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208.愛情たっぷり魔物タッセル


次にサーブされたメインの肉料理は複数のメニューから選べたので、レンドルフは子羊の香草焼き、ユリは豚ヒレ肉のグリルを選択した。レンドルフは量を多めにしてもらうように予約時に伝えてあったので、骨付きの肉が通常二本のところ倍の四本が皿に盛られていた。


レンドルフは子羊の骨を避けながらナイフを入れると、柔らかな弾力があるもののすぐにナイフの刃が沈んで行く。まずはそのまま食べてみると、表面が微かにサクリとした歯応えがあったが、ジューシーで癖のない肉とほんのりと甘さと苦味のある香草の味が広がる。すこしあっさりした味わいだったので、次の一口は肉の脇に添えられている数種類のスパイスのうち、赤い色のものを端に付けて食べてみる。見た目よりは辛味は控え目で、むしろ甘味の方が強く感じる。あまり嗅ぎなれない香りなので、異国のスパイスなのかもしれない。他にもピンク色の岩塩や、黄色のスパイスなどもあって、淡白な味の肉だとより味の変化を楽しめた。

ユリの注文した豚肉は、ほとんど脂のない部位で表面にしっかり網の焼き目が付いているが、中はしっとりとシルクのようにきめ細かく柔らかい。濃厚なマッシュルームのソースが掛かっていて、付け合わせの野菜のグリルと絡めて食べると野菜の水分と肉汁の甘味で優しい味わいになる。サヤごと焼いてホクホクと蒸し焼きになっている空豆や、焼いてから皮を剥いた鮮やかな翡翠色のナスのトロリとした柔らかさは、まさに夏を知らせるような味だった。


デザートのチーズテリーヌとレモンのソルベは、色の濃い青い皿に盛られていて、白いチーズソースが波模様に広がっていた。最後まで夏を思わせるコースになっていた。まだ本格的な夏ではないので、濃厚なチーズのデザートというのも逆に冷え過ぎずにユリには丁度良かった。


全てのコースを食べ終えてゆっくりと紅茶を飲んでいると、レンドルフが時計を確認した。


「そろそろ始まるみたいだ。どうする?」

「ここまで来たら外で見たい」

「じゃあ行こうか」


このレストランの趣向で、夜は毎日10分程度ではあるが湖上で花火を上げる。一等客室を予約した客は、部屋からでも見える位置に案内されるが、最上デッキの先頭にも観賞エリアが用意されている。その場所は一等客室を予約した者しか入ることは出来ないので、他のデッキより良いロケーションでゆったり見られるのだ。


レンドルフが立ち上がってユリに手を差し出すと、ユリも躊躇いなく手を重ねる。最初のうちはどちらもぎこちなさがあったエスコートだが、今となってはまるで意識しないで自然な行動になっていた。



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外に出ると、まだ夏には少し早いせいか空気がひんやりとしていた。あまり風が強いと花火は中止になってしまうのだが、今日はそこまで強くないので大丈夫なようだ。


最上デッキの先頭に行くと、先に一組の老夫婦らしき二人組が設置されたベンチに並んで座っていた。灯りはあるが薄暗いので顔ははっきり見えなかったが、チラリとこちらを向いて軽く頭を下げたたようだったのでレンドルフ達も会釈だけで返した。ベンチの設置してある場所は舳先ではないので、ちょうどその舳先の特等席が空いている。二人とも何も言わずにどちらともなくそこへ向かい、段差を数段上がって船の最も先鋒に立った。


「わあ…綺麗ねえ」


舳先の手すりにつかまって少し身を乗り出すように眼下を眺めると、来た時よりも高い位置に昇った月が湖全体を照らしている。今日は少し雲が出ているので星は僅かしか見えなかったが、その分乱反射する水面の月明かりが無数の星のようにも思えた。


「ユリさん、寒くない?」

「ん、大丈夫」


そう言った途端、少し強い風が吹いてユリの長い髪を揺らす。水の上を渡る風は大分冷たく、思わず反射的に身震いしてしまった。


「無理しないで」


一瞬で強がりのようになってしまったユリに、レンドルフは笑いながら自分の肩に掛けているコートの金具を外そうとしている。


「だ、大丈夫だから。それにレンさんだって…」

「俺は体温が高いから全然」

「だ、だけど、その…それじゃ足元引きずっちゃう…汚れちゃうし…」


多少汚れても、同行している侍女のエマが生活魔法が使えるのですぐに浄化してもらえばいいだけの話なのだが、ユリが自分でレンドルフに似合うと思って選んだ服なので、出来れば汚したくはない。少し眉を下げて困っている様子のユリを見て、レンドルフは外しかけた金具を再びしっかり装着して、彼女の真横から斜め後ろに移動する。

