210.ミダース家へのご招待再び
朝からレンドルフは、何だか落ち着きがなかった。
今日から五日間、ノルドの見合いの為にミダース家で過ごすことになっていて、大きな荷物は既に送っている。レンドルフが準備するのはそれこそ外出の際に必要な物くらいで十分なので、大して身支度に時間が掛かる訳ではなかった。しかし、レンドルフはユリから貰ったタッセルをどこに付けて行こうか朝から、正確には昨日の夜から悩んでいた。
剣の柄の部分に付けてみたのだが、そうするとあっという間に千切れてしまいそうな気がした。そして今度はベルトに付けてみたのだが、タッセルと見ようとすると常に自分のベルトを覗き込んでいるような姿勢になってしまう。慣れていない装飾品なのでうっかり落としてしまいそうな為、出来れば視界の端に常に入れて置きたい。落としてすぐに気付けば回収も出来るが、知らないうちだったら絶望的だ。
散々悩んだ結果、剣の鞘に括りつけておくことにした。これならばタッセルが揺れる度に視界の端に入る。使用人の中で、物体強化の付与が付けられる者がいたので、頼んでタッセルと繋いでいる紐に付与を掛けてもらった。
ミダース家への手土産のクロヴァス領産のワイルドボアの肉の塩漬けと、大角黒鹿のなめし革をノルドの背に積み込む。どちらもそこまで珍しいものではないが棲息地域が違うと素材の質が大きく異なるので、王都には流通していない品をチョイスした。かなり重みはあるが力の強いスレイプニルには大した重量ではない。
もう相手にも正体は知られているが一応「冒険者のレン」として訪ねるという建前なので、変装の魔道具で髪を栗色に変えておく。準備を整えたレンドルフがノルドに跨がって腰に差した剣の位置を直すと、鞘に付けたタッセルのフリンジがサラリと手に触れる。今のところ、特に動くと引っかかるようなことはなさそうだった。
「では行って来るよ」
「若様、お気を付けて。良き結果になるとよろしいですね」
「まあ、相手次第だろうな」
タウンハウスの執事に見送られながら、レンドルフはノルドの手綱を軽く引いた。
以前、遠くからの顔合わせだけであったが、ノルドは見合い相手のうちの一頭を大変気に入っていた。年上の経産魔馬であったが、黒い毛並みの美しい魔馬だった。少々惚れっぽい性格らしいが、世話好きで包容力と母性に溢れたタイプだそうなので、まだ若いノルドと上手く行くかもしれない。が、一つ気がかりなのは彼女は馬に限定せずにかなりの面食いで、見合いの場に立ち合った際にノルドよりもレンドルフの方を凝視していた。それはレンドルフを美形認定したということではあるのだが、どうにもレンドルフ自身は複雑だった。一応、もう一度会わせる際にはレンドルフも立ち合うことにはなっているが、あまりにも彼女の気が逸れるようならミダース家の担当者に任せてしまった方がいいかもしれないと考えていた。
ノルドには先日の見合いの続き、と特に言った訳ではないが、彼も朝からソワソワしていた。厩舎担当がいつもよりも念入りに手入れをしてくれたことで何となく察したのだろうか。走る足取りもいつもより軽やかに感じる。
(上手く行くといいけどな)
タウンハウスで所有している馬やスレイプニルの中で、レンドルフが最も付き合いが長いのがこのノルドだ。特に最近では長期休暇中に一緒に魔獣討伐にも行っているし、すっかり相棒と言っても差し支えない程に馴染んでいる。その為、良い伴侶が見つかって良い子供に恵まれればいいと願っていた。
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「やあ、元気そうだな、レンくん!」
ミダース家に到着してノルドと荷物を使用人に任せていると、テンマが向こうから杖をつきながらもしっかりとした足取りで迎えに出て来た。彼は本来は隣のビーシス伯爵家の婿なのだが、近しい間柄の隣家なので二家の境はないようだ。
レンドルフと大差ない程に大柄なテンマは、以前会った時よりも少しスッキリしたように見えた。商会長として走り回っていた頃よりも、今は伯爵家の人間として見た目にも気を遣っているようで、きちんと撫で付けられた髪や整えられた髭などからも貴族らしさを感じるようになっている。
「お久しぶりです。その後如何ですか」
「まあ、リハビリは順調だ。すっかり筋肉は落ちたが、軽くなった分足への負担が減った」
