216.それぞれの朝
翌朝、大勢のメイド達に囲まれて身支度を整えたユリが案内されると、先に来ていたエリザベスが嬉しげに目を輝かせた。
「まあ、やっぱりこういった可愛らしいのもお似合いだわ!」
「あ、ありがとうございます。急なことでしたのにこんなにご用意していただいて」
「気になさらないで。我が家には行き当たりばったりの達人な母がおりましたから、全然余裕ですのよ」
「は、はあ…」
さすがに一から作るようなことはなかったが、見本として常に屋敷に置いてある服をユリ用に改造してくれたらしい。子供並みに小柄なユリでも、裾丈も袖丈も設えたようにぴったりだった。用意されたのは、普段は選ばないようなペールグリーンに白い小花が散っているような生地で、ゆったりとしたAラインにくるぶし丈に少し膨らんだ長袖のワンピースだった。そのままだと胸のボリュームで必要以上に広がってしまうようなデザインだが、腰の辺りに付いている白いリボンを背後で軽く絞るように結んでいるので、自然にウエストラインが細くなっている。そのおかげで体のラインは見えなくてもスッキリしたシルエットに見えていた。
髪は顔の脇に少しだけ垂らしてゆったりとカールさせ、あとは緩やかに三つ編みにして背中に垂らしている。そしてその三つ編みの間にはワンピースの生地に似た小花のピンが差込まれて清楚な彩りを添えている。化粧もそれに合わせてほんのりと色づく程度に見えるようにして、どこからどう見ても可憐なお嬢様といった仕上がりになっている。
出来上がりを見てユリは普段とは違う可愛らしい装いに戸惑いつつも、皆が口々に褒めてくれたので満更でもない気がしていた。
「さあ、朝食にいたしましょう」
「はい、いただきます」
食欲が戻っているとは言え、エリザベスの前にはユリとは違うメニューが置かれていた。ユリはつい反射的に全体を見回したが、どれもエリザベスの為に用意された体に優しい煮込み中心のようなので感心していた。その中には、昨日の晩餐で出された瓜と鶏肉のスープも添えられていて、さらに卵も加えられているようだ。
ユリの前には丁寧に漉された人参のポタージュスープとサラダ、オムレツには鶏肉のトマト煮込みが添えられていた。そして全てが小ぶりなサイズで作られた数種類のパンが入った籠が置かれ、バターや色鮮やかなジャムが並んでいる。
「わたくしが幼い頃に少しずつ色々な種類が食べたいと言い出して以来、我が家ではパンはこのサイズで出て来ますの」
「それは楽しくていいですね。それにどれも美味しそうです」
ユリはまず、ツヤツヤとした焼き色の付いた丸パンと、見るからにサクサクとしたデニッシュを貰った。どちらも小さなユリの片手にすっぽりと収まってしまうような大きさで、何とも可愛らしい。つい「これはレンさんなら一口で食べてしまうだろうな」などと思いながら眺めてしまった。
「このサイズですと、旦那様も一口で食べてしまうのよ。男性には物足りなく感じるかもしれませんわね」
「え!?あ、そ、そうですか。私は、色々食べられて丁度いいです!」
まるで自分の考えていることをそのまま見抜かれたようで、一瞬ユリは声が裏返りそうになってしまった。その様子を楽しげに見ながら、エリザベスは白く柔らかいパンを小さく千切って口に入れる。ユリも何とか誤摩化すようにパンを千切って、鮮やかなオレンジ色をしているマーマレードを塗って口に入れた。幾つかの柑橘系を混ぜてあるのか、爽やかな香りが強く苦味が少なめの味わいだった。
「これ、リモネラですか?」
「確かそうだったと思うけれど…」
「リモネラだけですと酸味が強い場合がありますので、ルビーオレンジを加えております」
エリザベスが首を傾げて傍にいた給仕に顔を向けると、すぐに返答が戻って来た。と言うことは、ここの厨房で作られているのだろう。
「とても美味しいです。今度家で作る時に真似をしてみてもいいですか?」
「光栄でございます。後程、料理長よりレシピを聞いてメモをお渡しします」
「ありがとうございます」
リモネラは甘味と酸味のバランスが良く大変美味しい果物だが、未熟な実は頭痛を起こす程に酸っぱい。しかも完熟かどうかは見た目では分からないというものなのだ。その為、ここでは作る際に味を確認して、甘味の強いルビーオレンジで調整しているらしい。ルビーオレンジは全くと言っていい程酸味のない品種なので、柑橘の良さを保ちつつ甘味を足すには相性が良さそうだ。
「昨日は急遽泊まることになってしまいましたけれど、本日のユリさんのご予定はあるのかしら?」
