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202.乗っ取られたトーリェ家

レンドルフ絶賛空気期間がもうちょっと続きます。


エイディスは、婿の話を持ちかけられた時に随分と迷った。


命の危険もある子爵家から逃れて高い地位を得て、母と妹を殺したも同然な彼らを見返してやりたいという昏い欲望もあったことは否定出来ない。

しかしエイディスには愛する女性(ベアトリーチェ)がいた。決して添い遂げることは出来ないが、子爵家にいれば側にいることだけは出来る。その彼女を諦めて婿に行くことに悩んでいた。


そんな折、侯爵家からエイディスだけに密かに持ちかけられた提案があった。


侯爵は、かつての婚約者であった伯爵令嬢が忘れられないが、互いに当主である以上貴族のしがらみのせいで添い遂げることが出来ない。いくら懇願したところで、どうしても自分の子供に跡を継がせたい伯爵が娘は後継になっても問題がないと言い張っていた為、絶対に許可が降りることはないだろう。そこで侯爵の息のかかったエイディスを婿に送り込んでトーリェ家に恩を売りつつ、密かにエイディスの望む女性を侯爵家の妻として娶っておき、後日花嫁を交換しよう、と言われたのだ。

まるで最初から、エイディスがどんなに望んでも戸籍上が異母兄妹となっている為、ベアトリーチェを娶れないことを見透かしているかのように。


まだ成人前のベアトリーチェは、子爵から余計な婚約者を決められる前に、正妻にと求めて行儀見習いの為に侯爵家で引き取り、一人前の淑女として教育を施しておく。そして彼女が婚姻可能年齢に達した時に、互いの愛しい妻を交換することにしてはどうだろうか、と。


ベアトリーチェが成人を迎えるまでには数年あった。その間に、少しずつ過去を知るベテランの使用人を減らし、周囲に妻の体調が悪いと嘯いて噂を広め、ベアトリーチェと交替してからはあまり人前に出さないようにすればバレることはない。どうしても外に出る場合は、変装の魔道具で誤摩化せばいいのだ。

しかしあまりにも自分に都合が良いが、それを知らないリリエはどう思うのだろうと多少の罪悪感はあった。互いの妻を瑕疵なく交替させる為には「白い結婚」が絶対条件だ。その間に適齢期を過ぎる彼女は、石女として不名誉を被るのではないだろうかという心配と、数年は夫婦として過ごすのだから愛情はなくてもそれなりに情が湧くのではないかという不安もあった。


だが、婚約期間に当主補佐として慣れる為にトーリェ家にやって来たエイディスは、全くの杞憂だったと安堵したのだ。妻になる予定のリリエは確かに美しいが、エイディスの好みからは離れていたし、性格もキツく短絡的で、少しでも気に入らないことがあると怒鳴り散らすどころか手や足まで出して来るような女だった。

侯爵が彼女の何を愛しているのかエイディスには全く理解出来なかったが、これならば情を持つこともなく侯爵と交わした約束の日まで耐えればいい、とエイディスは表面上は良い夫を演じ続けた。婚姻初日に、彼女の味方をする使用人の手引きで別にしていた寝室にまで乗り込まれたが、「領の借金を返済するまで子供のことは考えられない」と理由を付けて追い出した。だが、何故か翌朝には「まだ前の婚約者のことが忘れられない」「無理矢理言うことを聞かせようとして来たので怖くなって逃げてしまった」と彼女が悲劇のヒロインになっていた。エイディスに拒否されたことが許せなかったのかもしれないが、それを信じたらしい使用人の半分はエイディスを冷ややかな目で見ていた。

それならそれで好都合だと、エイディスは「前の想い人に操を立てている悲劇の女伯爵」という彼女の構想に乗り、彼女に味方をする使用人を楽に選別して遠ざけ、どちらでもない人間は同情を引くように少しずつ味方を増やして行った。



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「ようやく入れ替わりが終わり、彼女にも子が出来て…やっと、皆が幸せになれると思ったのに…」

