表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
244/624

215.女子会と男子会


「お久しぶりですわ」

「エリザ…ビーシス伯爵様。ご無沙汰しております。こんな時間に起きていて大丈夫なのですか?」

「前のようにエリザベスで構いませんわ。跡を継いだと言っても、立場はあまり変わりませんのよ」

「ありがとうございます。それではエリザベスさん、と。それよりも…」


ビーシス伯爵家まで送ってもらい、屋敷の客室まで案内されている途中で、ゆったりとした夜着の上からガウンを羽織ったエリザベスが挨拶に出て来た。体調が優れないと聞いていたので、ユリは慌てる。しかしエリザベスはそんな様子もなく、顔色も悪くない。まだそう目立つわけではないが、元が細身だったので少し腹部がふっくらしているのが分かる。


「昼間に大分眠ってしまったので目が冴えてしまっていますの。ですからユリさんにご挨拶だけでもと」

「ご気分は大丈夫ですか?」

「ええ。最近は食欲も戻って来たし、随分と気分がいいのよ。だから少し温かいものでも飲んでから休もうと思っていましたの。その…ユリさんももしお疲れでなければ、ご一緒にいかがかしら」

「はい、是非」

「それでは支度をしておきますので、ユリさんは楽な服に着替えてらして」


伯爵家のメイドに案内されて客室に到着すると、既に複数のメイドがユリの為に待っていた。湯浴みの準備も整っていると言われたが、あまり時間を掛けてしまうとエリザベスの就寝時間が遅れてしまう。湯浴みはエリザベスとのお茶が終わってからにすると告げて、生活魔法を使えるメイドに浄化を掛けてもらって着替えるだけにした。


用意してもらった室内用のワンピースは、ウエストを絞っていないタイプで形としてはネグリジェに近い。しかしユリには少しばかり裾が長かったため、安全の為に緩めにベルトで留めて丈を調整した。以前にビーシス家で急ごしらえではあったがドレスを修正してもらったことがあるので、大体のサイズは把握していたのだろうが、その時は極めて高いヒールを履いた状態でのサイズ調整だったので、今回のように底が平らな室内履きでは多少の誤差が生じたようだ。


髪も解いてもらって、コテで一緒に巻いてあったリボンも外してもらうとようやく気持ちも緩んだ気がした。そして改めてユリの長い黒髪をゆったりと編み込んで背中に垂らす。普段ユリを担当してくれるメイドとはやり方が違うので、これはこれで新鮮な印象だった。



「お待たせしました」

「まあ、急かせてしまったのではなくて?」

「エリザベスさんとお話がしたくて、ちょっと急いでもらいました」

「うふふ、ありがとう」


ゆったりとゲストルームで寛いでいたエリザベスの元へ顔を出すと、あまりにも早くやって来たユリに彼女は目を丸くした。しかしユリの言葉に嬉しそうに破顔して、すぐに傍にいたメイドにユリの分のお茶を煎れるように頼んだ。


「何かお好みのものはあるかしら」

「今エリザベスさんが召し上がっているものと同じでお願いします。もう夜も遅いですから」

「やっぱりそういうのはすぐにお分かりになるのね」

「薬草茶は普段から愛飲してますので」


エリザベスが飲んでいたカップからは、リラックする作用のあるハーブと、体感温度を丁度良く調整する薬草の香りがしていた。どれも妊婦が飲んでも問題のないものばかりだ。さすがに高位貴族に入る伯爵家なので、きちんとした専門家が助言をしているようだ。


「体調が良くないと伺っていたので、心配していたのですが、お元気そうで良かったです」

「ええ、ここ最近はやっと悪阻も治まったのですけれど…」

「何かありましたか?」

「それが…」


少しだけエリザベスは逡巡していたが、すぐにユリに話し出した。


テンマとの婚姻後、すぐに子供が出来たことが分かったのは、匂いに敏感になって吐き気を感じてしまったことからだった。通常ならまだ自覚もないくらいの時期に始まった早めの悪阻だろうと診断を受けた。それから数ヶ月、普段ならば何でもないような僅かな香りでも受け付けなくなってしまって、一時期は茹でた野菜を漉して更に薄めたような塩味のスープと、柑橘類を数滴垂らした砂糖水しか受け付けられないこともあったのだ。幸いその時期はすぐに終わり、今は消化の良いポトフや卵たっぷりのプディングなどを食べられるようになっている。

