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201.金の髪、緑の瞳


エイディスの隣で縋り付くようにしている女性は、豊かに波打つ美しい金髪を腰の辺りまで伸ばし、エメラルドのような鮮やかな緑色の瞳を涙で潤ませていた。その可憐な容姿は、随分と庇護欲をそそるものだ。抜けるように白い肌で、その頬が薔薇色であったならばさぞや、と思う愛らしい顔立ちではあったが、今は顔色悪く立っているのがやっとと言わんばかりに小刻みに震えていた。


「ひとまず、場所を変えていただけないかしら」


ベルは抱き合っている二人を一瞥すると、その傍でオロオロしているだけの侍従の男性に声を掛けた。彼はベルの冷たい視線を受けて姿勢を正して、慌てて走り去った。それを合図にしたように、複数の使用人達が集まって来る。皆、同じような若者ばかりで、率先して動けるようなベテランと思われる使用人の姿が見えないことに、レンドルフは奇妙な違和感を覚えた。


「それから、貴女」

「は、はい…」

「貴女も同席してちょうだい」


そうベルに声を掛けられた金髪の女性は、ひどく怯えたようにエイディスの陰に隠れた。レンドルフはベルを背にするように立っているので彼女の表情は分からないが、ベルが小さく舌打ちをしたのを耳が拾ってしまった。淑女にしてはあるまじき行為ではあるが、多分聞こえているのはレンドルフだけだと思って敢えてそこは触れないでおこうとこっそりと誓った。


「あ、あの、彼女は」

「休ませたいと言うのなら、この方の寝室でお話を伺ってもよろしいのよ?」

「あ…、いえ、その…」


先程からレンドルフは背中から妙に圧力を感じていた。表情を見なくてもきっとベルは優雅に微笑んでいるのだろう。しかしこの圧は、レンドルフの母が本気怒っているときと同じものだと、レンドルフは本能的に理解した。


「貴女、お名前は?」

「わ、わたくしは、リリエ・トーリェと申しますぅ…」

「待っ…」


ベルの圧に押されて、女性は名前を名乗った。隣にいたエイディスが慌てて止めようとしたが既に遅く、彼の顔は白いを通り越して青くなっていた。


「まあ、随分お若く見えるのねえ。ねえ、モノ様。貴方のお姉様にはとても見えませんわ」

「…ええ、そうですね。しばらくお目にかからない間に、随分お変わりになりましたね、姉上。まるで初対面のようです」


静かにモノが答えたので、モノの姉を名乗った女性もようやく自分の失言に気が付いたようだった。目の前の女性は顔立ちが幼いせいなのか、どうみてもモノの姉には見えない。むしろ少女のようで、成人しているのかも訝しく思えてしまう程だった。


「エディ兄さまぁ…」

「大丈夫だよ」


寄り添っている二人が小さく呟いたが、レンドルフの耳はそれをしっかりと拾っていた。彼女がエイディスのことを「兄さま」と呼んでいたので、兄妹だろうか、と思って二人を眺めた。確かに髪色も目の色もよく似ているし、人形のように整った顔立ちなので似ていると言われればそうかもしれない。しかし、前情報ではエイディスには妹はいたが、夭逝している筈だ。


ここに来る前に、レンドルフも一応モノの義兄にあたるエイディスの情報は頭に入れて来た。モノの姉が当主になる為に嫁げなくなった元婚約者の侯爵が婿に推薦したという縁戚に当たる子爵家の次男で、そこは少々複雑な家だった。



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エイディスの父親には双子の兄がいて、兄の方が子爵家を継いでいた。とても良く似た兄弟で、どちらも見目が良かったので若い頃から非常にモテていたらしい。やがて兄は家を継ぐ為に政略で妻を迎え、弟のエイディスの父は平民の愛する女性と共にいる為に家を出たそうだ。

しかし事故で父親が急逝した為に、当主の伯父がエイディスと母親を引き取ることになった。伯父の方にも二人の妻と愛妾がいて、従兄弟になる子供は当時既に四人いた。ただ家を出た弟の愛した妻と忘れ形見の後見として引き取ったというならば、それほど珍しい話ではない。しかし引き取られた先は子爵家の本邸で、与えられた部屋も当主の伯父の私室の側という明らかな特別扱いだった。

