表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
243/625

214.魔風鴨のローストと蛍の夕べ


メインは、先程前菜で卵が出て来た魔風鴨のローストだった。レンドルフとテンマが大食漢なので、大きめの二羽を並べてあるのは圧巻に尽きた。まだ焼き釜から出したばかりなのか、テーブルの脇に運ばれて来ても微かにチリチリと脂の爆ぜる音が聞こえる程だ。


「純血の魔風鴨は、身の方に雑味が多いので皮だけを削って食べるのですが、家畜用に混血させたものの方が身が美味しいと分かりましたので、本日はどちらもお楽しみください」


レンドルフは幼い頃に故郷で食べさせてもらった魔風鴨が、ほんの一口程度だった理由が分かった気がした。おそらく身は何か別の料理か、あまり美味しくなかった為に大人達で処理したのかもしれない。だからレンドルフの記憶も、皮が美味しかったことくらいしか残ってないのだろう。



料理長がまるで長剣のような刀身の長いナイフで器用に肉を切り分けて行く。最初に削ぎ切りした飴色の皮は、絶妙に表面だけに歯応えが出るように焼き上げていて、切っている側からジュワリと脂が流れるのとサクサクとした小気味良い音が同時に存在していた。その皮の部分は、料理長の隣で仕上げ担当がクレープのような薄い生地に野菜とソースと共に巻き込んで、斜めに切り口を見せるように皿の上に乗せる。その隣には巻いていない赤みの濃い肉と飴色の皮、細く切られた白いネギとソースが添えられる。


「本場のスイ国ではこのように生地に巻いて食べるそうです。追加もまだたくさんご用意しておりますので、ご遠慮なくお申し付けください」


早速サーブされた皿の、生地で巻いてある方にレンドルフは手を出す。この食べ方は初めてだったが、見るからに美味しいことを約束されたような見た目だった。


見た目は向こうが透ける程の薄い生地だが、もっちりとした弾力があり、それに包まれている魔風鴨の皮がサクサクしながらもサラリとした上質の脂が滲み出し、一緒に巻かれたネギなどの香味野菜がシャキシャキした歯応えを伝えて来る。全てが異なる食感が一斉に広がるのが何とも面白いし、少し遅れて来る甘辛い濃厚なソースの味が全体の調和を整えているようだ。


「これはいくらでも食べられそうなくらい美味しいな」

「巻いたものを追加をご用意したしましょうか」

「ああ。…その…ひとまず五本くらい頼めるだろうか」

「畏まりました」


弾力のある生地のせいか、皆が咀嚼している結構な時間無言になってしまったが、それでも堪能しているのがすぐに分かる表情になっていた。


「鴨との混血でこんなに身が美味しくなるなんて…」

「ユリさん、身を食べたことがあるの?」

「うん…前にどうしても食べてみたいっておじい様に我が儘を言って…もう二度と食べたいとは思えない味だった…」

「…ユリさんって結構挑戦者だよね。キノコとか」

「それは…忘れて」


以前にユリが、ヒュドラ討伐跡地に生えていたキノコを大変マズいと言ってたことがあった。ヒュドラの猛毒で何十年も経っているのにまだ影響が残っている場所に生えていたキノコを、防毒の魔道具を使っているとは言えよく食べようと思ったものだ。薬師を目指す者としての義務でもなんでもなく、ただ単に強い好奇心なのだろうとレンドルフは思っている。


ユリはかなり渋っていたが、テンマに熱心に訊かれてその時の魔風鴨の肉の味の感想を伝えていた。ユリ曰く「本当に雑な味としか言いようがなく、緊急時の魔力補充だったとしても最後の選択肢にしたい」とのことだった。通常の魔力回復薬でも大分不味いのだが、それよりも避けたい「雑な味」というのは却って気になった。しかし食べたいかと言われると微妙なところだ。


皿の上に乗っている色の濃い肉は、鶏よりもずっと風味が強く弾力もあるが、味の濃いソースに負けずに濃厚な旨味がある。噛み締める度に舌の根の方にナッツに似た香ばしく甘味のある味が広がる。これなら煮込み料理にしても味が抜けずに十分な味を保てるのではないだろうか。


レンドルフは、多少は興味はあるものの、これだけ美味しい肉を前に「魔風鴨はこっちの混血でいいな」と考えていたのだった。



最後に出て来たデザートは、前菜にも出ていた豆のプディングを甘くしたものと、キメの細かいふんわりとしたスポンジケーキだった。

プディングは前菜に出されたものよりも柔らかく、赤いベリーのコンポートが乗せられていて白と赤の対比が見た目にも美しかった。スプーンに乗せると儚く震える繊細なプディングは口に入れるとホロリと崩れてしまう程で、前菜のものよりも豆の風味が分かりやすく優しい味がした。ミルクとは違ったあっさりした風味で、酸味のあるベリーが良いアクセントになっていた。