レンドルフは手すりにつかまっているユリの手の更に外側に掴まるようにして、後ろから風よけのように包み込む形になった。ほんの少し中心をずらして真後ろではなく斜め後ろに立ったが、それでも自分の体がユリの体に触れることはない。小柄なユリと大柄なレンドルフの組み合わせだからこそ出来る状態だ。


「暑苦しくない?」

「うん…だ、大丈夫…」


触れてはいないのにレンドルフの高い体温に包まれて抱きしめられているような感覚になって、ユリは少し俯き加減に返答をする。レンドルフとはノルドに相乗りになって前後で密着することも幾度もあったのだが、今の方が恥ずかしく感じてしまうのは何故だろうかと必死に頭の中で考えていた。


フッと客船に取り付けられている灯りが一斉に消えた。数隻並んでいる船の灯りが落ちたので、周囲が暗くなり光っているのは月と水面に映る反射だけになる。不意に、その暗い向う側で赤い光がユラユラと揺れたかと思うと、甲高い笛のような音色が尾を引くように空に昇って行った。その赤い光は、上空で一瞬だけ消えて、次の瞬間には大きな七色の光の粒が視界一杯に広かった。


「わあ…」


階下のデッキは人が集まっているらしく、足元から歓声や拍手が聞こえて来る。しかし次々と打ち上げられる花火の音の方が大きく、その歓声は随分遠くのように感じられた。この船の最上階には座っている老夫婦とレンドルフ達しかおらず、大きな音が鳴っているのに不思議な静けさがあった。


この七色の花火は最近開発されたものなのだが、まだ特大サイズでしか作ることが出来ないので、ここのように周囲に何もない場所でしか上げることが出来ない。その研究も兼ねてオーナーの伯爵が許可をしているので、こうして毎晩客も花火を楽しめる趣向の湖上レストランになったのだ。


空を走る虹色の光に目を奪われていると、手すりを握り締めたレンドルフの手の甲に、ヒヤリとした感触のユリの小さな手が重ねられた。一瞬、レンドルフの体がギシリ、と固まってしまう。普段エスコートをする為に手に触れることはしょっちゅうなのだが、彼女の方から触れられるとどうしても緊張してしまう。


「綺麗ね…」

「う、うん、そうだね。綺麗だ…」


手を重ねたことは、もしかしたら金属の手すりを掴んでいたせいで冷えてしまって、無意識に温かな方に寄ってしまっただけかもしれない。そうレンドルフが思う程度に、ユリはごく自然な様子で湖上の花火に呟くような感嘆を漏らしていた。花火の色に照らされる彼女の横顔をそっと見下ろして、レンドルフは最後の部分は花火の方を見ずに呟いていた。



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時間にしてみれば10分程の花火は、船の照明が点灯したことで終わりが知らされる。個室を予約をした人間はこのままデッキにいてもいいし、部屋に戻ってもいい。

ふと振り返ると、同じデッキで花火を眺めていた老夫婦が戻って行くところだった。下に続く階段は少し狭いので、すぐ後ろを追うような形になってしまうのは避けた方がいいだろうと、何となく顔を見合わせて先程まで彼らが座っていたベンチに腰を降ろす。


「レンさん、良かったらこれ…」

「え?俺に?」


ユリは肩に掛けていたバッグから、小さな紙袋を取り出してレンドルフに差し出した。レンドルフの片手に簡単に収まってしまう小さな物だが、思わずレンドルフは両手で受け取ってしまった。


「あの…ちょっとしたお守りになればいいかと…本当は遠征に行く前に渡せれば良かったんだけど、また行くこともあるだろうから、邪魔じゃなければ」

「ありがとう。開けてみてもいい?」

「うん。確認してみて」


そっと袋を開けると、中から何か軽い物が出て来た。手の平に乗せると、それは剣やベルトなどに付けられるタッセルだった。色は白を基調として、差し色に金のフリンジが混じっている。そのフリンジを纏める根元に小さな石が付いていて、不透明な藍色に近い色の中に細かく砂金のようなものが散っている。灯りに翳して見ると、小さな夜空が手の中にあるようだった。


