217.虹水華と約束
貴族街と平民街に分かれているとは言え同じ街なので、すぐにリバスタン街のギルドに到着する。この街では知らない人がいない富豪であるミダース家の紋章を付けた馬車を使わせてもらっているので、そこから降りた人物も血縁か関係者と思われたのか、注目は浴びたが遠巻きにされているだけで近寄って来る者はいなかった。特にレンドルフは前商会長のテンマと同じくらいの体格なので、顔立ちはさておき血縁者とは思われたかもしれない。
ギルドでは荷物の配送や郵便物も扱っているので、窓口で配達の手配を済ませる。転写版一枚につき、保護の付与が掛かった封筒が一枚ずつ入っているのでどうしても量が多くなってしまうのだが、転写版の構造的に一枚ずつ送ることを推奨されているので仕方がない。
手続きを終えて振り返ると、入って来た時には気付かなかったがギルドの入口付近に小さな台が設置されていて、小物や紙袋に入った焼き菓子などが売られていた。近寄ってよく見ると、この街の孤児院で作られたもののようで、慈善活動の一環として無償でギルドの隅に置かせてもらっているようだ。この品物の代金をギルドの窓口に支払うと、そのまま売上げは孤児院の運営などに充てられてると説明書きが置かれている。その隣には拙い字で商品名と金額が書かれていた。
孤児院は各街に一つはあるが、それぞれの街の方針に合った運営が行われているので、エイスの街のギルドにはこういったものは設置されていない。
「これ、今日のユリさんに合いそうだ」
小物の中に、おそらく寄付されたであろう端切れの布を縫い合わせて作られた小さなコサージュがあった。どの布を使うかは作り手のセンスに委ねられているのか、派手な柄物ばかりを選んだ伝説の人食い花のようなものもあれば、花と言うよりは蔦のような個性的な形をしているものもあった。その中でレンドルフが手に取ったのは、白や淡いクリーム色などで纏められた上品な印象の薔薇のコサージュで、よく見ると白いものでも質感の違う生地を敢えて選んでいて作り手の選択眼の良さが際立っている。まだ子供が作ったものなので裏側の処理が多少粗かったが、それでも店で売られていてもよさそうな完成度だった。
「こっちのピンはレンさんに良さそう」
ユリが手にしたのは、黒の光沢のある色で編まれた組紐を金具に貼り付けて、細い金の鎖を垂らしたタイピンだった。ユリの小指よりも短い作りなので、レンドルフの付けているクラバットを留めるにはちょうど良さそうな大きさだった。
何となくそれぞれを手に取って顔を見合わせて互いに笑うと、そのまま窓口まで引き返した。窓口に向かう際に、レンドルフは五つ程残っていた焼き菓子の袋もしっかりと抱えていたのだった。
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馬車に戻って、焼き菓子はバスケットの中にしまって、それぞれに購入した小物を交換する。ユリは外を歩くだろうからと服に合わせて用意してもらったつばの広い帽子に付けても可愛いかと思ったのだが、よく考えたら付けているところを自分では見られないので右胸の上に付けることにした。
「レンさん、私が付けようか?」
「…お願いします」
ユリが満足してふと隣を見ると、小さな金具に悪戦苦闘しているレンドルフの姿があった。小さな細工な上に、首元のクラバットに鏡もない馬車の中で装着するのはなかなか難易度が高い作業だ。ユリの申し出に、レンドルフは少し恥ずかしそうに体をユリの側に傾けて来た。屈み込むように顔が近くなって、ユリが作業しやすいように顎を持ち上げたような姿勢になる。その首が無防備に晒されて、一瞬ユリは肌の白さに見入ってしまった。なかなか日に当たる場所ではないし、もともと色白で日焼けしてもすぐに戻ってしまう体質のレンドルフなので、少々羨ましくなる程の白さだった。
「ちょっとジッとしててね」