テンマはごく最近負った怪我で、足と手の指を数本欠損していた。彼程の資産家ならば高額の再生魔法を掛けてもらうことも容易いのだが、若い頃に負った傷のせいで再生魔法が受けられない体質なのだ。その為、中に魔石を入れて自身の意志で動かせる魔動義肢を装着している。しかしこの魔動義肢は、自在に扱えるようになるまでには長いリハビリが必要となる。そしてこの義肢を軍事利用されないように、出力は日常生活を送るのに不自由がない程度までに制限されていた。テンマは引退する前はAランクの腕利き冒険者であったのだが、この義肢ではその頃のような力も動きもこの先発揮することはもう出来ない。
彼は自身で荒事には関わらずに、護衛に任せる立場になった。おそらくそういったことから遠ざかったので、筋肉が落ちたのだろう。とは言っても、まだまだ通常よりは体格が良いのではあるが。
「皆さんもお変わりないですか?」
「ああ、皆元気にしてるよ。義母…アリア様は先月から西国の方へ商談と買い付けに行っていて、相変わらず精力的なお方だ」
「よい後継者を得たから、安心して出られているのでしょう」
「それもあるかもしれんがな…」
テンマは少し苦笑いをして、レンドルフの顔をチラリと眺めた。レンドルフはよく分からず、不思議そうな顔で何度か瞬きをする。
「レンくんのお身内の方の伝手でなかなかの量の騎士服の注文が入るようになってな。それは大変ありがたいんだが…アリア様が『倉庫が地味!』と叫んでな…」
「申し訳ありません」
「いやいや!ウチの…ビーシス商会の生地の良さを理解してくれて、本当にありがたいんだ。ただ、アリア様は知っての通り派手なものがお好きだからな…」
「そうでしたね…」
テンマが婿入りしたビーシス伯爵家は、生地と服飾を扱う中堅規模の商会を持っていた。それを築いたのは先代伯爵のアリアなのだが、彼女は派手で華やかな物が大好きなのでこれまでの商会で扱っていたドレスなども派手なものが多く、一時は社交界を一世風靡したものの、最近では少々時代遅れとして商売としてはここ数年下降線だったのだ。
それがある切っ掛けからレンドルフがビーシス商会の生地で作った礼服を着る機会があり、伸縮性と通気性の良い生地の着心地の良さに、いつも心配ばかり掛けている長兄への礼を込めて服を一着作ってクロヴァス領に送ってもらったのだ。今度はそれを長兄がいたく気に入り、領内専属騎士団の騎士服を全てビーシス商会で新調することにしたのだった。大口という程の数ではないが、それなりにまとまった数であったし、騎士服はどうしても傷みも早い為に定期的な注文にはなる。そして武門に長けたクロヴァス領の騎士団が使用しているということで、周辺の領にも噂が広がって試しに発注して来るところも増えているそうだ。そうやって巡り巡ってビーシス商会の経営は少しだけ上向いて来たのであるが、何せ騎士服は基本的に地味な色だ。派手な色に囲まれてイキイキしているアリアにとって、騎士服用の生地を見ていると息が出来ないそうだ。
そこでアリアは、ちょっと息抜きして来ます!と言い残して、華やかな色の物が好まれる文化圏の国にあっという間に旅立ってしまった。当初は本当に息抜きと思っていたのだが、女手一つで商会を立ち上げ長年経営して来た手腕を発揮して、しばらくすると彼女の行く先々から大量の発注と買い付けた染料や糸、生地などが届くようになった。これはもう息抜きではなく商談の旅である。
現在彼女は、国内の経営は娘夫婦に丸投げして、特別顧問と称して世界中の派手なものを求めて飛び回っているのだった。
「父上!いつまでレン様と立ち話をしているおつもりですか!」
「いや、すまん。レンくんもすまなかったな」
到着したのになかなか案内して来ないテンマに痺れを切らせたのか、息子のトーマが眉を吊り上げて足早に迎えに出て来た。息子と言っても本当はテンマの姉夫婦の忘れ形見なので血縁上は甥になるのだが、長年支え合って暮らして来た仲なので本当の親子の距離感だ。
案内されて入ったミダース邸は、さすがに作り自体は変える訳にはいかないので間取りの大きいのは同じだが、置いてある装飾品などが以前招待された時より印象が変化していた。
「随分変わったでしょう?」
「ええ、そうですね。華やかな物が増えましたか?」
レンドルフの視線に気付いたのか、当主のトーマ自ら奥の部屋へと案内してくれる際に聞かれた。以前は全体的に無骨な剣や鎧などが飾ってあったのだが、それが半分くらいになって替わりに花や風景などの絵画が掛けられていたり、重厚なカーテンなどが色味の明るい物になっている。
