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199.貴族の応酬

7/7 モノの義兄の名前をエドワルド→エイディスに変更しました。内容の変更はありません。


トーリェ領に入る際、領境に設置されている関所で身分証を見せたところ、モノに対してはあからさまに顔を顰めた役人にオルトが食って掛かりかけた以外はすんなりと入ることが出来た。

モノに聞いてみたが、その役人には全く面識がないらしい。急遽騎士服から馭者の服を借りて着替えたショーキが持ち前の愛想の良さで周囲からさり気なく話を聞いたところ、領主の弟は素行が悪く矯正させる為の施設に入れた、と領民達の間で噂されていたことが分かった。そのモノが戻って来たので、役人はあまりいい顔をしなかったらしい。それを聞いたオルトがこめかみに青筋を立てて再び引き返して殴り込みに行きそうだったので、仕方なくレンドルフが小脇に抱え込むように引きずって進んだ。


「ここ数年、領主様の伴侶、つまりはモノの義兄(あに)上のエイディス様の評判は上々ですね。結構あちこちに顔出して領民の話を聞いて回ってるみたいで。何せ顔が良いですから。先代が無茶苦茶だったのもあってか、何もしなくても人気は取れますよ。あの程度の領政でよく借金返せましたよ」


情報を集めて来たショーキは、今の領主の婿、つまりモノの義兄エイディスに対しての評価が良いことには少々不服げだった。モノの姉の女伯爵は見目は美しいが性格がキツく、年々その性格が顔にも滲み出るようになって美しさに翳りが見られるようになって来た為、エイディスとは逆に周囲は遠巻きにしていて領民からの評判も良くない。最初は押さえていたようだが、そのうち領民の前でも夫に当たり散らすようになってからはますます領民は義兄寄りになって、近頃では領主の屋敷に引きこもって姿を見ていないらしい。


「みんなモノのことロクにしらないクセに、好き勝手言ってるんですよ!」

「ショーキ、落ち着け」

「ですけど隊長!」

「ありがとうございます、ショーキさん」


仲間のモノが貶められて、替わりに大した施策もしていないのにエイディスが絶賛されていることが腹立たしいと、騎士団の調査隊の為に用意された簡素な宿泊施設に戻るなりプリプリと怒っていたのだ。それをオスカーが宥めていると、隣の部屋からモノが現れてペコリと頭を下げた。モノは一応現状は次期トーリェ伯爵候補だ。その為、ショーキ達とは違う、貴族向けの宿を準備されていた。まさかショーキはここにモノがいるとは思っていなかったので、ピシリと固まってしまったが、モノはそんなショーキに笑顔を向ける。


「モノ…」

「大丈夫です。自分も、大体は知ってますから」


呪いの指輪に魅入られてからというもの、モノは殆ど屋敷の外に出たことはなかった。そして成長とともに強くなる魔力のせいで「魔獣狂化」の影響が広がる為、より強固な結界が必要となって行った。本当ならば結界の魔道具の追加や、結界魔法を掛けられる神官などに依頼をして重ね掛けが必要だったのだが、トーリェ家の者はどちらも選択せずにモノの行動範囲を狭くすることで所有している魔道具の数はそのままに結界を厚くする方策を取った。そうしてモノの行動範囲はどんどん狭くなって行き、最終的に王都に追いやられる頃には屋敷の地下しかいる場所が無くなっていた。だから領民の殆どはモノのことを知らないまま、勝手な憶測が定着して行った。モノ自身も使用人達の噂話などで自分の評価は知っていたので、ショーキの聞いた話も既に知っていたのだ。


当主の座を狙った弟が優秀な兄に呪いを掛けようとして失敗し、兄は亡くなったが自分も呪われて当主の座を逃した。更にそれでも当主の座を諦め切れなくて、自分以外の者が当主になると呪われるように仕向けたため、跡を継いだ姉も気が触れてしまったのだ、と。そう使用人が噂をしていたのを何度も耳にしている。

事実は、死を目前にした兄が封印を解いて指輪の「不死」の力を手にしようとしたのだが、その指輪はモノの方に付いてしまった。指輪に魅入られたのはまだモノが10歳にも満たない頃の話だ。そんな幼い子供がどうやってそんな呪いの方法を知り、実行したと思うのだろう。その頃のモノは自分が既に後継となることが決まっているとは知らなかったし、兄が跡を継ぐものだとばかり思っていたのだ。

そして姉の気が触れたと言うのは、当初はモノも責任を感じていたが、姉は変わってしまったと言うよりも本性を表わしただけだったのだと今ならば分かる。伯爵家から格上の侯爵家へ嫁ぐ筈が、借金まみれの伯爵家に縛られた挙句に格下の婿を迎えることが姉には耐えがたかったのだ。姉はいつも婚約者だった侯爵に強請って自分だけ豪奢なドレスや宝石を身に着けて、将来の侯爵夫人と称して贅沢三昧だった。それが後継者教育を詰め込まれ、格下の子爵家出身の婿よりも領民の評価が低い。その鬱屈した状況をもたらしたのがモノのせいだと思い込むのはすぐだった。