あまり直に触れないようにユリはクラバットだけに手を添えようとしたのだが、高級な馬車でも多少は振動するので指先がどうしても直接首に触れてしまう。触れないように意識すればする程、小さな金具が留まらなくて時間が掛かってしまう。手元に集中していると、視界の端で僅かにレンドルフの喉仏が動くのが見えた。くすぐったいのを我慢させているのかと思うと、余計に焦ってしまう。一瞬、手が滑ったかと思った時、奇跡的にそれが金具の留金にきれいに嵌まった。
「うん、ちゃんと留まった」
「ありがとう」
レンドルフが礼を言って顔を上げると、ほぼ偶然の産物ではあったがきちんと良い位置にピンは留まっていた。自分では見えないので、レンドルフはそっと留めてもらったピンに触れた。
「レンさん、手鏡あるけど、見る?」
「うん、借りていいかな」
ユリがポーチの中から小さな手鏡を渡す。小さいものなので、せいぜいレンドルフの襟元くらいしか映らないだろうが今はそれで十分だろう。レンドルフは自分の首元の正面に手鏡を持って、少し角度を付けて覗き込んだ。そしておそらく無意識なのだろうが、手鏡を持っていない方の指で軽くピンを撫でて、蕩けるような顔で微笑んだ。ユリは何故だかその顔と仕草が妙に艶かしい色気をかもしているように感じてしまって、思わず自分が触れられたわけでもないのにソワリとした感覚が首元を撫でて行ったような気持ちになった。
(…!よく見たら、私の色じゃない!)
レンドルフの前で見せているユリの姿は、黒髪に濃い緑の瞳に、変装の魔道具では変更出来ない金色の虹彩という色の要素だ。そして今、レンドルフの身に付けているのは濃い緑色のクラバットに、先程購入したタイピンは黒の組紐に金の鎖が付いたものなので、冷静に考えてみればユリからの独占欲丸出しな組み合わせになっている。
(買った時は無意識…の筈なんだけど…!?)
「ありがとう。少し華やかになったから、これでユリさんの隣にいてもおかしくないかな」
「そ、そういうつもりで選んだわけじゃないからね…」
「うん、分かってる」
ユリの内心を知ってか知らずか、ニコニコと満足そうな顔で手鏡を返して来たレンドルフに、ユリは「このことはあまり触れないようにしておこう…」と心の中で蓋をしたのだった。
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植物園に到着したのはまだランチには早すぎる時間帯だったので、色々と入れてもらったバスケットは馬車の中に置いて行くことにした。バスケット自体に保温の付与が掛かっているので悪くなることはない。馭者には昼頃に改めて取りに来ることを伝え、揃って馬車を降りた。
「ねえレンさん、有料だけど温室の一部を貸切に出来るんだって。ランチやお茶会も大丈夫みたいよ」
「本当だ。どうする?ユリさんは大丈夫?」
「うん、大丈夫。そっちの方がゆっくり食べられるかも」
「じゃあ空きがあるか確認して来るよ」
「ありがとう。じゃあ私は入園手続きして来るね」
入口の看板に、園内の利用案内があって、季節によって一部を区切って半個室のようにして利用出来ると書かれていた。前回来た時にはそこまでゆっくり見るつもりではなかったので、その辺りはきちんと読んでいなかったのだ。
レンドルフが受付窓口に行って確認すると、まだ個室も半個室も空いているということだったので、半個室を二時間予約した。半個室の方は、温室の中を幾つか区切って予約者以外は入れないようになってはいるし、植物などで多少は目隠しはされているがそれなりに外からも見えるようになっているということだった。個室になると完全に区切られたエリアで、人目も通らないので未婚の女性と過ごすには不適切だ。レンドルフは迷わず半個室の方を選んでいた。
「今は温室のキュールスの花と、池周辺の虹水華が見頃でございます」
「ありがとうございます」
