いことにはならないだろうと予想がつく程度には信頼している。


「御前」


一通り書類を捌いて一息ついたタイミングで声が掛かる。レンザが顔を上げると、部屋のランプの明かりが僅かに届かない凝った暗がりの中に、いつの間にか一つの影が膝を付いていた。


「いつからいたのかね。あまり年寄りの心の臓を脅かさないでもらいたいね」

「失礼致しました」


そう言いながら頭を下げる人物は、全く温度のない声でそう言った。黒い服を着て、頭からすっぽりとフードを被っているので、本体が見えているのは口元くらいだった。

彼は、大公家に存在している諜報員「草」と呼ばれる者達の中でも上位の存在だった。彼はこうして当主のレンザの部屋に来て、直接報告をすることを許されていた。


「今日は定期報告の日ではないが、何があった?」

「討伐の前に向かわせた斥候から、気に掛かる情報を聞きましたので急遽報告に上がりました」

「話せ」


彼の話では、定期討伐の前に魔獣の生息域を探らせる為に放った斥候の一部が戻らなかったということだった。基本的に調査を中心にしているので戦闘になることはないが、それでも危険を伴う任務ではある。時折不運にも予想しなかった魔獣の襲撃により戻らない者もいない訳ではない。しかし今回は、一定の方向と深さまで森に入った斥候だけが複数戻らなかった。


「それなりに経験の詰んだ者もおりましたが、現在も戻っておりません」

「戻らなかった方向は」

「北の方角で、森の深度は6以上です。いずれも『清き湧き水』の方向に向かった者達です」


討伐予定の森の最も深い場所は深度8であるので、彼の報告だとかなり深い場所に向かっていた者が戻らなかったらしい。



森の北側の最深部には、聖水の元になると言われている僅かに聖魔法を含んだ水が湧いている場所がある。効果の高い聖水を作るには水源に近ければ近い程良いとされているが、さすがに強力な魔獣が出る場所まで頻繁には行くことは出来ない。まだ水の中に聖魔法が残っていて、それなりに量も採取できる深度5の辺りで汲上げて神殿に持ち込むのが一般的だ。



「水源に近いな。そこを穢されると厄介だな」

「はい。優秀な斥候でしたので、待っていた為にご報告が遅れたようです。申し訳ありません」

「構わん。ひとまず討伐に当たる中でランクの高い者達をそちらに優先して回すように」

「畏まりました。…あの、それで…」

「どうした」


彼にしては珍しく言い淀んだ。レンザは少しだけ片眉を上げて訝し気に首を傾けた。


「お嬢様が、北方面の森への参加を希望しております」


レンザはそれを聞いて、大きく息を吐き出した。


定期討伐では、調査の結果を元にしてギルドから参加者へ討伐の地域を指定される。行きたい場所や優先して素材が欲しい魔獣などの希望がある場合は前もって申請を出しておけば、そこからランクや討伐対象の魔獣の生息域などを鑑みながら希望になるべく添った地域を指定してもらえる。大抵の冒険者は自分達の実力を分かり切った者ばかりであるので、希望通りになるのがほぼ暗黙の了解だ。

ユリと共に参加する「赤い疾風」も、通常であれば北方面でも問題はない。


「ああ…今はジギスの花の季節だったな。それは任せる。ただし」

「何があってもお嬢様をお守り致します」

「当然だ」



ジギスの花は、その花粉が心臓の病に効果がある植物だ。葉や根には毒を持っているが、花粉だけに薬効成分が含まれている。限られた季節の清らかな水辺にしか咲かない花なので、ユリでなくとも薬師であれば多少の無理をしてでも採取に行きたいと思う素材だろう。


彼女の護衛を任せている「赤い疾風」のメンバーは、ランクは中堅のCではあるが、レンザが見込んだのはミスキの引き際の判断力だ。当人は照れ隠しなのか「逃げ足が速い」などと言っているが、最短で安全地帯まで逃げ果せるルートを選択できる才能と、躊躇のない撤退を選ぶことの出来る胆力を評価していた。あと少しで倒せる相手であっても、危険と判断したら深追いもせずに場を捨てる。それは簡単にできることではない。「赤い疾風」は、リーダーのタイキの攻撃力が目立ってはいるが、あのパーティで最も価値があるのはミスキだとレンザは思っていた。

ミスキが駄目だと判断すれば、さすがに花を目の前にしていてもユリは引くだろう。それだけ彼らとユリは実績と信頼関係を築いている。



(今回は一人、増えてはいるが…)


レンザは、レンドルフの報告書を頭の中で思い返す。レンザは一度読んだものは全て脳内に転写したように記憶できる。それこそ一言一句間違いなく。その報告書の通りだとすれば、まず無茶をして突っ込んで行くことはなさそうだ。しかし、万一に備えていつもより大目に「草」と「根」は用意しておくに越したことはない。


「最優先はユリシーズ・アスクレティの身の安全。それを忘れぬように」

「重々承知しております」


レンザが軽く手を振ると、それを合図に彼は闇に溶け込むように姿を消した。



----------------------------------------------------------------------------------



レンザは書類を綺麗に束ねると、箱の中に入れた。思ったより多くなった書類は、もうすぐその箱から溢れそうになっている。


「まだまだ増えそうだねぇ…」


箱に入れた書類は、先程読んでいたレンドルフの報告書だ。少し前までは箱の底に僅かに溜まっているだけだったのに、ここに来ての増え具合は目を見張るものがある。



レンザは、机の隅に追いやっていたすっかり冷えた紅茶で喉を潤す。


彼の場合は、ゆっくりと休憩しているように見えても頭の中では様々な段取りが常に組まれている。今はユリの為に、別邸の離れをレンドルフの宿泊場所として提供する為の予定が着々と組み上がっている。


(またあの場所をクロヴァス家の者が使うとはね…)


かつてヒュドラ出現の騒動が起こる少し前、縁あってレンドルフの父親に離れを一時貸していたことがあった。そう何度も顔を合わせた訳ではないが、大柄で無骨、貴族社会とは正反対な武人ではあったが気のいい人物で、レンザの中でもその時のことは良い思い出として記憶に刻まれている。

そのこともあってか、王城に出向いた際に何度か遠目でレンドルフのことも見ていた。父親譲りの立派な体格ではあったが、どちらかと言うと母親似という印象を受けた。



訳あって貴族男性を殊に苦手としていたユリが、驚くほど普通に接することの出来る相手だ。悪い人間ではないのだろう。その証拠に、ユリの身を守る為に特別に作らせた彼女への悪意に反応する防御の魔道具は全く反応していない。しかし当人よりも、今は彼の周囲に纏わり付いている柵が厄介だ。今のところは周囲をうろついているだけに過ぎないが、やがて時期が来れば彼を絡めとろうと本格的に動き出すだろう。その時に彼がどのような判断をしてどのように動くか。



大公家の力を持ってすれば、辺境伯令息だろうが王太子の覚えがめでたかろうが、引き込んで囲い込むことは容易い。しかし、レンザはその時が来るまで、静かに見守ることにしようと決めていたのだった。


アスクレティ大公家の別邸と離れの話は「赤熊辺境伯の百夜通い」に出て来ます。

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