「今日は私はお休みなので、ノルド…レンさんのスレイプニルのお見合いの状況次第で、レンさんと一緒に出掛けようかと…」
「そうでしたの!でしたらこのリバスタンの近くにある植物園はご存知かしら?」
「あ、はい。ほんの少しでしたが、一度」
「では奥の温室までは行ってないのかしら?今、キュールスの花が満開だそうよ。良かったらレン様といらしてみては如何でしょう」
キュールスの花は、主神キュロスを讃える花と言われていて、人の顔程の大きな黄色い花なのだ。背の高い花で、大きなものになるとレンドルフの身長と大差ないくらいまで伸びる。真夏から晩夏に掛けて咲く花で、時期的には少し早い。
「温室では足場を作って上から眺められるようにしてあって、少しずつ花の色を変えて毎年違った絵画を花で表現するそうですわ」
「それは楽しそうですね。後でレンさんと相談してみます」
ユリもエリザベスも姉妹がいないので、こうして年齢の近い同士で朝食をとるような機会が殆どなかったため、つい楽しく話が盛り上がってしまい通常の倍近い時間を掛けてしまった。ちょうど二人とも黒髪で、多少色味の違いはあれど緑の瞳の為、一見すると姉妹のように見える。その二人が談笑している光景に、使用人達は心の中で「尊い…」と思いながら水面下でいいポジションを取ろうとさり気なく静かな争いを繰り広げていたことに、幸い二人は全く気が付いていなかったのだった。
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伯爵家で女性二人が優雅な朝食をとっていたのとそれほど変わらない時間帯、隣の男爵家では青白い顔をした男性二人がスープを啜り、一人は朝食とは思えない程山盛りに盛られた皿を次々と空にしていた。
「レンくんは酒豪だな…」
「そうですか?家族の中では飲めない方なんですが」
すっかり二日酔いで青い顔をしているのはテンマ、トーマの親子で、全くいつものようにモリモリと朝食を平らげているのがレンドルフだった。何せレンドルフはいつもの習慣で早めに目覚め、屋敷にいる護衛達とともに鍛錬をして一汗流して来たのだ。
昨日の晩餐に引き続いて、朝食もスイ国風のメニューが中心だった。
魔風鴨の骨をじっくり煮込んで出汁を取ったスープに、甘みのない方の豆のプディングを崩して煮込み、各自が好みでネギや油で揚げたクルトンを入れるという一品は、柔らかく蕩けそうなプディングが優しい味わいだった。大きく切られた油で揚げてあるクルトンを入れるとボリュームも出る。レンドルフは迷わずクルトンを入れていたが、他の二人はネギだけであっさり風味で食べていた。
他にも、独特な甘みのあるパンにマスタードを塗り焼いた薄いハムを数枚挟んだシンプルなサンドイッチや、蒸し野菜に香味野菜を刻んだドレッシングをかけたサラダ、蒸したスイギョは中に海老が入っていてピンク色が透けて見えるのが目にも楽しめた。
昨日、魔風鴨のローストを巻いていたモチモチのクレープは、目の前で焼いた卵とベーコンを葉野菜と共に包んで出来立てを提供してもらった。ベーコンは塩気の強いものを使用していて、ちょうど半熟に焼いた卵と絡めて食べると絶妙の塩加減だった。
「こちらはスイ国の名産、リュウガンの実が入っております」
最後にデザートとして出されたのはガラスの器に盛られたヨーグルトで、中に果物が入っているらしい。見た目には分からなかったがスプーンで掬い上げると、ヨーグルトが絡んで分かりにくいが半透明の実のようで、見た目は半分に切った白葡萄のようだった。
「…!これは…」
口に入れると、葡萄よりもしっかりとしたシャクリとした歯応えと共に、濃厚な甘みが口一杯に広がった。香りは爽やかでさっぱりしているが、今まで食べた果物の中でも最も甘いのではないかと感じられた。甘い物に目が無いレンドルフは、思わずうっとりを目を閉じて厳かな気持ちでじっくりと噛み締めていた。
「食べるのは初めてか?」
「はい。こんなに美味しい果物があるんですね」
「食通の者に言わせると、リュウガンの実は世界の甘い果実の五本の指の中に入るそうだ」
「はあ…素晴らしいですね。こんなに甘い果物があと四種類もあるんですか…」
レンドルフは夢中になってあっという間に器を空にしてしまった。リュウガンの実は確かに甘いのだが、後口に残らない甘さなのですぐに口の中の余韻は消えてしまった。それが美味しさの一つでもあるが、レンドルフは何だか名残惜しい気もした。
「まだ冷凍の物があったろう。それを追加で出そう」