スポンジケーキは普通のケーキのようにクリームなどで飾っているものではなく、鮮やかな黄色と表面の茶色の焼き色がそのまま皿の上に載っていた。目では見えない程キメが細かいスポンジ生地を口に入れると、ほんのりと温かかった。一度焼き上げたものを食べる直前に蒸して温めると言うことだ。そうすることで、より濃厚な卵の風味を楽しめるそうだ。その隣には途中で追加して味の変化を楽しむ用にシロップの入った小さな器が三つ置いてあった。一つは花の香りがするもので、もう一つは樹液を煮詰めた香ばしいもの、そしてもう一つはシンプルな蜂蜜だった。レンドルフは全て試してみたが、蜂蜜が一番スポンジの味わいを引き立てるような気がして、つい蜂蜜だけで追加を頼んでしまった。ユリは、何も掛けない方が好みだとそのまま食べていた。



「とても素晴らしい晩餐でした。ありがとうございました」

「どのお料理も美味しくて、目にも美しいものばかりでした」

「お楽しみいただけて嬉しく思います。不慣れな部分もありましたが、料理長に随分助けてもらいました」


晩餐も終わり、歓談の為に応接室へと移動していた。テーブルには飲み物と軽く摘めるナッツやチョコレートなどが置かれているだけなので、給仕をする従僕とメイドが控えているだけになっている。


「目の前で熟練の技を見せていただけるのは多くない機会でしたので、とても興味深かったです。料理長や担当してくださった皆様によろしくお伝えください」

「ありがとうございます。確かに申し伝えます」


ユリはハーブティーを飲みながら、にこやかに話した。


「あのスタイルだと大勢が集う会では難しいだろうけれど、少人数で親交を深めたい時にはいいものですね」

「父の商談の際の食事会の真似事ですが、そう言っていただけて良かったです」

「いやあ、俺よりもずっと洗練されてて良かったぞ。俺の場合は貴族でも商人に近い相手ばかりだったから、女性への気配りはお前の方がずっと上だ」

「何だか父上にそこまで褒められると却って不気味ですね」

「何だよ、それは!」


いつもの親子のやり取りなので、本気で言い争っているわけではない。会話の底に分かりやすく互いの信頼が見える。


レンドルフは、確かにスープなどを冷たいものと熱いものをどちらにも対応出来るようにしていた方法は良いと感じていた。ユリが参加していなければ冷たいものだけを準備していたかもしれないが、前菜が冷たいものばかりだったのでそこまで気を回してくれたのだろう。もし自分が晩餐を開く際には参考にさせてもらおうと思ったが、レンドルフの身分ではそういった機会はまずない。それでも今後の為には心の隅に留めておこうと考えていた。



----------------------------------------------------------------------------------



「もう時間も遅いですし、そろそろ…」

「じゃあ送るよ」

「お隣だし、大丈夫だよ」

「それでも。…すみません、少々中座します」


ユリがチラリと時計に目をやると、随分遅い時刻になっていた。幾らとなりの敷地の伯爵邸に泊めて貰うとは言っても、これ以上遅くなると色々と準備を整えてくれている使用人達が休むのも日が変わってしまう。


手元のハーブティーを飲み干して辞去を伝えると、レンドルフがすかさず立ち上がってユリに手を差し伸べる。レンドルフも客分なので、送るというのも妙な話なので遠慮はしたのだが、差し出した手を引くつもりはないようだ。


「いいえ、レン様が適任ですから。こちらからも使用人を付けますので、お気になさらずに」

「ありがとうございます」

「そうだな、『馬に蹴られる』のは遠慮したいからな」


お茶ではなく蒸留酒をロックで飲んでいたテンマが、少し赤い顔をしながら「リズによろしく」と笑ってユリ達を送り出した。本当は身重で体調の悪いエリザベスの側にいたいのだろうが、どうも側にいると色々なことが影響してしまうらしく今は遠巻きにしているらしい。その代わり、信頼の置ける有能なメイドを通常の倍近く雇って彼女の世話を任せているそうだ。



ユリを伴って屋敷の外に出ると、庭から隣の屋敷に続いている道は石畳で舗装されていて、そこを照らすように街灯まで設置されていた。まるで公共の公園のような設備だが、あくまでも個人の邸宅である。以前は単なる隣同士だったので境に壁があったが、今は縁続きになった為に一部を除いて壁は取り払われている。一時期経営が思わしくなかった為に少々手入れが行き届いていなかった伯爵家も、大富豪のミダース家が纏めて手入れをしているのですっかり最盛期と変わらない様相を取り戻している。今はまだ資産的にビーシス伯爵家が婿の実家であるミダース男爵家の援助を受けているが、少しずつ騎士服の取り扱いが増えている為に業績も上向いている。革の防具などを得意とするミダース商会も提携が本格的になればもっと互いに業績を上げられ、援助を受けなくても済むようになるのは確約されているようなものだ。



「あれ…蛍?」


伯爵家側の庭園に足を踏み入れると、離れたところで黄色い光が幾つも明滅しているのが視界に入ってユリが足を止めた。ユリが見ている方向にレンドルフも顔を向けると、確かに光が飛び交うように舞っている。