まだ強い香りは苦手なものの、吐き気も治まって来ているのだが、あることに関しては全く受け付けられないというのだ。そのあることとは、テンマの匂いだった。


「あの、かなり最初の時に香水とかも全部封印してくれて、わたくしと顔を合わせる直前に湯浴みをして、浄化も消臭も重ね掛けをしてもらっているのですが…」

「テンマさんの匂いが受け付けない?」

「はい…旦那様に対して、申し訳ないと思うのですけれど…」


妊娠した女性が、本能的に男性の匂いを受け付けないことはよくあることと医師や産婆の話は聞いているのだが、エリザベスはどうやらテンマに対してだけ特に拒絶反応を起こしているらしい。護衛に付けている騎士や、トーマなどは全くその兆候がないらしいが、あまりにもテンマに悪くて今のところ男性全般と言っているそうだ。


「話をお聞きした限りだと、やはり私も専門家と同じとしか…」

「ああ、ごめんなさい。わたしく、ユリさんとはもっと楽しいお話をしたかったのに、つい…」

「いいえ、大切なお子様のことですから。…あの、エリザベスさんかテンマさんの家系で、獣人の方がいらした、とかということは…」

「獣人ですか?いいえ、そういったことはないと思いますけど」


獣人の中には、ごく稀に親と本能的に相容れない体質の子が産まれることがある。特殊魔力を持って産まれる者も、どこか遠い先祖に獣人がいる場合が多いのはその体質が影響しているからではないかと言われている。


「じゃあ特殊魔力の可能性は低そうですね。それに特殊魔力だと、母体の方にすぐに影響が出るので神殿に保護されますし」

「そうですわね…何だか婚姻してからの方が遠くなってしまったようで」


エリザベスとテンマは、長らく婚約者候補という関係で過ごして来た。それがようやく婚姻まで漕ぎ着けたのだが、すぐにエリザベスの懐妊が分かった為にほぼ別居状態になっている。せっかく憚ることなく一緒にいられる環境になれたのに、こうして離れなくてはならない境遇に不安も感じているのだろう。


「魔力検査は受けられましたか?」

「ええ、基本的なものは一通り」

「潜在属性の方は?」

「そちらは産まれてからでもよいかと…もしかしてそれが原因かしら」

「調べてみないと分かりませんが、お医者様とご相談して受けてみるのも一つの案かと思います」


国民全ては五歳から七歳の間に、神殿で魔力属性と魔力量を調べることになっている。ただ最近はもっと幼いうちや、胎児の時点でも安全に調べる魔道具も開発された為、特に魔力量が多くなりがちな貴族などは、出産の際に母体への負担が大きいこともあって、産まれる前に調べることを推奨される。子供の魔力量が多いと、難産になることはほぼ確定している。しかしそれは避けられなくても、対処出来る医師や薬などを十分に用意することが出来る為に検査はしておいた方がいいのだ。

魔力属性は、発現して使えるようになるのは一種類の者が大半だが、発現しない程度の潜在的な弱い属性を複数持つ者もそれなりに多い。そして発現はしなくても多少なりとも体質などに影響することもあるのだ。ユリは発現しているのは風魔法と氷魔法だが、潜在的に水属性も持っている。その影響からか、比較的体温が低めで冷え性な質だ。

発現する属性魔力は親や家系的な影響が出やすいが、潜在属性になると血筋と関係なく持っていることもあり、時折実の親でも相性が悪く何らかの影響が出ることもあるのだ。


「そうですわね。色々と可能性を考えて確認して行くことにしますわ」

「ご無理のない範囲でお願いします」

「大丈夫ですわよ」


エリザベスは見た目は憂うような表情が似合ってしまう儚い雰囲気の女性ではあるが、何せ猪突猛進で本能のままに突き進むアリアの気質はしっかりと受け継いでいる。そこまでの無茶はしないと思うが、それでも一応ユリは確認をしておく。とは言ったものの、むしろ即答で帰って来た言葉に一瞬不安を感じてしまったユリだった。



