200.念願の解放
お読みいただきありがとうございます!
なんと200話目です。閑話を入れたらトータルはとっくに過ぎていますが。読んでくださる方が少しずつ増えていること、反応をいただくことが原動力になってここまで続きました。感謝です。
この物語は、長くなっても書きたいことを全部入れて行くスタイルで進めております。この先もお付き合いいただければ幸いです。
「先にいただきました書簡ですと、ミスリル伯爵家と義弟の縁組みと…その、義弟のトーリェ家からの除籍を希望なさっている、と?」
「ええ。どうしてもモノ様にはわたくしと家庭を築いていただきたいと思っておりますの」
「縁組みは良きことだと思ってはおりますが…その、除籍までと言うと」
「ご当主代理様は、ミスリル伯爵家のことはどこまでご存知かしら」
ミスリル伯爵家は、前当主が婚姻直後に事故で亡くなっている。その後不幸中の幸いにも嫁いだばかりの妻の懐妊が分かり、産まれた子息が伯爵家の後継に決まっている。しかしまだ未成年であるため、未亡人が当主代理として伯爵家を支えていることは知られている。ただ彼女は大変恋多き奔放な質で、当主代理をする代わりに後継の息子の座を脅かさないという条件で好きな相手と再婚も許されているのだ。そしてその条件さえ守ればいいと、彼女は再婚と離婚を繰り返す回数は二桁を越えている。熱しやすく冷めやすい彼女は、「全て相手に染まりたい」と再婚の度に相手の好みに合わせて完全に外見を変えることで有名だ。
勿論それは表向きの理由で、もともとミスリル家は裏でワケアリの人間の戸籍を作り替えて国に貢献することを条件に救い出すことを昔からの生業としていた家門なのだ。ミスリル家では彼女の名誉と引き換えに息子の安全と将来を保証する盟約を交わしていて、彼女が最も派手に喧伝して立ち回ることで他の同門の一族から世間の目を逸らす役割を負っている。彼女の行動に目を奪われがちで、密かに他の一族も一様に婚姻歴と離婚歴が多いことが誤摩化されているのだ。
「その、既に伯爵家の後継は決まっていて、夫人はご子息の成人までの当主代理を務められていらっしゃると伺っております」
「その通りですわ。ですから、伯爵家からは再婚相手との余計な縁を繋ぐことを禁じられておりますのよ。我が家の息子に、縁戚だからと強引に縁談などを持ち込まれては困る、ということです」
「トーリェ家はそのようなつもりは…」
「義兄上」
彼女の伯爵家の本家にあたるミスリル侯爵家は、多数の優秀な寄子を擁していることで有名だ。下位の男爵家であっても、国内有数の商会と繋がりがあるなど、僅かでも繋がりを持ちたいと思えるような有能な家門ばかりである。ミスリル伯爵家も領地こそないが外戚に他国の王族がいる為、旨味としては十分なものだ。エイディスはそのつもりはないと口では言いつつも、どこかで繋がりを持てることを期待していた。その思惑を完全に見透かされて先制されたような彼女の物言いに、笑みを顔に貼り付けながらも内心歯がみしていた。
そこに、モノの静かな声と同時に、一枚の書類が目の前に差し出された。
「ベル…ルベルティーナ様とどうしても一緒になりたかったので、その覚悟を示しました」
「これは…お前!?まさか、そんな…」
モノが差し出したのは、彼が断種の処置を済ませたという診断証明書だった。そこには王城所属の主治医のサインも入っている。エイディスはそれを手に取って、何度も目を滑らせている。動揺のあまり、力を込めた指の辺りに皺が寄ってしまっていた。
その様子を、モノは緊張の面持ちでジッと見つめていた。膝の上で握った手が微かに震えている。ベルはそれを見て、そっとモノの手に自分のふくよかな手を重ねて優しく撫でた。
モノの差し出した書類は確かに本物だ。本物故に、専門的な言葉で書かれた文章の中の小さな文字で「再生処置可能」の一節も記載されている。エイディスは医療関係に明るいとは聞いたことがないし、一度断種処置をしても、再度処置をすれば元に戻れるということは知らない筈である。そしてその動揺に付け込んで、その一節に気付かなければモノの除籍の可能性は高くなる。モノは、心からエイディスが気付かないように必死に祈っていたのだった。
「こ、このようにまだ若い青年に、こんな酷いことを強要するのが伯爵家の意向ですか!」
「違います!私は自身の判断で、進んで処置を実行したのです」
「そ、そんなこと、信じられるか!」
「本当です!」
