218.大食い騎士と植物オタク令嬢
ただのデートなので、いつもよりはイチャイチャ気味…な、筈!(笑)
予約した半個室の利用時間が近付いたので、一旦レンドルフは馬車留めまで戻ってバスケットを取りに行った。
「今日は夕方までここにいる予定だから、日暮れ前に戻ってくれれば構わないよ」
今は重たいバスケットだが、中身を食べてしまえば軽く持ち運ぶのに大変なことはない。
レンドルフは馭者に告げて、食事の足しに、と銀貨を数枚握らせる。随分恐縮されてしまったが、他家の馬車と馭者を厚意で使わせてもらっているのだからと納めてもらった。
「ユリさんお待たせ」
「ありがとう、持って来てくれて。片方持つよ」
「大丈夫。結構重いから、俺が持つよ」
「え、でも…」
「俺ならこれくらいは軽いし。さあ、行こう」
「うん」
普通の男性でもやや重いと感じられるくらいのバスケットだが、レンドルフからすれば嵩張るだけで大したことはない。両手にバスケットを下げて、レンドルフはユリの少し前を先導するように歩き始める。ユリはその少し後ろをトコトコと着いて行ったが、ほんの少しだけ残念そうな顔でいつも繋いでいる手を見つめていたのには、レンドルフは全く気付いていなかった。
「わあ…ここなら本格的なお茶会も出来そう」
案内された半個室の温室は、外よりも少しだけひんやりとしてサラリとした空気だった。温室というと気温が高い印象があったが、ここは快適な空調を保つ為に作られた温室のようだ。
最大五名までが使用出来るという半個室は、中央にウッドデッキと大きなパラソルが設置されていて、広い木製のテーブルと椅子も置いてあった。椅子は一人掛けと二人掛けのものが置いてあって、これならばレンドルフもゆったりと寛げる。椅子に置かれているクッションと膝掛けは、植物園らしく鮮やかな花の刺繍が施されていた。予約者は自由に使用していいとテーブルの脇にティーワゴンが置かれ、その上にお湯の入った保温のポットと紅茶のセットが置かれていた。これは自分達で淹れてもいいし、有料にはなるが給仕も頼めるらしい。
半個室なので外からも姿が見えるということだったが、周囲の植え込みで視線を気にするほど見えるという感じがしない。その植え込みには小さな白い花が咲いていて、遠くは見渡せないが花を見て楽しむには十分だった。
レンドルフは何かを目論んでいるわけではないが、あまりに視界が遮られている気がしてつい「本当に半個室なんだろうか」とソワソワしてしまった。
どちらも似たようなバスケットだったので近い方をそれぞれ開けると、レンドルフの方は一口サイズの色々なミニパンが入っていた。そして隣にはカラフルな数種類のジャムの瓶も添えられている。他にもパンと合わせて小さく食べやすいようにピンチョス風になったチーズやハム、ピクルスなども見える。
「こっちはミダース家の方ね。晩餐でいただいたクレープ包みかしら」
「朝食では卵とベーコンを巻いてもらったよ。全然印象が違って美味しかった」
「これもスイ国風の食事?一目では味の想像が付かないかも」
「そうかも。でも朝食はどれも美味しかったよ」
「楽しみだわ」
せっせと手分けをしてバスケットの中から食事を取り出して並べると、広いテーブルの上一杯に食べ物が並んでしまった。とても二人分とは思えない量だ。
「すごく、張り切って作ってもらったみたい」
「そうだね…なんかお土産買って帰るよ」
「そうね。私も買うから、渡すのはお願いしていい?」
「勿論」
テーブルが広いので、お互い向かい合わせではなく近くなるように斜め向かいに椅子を設置する。
「「いただきます」」
ユリは真っ先にレンドルフが朝食で食べた魔風鴨の骨で出汁を取ったスープを口にする。保温のカップに入っていたので、軽く湯気が立つ程度に温かい。まずはそのまま食べてから、レンドルフに教えてもらったようにネギと揚げたクルトンを追加する。
「すごくシンプルなのに複雑な味わいがする…」
「うん。クルトンを入れなければ食欲がない時でも食べられそうだよね」
「そうね。でもこの揚げたクルトンがいい感じのコクを出してるから、入れないのは勿体無い気もするし…」
外側のキツネ色に揚がった部分はスープに入れてもまだサクサクとした歯応えを残していて、中心の部分は逆にスープをたっぷり吸い込んでトロリとした食感になっている。そして具材のフルフルとした感覚が合わさると、食感だけでも楽しめる。
「この小さなパンはどれも美味しいね。何も付けなくてもどんどん食べられるな」
「エリザベスさんの子供の頃のリクエストがそのまま定着したみたい。量は食べられないけど、色んな種類を食べたい、って」
「子供の頃…俺は子供の頃から大人と同じパンを何個も食べてたな…」
「それは男性と女性の違いじゃない?」
「多分、父と兄達の影響もあったと思う」