「ところで、レン様とのご関係はその後いかがかしら?」

「ゴフッ!」


エリザベスからサラリと言われて、不意打ちだったユリは令嬢らしからぬ音を立てて噎せてしまった。ここに別邸の使用人がいたら確実にお説教コースだ。


「あの…ですね。ええと、その、変わらないと言いますか…」

「まあ、婚約くらい済ませたかと思いましたけど…何か不都合でもございますの?わたくしでよければ相談に乗りますわ」

「あ、ええと…レンさんには全く責任はなくてですね…」


冷や汗をかきながら、ユリはどう説明したものか頭の中で思考を巡らせる。今は同性婚や異種族婚も珍しくはないが、数としては同族の異性婚が多いし、そういった話は男性側がリードして話を進めることが貴族の中では当然のような風潮は残っている。説明の仕方によっては、レンドルフが悪く取られてしまう。


「その、私が正式に薬師の資格を取ったら、色々と考えるということで…その、待ってもらっていると言いますか…」

「そうでしたのね。わたくしったら余計なことを」

「いえ、一方的な私の都合なので…」


何とか言葉を選びながらユリは答えたが、途中で「この言い方だと求婚されたの前提みたいに思われるかも」と気付いたものの、エリザベスがションボリした様子になってしまったのでそのまま流すことにした。色々とはっきりは言っていないが、嘘という程のことではない。


「その薬師の資格というのはどのくらいで取れるものですの?」

「そうですね…最初は資格試験を受ける為の条件を得ることから始まりますので。座学は参考書などでも学べるのですが、実技に関しては学園都市の専門学院か、現役の薬師に弟子入りなどして学ぶことが必要で…私は今年から試験を受ける資格を得ましたが、約五年掛かりました。そこから年に一度の試験を受けて、合格して初めて正式な薬師になれるので、もうあと早くても二、三年は掛かるかと」

「まあ、大変な資格ですのね」

「人の命を預かるものですから。見習いでもある程度調薬も出来ますけど、正式な薬師でないと扱えないものも多くて」


なかなか薬師とは直接関わりの少ない環境で暮らして来たので、エリザベスは薬師について興味を引かれたようだ。色々な質問に、ちょっと為になるような話題なども添えて話し込んでいると、あっという間にもう少しで日付が変わる時刻になってしまった。さすがに側に付いていたメイドがやんわりとエリザベスにもう休むように伝える。


「ユリさん、ごめんなさい。ついお話をするのが楽しくて遅くまで付き合わせてしまいましたわ」

「いいえ、私こそ楽しかったです」


後はメイドに任せて、ユリは先に部屋を後にした。



その後ろ姿を見送ったエリザベスは、ずっと控えていたメイドの手を借りてゆっくりと立ち上がる。


「ああ、もっとお喋りがしたかったわ」

「奥様と年の近いご夫人は夜会やお茶会に行きませんとなかなかお会い出来ませんからね」

「そうねえ。商談に来るご夫人は年上の方が多いし。何せわたくしは『お友達』が少ないから」

「奥様」


あまりにもあっさりと口に出すエリザベスに、長くこの伯爵家に仕えているメイドが渋い顔になる。彼女は忙しく留守がちだったアリアに代わって、エリザベスが幼い時から傍にいてくれる第二の母親のような存在だ。その為、学園にいた頃に学生が大勢集まるカフェで婚約破棄を宣言されて腫れ物扱いされていたエリザベスの当時を良く知る者の一人でもある。そのことが切っ掛けで、エリザベスの周囲には同い年の令嬢の友人が極端に少ないのだ。後にエリザベスの名誉は回復したものの、今更擦り寄られても困ると今度はエリザベス自身が距離を置いている。

今はアリアから継いだ爵位と商会長という立場もあるので、損得抜きで腹の探り合いをしなくていい相手というのは希有だったのだ。


「明日は皆で全力で可愛らしくしてあげてね」

「はい。それはもう。他のメイド達も張り切っております」

「うふふ、レン様も惚れ直すかしら」

「まあ、それは責任重大ですね」


ビーシス伯爵家の運営する服飾関連の商会は、前女伯爵のアリアが立ち上げた影響もあってエリザベスの母親世代には人気があるのだが、若い令嬢からすると時代遅れに思えるらしい。勿論それだけでなく若い令嬢向けのデザインも扱ってはいるのだが、一度名が売れてしまうとそこで商品のイメージが固まってしまうので、女性向けのものはどうしても年配者からの注文が多いのだ。その為、若い女性を着飾らせることの出来る機会を伯爵家の使用人達は虎視眈々と狙っている節があった。