「三年後とは言え妻を迎えるわけですから、今から少しずつ準備をしているところです」
「やはり準備にはそれくらい必要ですか」
「どうでしょうか…私は比較的長めの婚約期間ですから。同級生の中には卒業後にすぐに子が出来て結婚した者もいましたし」
「そういえば俺の同級にもいました。人それぞれですね」
トーマには二歳年下の子爵令嬢の婚約者がいると聞いている。テンマが商会長をしていた頃の取り引き先だった子爵家がテンマを気に入り、持ち込まれた縁談だったらしい。政略ではあったが幸いにも気が合ったらしく、順調に交際を重ねて令嬢の学園卒業と同時に婚姻予定だった。しかし彼女と子爵夫人が不運にも下位貴族の間で起こった違法薬物事件に巻き込まれて、彼女が醜聞回避の為に病気療養で一年休学をした為に婚姻までの期間が一年延びていた。
「レン様のお部屋はこちらをお使いください。以前父が使っていた家具を当主の部屋から客間に移したので、レン様も問題なくお使いいただけると思います」
「ありがとうございます」
「先に送っていただきました荷物も運び込んでおりますが、開封はしておりません。お手伝いが必要であればいつでも使用人にお声をかけてください」
「お気遣い、感謝します」
案内された部屋は、日当りの良い明るい部屋だった。一見手狭に思えてしまうが、ただ単にテンマ用に家具が大きく作られているのでそう感じるだけで、広さは十分にある。鏡や壁の照明なども通常より高い位置に設置してあって、これならばレンドルフも腰を屈めて身支度をしたり、慣れない位置の照明に頭をぶつけなくても済みそうだった。トーマは昼餐の準備が出来たら呼びに来る、と言い残して部屋の扉を閉めた。
レンドルフは早速部屋の隅に置いてある大型のトランクを開いて、中から服を出してクローゼットに掛ける。特にユリと揃いで作った服は真っ先に掛ける。多少折り皺が付いてしまっているが、当日までには何とかなるだろうと眺める。もし残っているようなら、使用人に頼んで伸ばしてもらおうと考えていた。
それから着て来た乗馬用の服から、少し改まったシャツとジャケットに着替える。気楽に、とは言われているが、さすがに貴族の屋敷で騎乗して来た外の埃が付いたそのままの服で出るわけにはいかない。最近愛用している深緑色のクラバットを身に付けたところで、部屋の扉がノックされた。
「昼餐の準備が整いましたが、よろしいでしょうか」
「ああ、ありがとう」
扉を開けると、まだ未成年ではないかと思われるような年若い従僕が立っていた。しかし、レンドルフを案内する際の物腰や所作はこなれていて、もしかしたら見た目よりも年齢が高いのかもしれない、とレンドルフは感じていた。ふと、先日トーリェ家で出会った従僕も若そうだったが、色々と不慣れな様子が伺えたことを思い出した。爵位ではミダース家は男爵で、トーリェ家は伯爵家だ。人の教育は爵位よりも当主の気質に因るところが大きいのだろうな、としみじみと思っていた。
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「お待たせして申し訳ありません」
レンドルフが到着すると、既に先にテンマとトーマが来ていた。レンドルフはてっきりテンマの妻のエリザベスも来ているかと思ったのだが、テーブルについているのは男性ばかりになっていた。
「あ…その、リズは少々体調がな…」
「そうでしたか。あの、お側に付いていなくて大丈夫ですか?」
「ああ…その、レンくんが来るならこっちで食べて来てくれと…」
レンドルフの疑問をすぐに察したのか、テンマが少々言いにくそうに咳払いをしながら説明をする。いくら隣の敷地に住んでいるとはいっても、病気の妻を置いてこちらに来ていていいのかと心配になった。
「ええと…その、子が、出来てな…」
「それは…!おめでとうございます」
「いや、ありがとう」
テンマが顔を赤くして、照れ隠しに頭を掻きながら小さく呟いた。その様子を見ながら、トーマがクスリと笑う。
「どうも父上と義母上の食の好みが合わなくなってしまいまして。最近は食事時には我が家に来て食べているのです」
「それは大変ですね…」
「ま、まあ、産婆には、時期が過ぎればまた好みも変わると言われているからな。そうすればまた一緒に食事が出来るようになるさ」