幼い頃は兄の死の原因になり、姉の幸せも奪い、領民が魔獣に怯えるのは全て自分の責任だと感じていた。そして領地の屋敷に封じられて狭い世界しか知らなかったモノは、ずっと自分が苦しんで酷い最期を迎えることこそが使命だと思い込んでいたのだ。


だが、今は。



「もう大丈夫なんです。そうやって、怒ってくれるのが嬉しいです」

「モノ…お前、お人好し過ぎだろ」

「ショーキさんに言われたくないですよ」

「…何か、モノ、変わったな」


いつも何処か線を引いて踏み込ませない空気を纏っていたモノが、今はその壁のようなものをあまり感じない。控え目な印象は変わりはないが、肩の力が抜けて自然体になった気がするとショーキは感じ取っていた。


「…きっと、魔獣に喰われたせいっすね。あんなに痛いのに、あれ以上全身噛まれなきゃならないなんて、もうゴメンだと思いました」

「それは誰でもゴメンだよ」

「あと、元気になってからのオルトさんの拳骨と、ベルさんのデコピンも喰らいたくないですねえ」

「痛みに弱くないか?」

「いや、ベルさんのはすごいっす。脳が揺れて、気付いたら意識が飛んで膝を付いてました」

「マジか…」


真顔でモノが言ったので、ショーキは思わず自分の額を押さえてしまった。ちょっと興味はなくもないが、それなら自分以外の人がされているのが見たい。


「モノ、そろそろ領主殿の屋敷に向かうのだろう?」

「はい。必ずや、成功を収めて戻ります」

「気を付けて行けよ〜。上手く行ったら、祝杯上げような」

「はい!」


モノは姿勢を正してオスカーとショーキに深く頭を下げてから、部屋を出て行った。その背中は、いつもよりもずっと頼もしく見えた。



モノは、ずっと長い年月、日も差さないような地下で自分と呪いだけを見つめて来た。兄の絶望的な表情と、全てを諦めた抜け殻のような痩せこけた横顔。美しい顔を壮絶に歪めて当たり散らし、真冬に泥水を掛けて笑う醜悪な姉の形相。他の人に貼り付けたような愛想笑いを向けているのに、自分を一瞥もした記憶がない両親。

そして今回でハッキリと感じた、領民達のトーリェ家への不信感。確かに封印をしてあった呪いを解き放ってしまったのはトーリェ家の責任だ。しかしまだ幼かったモノに責任を転嫁し、当時の年齢も知っていた人間もいるのに今では真しやかにモノが兄を呪い殺したと嘯いている。何人か顔を合わせた親戚も、養子の件は断っておきながらも、モノが完全に縁を切って二度とトーリェ領には戻って来ないと誓約を交わしたら考え直してもいい、とさえ正面から言われた。今は借金もなくなり、旧家の伯爵家という地位は欲しているが、呪いまで受ける気はない。それを全てモノに押し付けて身一つで追放を望むようなものだ。



家が、領民が、全てがモノを要らないと言うのなら。モノは、モノを必要としてくれる人達のところに行くだけだ。呪いと化した指輪も、トーリェ家を守りたいという想いを貫くのならば、モノのことは必要としないだろう。トーリェ家を守りたい者、欲する者があとはどうにかすればいい。


「あら、モノくん、いい顔になったわね」

「そうでしょうか」

「うふふ。ウチの子がいい男に育って嬉しいわ」

「それは…まだ、早いです」

「そう?じゃあ、とっとと決着、つけて来ましょうか」

「はい」


ノルドを繋いだ馬車にレンドルフが護衛兼馭者として準備をしていると、モノにエスコートされてベルがやって来た。会話が聞こえているレンドルフからはいつものやり取りだが、遠くから注目している人々には恋人関係に見えるだろう。幾つかの場所を回って来て、モノが年上の貴族夫人と付き合っていると誤解されるような物言いをわざとして来たのだ。その情報は、事実として既に領主の屋敷の方にも伝わっているだろう。


「一応ね、道中魔獣に遭遇したりしてそれが全部モノくんのせいになるのも嫌だから、少なくとも今回の領内のコースは事前に知らせて、結界の魔道具も十分な程トーリェ家に送りつけてるのよ。それも最新式のうんと高価な奴」


しかし、最初の関所からそれらしい気配は感じられなかったとベルは眉を顰めた。途中立ち寄った分家筆頭の男爵の屋敷もモノを邸内に入れるのを渋り、日当りの良すぎる庭の隅に急ごしらえにしか見えないガゼボに案内されたりもした。しかも応対したのは既に隠居した先々代当主の年老いた男性と、こちらもまた年老いた執事だけで、どう見ても万一魔獣に喰われても若い者達を守ろうと言う気概だけは溢れていた。

本来ならば、本家に送った結界の魔道具を道中立ち寄る箇所に配して置くようにと手紙を添えていた筈だ。しかし、彼らはそんな魔道具をわざわざ送ったことすら知らないようだった。