「そうですね。私はスープだけで十分ですので、デザートはよろしければレン様に」
「ありがとうございます!遠慮なくいただきます」
残念そうに眉を下げて分かりやすい表情をしていたレンドルフに、テンマとトーマがそれぞれに声をかけると、再び分かりやすく破顔した。
「冷凍の物があるのですね」
「ああ、これは収穫してから一日程度で発酵して酸味が出てしまうんだ。酸味が出ると食えなくはないが格段に味が落ちる。今は冷凍させて輸出しているが、少し前までは現地に行かないと口に出来ない幻の果実だった。しかし収穫したてに勝るものはないらしく、食道楽の金持ちは今でもわざわざスイ国まで行って食べるらしいぞ」
「気持ちは分かります」
追加で出してもらったリュウガンの実入りヨーグルトを、レンドルフは実に幸せそうな顔で食べていた。その表情を見て、テンマはこの実の収穫から輸出に関わった全ての人間に見てもらいたくなるような顔だと思いながら眺めていた。
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「レンさん、おはよう」
「お、おはよう…今日も可愛い…」
「…!あ、ありがとう…」
「お、俺やっぱり着替えて来る…」
「大丈夫!十分似合ってるから!」
朝食も終えて身支度も済んだ頃、伯爵家からユリが来るとの連絡が入った。数日はミダース家に泊めてもらってノルドの見合いに立ち合う予定だったのだが、昨日見事に一目惚れした相手に玉砕したノルドが凹んでいるので一日空けようということになった。その為、今日は休みになっているユリとどこかへ出掛けるつもりだった。
昨日は晩餐への招待だったので半正装の服だったが、今日はいつもユリと出掛けるような感覚でレンドルフはシンプルな白いシャツと黒のトラウザーズに濃い緑のクラバットという比較的ラフな恰好で出迎えた。だがやって来たのはいつもよりフワフワした大変可愛らしい姿のユリで、レンドルフは完全に動揺していた。慌てて顔を赤くして屋敷の中に引き返そうとしたので、ユリが咄嗟に袖を掴んで止めた。
「こういうラフな感じのレンさんも久しぶりだし!このままでいて欲しいから!」
「でもユリさんそんなに可愛いのに、俺が傍にいたら申し訳ないんじゃ」
「全然!ほら、レンさんのクラバットも緑だし!並ぶと丁度いいよ」
耳まで赤くなってオロオロしているレンドルフと、それを止めようとしているユリのやり取りを少し離れたところで眺めていたテンマとトーマは「一体何を見せられているんだろう…」と少々半目で佇んでいたのだった。
「あ、トーマさん、テンマさん。おはようございます。昨日はありがとうございました」
「昨日はゆっくり休めましたでしょうか。ユリ嬢のことはあちらにお任せしてしまいましたので」
「ええ。とても良くしていただきました」
挨拶を交わすユリとトーマの様子を少し離れたところで見守っていたテンマに気付いて、ユリはすぐに少し距離を置かれている理由に気付いた。
「…テンマさん、二日酔いですか?」
「う…やっぱり鋭いな」
「もう、あちらにお帰りになる時は完全にお酒を抜いてからにして上げてくださいよ。エリザベスさん、匂いに鋭敏になってるみたいですから」
「すまん…」
大きな体を小さく縮めるようにしてテンマはしおしおと頭を下げた。それから、何か言いたげにユリの方をチラリと見る。
「エリザベスさんの体調は大丈夫ですよ。今朝もきちんと体に良いものを召し上がっていましたし」
「そ、そうか。ユリ嬢がそう言ってくれるなら安心だな」
「私はただの薬師見習いで専門家ではありませんよ。ただ、一つ気になることだけはお伝えして来ましたので、テンマさんもご協力お願いします」
「どんなことだ!?俺にも出来ることか?」
「父上、落ち着いてください」
やはりエリザベスのことが気になって仕方ないのだろう。テンマは思わず前のめりになってバランスを崩しそうになったので、宥めるようにトーマが肩を支える。
「何となく、ですけど。エリザベスさんの症状って、魔力酔いに近いものがある気がするんです」
「魔力酔い?しかし子の属性と魔力量は調べてもらっているが」
「はい。でもお聞きしたら潜在属性についてはまだということでしたので、念の為そちらもお受けした方がいいかもと思います。特に今、テンマさんは魔動義肢を使用してますよね?そこに使う魔石の影響もあるかもしれません」
「なるほど…分かった。調べてもらおう。ユリ嬢、感謝する」
