209.贈り物と気持ちと睡眠時間
「レンさんは明日からしばらくテンマさんのところ…あ、今はトーマさんか。そっちに行くんだよね?」
「うん。ノルドの状態にもよるけど、五日間も泊めてくれるって」
「それなら安心ね」
「手間をかけさせてしまうけど、正直ありがたいよ」
以前まだレンドルフが長期休暇中に出会った、革製品などを扱っている大商会のミダース家の元商会長だったテンマから、商会所有のスレイプニルか魔馬達とクロヴァス家所有のスレイプニルのノルドとの繁殖を、と望まれているので、明日からレンドルフはミダース家の世話になる予定だ。どちらかと言うとメインはノルドで、レンドルフは付き添いなのだが。
テンマは今は商会長を退いて息子のトーマに跡を譲っているが、実際にはミダース家の隣の敷地に住んでいるビーシス伯爵の一人娘の婿に入ったので、実質すぐに顔を合わせられる。そしてテンマはレンドルフと変わらないくらいに体格が良いので、もともと彼の暮らしていたミダース家の内装はレンドルフでも快適なサイズなのだ。どうしても規格外な体格故に、通常の宿などでは色々と不便なところが多い。仕方ないとは納得しているが、やはり寝具や浴室などの不便さは地味に堪えるものがある。
「それから三日後にミダース家で晩餐のご招待ね」
「迎えに行かなくて大丈夫?」
「大丈夫。それよりも、この前レンさんに買ってもらった服、仕立上がったから着て行っても問題ないよね?」
「それは問題ないよ。ごく内輪だけって言われてるから。…それに俺も揃いで着るし」
三日後に、ユリはエイスの方に戻って来ていて休みも調整出来るということで、この日に久しぶりに一緒に食事でもどうかとテンマから提案されたのだった。参加するのはレンドルフが半ば縁を取り持ったようなテンマとその妻エリザベスと、トーマという顔見知りだけだ。テンマとエリザベスはビーシス伯爵家の当主夫妻にはなるが、気楽な食事会だと最初から告げられている。もともとテンマは平民出身の冒険者だったので、堅苦しいことはあまり好まないのだ。
ユリは先日レンドルフとともにお互いに贈り合ったようなことになった服が、レンドルフのものよりも遅れて先日完成したのだ。可愛らしくもありながら上品なデザインのワンピースではあったが、貴族の晩餐に着て行くには少々ラフなものだったので、着て行っていいものか躊躇いがあったのだ。
「二人で着てれば大丈夫ね。ふふ…あのジャケット、レンさんに絶対似合うと思うのよね」
「ご期待に沿えるといいけど…」
「今日の服だってすごく似合ってるもの。レンさん、気が付いてた?待ち合わせの時にすごく注目浴びてたの」
「そう…なのかな?ああ、そういえば同僚にユリさんが来る前に会って、褒められたような気が」
改めて「貴族だったんだ」としみじみ言われることが褒められていたのかは微妙なところではあるが、何となくいつもより見られていたような気は確かにしていた。しかしどちらかと言うとユリの方が注目を浴びていたのだが、それはこの変装をしている時はいつものことなので言わないでおく。ただユリを見つけた瞬間、彼女自身が怖がらない程度に最大限早足で側に寄ることは心掛けている。そうでないと、不躾な視線に晒され続けてしまう。
「そろそろ部屋に引き上げて帰りの準備をしよう」
「…うん。今日もあっという間ね」
「今日も楽しかったよ」
「うん」
レンドルフがベンチから立ち上がってユリに手を差し伸べる。暗い中でもレンドルフの柔らかな色合いの薄紅色の髪は目立っている。いつもより低めのベンチから見上げているせいだろうか。ふとユリは初めてレンドルフと出会った時のことを思い出した。座り込んで動けなくなっていた自分を助けに来てくれた、まるでお伽噺の中から抜け出したような優しくて強い英雄。随分成長して目の高さも逞しさも別人のように変わってしまったが、ユリに取ってはあの時の英雄のままだ。いや、あの時のただの憧れだけではなく、こうして少し自分のことには無頓着だったり、甘い物を幸せそうな顔で食べていたり、慎重そうに見えて思わぬところで大胆だったり、人としての彼を知れば知る程、少しでも隣にいることを望んでしまいそうになる。その為には、まだまだユリには足りないことが多すぎるのだ。
ユリはほんの一瞬だけ自分の手を握り締めてから、いつもと変わらないような笑顔を心掛けてレンドルフの大きな手に自分の小さな手を重ねたのだった。