「幸せ?皆が?」


片手で半分顔を覆って泣きそうな顔になっているエイディスは、まるで悲劇の物語の主役のように絵になっていた。そこに冷水を掛けるかのような冷たいベルの声が容赦なく差し込まれる。


「これは単純に家の乗っ取りでしょう?侯爵家と入り婿が結託して伯爵家を乗っ取った」

「そ…れは…」

「それとも、前伯爵ご夫妻はご存知なのかしら?モノくんの話だと、結構家柄とか血統に拘る人だったみたいだけど、よく説得出来たわねえ」


レナードから渡された資料には、モノの両親の前伯爵夫妻についても記載されていた。それによると、娘が婿を取って引退したので、風光明媚な場所に隠居して優雅な暮らしをしていると言われていた。が、実際人をやって確認したところ、数年前にそちらに向かうという連絡はあったが、後日気が変わって別の場所に行くことにしたという手紙が管理人の元に届いただけで、それ以降夫妻の姿を見ていなかった。もっと本格的に調査すれば足取りはつかめるだろうとレナードは言っていたが、それに関しては後日判断することにしていた。

しかしこれまでの経緯や、資料を渡して来たレナードの表情を見れば、彼らはもう見つからないのではないかとベルは薄々察していた。それは同じように資料を読んでいたモノもどこか感じるところがあったのだろう。資料を読み終えたモノはひどく複雑で、半分泣きそうな顔をしていた。


「まあ、ご丁寧に戸籍の登録までいじっているようなので、そこの()()()()モノくんのお姉様は調べても『リリエ・トーリェ』としか出て来ないでしょうけれど。でも、実の弟から別人と言われたらさすがにバレるわねえ」

「そんなことをすれば、こちらとしても義弟の除籍を取り消しますよ?わざわざ断種までして一緒になりたかったのに、あなた方の婚姻も無効になるし、そのままでも貴女は罪人と婚姻したことになる」

「残念だけど、モノくんはもうトーリェ家には戻れないわよ」

「は…?先程除籍の手続きはしたが、そんなもの無効の申請をすれば…」

「それがねえ、今年に入って簡単には行かなくなったのよ。知らなかった?」


エイディスの言葉に、ずっと不機嫌そうな顔をしていたベルがようやく笑った。とは言っても、してやったりといったニンマリとした笑みではあったが。



数年前、とある貴族令息が罪を犯して実家から除籍された。身分を失い平民として苦労して暮らすことが最大の罰と判断されたのだ。だが、除籍された数日後に再び実家に籍を戻されてすぐに貴族としての身分を復活させた。それは公にはされていないが、貴族の間では比較的良くあることで、反省を世間的に示してほとぼりが冷めた頃に何事もなかったように戻すのだ。

だがその令息は、まだ完全にほとぼりも冷めていない頃に再び同じような罪を犯した。しかも今度は比較的大きな罪で、あっという間に世間に広まり遂に王の耳にも届いた。暗黙の了解ではあったが、さすがに王が正式に聞き届けたことで、除籍は一時凌ぎの形骸化された罰ではなく、きちんとした制度として運用が確定した。その為、一度除籍された者は二度と元の籍に戻ることは出来なくなったのだ。もし戻せるとしたら、当人が承諾しないまま他者が書類を偽造した場合だけだ。

それが明文化されて定められたのは今年に入ってすぐのことだった。もともとは半永久的に除籍とする法律ではあったのだが、抽象的な内容で長年放置されていたためその隙を突いて意味のない慣習と化していたのだ。それをきちんと現在の状況に合わせて改正されたのだが、抜け道が封じられただけで法律自体はあまり変わらなかったので、通達に目を通しても変更点に気付いていない者も多いかもしれない。



「そんな…」

「でももし、モノくんが訴えたら貴方達はトーリェ家の乗っ取りの罪に問われるわねえ。ほら、当主の許可なく印章まで勝手に使った訳だし」

「そんなことをすれば侯爵家が黙っていない!」

「そうかしら。あちらには本当の姉君がいるのでしょう?婿と愛人に家を乗っ取られたと元婚約者を頼って逃げて来たので保護した、とでも言えるのではなくて?それに、貴方達の関係の方が世間的には公になったら駄目なやつだしね」


