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213.スイ国の晩餐


予定より大分遅れて始まった晩餐なので、ユリが帰宅する時間も大幅に過ぎてしまうということで、急遽ユリを送り迎えする予定で待たせていた馬車にミダース家とビーシス家から正式な当主の署名が入った書状を渡して、今夜は責任を持ってユリを一晩預かる旨を伝えるように手配をした。未婚の若い女性を泊めることで誤解が生じないよう、ユリにはビーシス伯爵家に部屋を準備して、テンマはミダース家の方に泊まることにしている。

当主のエリザベスも、ユリと女性同士で話がしたいと快く話を受けてくれた。


「ユリさん、ごめん。俺が余計なことを頼んだから」

「ううん。私もエリザベスさんとお会いしたかったから、むしろ嬉しい。あ、勿論無理のない範囲で注意しますから」

「俺としてもユリ嬢のような女性にしか話せないこともあるだろうから、ありがたいよ」


晩餐は予定していた時間に始まってもそれなりに遅い時間にはなる。実のところ内心、レンドルフは遅い時間に馬車でユリだけを帰らせるのに不安があったのだ。その時はノルドを出してもらって、エイスの街まで並走して行こうかと思っていたくらいだ。この屋敷のあるリバスタン街は、貴族街と平民街をキッチリ区分けしているので貴族街に入るにも門番がいる場所を通過しなければならない為、防犯体制は整っている。それにこの街で最も大きな屋敷を誇るミダース家に連なるビーシス家なので、護衛も多数配備されているのだ。これほど安全な場所はない。


「それでは、遅くなってしまいましたが始めましょうか」


トーマの声で、晩餐は和やかに始まった。


「あ、これ花の香りですか?」

「はい。本日も西国風のメニューが中心ですが、先日お出ししたところとは違う国のものを中心にしてみました」

「もしかして、スイ国ですか?」

「よくご存知ですね」


食前酒に出された琥珀色の酒を一口飲んで、ユリがトーマに確認する。レンドルフも口に含んでみると、甘味と華やかな香りが広がる。舌の上で微かに炭酸が弾けて、よく冷えた液体が喉に滑り落ちて行く。そこまで喉に熱を感じないので、酒精は弱いのかもしれない。


「スイ国って、国の半分が海に面した?」

「ミズホ国に一番近い国で、昔から交易があったところなので文化的には割と似てるところがあるのです。以前レン様がミズホ国にご興味があると仰っていましたので」

「このお酒もスイ国では花を漬け込むんだけど、ミズホ国では実を漬けるって聞いたことありますね」

「やはりユリ嬢は薬師を目指されてるだけあって、あちらの国についてお詳しいですね」


出て来た前菜は、あまり見たことのないメニューだった。殻ごと食べられる茹でエビに、少し甘味の強い野菜のピクルス、葉野菜の上に蒸し鶏を乗せて上から胡麻の香り高いソースがトロリと掛かったもの。ここまでは見覚えのある食材だったが、茶色く透き通った謎の物体と、白いプディングのようなフルフルとしたものの上に細かく刻んだ深緑のソースのようなものと、もはや何か分からない薄灰色のスライスが並んでいる。


「これ、もしかしてクラーケン?」

「はい。クラーケンの塩漬けを塩抜きをして、酢で和えたものです」


クラーケンは、海の限られた海域で出没する魔獣だ。船よりも大きな巨体と、複数の長い足を持っていて、時折襲って来て船を沈めるとして恐れられている。体表は魚と違い鱗はなくヌメヌメとした強い弾力のあるものなので、銛などの武器が刺さりにくく、倒すならば雷魔法か氷魔法という使い手の少ない属性魔法が有効と言われている。