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帰りの馬車の中で、例の石の件をどこか人に聞かれないような完全な防音が整っている場所はないものかと話し合う。何せ物が物だけに、おいそれとどこかの店で話せるような内容ではないのだ。
「完全防音だとすると、ギルドの会議室しか思い浮かばないな…」
「確かに信頼できるところではあるけど…そこに宝石商の方が来るのはちょっとおかしくない?」
「何かの依頼…って言っても、ウチじゃ受けられないしね」
「いっそあちらに良い場所はないか聞いてみるよ」
「その方が早そうね。出来れば私も話をしたいから、調整はお願いしていい?」
「勿論。元はと言えば俺が妙な石を見つけたせいだし」
レンドルフはそう言ったが、その場に居た全員が「妙って…」と内心思ったが、敢えて口には出さなかった。
しばらく行くと、予定通りの場所で馬車がガタリと停まった。護衛のマリゴが窓を細く開けて外を確認すると、見慣れた小型の馬車が近くに停まっていた。
「お嬢様、予定通り迎えの馬車が来ております」
「……そう」
明らかに落胆した様子でユリが答えた。ここは中央街に入って少し走ったところにある馬車留めのある広場で、そこからユリ達は乗り換えてアスクレティ大公家本邸に戻るのだ。こうして変装しているので大丈夫だとは思うが、ユリは共同事業に携わる職員達の中で最も狙いやすいと思われている一人だ。その為、無駄な接触を避ける為に王城の研究施設から本邸に帰る際は何度か馬車を乗り換えたりして、自宅を知られないようにしている。それと同時に、レンドルフにもユリの正体を知られないという意味もあった。
「もうちょっと遅れても良かったのに…」
「お嬢様、馭者も仕事ですから」
念の為と、マリゴと一緒にレンドルフも外に出て様子を伺ってくれている。馬車に残ったユリが少々不満げに呟くのを、隣でエマが苦笑混じりで返した。ユリは少しだけ口を尖らせながら「分かってるわよ…」とブツクサ言っていた。その表情は、本日の変装テーマの「赤髪の妖艶美女」とはあまりにもかけ離れていた。
「ユリさん、お待たせ」
安全を確認出来たので馬車の扉が開いて外からレンドルフが手を差し伸べて来る。ユリは先程までしていた表情をサッと止めて、にっこりと優雅な微笑みを浮かべながら差し出された彼の手を取ったのだった。
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大きな馬車の中に一人になり、レンドルフは懐にしまっておいた小さな紙袋をそっと取り出して中に入っているタッセルを手の平に乗せた。自分の親指よりも小さなタッセルだが、手の上に乗せると何とも温かいような気がした。それは気のせいだと分かっていても、レンドルフはそれを眺めて思わず口角を上げる。
「白と金…主神キュロスの加護かな。石の方は女神フォーリ?ちゃんと聞いてくれば良かったな」
タッセルに使用する色や付ける小物などは、色々な意味を込めたものを組み合わせて作られる。魔道具のように直接的な何かが作用する訳ではなく、軽いおまじないのようなものだ。しかし大切な相手に思いを込めて贈られるものなので、それを軽んじるような者はまずいない。
主神キュロスは太陽と昼を司る神で、魔獣に打ち勝つ為の力などの加護を持つので、騎士などの男性に贈るものとしてよく用いられるモチーフだ。主神キュロスは少年の姿をしていて、光そのもののような金の髪と瞳を持つ少年の姿で描かれることが多い。
女神フォーリは月と星、そして夜を司る女神で、全ての魔獣の母と言われている。しかしその反面、彼女の加護を得ると魔獣から守られると言われ、魔法関連の権能は彼女が大半を有している為に魔獣除けとして使われる。彼女の姿は臈長けた妙齢の女性から老婆の姿と幅があるが、共通するのは長い夜空のような濃紺の髪と金色の瞳だった。
この世界の神は、この二柱が飛び抜けて神格が高いとされ、各国でも最も信仰されている。そこからもう少し人間に近い大地母神シビューノという神が彼らに次いだ存在であり、世界中に存在している神の眷属は全てシビューノが産み出したとされ、民間信仰などはこのシビューノの眷属に連なっていると言われる。「大地母神」と呼ばれてはいるものの、実際は両性、または無性であり、その姿は各所で異なっていて決まった姿の伝承は存在していない。そのせいか加護のモチーフも存在しないので、こうしたタッセルなどに使われることはあまりなかった。
(今度は黒メインのものをお願いしてみようかな…いやいやいや、それはいくらなんでも図々しすぎるだろう!)