引き取られてしばらくしてから分かったことだが、エイディスの母はかつて伯父と恋人関係にあった。そして調べてみると、伯父と付き合っていた時期と、弟の長男(エイディス)を妊娠した時期が微妙に重なっていたのだ。念の為、どちらの子供か調べようとしたのだが、髪色や目の色、魔力属性に魔力量もほぼ同じというよく似た双子の兄弟だった故に結局どちらとも判別が付かなかった。


本来ならばエイディスは戸籍上は弟の長男、つまり当主の甥として子爵家の相続や財産には関係ないものとして扱えばそれで済むことだった。しかし当主の伯父は、政略で婚姻した第一夫人も第二夫人も全く愛していなかった。だからこそ愛妾を持っていたのではあるが、その愛妾を選んだ基準がかつての恋人だった弟の妻、エイディスの母に似ていたという理由だったのだ。そのかつて愛した人が自分の子を産んだかもしれないという可能性に、彼はすっかり舞い上がった。そしてあちこちに手を回して強引な手段で弟の妻を第三夫人に、そしてエイディスは出生から遡って正式に自分の次男に据えてしまったのだった。


だが、それを是としなかったのは二人の妻だった。

普段から当主の愛情を得ようといがみ合っていた二人が結託して、エイディスと母親を苛め抜いた。それも互いに協力し合うことで、一切当主に分からないように実に巧みに行われた。結果的にエイディスの母は、あっという間に心身を病んでしまった。父の死後に忘れ形見を懐妊していることが分かっていたが、そんな状況下で子供も無事に育つ筈もなく、産み月よりも大幅に遅かったにも関わらず小さく産まれた妹は産声も上げることなく儚くなってしまった。そしてその翌日、後を追うように母も亡くなった。

それを悲しんだ当主は、ますます母によく似ていたエイディスに跡を継がせようと頑なになり、大した証拠もないのに第三夫人と娘を死に追いやったのは妻二人と彼女達の子供だと言い張るようになった。それに比例して妻達のエイディスへの攻撃も苛烈になって行った。

彼がいよいよ生命の危機を感じるようになって来た頃、縁戚の侯爵家当主から、長年婚約を結んでいたが家の都合で婚約を解消し女伯爵となった相手に推薦するので婿にならないか、という打診が来た。子爵当主は、自分の後継よりも旧家で歴史のある格上の伯爵家の婿ならばと、手の平を返したように自分の息子を推薦し出した妻達を嘲笑うようにエイディスを婿に決めた。


そこに、エイディスの意思は一切入らなかった。貴族とは政略でも血を残すことが義務なのだ、と政略で娶った妻達を疎ましく思っている当主は自身の矛盾を顧みることなく、エイディスを伯爵家の婿に送り出したのだった。



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先程出て行った侍従が「準備が整いました」と戻って来たので、全員が応接室だった部屋を後にした。

扉の外に出ると、焦げ臭い匂いが鼻をつく。白い壁や、廊下の緑色の絨毯にも炎が這い回った跡が残されており、使用人達がどうにか消し止めた形跡が分かった。


「あの…やはり彼女は…」

「私から離れるとまた暴走するわよ」

「え…?」

「その指輪。今は私が一時的に封じてるの。分からない?」


彼女を抱きかかえるようにしていたエイディスがどうにかこの場から離そうとベルに許可を取ろうとしたが、冷たく言い放たれて口を噤む。ベルの口調は貴族らしさが無くなっていたが、それにも気付いていないようだった。ベルが指し示した先には、彼女の華奢な右手の小指に嵌まっている指輪があった。モノがしていた時とは大分サイズが違うものの、金属のような陶器のようなツルリとした質感の指輪は同じもののように見えた。


おそらく指輪に選ばれてしまった彼女は、動揺のあまり魔力が不安定になって指輪が有している火魔法を暴走させたのだろう。元があまり強い魔力を持っていなかったためにこの程度で済んだが、一歩間違えば屋敷が吹き飛んでいたかもしれない。