エイディスが手を組んだ侯爵家は、歴史としては浅い方だが領地経営や商業、貿易などで莫大な資産を有している。その力があれば、いくらでも捏造も言い逃れも出来るだろう。片や子爵家の生まれで、世間的には婚姻は禁忌とされている者同士だ。表沙汰になればどちらが不利かは火を見るより明らかだ。


「モノくんはどうする?この乗っ取り犯、訴え出る?」


ベルは背もたれの上部に頭を乗せるようにして、真後ろに立っているモノの顔を見上げた。モノは穏やかな表情で、僅かに微笑みすら浮かべてゆっくりと首を横に振った。


「いいえ、そのつもりはありません。後の家のことは義兄(あに)う…エイディス殿と…そちらの()()()姉上にお任せします」

「そう?逆に乗っ取り返して新しい家を興すとか、もっと恨みなり何なり晴らしてもいいのよ」

「…自分がここを継ぐことになるのはゴメンです」


悪いことばかりではなかったけれど、それでも多くの人間から疎まれて、狭い世界の中で迷惑を掛けないように息を潜め隠れ生きて来た場所だ。もし彼らの罪が明らかになって新たな領主として選ばれたとしても、今更自分を大切にしてくれなかった領民を大切にする方法が分からなかった。


「自分には、抱えられるだけの大切な人と幸せになることで手一杯です」


モノの気負いのない穏やかな声に、嘘は感じられなかった。ベルは感極まった表情でモノを見上げていたが、急に体を捩って背後のモノに向かって両手を広げて差し出した。一瞬だけモノはきょとんとした顔になったが、すぐにベルの行動の意味に気付いて、大きな当主用の椅子の背もたれ越しにかがみ込んでベルを抱きしめた。多少無理のある体勢だったが、ベルはモノの頭を抱きかかえてクシャクシャと頭を撫でた。


「良かったわね。せいぜいこのまま生涯領民達を騙して、伯爵夫妻らしく頑張ることね」


ベルはモノから腕を放すと、閉じた扇子の先をベアトリーチェの手に向けた。そこには、これまでモノの指に嵌まっていた呪いの指輪がおさまっている。


「ソレは、ある意味トーリェ家の証よ。きちんと管理するように王命は通達済みよね。少なくとも三年は管理の補助金が出るそうだし、莫大な借金を数年で返済した有能な婿だそうだから何とか出来るでしょ」

「な…!そ、そんな話は…」

「あらぁ?王都を出発する前に、既にトーリェ領から上限一杯の補助金の申請が出ていたと伺いましたけれど?ですからわたくしはこの呪いの指輪を引き取っていただけるものだと思っておりましたが」


嫌味も込めて、ベルはようやく口調を貴族風に戻した。まだ顔色を悪くする余地があったのかと感心する程、エイディスは更に顔を白くしている。ベルはモノに目線だけで、懐に入れていた封筒を出すように指示を出す。モノは無言で出した封筒をエイディスの前に置く。その封筒には王家の紋が隅の方にエンボス加工されていて、エイディスが息を呑む。


「王家から三年分、上限の補助金を支払うという証書ですわ。きちんと宰相様と、陛下の確認印が押されていましてよ」


一日目の宿で、速達でレナードから書簡が届けられた。レナードの手紙と共に入っていたのはこの証書だった。レナードの手紙には、トーリェ家から封印の為の魔道具と充填済みの魔石を揃えるために必要な金額を示した請求があったと書かれていた。それが正しい金額か、必要な請求かを各部署で精査させて、少なくともモノが王都に来ていた五年間、封印の為の経費を必要としない状況での税収などから、領で負担可能な金額を差し引いた分を支払うとされた。その精査に時間が掛かった為に、出発から一日遅れて届いたのだった。

それは請求された金額の半分程度だったが、あくまで補助金なので領政に影響が出ない程度を期間限定で国が支えるものだ。その期限内に新たな施策を行って収入を上げるなり、呪いの指輪を請け負ってくれる者を探すなりして解決しなければならない。