ユリの本来の髪色を知らないレンドルフは、つい彼女の黒髪をイメージしたタッセルを思い浮かべてしまったのだが、あまりにも下心が見え透いているような気がして慌てて頭の中で否定する。誰かに聞かせる訳ではないので、考えただけで罪悪感を覚える必要はない。それでも思わず反省をしてしまうのは、レンドルフの真面目な性格故だろう。
勿論、家族から貰ったタッセルも嬉しいしありがたいと思っている。けれどユリから貰ったタッセルは、何故か持っているだけで強い加護を得たような気分になって来る。ユリからは防毒や麻痺防止の付与が掛けられたチョーカーや、タイピンなども贈られているが、これは何だか特別な気がしていた。
これまで色々と不運が重なって縁がなかったため、レンドルフにとっては初めて身内以外の女性から貰った手作りの品だった。当人はそこに思い至ってはいなかったが、確実にそのことで浮かれていたのだった。
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「うわああぁ…レンさんの初めての女性だったのにぃ…」
「お嬢様、言い方にお気を付けてください」
「だって…」
レンドルフと別れて小型の馬車に乗って、更にこの後もう一度別の馬車に乗り換えてアスクレティ大公本邸へ帰る道中、ユリは頭を抱えて呻いていた。その内容は、人に聞かれたらあらぬ誤解を受けそうなので、侍女のエマがやんわりと突っ込みを入れる。
「どんな状態になっても最初から作ればよかった…どんなに下手なタッセルでもレンさんならきっと笑って受け取ってくれたのに…」
「大体騎士様だとご家族から贈られるのでは?お嬢様のお話ですと、ご家族の仲は良好だと…」
「ちゃんとご家族から贈られてたわよ…愛情たっぷりのを」
ユリの説明に、エマもマリゴも怪訝な顔をする。二人ともレンドルフの実家のことは知っているので、ユリの「初めての女性」という言葉に引っかかりを感じたようだ。もしかしてレンドルフは実は家族から距離を置かれているのではないかと思ったらしい。ユリは見せてもらったタッセルでそうではないことは分かっていたが、あの奇怪な造形は見た者にしか分からないだろうし伝えられる自信もなかったので、もう「愛情たっぷり」としか言いようがなかったのだ。人に贈るタッセルは大抵女性が作るものなので、よく分かっていない二人には「クロヴァス領では男性が作る風習があるのか…」と妙な誤解が生じていた。
「だから、女性からの初めてだったのに、私はあの程度で済ませちゃったのよ…」
「言い方」
「あの、手作りとか出来映えより、誰からいただいたかが一番重要かと存じます」
「そうなの?」
滅多に会話には入らないでいるマリゴが控え目に口を開いた。彼は真面目を絵に描いたような人物で、今は大分丸くなったそうだが若い頃は四角四面で融通の利かない性格だったと耳にしたことがある。その彼がごく稀にポツリと意見を述べることがあるが、それは非常に値千金のアドバイスだったりする。
「私の周辺だけかもしれませんが、店の宣伝などで貰う物は見栄えの良いものが喜ばれますが、『自分だけ』にいただいたものは余程迷惑な相手でもない限り嬉しいと言っておりました」
「マリゴも?」
「私の妻は器用な方ではなかったので結婚前からきっぱりと『市販のものをお渡しします』と宣言されましたが、私に合いそうなものを選んでくれるということで十分価値がありましたし、娘のくれた謎の丸めたちり紙でも同僚に自慢したものです」
「マリゴでもそうなんだ…」
あまり相好を崩したところを見せないマリゴが、ニコリともしないで丸めたちり紙を自慢している姿は想像が付かなかったが、そういうものならば、とユリは僅かに復活する。
「でも…頑張って挑戦すれば少しは上達するかな…」
「お嬢様…睡眠時間は削らせませんよ?」
「うっ…」
「やっぱりそのつもりでしたね。お止めくださいよ、私がミリー先輩に叱られます」
「気にするの、そっち!?」
「どっちでもいいのです。お嬢様のお体の為ですから」
ユリのスケジュールは、ほぼ毎日キッチリと埋まっている。更にその上、計画通りには行かない薬草の成長や入荷の都合で、急遽調薬が必要になる予定が割り込んで来るのだ。薬師を目指す者はそれは当然のことなので、多少無理をしたり止むなく睡眠時間を削ったりするのは承知の上だし、周囲もそれは理解してくれている。しかしそれ以外に時間を浪費することは厳しい。いつ何時に不眠不休で調薬作業が入るか分からないので、余裕がある時になるべく休憩を取らせようとして来るからだ。彼らがユリの体を気遣っていることは分かるだけに、反論はし辛い。
「分かった。睡眠時間は削らない方向で…」
言葉と表情が完全なる不一致ではあったが、ユリは仕方なくエマの言葉に頷いたのだった。
タッセルの補足
クロヴァス領では、剣の扱いなどに慣れていない子供には引っかかったりして危険なので、ある程度大人になってから渡すことが暗黙の了解になってます。なのでレンドルフはタッセルは貰っていませんが、代わりに刺繍入りのハンカチは身内や領民のご婦人方に大量に貰っています。華奢な未成年時代には、見知らぬ人からの物は受け取ってはいけません、と厳重注意されていたので、レンドルフの中では初めて女性から貰った(真っ当な)タッセルにカウントされています。