このままでは書類を破られそうなほど激昂しているエイディスから強引に奪い返し、モノはバン!とテーブルの上に手を叩き付けた。テーブルの上に乗ったティーカップがガチャリと派手な音を立てる。
「私は、この方と一緒にいたかった!それが叶うなら、こんなことくらいどうと言うことではないのです!!」
「こんなのは、偽物だ!」
すっかり取り乱したエイディスは、懐のポケットからカードのようなものを取り出して書類の上に翳す。レンドルフはそれを見て、ギルドカードに設定されている簡易嘘発見機に似ているな、と思っていた。エイディスが翳したカードは、いくら書類の上を通過させても全く反応がなかった。ギルドカードと同じであるなら、何か嘘があればカードが光る筈だ。
書類が偽造されていないことが分かったのか、エイディスの顔色が明らかに悪くなる。
「まだお若いモノ様が、わたくしとは年齢差もある上に、爵位も地位も差し上げられませんのに一緒になりたいと本気で思ってくださるとは最初は信じられませんでしたの。ですから一度はお別れを決めたのですが、自ら断種をしてまで一緒にいたいと申し出られて…わたくしもそのお心に真摯に応えたいと考えておりますのよ」
ベルは固い表情のままのモノの腕に自分の腕を絡め、空いている方の手でそっと彼の側頭部辺りの髪を梳くように撫でた。その様子を後ろから眺めているレンドルフには、二人の姿が本当の母子のように見えた。ベルが以前に、出生国はオベリス王国よりも遥かに婚姻年齢が低い為に、ベルやオルトの年齢でもモノくらいの子供だけでなく孫が居てもおかしくないという話は聞いていた。オベリス王国で生まれ育ったレンドルフの感覚からすると、ベルとオルトの年齢だとモノは少し歳の離れた兄姉くらいに見えてしまう。しかし今、目の前でモノの頭を撫でているベルの姿は、姉弟には見えない。きっとレンドルフが内情を知らなかったとしても、入り込めない強い絆のようなものが彼らの間には確かに存在していると感じただろう。
「わたくしの家族は今は二人ですが、モノ様と三人になれたらどんなに幸せでしょうね」
「…ルベルティーナ様、ありがとうございます」
護衛に徹して一切動揺をしないように堪えていたレンドルフだったが、さすがに慣れていると言っていただけあってベルの言葉選びの技術に感心しきりだった。モノは伯爵未亡人の婿養子に一旦入るが、その後はベルとオルトの夫妻の養子になる予定だ。それを上手く誤解されることを前提に「家族になる」「一緒になる」という表現を使っている。誤解を招くかもしれないが、嘘は言っていないスレスレの表現だ。しかも「家族二人」というのは、伯爵未亡人ならば息子のことだと思われるだろうが、ベルからすれば夫のオルトのことだ。嘘ではない。
「しかし除籍までとは…」
「申し訳ございませんが、我が家ではそのように定められておりまして、例外はないのですわ。もしこのままご実家と縁を繋いだままと仰るなら…モノ様の覚悟にはわたくしも応えられないということになりますわね。そうなりますと、モノ様は今後はトーリェ領に留まるということに…」
「え!?そ、それは…」
「義兄上…お願い致します!」
深々と頭を下げるモノを見ても尚も渋る様子のエイディスだったが、長い沈黙の後に深い溜息を漏らした。
「…仕方ありませんね。もう断種の処置までしてしまっては、取り返しがつきませんし。それに近いうちにモノには後継から外すことを知らせる予定でした。それが少々早まっただけと、思うことにします」
エイディスは顔を上げて、作り物めいた美しい笑みを顔に浮かべた。本当はモノを婿養子に迎える伯爵家と縁を繋ぎたかったのだろうが、これ以上粘ってベルの反感を買うことを良しとしなかったようだ。
それに先日、王家より呪いの指輪はトーリェ家で影響が出ないように管理をするように通達がされている。指輪が外れたことを知らないエイディスは、このままこの縁談が無くなってしまうとモノ自身も呪いの指輪もトーリェ家で引き取らざるを得なくなる。そちらの方が不利益だと悟ったらしい。
「後継から、外す、とは」
「本当はもっと落ち着いてから言うつもりだったが…君も薄々予測していただろう?リリエが、君の姉上が懐妊した」
「姉上が…」
「ああ。その、言いにくいが君と妻とは色々とあった間柄だろう?やっと授かった子供だし、彼女も初産だ。だから申し訳ないが、君とは顔を合わせない方がいいと思うのだよ。分かるだろう?」
「はい。姉上には、折りを見ておめでとうとお伝えください」