その情熱は、奇しくもユリを着飾らせたいと息巻いている大公家の使用人達と同じベクトルだった。


客室に戻ったユリは湯浴みは一人で大丈夫だと告げて、着心地の良い夜着に感心しながら心地好く眠りについたのだが、翌朝どう見ても通常の倍はいそうな数のメイド達に囲まれて身支度を整えさせられる羽目になるとは全く予想もしていなかったのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



「とにかく金だ!金があれば大抵のことは解決するからな!」

「父上」

「いいか!レンくん!まだまだ先だと思っても、考えた瞬間から貯め込め」

「父上、それ四回目です」


ユリを送って行ってミダース家の屋敷に戻ったレンドルフは、まだ宵の口だからとテンマに酒宴の誘いを受けた。レンドルフは甘い物が好きなので酒も甘いものを好んでいる。しかし味覚はともかく、アルコール自体は大分強い部類に入る。トーマは元から強くないので蒸留酒を薄くして適量を分かっている様子だったが、テンマは少々飲み過ぎなように思えた。


テンマは昔は相当強かったらしいのだが、色々あって体質の変化もあり大分弱くなったそうだ。しかしそれでも時折昔の感覚が抜けずに、許容よりもつい飲み過ぎてしまうことがある。そうなってしまうのは必ず信頼の置ける相手とリラックスした状態で酌み交わす時だけに限られているとトーマがこっそりと教えてくれたので、レンドルフはそれだけ信頼されているのかと何だか嬉しくなった。


「俺は貴族のことも、女性のことも、子育ても、全っ然知らなかった!何を準備して、何が必要なのか、全く無知だった!だがな、それでも金があればどうにかなった。物でも、人でも、知識でも、とにかくすぐに必要なことは金を惜しまなければ、どうにでもなる!」

「すみません、父が」

「いいえ。説得力はあると思いますよ」

「…まあ、育てられた側としては、その通りなんで否定はし辛いですね」


テンマは先程から、どうしても一緒になりたい伴侶と出会った時は絶対に金を貯めるべき、という持論を繰り返していた。

テンマの半生は、気ままな冒険者暮らしをして幼馴染み達とパーティを組んでいたが、ミダース商会を立ち上げた姉夫婦が揃って亡くなると残された甥のトーマを息子として引き取り商会も引き継いだと聞いている。そして将来的に生活に困らないように商会を大きく育てて、トーマが成人を迎える頃に商会を返すことを目標としていたそうだ。その際、息子を最優先にしていたテンマとの価値観の違いからパーティメンバーとは残念な別れ方をしてしまい、テンマ自身も冒険者を引退せざるを得ない重傷を負った。その後は商会を大きくすることだけに尽力して、当人の商才と努力が実って遂に国内有数の大商会にまでのし上がり、男爵位を叙爵するまでに至った。


テンマにもエリザベスと出会うずっと昔、妻に迎えようと思った女性がいた。が、彼女には家族の情を期待し過ぎていたせいか、金銭的なものは養育に注ぎ込むことが互いの総意だと思い込んでいた。しかし彼女は実子ではない子供の母親役になることを拒否し、トーマを害して排除しようとするところまで拗れてしまった。もともと女性の気質にも大きな問題があったのではあるが、テンマも話さずとも分かってもらえる、と甘んじていたところもあったと反省して、情ではなく金銭的に正しく評価を出しそれに支払うことを躊躇わなくなった。


それによって、トーマには優秀な家庭教師や使用人を付けることが出来て、彼自身も高位貴族と並んでも見劣りしないほどに優秀な貴族令息に成長した。少なくとも彼を「平民の成り上がり」と揶揄する者は、ほぼ嫉妬から足を引っ張ろうとする矮小な者ばかりだ。そしてトーマには爵位が上の子爵家から申込があって、婚約が決まっている。