「クラーケンは毒を持っているが、こうして数年塩漬けにしておくと毒が抜けて安全になるんだ。クラーケン自体に味はないが、歯応えがいいから酒の肴には持って来いだ」

「ユリさんも食べたことある?」

「うん、何度か。コリコリしてて美味しいと思うよ」

「食べたことないの、俺だけか…」


レンドルフはフォークで軽くクラーケンを突ついてから、思い切って突き刺す。手応えは固いゼリーのような、煮込みの足りない牛の腱のような感じだった。口に入れて噛み締めてみると、コリリと軟骨のような歯応えだったがそれよりも簡単にプツリと噛み切れる。確かにクラーケンの素材の味よりも酢の味しかしない。


「…これは、確かに酒の肴ですね。歯応えがいいです」


レンドルフが飲み込んでから感想を述べると、テンマがそうだろうと言わんばかりに嬉しげに頷いていた。どうやらテンマはこのクラーケンが好物のようだ。


「こちらの白いプディングのようなものと、スライスしたものは何でしょうか」

「白い方は、白豆を蒸して絞ったものを固めた豆のプディングです。上に乗っているのは魔風鴨(まふうがも)の卵を塩茹でしたものを刻んでいます」

「魔風鴨は大変貴重なものでは…」

「ああ、こちらは家畜用に普通の鴨と掛け合わせているものです。後でその肉を使った料理も出て来ますので」


魔風鴨は、本来は飛べない鳥なのだが豊富な魔力を持っていて、風魔法を駆使して空を飛ぶ魔獣の一種だ。その卵や肉にも豊富な魔力が含まれているので乱獲されて、今はかなり数が少なくなっている。家畜用に育てられている話はレンドルフは初耳だったが、子供の頃に故郷で罠に掛かってしまった個体を少しだけ食べたことがある。あまり体が大きくない鳥なのでほんの一口くらいだったが、脂が乗っていて美味しかったという記憶だけが残っている。


「こちらのスライスされているのは、干し片翼貝のワイン蒸しです。スイ国周辺では非常に大きなものが獲れるので、こうした形でお出し出来るのです」

「この大きさですと、相当なものですね」

「干したものでレン様の片手くらいはあるでしょう。戻すと…そうですね、ユリ嬢の顔くらいにはなるかと」


片翼貝は岩場に張り付いている一枚貝だ。生のままだと噛み切れないくらい弾力があるが、焼いたり蒸したりすると柔らかくなって味も良い人気の食材だ。しかしオベリス王国で流通しているものは生でもレンドルフの手の半分程度の大きさくらいなので、調理されて小さくなったものは丸のままか半分に切るくらいだ。干して小さくなったものでも倍はあるというのは、なかなか想像はつかない。しかし皿に並んでいるスライス一切れの大きさから、かなりのサイズであるのは分かった。食べ慣れた食材でも、こうして形が違うと別物に見えるのは面白いな、と思いながらレンドルフは白豆のプディングを脇に添えてあった小さなスプーンで掬い取った。


フルリと揺れるプディングと一緒に、緑色をしている魔風鴨の卵も一緒に乗せてパクリと口の中に入れる。プディングの方は特に味はついていないのかほんのりと豆の自然な甘味がして、塩茹で卵はその分塩が強めだったので一緒に食べると丁度良いように計算されている。卵は少し独特の刺すような匂いがするが、豆の風味で和らいでいて非常に食べやすい。しかし甘くないプディングを食べるのは初めてだったので、何とも不思議な気分になった。

片翼貝はナイフを入れた時点で柔らかさがハッキリと分かる程で、食べると確かに知っている味なのだがこれまで食べたものよりも遥かに味が濃い。干してあるからなのか、中から噛む度に溢れて来る旨味に際限がない。


「お二人とも苦手な食材はないと伺っていましたが、大丈夫でしたでしょうか」

「はい、どれも美味しいです」

「以前に食べたことはありますが、こんなに味の濃い片翼貝は初めてです」


レンドルフとユリの言葉に、トーマは安心したように目を細めた。まだ男爵を継いで間もないので、もしかしたら主人として晩餐の準備を全て整えたのは初めてだったのかもしれない。