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エイディスは、一度決めたら行動は早かった。すぐに魔道具で使用人を呼び寄せると、サインをする為の道具と当主の印章を持って来るように申し付けた。その間にモノが彼に提示した婚姻届と除籍の許可証を魔道具で確認し、偽装ではないことを確認する。
「エイディス・トーリェ様」
既にモノは記名を済ませていて、あとはトーリェ家の側の名を記入するだけになっていた書類にエイディスが書き込もうとした瞬間、ベルが静かに声を掛けた。その声は全く感情も熱もないひどく無機質なもので、エイディスも思わず動きを止めていた。
「このままモノ様が後継を外れれば、次代がモノ様が所有している指輪を受け継ぐことになりますが、よろしいのですか?」
「あ…ああ、大丈夫ですよ。策は既に立てています」
一瞬鼻白んだような表情になったが、エイディスは満面の笑みで答えた。彼がどこまで呪いの指輪の性質を理解しているかは不明だが、ベルからすると妊娠中の妻やこれから産まれる子供に対して随分軽々しく考えているような気がしてならない。ベルは屋敷の中に結界の気配はないかもう一度丁寧に探ってみたが、やはりどこにも感じられない。領内の全ての要所に設置出来る程の量は送った筈だが、妻と子を守る為に全てを屋敷に置いたというのなら領民に対する振る舞いではないが、辛うじて心情的に理解出来なくもない。しかしそれを使用している気配はなく、送った筈の魔道具はどうしたのか。
全く策を立てているようには思えないのにあまりにも堂々としたエイディスの返答に、ほんの僅かにベルの口角が下がる。しかしすぐに扇子で隠してしまったので、エイディスには見えなかったようだった。
「左様でございますか。申し訳ございません、お手を止めてしまいましたわ」
「いいえ。ご夫人も義弟の指輪のことをご存知でしたか」
「ええ。大切な人のことですから」
「我々はこれで義弟とは他人になりますが、ご家族になる夫人にはご苦労をおかけしますことをお詫び申し上げます」
「わたくしはモノ様と一緒になれる幸せ以外は感じていないのですけれど。ご当主代理様がそう仰るのでしたら謝罪は受け取りますわ」
エイディスは一旦止めた手を動かして再び署名をする。まずは婚姻届の承諾に記名をして当主の印章を押すと、次の瞬間には書類は一瞬で消え去っていた。これには驚いたのか、彼も目を丸くした。
「こちらはどんな遠くに居てもすぐに手続きが可能なように、全て恙無く揃った時点で王都の中央管理室に転移する付与が掛けられておりますのよ。うふふ、便利でしょう?」
王都の中央管理室は、この国に属する全ての者の戸籍などが集まっている場所だ。戸籍だけでなく、産まれた家や両親、爵位、魔法属性や魔力量なども記録されている。もし犯罪歴などもあればここに詳細が記録される。その詳細を閲覧するには幾人もの許可と厳重な審査が必要で、当人ですら簡単に全てを見ることが出来ないようになっている。
通常は各地にある役所に提出をしてそこから中央管理室に送付するか、直接取り寄せて有料で返信用の伝書鳥を同封してもらうかが一般的だ。しかしそれだと正式な手続きまでに数日掛かることや、完全に安全とは言えない為、多少高額になるが直接書類だけ転移させて即手続きが完了するものが開発されたのだ。これならば人の手を介することが最低限になる為に、政治的な意味が高い婚姻などの場合は役人が買収されて手続きが滞る危険が減らせる。
あまりにも周到な書類の準備に、多少不信感を持ったのかエイディスは除籍の手続きの書類にもう一度魔道具を翳していた。しかし何度試したところで、書類は本物なので魔道具は反応しない。まさか目の前に居る夫人が伯爵家には縁もゆかりもない一番の偽装だとは夢にも思っていないようだ。
エイディスが用心をしながら記名をし、更に何度も書類を読み込んでから恐る恐る印章を押す。紙から印章を離すと同時に、テーブルの上に乗せられた書類が同じように消失する。これで問題なくモノはトーリェ家から縁を切れたことになった。エイディスは、ハッキリとしないが何かを感じているのか、まるで石でも飲み込んだような不快な表情をしていた。
「あ…」
不意にモノが声を上げた。そして左手を目の前に翳すと、親指に嵌まっていた指輪が生き物のようにウネリと動いて、溶けるように消えてしまった。
「なっ…!?消えた、だと!」