彼女は火魔法を発動させながらエイディスのいる場所を目指したらしく、焦げた跡は屋敷の奥へと続いていた。その焦げた跡とは反対方向に案内される。廊下を曲がる前に一瞬だけモノが足を止めて、その奥の方を見つめていた。大抵の貴族の屋敷は似通った造りになっているので、レンドルフはあのモノが見つめた先にはおそらく当主やその家族が過ごす私室がある筈だと悟った。いくら自由の利かない身であったとしても、物心ついた頃から過ごしている屋敷だ。色々と思うところはあるのだろう。



案内されたのは、当主の執務室の隣にある休憩室のような部屋だった。色々と領政に関わる重要書類もあるので他者を入れるのは得策ではないだろうが、他に選択肢がなかったようだ。当主の休む場所なので、狭いがそれなりに質の良い家具が揃っている。椅子の数が足りないので、ひとまずエイディスと金髪の女性が置いてあったソファに、その正面に執務室から運んだ当主の椅子にベルが座ることになった。通常ならば護衛のレンドルフはともかく人数分の椅子を運び込んで「準備が出来た」と案内すべきなのだろうが、先程の小火騒ぎで気を回す者がいなかったらしい。顔色を悪くした侍従が椅子を探して来ると慌てて言ったが、モノは「立っているのは慣れていますので」と断ってレンドルフの隣に立つことにした。むしろ大柄な二人が立っていると余計に威圧感を与えるのだが、そこはあちら側の手落ちなので我慢してもらうしかない。


「そちらのお嬢さんは、お辛いようでしたらそこで横になりましたら?」

「いえ…」

「そう」


休憩室なので、部屋の隅には仮眠用の簡易ベッドも置いてある。ベルがそれを勧めても彼女は固い表情のままエイディスから離れようとしなかった。ベルもそれ以上は勧めず、軽く溜息を吐いてパサリと顔の前で扇子を広げた。その僅かな音にも、女性はビクリと肩を震わせてエイディスの肩に顔を埋めるようにしがみつく。


「面倒だから、単刀直入に聞くわ。そのお嬢さんは、誰?」

「わた…」

「僕に任せて」


ベルが貴族の言動をかなぐり捨てて、背もたれに思い切り体を預けて足を組んだ。ベルは小柄な方だが、そうするとソファに座っている二人を見下ろすような恰好になる。もうベルは先程のような笑顔を貼り付けることを止め、眉間に皺を寄せて不快感を隠さない表情になっていた。それに女性の方が答えようと口を開きかけたが、エイディスが彼女には蕩けるような笑顔を向けて、そっと唇を指で押さえた。


「妻、と言えば信じていただけますか」

「モノくーん。この方、お姉様かしら?」

「いいえ。初めてお会いする方です」

「ですって。で、私は何回同じ質問すればいいのかしら?」


エイディスの物言いに、ベルが少し苛立ったような声を出した。その感情そのままに、一度広げた扇子を手の平で少々強く叩き付けるようにして閉じる。


「では、愛人を迎えたということでいいのかしらね」

「それは…違います」

「まさか、妹とは言わないでしょうね」

「違います」


ベルの前に座っている女性は、胸の下で切り替えのあるふんわりとした部屋着と思われるドレスを着ていたのだが、こうして座ると華奢な手足に比べて腹部がせり出して見える。ベルも先程彼女が「兄さま」と口走っていたことを耳にしていたので、全く温度を感じさせない視線を向けてエイディスに尋ねた。しかしエイディスは即座に否定する。


「その…従妹です…」

「ああ、ベアトリーチェ嬢ですか。」

「っ!?そ、それは…!」

「いいわ、答えなくて。どうせ色々と誓約魔法でも掛かっているんでしょう。そのお嬢さんの体に負担が掛かるのは見たいものじゃないわ」

「……」


エイディスは否定も肯定もせず、ただ黙って俯いた。しがみついている女性の腕が、明らかに力を込めたので、答えなくても正解なのだろうとベルは判断した。

誓約魔法は色々な条件付けが可能だが、中には誓約を破ろうとすると体に痛みが走る罰則が設定されていることもある。おそらく妊娠しているであろう彼女が苦しむ姿は見たいものではない。



エイディスの隣にいる女性が子爵の愛妾の娘ベアトリーチェであるならば、血縁上は彼の従妹なのは間違いない。もっとも、当主が強引にエイディスを実子として引き取っているので、戸籍上は異母兄妹にはなるのだが。