「以前お見せした父上のように取り分けることも考えたのですが、なにぶん私はそちらの方面には不器用でして。今回は料理長に任せました」


西方の国では、その家の主が料理を取り分けて客をもてなす文化があるので、以前テンマが肉を切り分けてくれたことがあった。人には得手不得手があるのは仕方がない。トーマのその素直な物言いがむしろ印象が良く、レンドルフもユリも「お気持ちだけで十分です」と伝える。



「すごいな…」

「綺麗…」


数人の使用人が大きなワゴンを押して、テーブルの脇に付ける。そのワゴンの中央には、大人が一抱えしても余りそうなほどの大きさの卵形の瓜が乗せられていて、その濃い緑色の皮に彫刻のような飾り切りが施されていた。その模様は、西方の国では吉兆の象徴と言われているフェニックスの姿だった。周囲には花を模した野菜や果物が敷き詰められていて、まるで芸術品のようだ。


「こちらは鶏肉と瓜のスープでございます。冷たいスープですが、ご希望でしたら温かいものもご用意しております」

「それでしたら私は温かいものをお願いします」

「畏まりました」


前菜が冷たいものだったので、ユリは温かい方を希望した。おそらく女性がいることを考えて最初から用意してくれたのだろう。料理長が瓜の上部を外すと、くり抜いた中にスープが入っているようで、それを器に盛りつける。男性陣には透き通ったガラスの器に、ユリには白い蓋付きの陶器の器に注ぐ。その上から、脇に置かれていた小さな容れ物の中から何かを掬い上げて器の中に入れた。はっきり見えなかったが、チラリと鮮やかな色が見えた。


「中に入れましたのは『スイギョ』と言うスイ国の王侯貴族の食事に出される品でございます。料理人にスイ国出身がおりまして、その者が担当いたしました」

「わあ、じゃあ本場のものなんですね」


冷えたスープはそのまますぐに置かれ、ユリの分は傍に控えていた料理人が器の上に手を翳して温めていたのでほんの少しだけ遅れてサーブされる。おそらく水魔法の温度変化を自在に使えるのだろう。レンドルフも使えるが常温より少し冷たくする程度なので、思わず感心したように手元を見つめてしまった。


「これは美しいな」


スープの中には、半透明な花の形を模したものが入っていた。薄い皮の中に色の付いた具材を包んでいて、閉じている部分の皮を花弁の形のように細工してあるのだ。レンドルフの器の中には黄色の具材が入っていて、黄色の薔薇が水の中に咲いているようだ。スープの中に入っている具材は煮込まれて透明になっている瓜や、白い鶏肉なので、より鮮やかな色が引き立っている。


「美味しい…」


熱いスープを口にしたユリが、思わず、といったふうに声を漏らした。冷たい方を口にしたレンドルフも、薄味で優しい味わいだが染み渡るような旨味の強いスープに溜め息が洩れる。肉は入っていても表面に浮かんだ脂が固まっていないので余程丁寧に取り除いたのだろうが、味わいは損なわれていない。


「これ、もし良かったら分けてもらえないか?これならリズも食えるかもしれん」

「もう別に分けてもらってます。スイ国でも滋養があるので妊婦や病人などに勧められるそうですから」

「ありがたい」


そんな親子のやり取りを微笑ましい気持ちで聞きながら、レンドルフは花の具材を掬い上げてツルリと一口で口の中に滑り込ませる。表面はツルンとしているが、噛むとモッチリとした弾力のある皮だった。そして中に入っているのは滑らかな肉餡だった。一緒に香味野菜も混ぜ込んであるのか、スッキリと爽やかな香りが広がる。色はあまり味に影響していないのか、変わった味はしなかった。初めて食べた筈なのに、どこか懐かしいような気がした。


「これ、ギョーザを茹でたらこんな感じかも」

「あ、そうか、ギョーザだ」


ユリはさすがに熱いので一口では食べられなかったらしいが、飲み込んでからポツリと呟いた。冷たかったのですぐにレンドルフは思い付けなかったが、言われてみればギョーザに似ている。確か以前ミキタの店で食べた時に、西の大陸で食べられている家庭料理と聞いた気がするので、地理的にはスイ国と地続きの筈だ。もしかしたら似たような料理が繋がっているのかもしれない。