レンドルフは兄達や甥達のような近しい血縁の中で、唯一母方に似た容貌で産まれた。母曰く「ちょっと華奢に見えるけど十分元気」で、王都や他の領地からすれば健康体そのものであったのだが、比較対象が熊一族なのでレンドルフは赤子の頃から周囲に心配されて育った。北の厳しい土地を生き抜くためにきっちりと剣や魔法は鍛えられたが、食事面はやたらと世話が手厚かったのだ。滋養のある食材が手に入ると真っ先にレンドルフの皿に盛られたし、すぐに満腹になってしまう食の細い子では冬を越せないかもしれないと、領民達がこぞって魔獣の肝やら生き血やらを持参した。レンドルフ自身も父や兄に比べて半分も食べられないことに悩んでいた時期もあったが、学園に通う為に王都に出て来て初めて自分が普通の貴族令息達よりもよく食べることを知った。
「今も人より食べる量は多いんだけど、成長期はひどかったな…」
「ひどいって」
「一日五食食べて、それも一回に三人前は食べたのにしょっちゅう腹が鳴ってたんだ…よく授業中に笑われてた」
「それは…よく太らなかったね」
「一番食べてた時期は全部身長に取られてたのか、アバラが浮くくらい細かったよ。『山の死精霊』って言われるくらい」
「それ、あんまりじゃない!?」
レンドルフの言う「山の死精霊」は、山で出会うと魅入られて魂を連れて行かれるという伝説の存在だ。本当に居るのかは証明されていないが、遭遇して生き延びた人間の話によるとほぼ全員が口を揃えて「真っ黒で見上げるような人の形をしたナニかで、枯れ枝のように細い」と証言する。そんな話から、ヒョロリとした痩せ形で高身長の者を揶揄してそう呼ぶこともある、やや悪口寄りの異名なのだ。
「まあその頃はそう呼ばれても仕方ない風貌だったと自分でも思うよ」
「納得行かないなあ…」
レンドルフは覚えていなくても、ユリからすれば細い時代の彼も、今目の前に居る彼も、清廉で頼りがいのある誰よりも立派な騎士様なのだ。それを悪く言われるのは腹に据えかねるものがある。しかしレンドルフ自身はあっさりと認めて何ということでもない様子なので、ユリはそれ以上は言えなかった。
「でも身長が止まったら今度は肉がついて来て。あまり一気に体を重くすると関節をやられるから自重しろ、と教師に散々注意を受けたっけ…」
「それは確かにそうよね。でもレンさんが無事に育ってよかった…」
「ははは、そう言ってくれるのはユリさんと身内くらいだよ」
「身内…」
レンドルフは何の意識もなくサラリと思ったこと言ったのだろうが、思わずユリは「身内」と同じ扱いと言われて何とも嬉しいような恥ずかしいようなくすぐったい気分になった。
何となく誤摩化すように、ユリはフォークに刺した丸いものを口に入れた。揚げてあるのか外側はこんがりと薄く色が着いていて、パリリと軽い食感の中にはプリプリとした弾力のある海老が入っていた。
「あ、それ朝は蒸してあったスイギョかも。海老が入ってる?」
「うん、海老がいっぱい。そっか、蒸し物だとこういう持ち運びには向かないから揚げてあるんだ」
「へえ、蒸すのと揚げるのじゃこんなに違うんだ」
釣られてレンドルフも一つ口に入れる。レンドルフはどちらも食べているので、比べられてちょっと羨ましいとユリは思ってしまった。
「このハムサンドのパンも独特の風味なのね」
「ちょっと甘味があるけど、ユリさんは大丈夫?」
「うん。マスタードの酸味とハムの塩気がクセになりそう」
レンドルフはミニパンが気に入ったのか、まるでクッキーでも摘んでいるかのようにポンポンと一口で食べている。ユリの予想通りの食べ方だったので、思わず無意識に微笑んでいたらしい。不意にレンドルフが手を止めて「がっついてゴメン」と見る見るうちに恥ずかしげにシュンとしてしまった。
「あ、違う、違うから!レンさんが美味しそうに食べてるから、何か可…ええと、良かったな、って思って!」
「そ、そう?」
「うん、そう!朝食で食べた時も、きっとレンさん好きそうだなーって。あ、あの、ジャムもきっと好きだと思う!私はもう食べてるし、だから、遠慮なくどんどん食べて!」
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
うっかり「可愛い」と本音が漏れそうになってしまったユリではあったが、さすがに正面切って告げるのはよろしくないと理性で押し止めた。
レンドルフは素直にユリの勧めたジャムの蓋を取って、半分くらい割ったパンの隙間にスプーンに山盛り掬って押し込んだ。一瞬ユリは「あの隙間にその量を!?」と目を丸くしたが、器用にもレンドルフは零すことなくムニムニとジャムを隙間にすっかり詰め込んでしまった。
「ん、これは美味しいな…酸味と甘みのバランスが絶妙…」