「ありがとう。すごく嬉しいよ!」

「あ、あの!本当はちゃんと手作りしたかったんだけど、私、そういう作業が苦手で…ただ買って来たものを組み合わせただけなんだけど…」

「ユリさんが選んで組んでくれたんだよね」

「うん…本当にそれだけなんだけど…」


色や素材などの組み合わせで色々な気持ちを混めたお守りになると言われているタッセルは、刺繍入りのハンカチなどと同じように女性が作って贈るものと言われている。夫や子供、婚約者などにも贈るが、兄弟や友人などの親しい相手にも渡すことも多い。手先が器用な者になるとタッセルに使用するフリンジなどから手作りすることもあって、美しい品をどれだけ手を掛けたかが一種のステータスになることもあるのだ。しかしどうしてもそういった手芸が得意ではない女性は、雑貨店などで売っている素材を購入して組み合わせることもあるし、時間が無い場合は完成しているものを求めることもある。


ユリの場合は素材の中から選んで組み合わせた物だったのだが、別に言わなくても良かったのに予想以上にレンドルフがはしゃいだ様子だった為に焦って全部喋ってしまった。


「ユリさんだって忙しいのに、そうやって考えてくれたことが嬉しいよ」

「でも、ホントに邪魔じゃない?レンさん、そういうの付けてるとこ、見たことなかったから…」


剣やベルトに付ける物なのでそこまで大きくはないが、人によってはそれが邪魔になってしまう場合もある。そういったタイプは、別の小物に付けたりする。しかしレンドルフはユリが見た範囲では、タッセルのような物は全く身に付けていない。もしかしたら見えないところに装着しているのかもしれないが、それならば余計な贈り物だったのかもしれないと急にユリは不安になる。


「ええと、こういうのを女性からもらったことがなかったから…」

「え…?え、えええ!?だって、騎士ならもらっても…」


タッセルを贈る際に籠める願いは健康や安全を祈るものが多く、怪我などが多い騎士は大抵誰かしらにもらっている。特に女性にモテるタイプになると、毎日両手から溢れる程の量を差し入れに貰うこともあるくらいだ。そういったことに無縁の騎士も、母親や姉妹などの身内からほぼ押し付けられている。家族がいない騎士も、何かしらの繋がりのある女性から幾つかは受け取っている場合が殆どだ。今まで聞いた話だと、レンドルフの家族は仲が良いように思えたのだが、何らかの事情があったのかと深読みをしてしまって、ユリは思わず口ごもってしまった。


「…内緒にしててもらえるかな」

「う、うん…絶対言わない」


レンドルフは少しユリに顔を近付けて、耳元で囁くように言った。何かクロヴァス家に重大な秘密でも隠されているのだろうかと、ユリは姿勢を正してレンドルフの言葉を待った。


レンドルフは懐から財布を出して、その一番底の方に入れたままで、ここに入れた時から一度も日の目を見せていない物体を引っぱり出した。


「……ええと、魔獣をモチーフにしてる、とか…?」


レンドルフが手の上に乗せた物体は、この会話の流れで行けばタッセルなのだろうが、どう頑張って心の目で補正してもタッセルには見えない物体が三つ鎮座していた。一つは水色のニョロリとしたクラーケンのような物で、所々赤い物が混じっているのが血の染みのようにも見えてどこか不気味である。そしてもう一つは茶色の塊で、よく見れば細い紐のようなものが絡まり合っているのでもしかしたらフリンジなのかも知れないが、こういっては何だが色といい形といい何かの動物の排泄物を彷彿とさせてしまう。ユリは何とか違うものを想像しようと頑張ってはみたが、最終的にどうしてもそこに到達してしまう出来映えだった。そして最後の一つは、小さな丸いビーズのような赤い球体が紐で大量に連なっていて、こちらはどう見ても魚卵にしか見えない。もはやフリンジの存在が不明で、タッセルの存在を根本から揺らがせる物体だった。


「…一応、母と義姉達からってことになってるけど、作ったのは父と兄達…」

「へ…?」


レンドルフが正騎士の資格を取って、報告を兼ねて一度故郷のクロヴァス領に戻った際、祝いの品の中に母と長兄の妻から手作りのタッセルを貰った。母は完璧なまでの淑女教育を修めていた人物なので、一から作り上げているのにまるで売り物と言ってもいい程に美しいタッセルだった。義姉はそういったことはあまり得意ではないらしかったが、母の手ほどきを受けて革製の大変頑強なタッセルを作ってくれた。