「ユリ嬢もレンくんもギョーザを知ってるのか?」

「テンマさんもご存知ですか?」

「ああ、昔冒険者だった頃に拠点の一つだった街で、婆さんが一人でやってる食堂で出て来てた。夜に二時間くらいしか開いてない店だったが、料理が旨くてその街にいる時は毎日通ってたもんだ」

「俺達はエイスの街で食べました」

「本当か!?どこの店だ!」


テンマに勢い込んで聞かれたものの、ミキタの店で出て来るのは運次第だ。一瞬困ったようにユリトレンドは互いに視線を交わす。


「あの、エイスのギルドの裏手にあるお店なんですけど、ギョーザはたまにしか出ないメニューなんですよ…」

「…そうなのか」

「あ、でも他の料理も美味しいですよ!もしお近くに来た際には是非!」

「ああ、ありがとう…」


ユリが説明すると、テンマは分かりやすく消沈していた。よほど冒険者時代に食べたギョーザが美味しかったのだろう。


「父上、料理長に頼めば良いのではないですか?」

「いや…どんな材料を使っていたかさっぱり分からんからな。さすがに料理長でも無茶が過ぎるだろうさ」


テンマは申し訳なさそうに肩を竦めてスープを口にした。

レンドルフは何となく、あのギョーザはこういった貴族の屋敷ではなく、多くの客が集まる雑多な雰囲気の中で賑やかに焼き立てを食べることも味に含まれているような気がした。そしてテンマもその思い出も込みで食べたかったのではないかとふと思った。おそらく作り方を調べて料理長に頼めば、良い食材で最高に美味しいものを提供出来るだろうが、きっとそれはギョーザに似た別物でギョーザではないのだろう。



スープの次に出て来た皿は、半熟のスクランブルエッグの上に、エビのフリッターに二色のソースを絡めたものを乗せた見た目も華やかな料理だった。絡めているソースは、赤いものとピンク色のもので、黄色の卵に良く映えた。一番下に緑の濃いフリルレタスを敷いてあるので、より美しさが引き立てられる。


「赤い方は少々辛味のあるソースになっております。ピンクの方は少し酸味がございます。どちらも強い味ではございませんが、下のスクランブルエッグと共にお召し上がりいただきますとよりまろやかな味わいになります。是非お試しください」


レンドルフは試しにそのままエビを食べてみたが、確かに辛味はあるが同時に甘味もあるのでバランスが良い味だった。もう一方は、クリームソースに近いので酸味も柔らかだった。どちらもスクランブルエッグを絡めるとまた違った濃厚さとまろやかさが加わって、サクリとした衣の歯応えの下にプリプリと程良く火の通ったエビの甘味でいくらでも食べられそうだった。


一瞬、レンドルフはこのエビのソースの色味が、以前パーティーのパートナーとしてユリとラストダンスを踊ったときの髪色のようだったと唐突に思い付いてしまって、ほんの少しだけ動きを止めてしまった。何故エビでそんなことを思い出してしまったのか。


「これはこの前のパーティーの時のレンくんとユリ嬢みたいな色合いだな」

「ゴホッ…!」

「テンマさん!?」


ちょうどレンドルフが考えた瞬間にそれを読んだかのようにテンマも同じことを言い出して、思わずレンドルフが噎せる。その指摘にユリも顔を赤くして「食べにくくなるから止めてください」と抗議のような声を上げた。しかもレンドルフは赤いエビの方をフォークで刺して口に運ぶところだったので、ユリと目が合ってしまって大変気まずかったのだった。



まあ、内容はほぼ中華のコースです(笑)


前菜は、湯引きエビ、根菜の甘酢漬け、棒棒鶏サラダ、クラゲの酢の物、ピータン豆腐、アワビの酒蒸し。冬瓜のスープに水餃子、エビチリとエビマヨのイメージで。あと一回は晩餐が続く予定。

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