予約を済ませると、受付の女性がパンフレットを渡してくれた。植物園の内部を印刷したものだが、見頃の花がある場所は手書きで印がついていた。
「予約が取れたよ」
「ありがとう。あ、レンさんもパンフレット貰ったのね」
「うん。キュールスと虹水華が見頃だって」
「前に来た時と違う花だから、楽しみね」
今日の天気は薄曇りだが、もう初夏の季節なのでユリは白い帽子を被り、先日揃いで作った手袋を嵌めていた。白いがうっすらと透ける生地に、手首の辺りに薬草をモチーフにした刺繍が施されている。レンドルフもそれを見ていそいそとポケットから手袋を取り出した。彼の方は黒い色なので同じ生地でもあまり透け感はないので一見揃いのようには見えないが、手首の刺繍が同じものなので手を繋ぐとすぐに揃いと分かる。
「エリザベスさんにもキュールスの花をお勧めされたの。有料にはなるけど上から見下ろす足場があって、花の色の違いで絵画を表現してるんですって」
「花で絵を?それは面白そうだね」
二人は自然な様子でどちらともなく手を繋ぐと、植物園の入口の門をくぐったのだった。
まずキュールスの花が見頃だという温室に行ってみたのだが、予想以上に見物人が長蛇の列を作っていた。
「二時間待ちか…ユリさんはどうする?見たいなら俺だけ並んで待つよ?」
「ううん、取り敢えずここは後回しにしましょう。他にも沢山見たい場所はあるし」
列の最後尾には係員が立っていて、連れの人数を確認して代表者だけ並ぶように案内している。それでもこの長蛇なので、実質は何倍も待ち人数がいるだろう。並ぶ場所にはロープが張られていて、受け付けた時間帯の手書きの看板が立ててある。あれならば列に並んでいなかった連れが合流するにも見つけやすいだろう。
今日は前回来た時よりも人が多かったが、園内は広いのでゆったりと散策するには丁度良いくらいだ。ただ、やはり期間限定ということで、キュールスの花の温室だけがやたら混み合っているようだ。
「あの橋の向こう側の池が虹水華の見所みたい」
「じゃあまずはそっちに行ってみよう」
虹水華は比較的温暖な地域に多い植物なので、最北のレンドルフの故郷では自生していない。人が手入れをすれば王都の気候でも育つものなので、学園に入学して初めて見たものの一つだった。一つ一つの花は小さいのだが、それが集まって人の頭くらいの球体になるので、一本だけでもブーケになるような華やかさのある花だった。
「俺が知ってる虹水華と違うな…」
橋を渡ってすぐに眼前に広がった光景に、レンドルフは思わず呟いていた。
見所と言われる池の周囲を囲むように、虹水華が群生していた。あまり背の高くない木で、高さはレンドルフの腰くらいまでしかないが、大振りの丸い花が少しの風でフワフワと揺れてそれが池の水面に映り込んで実際よりも大きく見えた。花は大半が白いのだが、中心部がごく淡い紫や水色、ピンク色などにほんのり色づいていて、それが集合しているので複雑なグラデーションを作り上げている。一言では言い表せない程に繊細で優美な色合いに、レンドルフもそれ以上言葉を接げずにいた。
「やっぱり専門家が育てるとこうなるのねえ…」
「専門家が育てると違うの?」
「うん。あんなに複雑な色の花は原産地に行かないと見られないと思ってたの。さすがよねえ」
うっとりとした様子で溜息を吐くユリは、花の美しさよりも育て方の方に感動が向いているようだ。
せっかくなので近寄って眺めてみたが、やはり花弁の一枚一枚に柔らかく淡い色が滲むようについていて、到底人の手では作り上げることの出来ない美しさだった。
「俺が見たことあるのは白い色のものばかりだったから、何で『虹水華』って言うのかと思ってたんだ。でもこれが本来の色なら納得が行くな」
「この花はね、冬場の水の管理で色が変わるの。これ自体は割と強いから、王都でも育つんだけど、冬の水が王都では冷たすぎるから色が抜けちゃうのよ。逆にずっと南の方に行くと雨が温か過ぎて濃いまだらの色になるんだって」