エイディスも目の前でそれを目撃した為、思わずソファから立ち上がりかけた。モノは日焼け痕の残る自分の手を見詰めて、ホウ…と息を漏らした。今まで意識はしていなかったが、全身に絡み付いていたナニかが自分から離れたのをはっきりと感じた。実際に縛られていた訳ではないが、解放感という言葉が一番モノの中でしっくり来ていた。
その感覚に感動を覚えていると、突然音も無く後ろに控えていたレンドルフがベルの斜め前に進み出て、腰に下げている剣に手を掛けた。鞘を払ってはいないが、いつでも抜けるような構えだ。レンドルフの表情は特に険しくはなっていないが、周囲の空気がチリリと緊張を孕む。
「微かですが、悲鳴のような声が聞こえました。ご注意ください」
「悲鳴?」
レンドルフは振り返らずに出入口の閉じた扉に顔を向けている。身体強化を掛けてずっと気配を探りながら控えていたのだが、モノの指輪が消えた直後に遠くから女性の悲鳴を捉えたのだ。レンドルフも、あの指輪がトーリェ家という「家」に紐付いていることは知らされている。モノが除籍となって完全に「家」からの縁が切れた為、あの指輪は新たなトーリェ家の者の元に向かったことが考えられた。と言うことは、あの悲鳴はモノの姉かもしれない。
聴覚を強化して、レンドルフは扉の向こうの気配を探る。少しずつではあるが、何やら混乱しているようなざわめきが聞こえて来る。どうやら襲撃者などが来たような気配ではないと悟ると、緊張感は緩めないままもレンドルフは剣から手を放した。しかし立ち位置は、何かあった場合にベルを真っ先に守れる場所から動かないでいた。
やがて、強化をしていなくても分かる程の人の声が部屋の中にも聞こえて来た。何を言っているかははっきり聞き取れないが、エイディスを呼ぶ女性の声がした。そしてそれを留めているような複数の声がするので、これは使用人達が宥めているような印象だ。
しばし部屋の中は無言のまま様子を伺っていたが、扉を外から叩く音が聞こえて来た。
「失礼致します」
エイディスは立ち上がって扉を少しだけ開けた。彼の体に遮られてはっきりと見えなかったが、レンドルフからはエイディスの肩越しにエイディスと大差ないくらいの年代の侍従らしき姿がチラリと確認出来た。話している内容を聞かれないように防音の魔道具を起動させているらしく、口の動きが見えればある程度は会話の内容が分かるレンドルフにも、その内容は分からなかった。ただ、その侍従らしき男の眉が下がっているのはハッキリと見えたので、何かトラブルでもあったのだろうと予測が付いた。
「旦那様ぁ!」
隙間の開いた扉の向こうから甲高い女性の声が聞こえたかと思うと、扉を弾き飛ばすような勢いで炎が渦を巻いて床の絨毯を燃やしながら部屋の中に飛び込んで来た。
「水流壁!」
炎が意思を持ったかのように床を焦がして部屋の中でのたうち回ったので、レンドルフは今度は迷わず剣を抜いて、自身の水魔法を充填しておいた魔石を嵌め込んだ剣を床に突き立て、中位の魔法を行使した。普段は水魔法は下位のものくらいしか使えないが、魔石の魔力を上乗せすれば一度くらいは使用出来る。剣の柄に嵌めておいた魔石の一つが一度で砕けた。その突き立てた剣を中心にして水色の光が床を走り、その光から部屋の天井まで到達するような水柱が吹き上がる。そして波のように弧を描いて、炎を打ち消すように覆い尽くした。
炎に勢いはあったものの、そこまで火力が強力ではなかったおかげでその水で完全に消し止めらた。焼け焦げた絨毯からジクジクと黒い煙が燻り、部屋の中は熱せられた水が床に広がって一瞬にして不快な程に湿度が上がったが、それ以上の延焼は防ぐことが出来たようだ。
「封」
レンドルフのすぐ後ろで、まるで別人のような凛としたベルの声が響くと同時に、何か一瞬目に見えない膜のようなものに包まれた感覚がした。それは一瞬だけのことで、すぐに感覚は元に戻る。
「何これ…急に指に…何なの、これぇ…」
足元が水浸しになってしまったが、レンドルフは気にせずに床から剣を引き抜いて立ち上がる。たっぷりと水を吸った絨毯が力を込めた足の下でグシャリと耳障りな音を立てた。レンドルフは剣を鞘には戻さずに扉の傍にいるエイディスと侍従、そして見知らぬ女性に向けて警戒の為の切っ先を向けた。
「さて、ご説明いただきましょうか、エイディス・トーリェ様?」
半分泣き顔をしてエイディスに縋っている女性と、彼の顔を交互に眺めながら、ベルはにっこりと笑いながらも凍り付くような冷たい声で言い放ったのだった。