テンマは、基本的に冒険者だった頃の習慣で、比較的こってりしたものを好んでいる。しかし妊娠初期のエリザベスには、同じテーブルにそのメニューが並んでいるだけでも厳しいそうだ。最初はテンマが彼女に合わせた食事を摂ろうと努力していたが、あまりにもションボリとサラダを食べているテンマが気の毒になったということで、現在は一時的であると言う周囲の言葉を信じて別々に食事をしているのだ。
「それで予定していた結婚式ももう一年程延期することにしたんだ。近いうちに正式な書状で列席者には知らせることにしている。改めてレンくんやユリ嬢にも送らせてもらうよ」
「ありがとうございます。もう婚姻されているのですから、夫人の体調を優先してください」
「ああ、そうさせてもらうよ。予定の日取りだと、産み月直前になりそうだったからな。もし早く産まれたら産後すぐに無理はさせられないしな」
この国では、婚姻前に産まれた子供は、その後両親が結婚したとしても庶子扱いとなって、相続権や財産分与などから外れてしまうのだ。あまり残すような資産のない平民はあまり気にしないのだが、貴族になると大きく影響して来る。その点テンマとエリザベスは既に婚姻届は提出しているので、式だけを延期しても問題はない。
長らくテンマはエリザベスの婚約者候補となっていて、ようやく正式な婚約者になった際に余計な横槍が入らないうちに、と婚約後僅か10日で婚姻届を出していた。しかしテンマが婚約の際に色々とあって怪我をしたので、リハビリがある程度終わるであろう約10ヶ月後に改めて結婚式をしようということになっていたのだ。
「いっそトーマの結婚式と一緒にしてしまおうかとも思ったんだがな」
「遠慮します。そんなに期間を開けたら、また二人目とか三人目とかで延期になりますよ」
「おい」
「親子揃って結婚式延期になってるんですから、これ以上は延期しないでください」
「分かったよ…」
テンマは眉を下げて、息子の言うことに素直に従っていた。血が繋がっているとは言え、豪快で大雑把なテンマと細やかで真面目なトーマは正反対の性格のようだ。
運ばれて来た料理は、そこまで堅苦しいコースではなく、前菜とサラダ、パスタと肉料理をメインにした内容だった。始めに白ワインかシャンパンを勧められたが、レンドルフは午後にノルドの見合いがあるので炭酸水にしておいた。アルコールには強い方だが、何かあった時にすぐに対応出来る為に万全にしておきたい。
前菜は幾つもの種類のチーズを中心に並べられていて、色とりどりのソースやピクルスが添えられていて自分で好きに組み合わせて楽しむものだった。その中に、小さな器にフリッターのように揚げたチーズをコンソメスープの具のように浮かべた物があった。一見こってりしているかのように思えたのだが、コンソメスープは野菜だけで作られていて擦り下ろした野菜も入っていたので思ったよりもさっぱりと食べられた。半分蕩けたチーズの程良い酸味とよく合っていて、大変好みの味だった。
「この調子だと、俺よりもレンくんとユリ嬢の方から先に招待状が来るかな」
「ゴホッ!」
「父上!そういうのは急かすことではありませんよ。まあ、私よりは早いかもしれないですけど」
「んんっ…い、いや、その、そういうのは…」
不意打ちでテンマに言われて、レンドルフは思わず口にしていた炭酸水を噎せてしまった。更にフォローしているようで追撃する形でトーマにも言われて、レンドルフは慌てて咳払いをして状態を整える。
「そういったことは、その、全然…」
「「は…?」」
顔を赤くして否定をするレンドルフに、テンマ、トーマ親子は揃ってポカンとした表情になった。もともと全く似ていない顔立ちなのに、妙にその顔だけは似通って見えた。
「全然って…え!?全然ですか?」
「ま、まだ婚約とか、そういう正式な届けを出してないだけってことだろう?そうだよな!?」
「い、いえ…その、そういう話とかも、全然したことが、なくて…」
以前レンドルフとユリには恋人同士という設定でパーティーに出てもらったことはあったが、設定などなくても互いの距離感やそれぞれを見つめる時の表情や、隠しもしない独占欲などを見てしまえば、全然進展していないどころか始まってもいないという状況は俄には信じられなかった。
耳まで赤くして誤摩化すように手元のチーズを必要以上に細かく切り分けているレンドルフを、二人は大層残念なものを見る目で眺めたのだった。