「まあ、レンくんなら色仕掛けなんかで動くようなクチじゃないだろ?そこに金銭的な余裕があれば待つことも揺らがない」

「確かにそうですね。もっと努力します」


さすがにここでは言わないが、実のところレンドルフはそこまで資産を有しているわけではない。騎士団での給料も悪くないし、寮に入っているのでそれなりに補助もある。が、体格が規格外のレンドルフは、補助金だけでは賄えない衣食住に色々掛かってしまうのだ。体が資本の騎士である以上、食費を削ることはあり得ないし、他にも通常よりもサイズも強度も最大までに上げた武具も必要なのだ。騎士団から出る補助金だけでは到底足りない。ただ近年では、体格や個人の能力などの考慮して不公平が出ないようにする施策も浸透しつつある。全て賄えているわけではないが、騎士服だけでなく普段の鍛錬で着るような稽古着も、金額ではなく枚数での補助になったのはレンドルフにとってはありがたいことだった。



「じゃあ、レン様ウチの専属護衛になりません?」

「は!?」

「おー、そりゃいいな!どうだ?レンくんなら相場の倍は出しても惜しくないぞ」

「ちょうど部屋も家具も父上仕様のが余ってますからね!いつでも住み込み可能です!」

「二人とも随分酔ってませんか…?」


冷静な顔をしていたトーマまで急に無茶なことを言い出したので、レンドルフが慌てて顔を見ると、顔色の表情も変わってはいないが完全に目が据わっていた。それに乗ってテンマもケラケラと笑いながら同意を示す。


「よーし、契約書だ、契約書!」

「はい、こちらに」


トーマがサイドボードの引き出しの中に入っていた紙とペンを取り出して、受け取ったテンマが大分よれた文字で「契約書」と書き込み始めた。酔っぱらいが書いているので内容がさっぱり分からないが、取り敢えず勢いでやたらゼロの多い数字を書き込んでいるのは判別できた。


「ちょっ…テンマさん!?それは駄目ですって」

「そーですよ、父上。もっとちゃんと書かないと」

「トーマさん!?」


レンドルフが止めようとオロオロしていると、割り込んで来たトーマがペンを取り上げておかしなところに桁数を示すコンマを打ち始めて、その辻爪が合わないことに気付いて更にゼロを二つ書き足した。


「じゃ、これで承認を…」


テンマに気を取られている隙に、いつの間にかトーマが指輪型の当主の印章を手に持って紙に近付けていた。さすがにこれだけ読めない契約書は認可されるとは思えないが、レンドルフは慌てて紙を掴んで立ち上がり、頭上に掲げた。


「一旦検討します!検討させてください!」

「えー」

「行けると思ったのに」

「明日!明日改めましょう!」


トーマが立ち上がって手を伸ばしたが、あまり大柄ではない彼はレンドルフの頭上には手が届かないし、体格が同じくらいのテンマは今はまだリハビリ中で杖を手放せない。どちらもレンドルフが掲げて手の届かない位置に持って行かれてしまった紙を残念そうに見上げた。

先程からテンマは大分酔いが回っていると思っていたが、普通だと思ったトーマの方が危険だった。レンドルフは故郷で数多くの酔っぱらいには遭遇して慣れているつもりだったが、トーマのようなタイプは初めてだったので、彼の中で冷静に見えるタイプは要注意、としっかり刻み込まれたのだった。


呼び出しのベルを鳴らして従僕に来てもらい、二人の世話は任せてレンドルフは先に部屋に引き返させてもらった。



「押せば行けると思ったんだがな」

「残念でしたね」


レンドルフが部屋を出て行った後、親子二人が低くボソリと呟いたのだが、それはレンドルフには聞こえなかったのだった。



騎士団で支給される鍛錬用の服は、季節ごとに一般的な服の金額五着分が支給されていたので、人によっては自分でセール品などを上手く買って多めに購入出来るのですが、レンドルフの場合オーダーメイドな上にセールにはまず出ないサイズだった為に二着で補助金上限になってました。

レンドルフだけでなく大柄な騎士には不公平ということで、今は全団員に支給する服は仕立済みの現物支給になりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