「はい、あちらには人工の沢がありまして、今が見頃でございます。よろしければご案内するように申しつかっております」

「ユリさん、どうする?」

「少しだけ見たい、かも」

「では、案内を頼むよ。ああ、スープを持っている者は重いだろうから先に行って構わないよ」

「お気遣いありがとうございます」


案内をする為に付いて来た使用人の一人が、エリザベスに届ける為にスープの鍋を抱えていたので、彼だけ頭を下げて先に屋敷へと向かって行った。


残った使用人に案内されて、レンドルフ達は少し茂みが多く、暗くなっている一角に足を向けた。


「ユリさん、足元に気を付けて。何なら運んで行こうか?」

「だ、大丈夫だから。レンさん過保護すぎるでしょ」

「そういうつもりはないんだけど…」


一応蛍のいる沢までも道は作られていたが、特に固めているわけではなく土のままだったので多少表面が荒れている。レンドルフはユリの手をキツくなりすぎないように注意しながらしっかりと握り込んだ。


「沢の縁に目印で白い石を置いています。そちらから先は入らないようにご注意ください」


そう言われて目を凝らすと、確かに暗い中地面にぼんやりと白っぽいものが見える。

沢の近くに植え込みを作っているのか、ちょうど茂みに隠れるように屋敷や庭園の灯りが隠れるようになっていて、サラサラとどこかから水の流れる音が聞こえて来る。ちょうど水が落ちる辺りに月の光があたっているのか、跳ね返った飛沫が一瞬だけ白く光っているのが見える。蛍は急な侵入者に明滅を止めて潜んでしまったが、レンドルフは目印の白い石から大分離れたところに立ち止まって、しばらくジッと夜空よりも濃い闇を宿している空間を静かに見つめていた。


「わあ…」


やがて蛍達も危険はないと悟ったのか、再び一斉に光り始めた。それと同時に、隣にいたユリが思わず小さな感嘆を漏らす。遠目で見た時は茂みに遮られていたらしく、予想の倍以上の蛍が飛び回っている。まるで新月の晩の星空が地上に落ちて来たかのような幻想的な光景だ。


「綺麗ね…」

「うん、王都でもこんなに蛍が棲息出来るなんて初めて知ったよ」


貴族の中には、こうして庭を作り替えて蛍や、色鮮やかな観賞魚などを楽しめるようにしている者達もいる。しかし王都の環境はそこまでその生物に適したものではないので、庭師などが技術を経験を生かして整えている筈だ。


蛍の僅かな光も、これだけ集団になると互いの顔も見えるくらいに明るくなる。ユリは蛍に魅入られたように目の前の空間を見つめていた。そして無意識なのか、繋いだレンドルフの手に自ら指を絡めるようにして、反対側の手で腕に寄り添うように身を寄せて来た。レンドルフは腕に伝わる柔らかい感触に、思わずギクリと固まってしまったが、ユリの方は蛍に夢中で気付いていないようだった。


「あ、レンさんの頭に」

「え?」


レンドルフが余計なことを考えないように目の前の蛍に集中しようと必死になっていると、不意にユリに声を掛けられた。何かと思ってユリの方に顔を向けると、視界の端に光がフワリと横切ったのが見えた。


「頭に止まってたのか」

「ふふ…綺麗だったわ」


レンドルフを見上げるユリの金の虹彩が蛍のように発光しているかのように見えてしまい、一瞬だけクラリと目眩に似た感覚を覚える。彼女の黒い髪と濃い色の服のせいか、まるでユリの存在自体が揺らぐような不思議な感覚だった。レンドルフは何故か心がざわつくような不安感に似た何かに突き動かされるように、無意識にユリの顔に手を伸ばしていた。


「ユリさん…」

「…!?」


ほんの指先程度であったが、彼女の頬と顔の脇に掛かっていた髪に触れて、ユリは微かに息を呑んで目を見開いた。いつもならばそんな風に許可もなく触れて来ることはないので、一瞬体が強張る。


次の瞬間、レンドルフの指先に黒いものが乗り、一瞬だけ光って飛び去って行った。


「あ、ありがとう…私の髪にも止まってたんだ…」

「ご、ごめん、いきなり」

「ううん。虫は平気な方だけど、さすがに顔に止まったら驚いたと思うし」


二人の間に、どことなくぎこちない沈黙が流れる。


「そろそろ、屋敷に向かおうか」

「うん、そうね。レンさん、遅いのに付き合ってくれてありがとう」

「俺も見たかったから。ユリさんと一緒に見られて良かった」

「うん…」


今回はユリが急遽泊まることになったので見られたようなものだ。それにレンドルフが隣とは言え送る為に同行した為、僅かな時間ではあったが並んで美しい景色を共有出来たのだ。そのことに加え、暗かったおかげで顔が赤くなっているのを見られなくて良かった、とお互いに考えていたのだった。



料理は北京ダックと杏仁豆腐と台湾カステラのイメージです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