「じゃあ王都でこの色が見られるのはすごい技術なんだ」
「うん。王都でも強い寒波が来た年とかは霜が降りると枯れちゃうし、熱すぎない程度に火の魔石を埋めて調整したり…」
ユリは目をキラキラさせながら虹水華の説明を語っていた。薬師を目指しているからなのか、元から植物に興味があったから薬師を目指したのかは分からないが、楽しそうに植物のことを語るユリをレンドルフは微笑みながら耳を傾けていた。
「…ごめん、私ばかり喋ってた」
「色々とユリさんの話を聞けるのは楽しいよ。俺の知らないことを沢山知ってるのはすごいと思うし」
「退屈じゃなかった?」
「全然。俺も魔獣討伐に行く為に薬草とか毒草とかの知識は叩き込まれたけど、ごく浅いものだし。ユリさんの話を聞いたあとだと、その辺に生えてる草とか見ても面白いと思うようになったよ」
「そ、れなら、いいけど…」
ユリの話を聞いても一切嫌な顔をせずに楽しげに聞いてくれるレンドルフに、ユリはつい喋り過ぎてしまうと反省するのだが、それ以上に寛容に受け止めてくれることに嬉しくなる。騎士としては全く役に立たない内容の方が多いのに、自分が知らないことを素直に感心して興味を示してくれるというのは、この上もなく喜びを感じてしまう。
「ええと、これ、実はちょっとだけ毒があるの」
「そうなの!?こういう手の届くところにあっても大丈夫?」
「すごーく弱い毒性だから問題ないわ。そうねえ…レンさんくらいの体格なら、この株一つ分の葉っぱを食べたらお腹壊す、かも?」
「これだけ生で葉を食べたら誰でもなるんじゃ…」
「それくらい弱毒性なの。花自身が虫に食べられないように身に付けた防御毒だから。でも、子供がうっかり食べちゃって大事になることは年に数件はあるのよね。ただ大事になるくらいよくそこまで食べたわね、って思うんだけど」
体が小さく免疫力が弱い子供でも一枚程度を口に入れるなら大したことはない。大事になるには何枚も一気に食べなくてはならないのだから、大して美味しくない葉を大量に摂取して神殿に運ばれて来る子供を見る度に「解せぬ」という表情を隠せない神官は多い。
「これだけきれいな花なら食べたくなる気もするけど、葉の方はな…」
「花もあんまり美味しくないよ。食用じゃないし」
「…ユリさん、それって」
「わ、忘れて!」
白をベースに淡い色がグラデーションになっている虹水華の花弁ならば、砂糖菓子のように見えなくもないのでつい本音が漏れてしまったレンドルフに、ユリが即答した。きっぱりと断言したと言うことは、彼女は既に実行済みだったという証しであって、レンドルフはユリらしいと言えばユリらしい答えに思わず苦笑していた。
ユリもうっかり失言だったと気付いて、帽子のつばで顔を隠すようにして顔を横に向けてしまった。その仕草が妙に可愛らしく、レンドルフはつい喉の奥からククッと笑いが出てしまった。
「ユリさんは研究熱心なのはいいけど、あんまり無茶はしないで欲しいな」
「それは大丈夫だから!ちゃんと解毒の装身具付けてるし、試す時は解毒薬も準備してるし」
「…そういうことじゃないんだけど」
自分で言いながら、全く言い訳にすらなっていないのは分かっているのだろう。答えるユリの視線は泳いでいて、少しだけ頬が赤くなっている。そんな拗ねたような表情も可愛らしいのではあるが、いつまでもそうさせておくのも忍びない。レンドルフは敢えて話題を変える。
「写真の転写版、持ってくれば良かったな。この花を撮ったら綺麗だっただろうな」
「そうね。今度来る時は持って来ましょうか。虹水華はないかもしれないけど、他にも綺麗な花は咲いてる筈だし」
「うん、楽しみだ」
そんな世間話のようなやり取りだったが、レンドルフは心の中で「また一つ約束が出来た」と嬉しさを噛み締めたのだった。
キュールスの花はひまわり、虹水華は万華鏡という品種の紫陽花をイメージしています。