パクリと一口で食べて、一度口を動かしただけですぐに好みだと理解したのか、レンドルフの目がキラキラしていた。そしてそれを黙々と咀嚼して飲み込んでからうっとりと溜息を漏らした。その顔が妙に艶っぽかったので、ユリは内心「ジャムに色気を振りまくのはどうなの…」と思いながら小さく首を傾げていたのだった。
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あれだけ大量に並んでいた食事も、気が付けばほぼレンドルフの胃の中に収まっていた。ユリは思わず「人体の神秘…」と呟きそうになったのをどうにか堪える。
「ああ、まだ果物があったんだ。ユリさん一口食べてみる?すごく珍しいものみたいなんだ」
「うん、一口くらいなら」
少し冷えていた方が美味しいと勧められていたので、レンドルフはまだバスケットの中に入れて置いたリュウガンの実が入った箱を取り出す。そしてユリの方に向けて蓋を取ると、ユリは目を見開いて一瞬動きを止めた。
「っ!これ…!ドラゴンアイ…!?」
「リュウガンの実って聞いたんだけど、同じもの?」
「うん…多分、だけど。私も実物を見るのは初めて」
皮を剥くと味が落ちるので、解凍してそのままの実を入れてもらっていた。その皮はゴツゴツとした鱗状の模様の入った薄紫色のもので、レンドルフもそれを見た時は爬虫類を連想して驚いた。
「あ、でも皮の色が少し違うような…?」
「確かスイ国の名産品って言ってたよ。凍らせて輸出してるらしいんだけど、昔は現地に行かないと食べられなかったんだって」
「私が知ってるのは、スイ国の北側にある国が産地だった筈だから、地続きだし、科が同じなのかも」
「そうなんだ。これ、すごく美味しいんだよ!あ、ユリさんには甘すぎるかな…」
「ううん、これは絶対食べてみたい」
大きさは鶏の卵の半分くらいの球体で、硬そうな皮は見た目だけらしく、軽く爪を立てるだけですぐに裂ける。ペロリと半分程捲ると、中から白い半透明の果肉が出現する。その中心には真っ黒い種が入っていて、それがうっすら透けて見える。
「やっぱり同じなのかな…ドラゴンアイは、果実が竜の目みたいだからそう呼ばれてるんだけど、多分『リュウガン』もスイ国の古い言葉で竜の目って言葉だったと思う。これ、すごく体に良い成分が豊富だから、昔は王侯貴族が療養食として独占してたって」
「やっぱりユリさんは博識だね」
ユリの記憶にある果実によく似ているが、それはもっと黒に近い皮の色だった。しかし皮の中身は同じようにも見えた。どちらにしろ、この果物が稀少な品であることは変わりがない。
「じゃあ、ありがたくいただきます」
半分だけ皮を剥いて、果汁で表面が艶やかに光っている実にカプリと歯を立てると、中に封じられていた汁気が一気に溢れて来る。予想以上の量だったのでユリは急いで吸い込むようにしたが、唇の端から溢れた果汁がポツリと垂れてしまった。念の為ナプキンを胸元に付けていたので服を汚すことはなかったが、淑女としてはあり得ない失態だった。
「これは美味しいけど食べにくいな。ゴメン、ちょっと服に垂らしたからすすいで来る」
ユリがどうしようと混乱していると、レンドルフがそう言ってすかさず席を立った。確かこの半個室には入口付近に水場が設置されていた。
(もしかして見ない振りしてくれた…)
食べにくいものだから仕方ないところもあるとは言え、羞恥で顔が熱くなっていたユリだったが、背を向けて入口の方に向かっているレンドルフの後ろ姿を見て別の意味で顔が熱くなっているのを感じていた。
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その後、ハンカチを濡らして戻って来たレンドルフはそれを手にも果汁が垂れていたユリに手渡して、リュウガンの実が入っている箱を手に「ちょっと待ってて」と言い残すと再び水場に戻って行った。
ユリはありがたく手を拭かせてもらいながら何をしているのだろうと伺ってみたが、レンドルフの大きな背中で何をしているか全く見えない。少し時間が掛かっているので席を立って手伝いに行った方がいいかと思案していると、レンドルフが皿を片手に戻って来て、皮が剥かれたリュウガンの実をユリの前に置いた。
「レンさん、これ…」
「最初からこうすれば良かった。気が利かなくてゴメン」
「え…あの、ありがとう…」
「あ!ちゃんと手も洗ったし、実には触れないように剥いたから!その…嫌じゃなければ」
「ううん、嬉しい。本当に、ありがとう…」
ユリは皿の上に並べられた実を三つをカトラリーを使って自分の皿に乗せて、あとはレンドルフに渡した。その際に聞こえるか聞こえないかの小さな声でつい「レンさんが優しいが過ぎる…」と心の声が漏れてしまったのだが、それはどうやらレンドルフの耳にも届いていたらしく、素知らぬ顔で剥いたリュウガンの実を食べながら、彼の耳はしっかりと赤くなっていたのだった。