魔動義肢は中に魔石を埋め込んで、自分の魔力と連動させて動かすことが可能になっている。魔石の補助で動力を得るので、使用する魔石の属性は使用者の魔力に合わせて変えられる。本来は属性が一致することが望ましいと言われているが、極端に少ない属性の者は魔石自体も少ないので、反発しない属性の魔石を使用している。テンマは稀少な闇属性なので、魔動義肢の動力に使用している魔石は土属性辺りだろう。もし子が潜在的に違う属性を持っていて、まだ未熟な胎児ならばそれを母体が鋭敏に感じ取っているのかもしれない。そこは改めて検査してみないことには分からないが。
貴族の出生率が高位貴族になればなるほど低くなるのは、そういった魔力量や属性などの繊細な問題が多数絡んでいることも多い。
「このままではいつまで経ってもお二人が出掛けられませんよ」
「そうだったな。すまなかった。あとのことは任せて、今日は二人でゆっくりデートして来てくれ」
「デ…!?」
傍から見ればどう考えてもデートなのだが、その自覚が全く無かったレンドルフが目を見開いた。が、これ以上問答をしていても遅くなるばかりだと先に察したユリが軽く袖を引いて軽く微笑んだので、レンドルフはそのまま一旦飲み込む。
「もし何かありましたら、私か父のカードにご連絡下さい」
「はい、ではよろしくお願いします」
トーマもテンマも、商業ギルドから発行されているギルドカードを所持している。登録先が違うだけで作りはレンドルフやユリの持っている冒険者ギルド発行のカードと同じものだ。お互い登録してあれば簡単なメッセージのやり取りが可能だ。
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ミダース家の紋章の入った大型の馬車を出してもらったので乗り込むと、大きめなバスケットが二つ、座席の上に固定されていた。
「これ…」
「ミダース家で出してもらった朝食で美味しかったものを詰めてもらったんだけど…」
「私もあちらでいただいたメニューで美味しかったのを…」
二人とも、それぞれの家で出された美味しい朝食を互いに食べてもらいたいと思った結果だったようだ。思わず顔を見合わせてクスリと笑ってしまった。
「じゃあお昼はどこか景色のいい場所に行こう」
「そうね。前に行った植物園はどう?今はキュールスの花が見頃だってエリザベスさんが教えてくれたし」
「それはいいな。あ、その前にリバスタン街のギルドに寄ってもいいかな。昨日撮影した写真を印刷してもらうように送りたいから」
「うん。出来上がったら見せてね」
行き先を告げて馬車が動き出すと、レンドルフは手にしていた鞄から封筒を取り出して一枚をユリに手渡して来た。
「これは、ユリさんを撮った転写版。住所を書いて同封すると転写版と印刷したものが向こうから送られて来るよ。自分宛の伝書鳥を同封しても大丈夫」
「え…いいの?」
「だってそういう約束で撮らせてもらったし」
「そうだけど…高価な物でしょ?代金支払うよ」
「まとめ買いしたものだから、そこまでじゃないよ」
「だけど…」
「じゃあ、印刷されたのが届いたら、その…見せてもらえたら嬉しい…あ!その!嫌だったら無理しなくていいよ!」
気楽に「見せてね」とユリが言ったばかりなのに、レンドルフは妙に遠慮している。その行動が不思議と微笑ましくて、ユリは思わず笑ってしまった。
「変な顔で写ってなかったらね。レンさんのも見たいし。これって追加で印刷もしてもらえるんだよね?」
「うん。この転写版があれば何枚でも」
「そうしたら、良く撮れてたら、だけど、レンさんのと交換、しない?」
「え…?」
「ほ、ほら!せっかく揃いで服作ったんだし、記念に…欲しいな、って」
ユリの本音としては、見本で持ち歩いていた違う服のレンドルフの写真も欲しかったのだが、自分が一枚だけなのに複数欲しいとは言いにくかった。少し探るような上目遣いなユリにそう願われて、薄暗い馬車の中でもハッキリと分かる程にレンドルフの顔が赤くなる。それを自分でも自覚したのか、無言でコクコクと頷きながらパッと手で顔半分を覆ってしまった。それでも隠れ切れない耳や首元が真っ赤になっているのは見えてしまう。
「うん…送られて来たら、よく撮れたの、渡すよ」
手で覆ったままの状態で返答したレンドルフの声は、見事にくぐもっていたのだった。
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ゆっくりのんびり話は進んで行きますが、お付き合いいただけましたら幸いです。