「その後で、どうしても妻の手作りタッセルが欲しいとこっそり頼み込まれて、交換したんだ…」


自分達も作ってもらっている筈なのだが、彼ら曰く「レンドルフのものは丁寧さが違う」らしく、実の息子や弟を思う気持ちがない訳ではないがどうしても羨ましくて手元に置きたかったらしい。特に義姉は滅多に作ることはないらしく、兄が言うには大変貴重な品なのだそうだ。

しかし心を込めたお守りを取り上げてしまうのは申し訳ないと考えた結果、父も兄も必要以上に心を込めたタッセルを手作りして交換を申し出て来たのだ。そしてその結果が、レンドルフの手の上に転がっている。


「ええと、じゃあ一つがお父様で、もう一つがお兄様で…あと一つは?」

「多分…次兄の物じゃないかと」

「ああ…」


レンドルフの次兄は隣国に婿入りしている。その為後から祝いの品が届けられたのだが、その中に紛れていた次兄の妻が作製したという奇怪な物体は、タッセルを贈ると手紙に添えられていなければ永遠に分からなかったであろう仕上がりだった。それを見てレンドルフは、次兄も父や長兄達と同じことをしたのだろうな、とすぐに察した。


「間違いなく愛情は籠ってるのは分かるんだけどね…」

「え、ええ…そうね…」


そんな不可思議な物体を隠してあるとは言え律儀に持ち歩いているレンドルフも、十分家族への愛情があるのはすぐに分かった。


「皆様、ご家族思いなのね」

「父も兄も息子には厳しかったけどね。まあ、それも愛情だし」


クロヴァス領は常に魔獣の危険に晒される土地柄なので、小さいうちから普通の貴族ではあり得ない程鍛えられて育つ。そうでなければ生きて行けないのだ。幼い頃はともかく、無事に成人を越えた今となってはそれが如何に愛情深いものだったかは誰よりも身に染みている。


「だから、ユリさんがくれたタッセルが初めて女性から貰ったものになるんだ。すごく嬉しい」

「そ、そう?喜んでもらえて、良かった…」


目をキラキラさせながらユリが渡したタッセルを眺めて、レンドルフはどこに付けようか色々と検討していた。先程取り出した謎の物体は既に元の財布の奥にしまい込まれている。ユリが組んだタッセルを目立つところに付けようか、それとも汚れないようにポーチの内側に付けるべきかと楽しげに話しているレンドルフの姿を見て、ユリはフワリと温かい気持ちになった。


「タッセルが壊れたり無くなったりするのって、その人の身代わりになってくれたって言うから、それでレンさんがちょっとでも無事でいてくれるならいくらでも汚れても壊れてもいいよ」

「だけど…」

「また作るから!ううん、汚れても壊れてなくても、また作るから!」

「本当に?…あ、でもユリさん大変じゃ…」

「全然!組み合わせるだけだし!」

「ありがとう!じゃあ遠慮なく付けるよ!」


レンドルフはタッセルを丁寧に紙袋に戻しながら「剣の柄の部分に…いや、ベルトの方が…」と呟きながら大切そうに懐にしまい込んだのだった。



レンドルフは知らなかったのだが、実はまだ華奢だった学生時代、かつて色々と問題が起こった為に騎士科に限らず差し入れられる品は全て学園側が確認をしていたのだ。そして明らかに怪しいものは贈り主に戻されるという措置がとられていた。勿論、そのことは贈った者の両親にも報告が行くし、あまりにも悪質だったり繰り返していたりすると、その上の寄親にも報告される。更にどんなに普通のものに見えても、無記名のものは問答無用で廃棄されていたのだ。

その結果、当人は全く知らないところでレンドルフ宛に贈られて来た大量のタッセルは、一つも彼の手には到達しなかったのである。




レンドルフの持っていたタッセル(もどき)の作成者は、

・血染めクラーケン(父)

・どう見ても排泄物(長兄)

・魚卵?(次兄妻)

になります。


実は次兄妻が本当に作ってくれたものだったのですが、出来映えが独特過ぎて見た瞬間レンドルフが血縁の作りしものと判断しました。次兄妻は研究者気質の変人なので、研究以外のことは壊滅的な残念な人です。レンドルフの祝いに幾つも作った中で、次兄が「一番上手に出来てる!」と思ったものを贈りました(でも魚卵)


レンドルフが女性から貰ったタッセルは、正確には義姉が最初なのですが、全くタッセルに見えないのでノーカンということで(笑)

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