「これまでは愛しい花嫁様の生活の為に侯爵様から支度金でもあったのでしょうけれど、交換してしまった今は支払う必要はありませんからね。大方、その支度金を借金の返済に充てていたんでしょうね」

「何故…そこまで…」

「あらまあ、適当に言っただけでしたのに。まあ、貴族の考えることは似たり寄ったりですもの。と言うことは、今度は王家からの補助金を当てにして今後の領政でも行うつもりでしたの?それは横領と取られるかもしれませんことはご存知でしたかしら。ああでも、本当に呪いの指輪を引き取られたのだから、横領ではありませんわね。わたしくとしたことが、つい穿った見方をしてしまいましたわ」

「エディ兄さま…呪いの指輪って…」


よく意味が分かっていないのか時折他人事のようにポカンとした顔をして、ただベルが怒っていることだけに怯えていた彼女が、さすがに気が付いたのかおずおずとエイディスの袖を引いた。一瞬、エイディスが縋るような目でベルの方を見たが、彼がどこまで呪いの内容について知っているかまでは分からないのでベルは無視を決め込んだ。迂闊に色々と情報を与えて、再び押し付けられては堪ったものではない。それに今でもベルが話し合いの為に一時的に指輪の周辺に強力な結界を張っているが、それだってそれなりに魔力を消耗するので体に負担が掛かるのだ。



エイディスは潤んだ目で見上げて来るベアトリーチェに押されるように、仕方なく呪いの指輪に付いて説明し始めた。

彼はやはりこの家に伝わっていた「不老を伴わない不死」「魔獣狂化」「魔力強化」のことしか知らなかった。そして指輪を外せるようになるのは、次代が産まれてそちらに移った場合のみだということも。


「え…じゃあ、赤ちゃんが産まれないと外せないの?魔獣が寄って来るのに?」

「そう…なるな」

「そんなのイヤ!そんなの聞いてない!!」


彼女は最初は呆然としていたが、信じられない様子で小指に嵌まった指輪を引っ張った。しかしどうあってもビクとも動かないので、いよいよ事態の深刻さに気付いたようだ。必死になって指を引っ張っているせいか、白い肌がうっすらと赤くなってしまっている。


「無理はしちゃ行けない」

「だって!…!きゃああぁぁっ!!」


彼女の感情に連動したのか、指輪を中心に炎が上がった。その炎はベルが封じていたおかげで極小さなものだったが、彼女の両手に火傷を負わせ、白かった肌が見る間に真っ赤な水ぶくれになって腫れ上がる。彼女に手を添えようとしていたエイディスは、炎に驚いて咄嗟に手を引いたので火傷は免れたようだ。


「いやああぁ!!イタイイタイイタイ」

「睡」

「!?」


痛みと混乱で両手を激しく振って暴れかけた彼女を、ベルが魔法を行使して意識を刈り取った。範囲は小さいがそれなりに重い火傷と見たので、普通に眠らせるだけではすぐに目を覚ますと判断して少々強めの魔法にした。


「貴様!一体妻に何を!!」

「クロヴァス卿」


一瞬にして体から力が抜けてクタリとソファに倒れ込んだ彼女を見て、エイディスが激昂して立ち上がったが、ベルから声を掛けられるよりも早くレンドルフがエイディスの前に立つ。モノも咄嗟にベルを後ろから抱きかかえるように庇った。


「これ以上暴れてお腹の子に障りがあったらどうするの。ただ眠らせただけよ」

「回復薬はどちらに?」

「あ…い、いや、この部屋には」

「では、こちらをお使いください」


ベルに指摘されてもまだ不服げな顔を隠しもしないエイディスに少々眉を顰めながらも、レンドルフは冷静に腰のポーチから回復薬を取り出して彼に手渡した。あの指輪をしている以上、死ぬようなことはないがそれでもか弱い女性が重い火傷を負っているのは見ていられない。レンドルフはすぐに完全回復するよう中級の回復薬を渡した。




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