色々なことを想定して、ベルは念の為エイディスの周辺も調べてもらっていたのだ。彼の伯父の子爵当主には、二人の妻の間に四人の息子がいる。娘は愛妾のと間に産まれたベアトリーチェという令嬢だけだった。

髪や目の色、どこか顔立ちまで似ているのは、それぞれの父親がよく似た双子であったし、伯父の子爵は弟の妻に執着していた為に、似た外見の愛妾を囲っているという話も知っていた。この従兄妹同士が似てしまうのは仕方ないだろう。


「半年程前、ずっと独身を貫いていた侯爵家当主が、ようやく妻を迎えたという話がありましたね」


ベルが更に続けたが、彼らは石のように固まって沈黙したままだった。ほんの少しだけ言葉を切って様子を見たが、何の反応も期待出来なかったのでベルは言葉を続けた。


「下位貴族の妾腹の令嬢で、今年成人になったばかりだそうで。身分差だとか、親子よりも歳の離れた若い娘を娶ったとか色々と言われたそうですが、ようやく妻を迎える気になったのだから、と概ね周辺は目を瞑ったとか。大方金か権力で黙らせたんでしょうけれど」



その侯爵は、顔に生まれつき火傷のような痣があることからずっと女性には避けられていたのだが、唯一彼の内面を見てくれた美しい令嬢と婚約を交わしていた。彼女の成人を待って結婚する予定だったが、家の事情で婚約を解消せざるを得なくなり、彼はそれ以降持ち込まれる縁談には目もくれずに独り身を続けていた。周囲もとうに適齢期も過ぎた侯爵の縁談に見切りを付けて、養子を勧める方向になっていた。

しかし、半年程前に運命の出会いで年若い令嬢と恋に落ちたという話が社交界を騒がせた。その令嬢も侯爵の求婚を受け、婚約期間もなくすぐに結婚したそうだ。彼はその若い妻を大切にし、領地で片時も離さずに傍に置いているらしい。その徹底ぶりは、妻の世話をする専属メイド以外の接触を禁じて、侯爵が自ら妻の世話の大半をしているという噂だ。


「あちらの奥様は、今年成人したとは思えない程に()()()()いらっしゃるのかしらね」



ベルの言葉が途切れると、やけに部屋の中の時計の秒針を刻む音が大きく聞こえた。ベルは言うべきことだけ言うと、そのまま辛抱強く彼らの言葉を待った。ひどく重い沈黙が暫し部屋の中を支配する。時間にすれば僅かだったかもしれないが、この部屋にいる者達には永遠とも言えるくらい長い沈黙の後、エイディスが長い嘆息を吐いた。


「…お察しの通りです」

「エディ兄さま…」


エイディスは、多少誓約魔法で言えない部分もあったが、概ねベルの告げたことで間違いないことを白状した。



真相に迫って来るとベルの独壇場になりました。主役が空気がちょっと続きます。


少々近親婚を思わせるような話になっていますが、実際は全く違う設定です。流れ的にそのエピソードが入らさそうなので補足。


ベアトリーチェの母の愛妾は、実は第一夫人が用意したビジネス愛妾です。当主が初恋の女性(エイディスの母)に執着して似たような女性ばかりにちょっかいを出すので、あちこちで婚外子を作られては堪らないと、ビジネスとして割り切れる女性を愛妾になるように仕向けたのです。子爵は知りません。

そして妻達は、それぞれ二人ずつ息子がいるのでこれ以上増やすのは得策ではないと、当主にこっそりと酒に避妊薬を混ぜて飲ませています。


しかしやっと手に入れた初恋の女性を亡くし、代わりに愛妾にしつこくつきまとった為に、妊娠したフリをして自分と似たタイプの赤子を孤児院から引き取って娘にすることで子爵のつきまといは落ち着いています。なので、ベアトリーチェには子爵家の血は一滴も入っていません。妻達は了承していますが、エイディスは従妹だと思っています。が、実際は赤の他人だったりするのです。

ちなみにビジネス愛妾には、理解のある伴侶がいて、当主が通って来る度に天井から眠り薬を垂らして対処しています。

あれ?子爵当主、かなり鈍い…?

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