「伯爵家に全部使ったって言うならまだマシなんだけど…」


結界の魔道具は、呪いの指輪の管理はトーリェ家に戻すものの、領民に被害が及ばないようにと王家からのせめてもの心配りとして用意されたものだ。しかし王家がそこまで一つの領に肩入れすることは公には出来ないので、モノの名義で送ったのだ。それでも一介の騎士には揃えられるような品ではないし、手紙には貴族らしい言い回して王家から下賜されたと分かるように記していた筈だ。


「まあ、自分は呪いから免れられると思って売り払ってもいいとでも思ったのかしらね」


王家から準備されたものを売り払うのはさすがによろしくないが、表向きはモノから送られた品だ。必要がなければ売って領の施策の資金にした、と言っても不敬にはならない。ただ、それが正当なものであるならば、という注釈は付くが。

この魔道具の行方に関しては、オルトが一人で密かに調査に当たっていた。トーリェ領に入ってすぐに役人に対して殴り込みを掛けようとしたのを多くの人間に見られてしまった為、オルトが同行していると周囲の目が痛いのだ。思わず短気に走ったオルトは、防音の魔道具を作動させたベルにみっちりと絞られていた。



「先輩、よろしくお願いします」

「向こうに行ったら口調は気を付けてくれよ。俺は護衛だからな」

「はい」


モノ達が馬車に乗り込んで、レンドルフは領主の屋敷へとノルドを走らせる。これからモノの一世一代のいわば大芝居が始まるのだ。ただその後ろで立っていればいいと言われてはいるが、レンドルフも気を引き締めて、思わずギュッと手綱を握り締めていたのだった。



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「ようこそ、お越しいただきました」

「義兄上、ご無沙汰しております」


トーリェ家の屋敷は、爵位の割に広くはないが古く荘厳な造りで、歴史の重さを感じさせた。だが、よく見ると目に付く場所は手入れがされているが、些細なところには手を回していないように見受けられた。建築当初に存分に手を入れて作られていたのか、多少放置していてもそれが古さ故の良さと見えなくもない。余程良い建築士が作り上げたのだろう。


案内された応接室は、さすがに外部から来る人間を通すだけあって良く手入れされていた。


応対したのはモノの義兄のエイディスだけで、当主である姉の姿は見えなかった。


「リリエ…妻は最近体調を崩しておりましてね。失礼かとは思いましたが、全て私に一任すると申しつかっておりますので」


表情には出してはいなかったが、やはり次期当主の弟が訪ねて来ているのに全く顔を見せないことを不審に思ったのが透けて見えたのだろう。エイディスは所作は丁寧だがどこか慇懃無礼な様子で頭を下げた。やはりその表情に隠し切れない嘲笑が見てとれるせいだろうか。



エイディスは、領民から聞いた通り美しい男性だった。輝くような金髪に、明るい緑色の瞳。それなりに長身で細身の体躯。姿絵にして某国の王子殿下と言って売り出しても納得されそうな外見をしていた。だが、言動の端々に人を見下しているような気配が見てとれる。レンドルフも、多少心情的にモノ寄りな部分があるのは自分でも自覚しているが、それを差し引いてもこの当主代理の態度は褒められたものではないと感じていた。


「初めまして、トーリェ家ご当主代理様。わたくしはルベルティーナ。ミスリル伯爵家当主代理…まあ、ちょうど()()同士ですわね」


美しい淑女の礼を取りながら、ベルは「代理」をやたらを強調した。一瞬だが、エイディスの頬が引きつる。そのやり取りを聞きながら、レンドルフは「確かに嘘を言ってない」とベルの言葉に感心していた。モノと一度婚姻を結ぶ予定の伯爵未亡人は嫁いだ身なので血縁ではなく、先代の血を継ぐ息子が成人するまでの代理という立場だと聞いている。その伯爵未亡人の代理としてベルは来ているのだから正確には「代理の代理」ではあるが、万一確認を求められたときの為にこの婚姻に関しては全て任せるとの委任状はきちんと伯爵家からもらって来ている。


「あら、何か問題でもございまして?」

「い、いえ…お目にかかれて光栄です。数年前、王城の夜会で拝見したときとは随分印象がお変わりになられたので、少々驚いてしまいまして」

「嫌ですわ。お相手が変われば身に纏うドレスも、宝飾品も合わせて変わるものでしょう?わたくしは、身も心もお相手の好みに合わせたいのですわ」

「はあ…」


コロコロと笑いながら、ベルはしなだれかかるようにモノの腕を取った。いつも平民の姉や母親のように躊躇いなく接するベルに慣れているのか、モノも今更ながら動揺は見られない。それが異性とは恋人や伴侶以外とあまり接触しない貴族からすると、婚姻予定という話が現実味を帯びて見えるのかもしれない。


「ま、まあ、義弟がそういう趣味なのでしたら…」


ベルはドレスも所作も完璧な貴族なのだが、ほっそりと華奢なことが好まれる傾向にある貴族にしては少々肉付きが良い。その為、普段以上にコルセットでギチギチに固めてあるので絞めた分他に回ったボリュームがすごいのだ。同性の侍女でさえも、そんなつもりはなくても思わず目が向いてしまうと言っていた。当人も鏡を見てケラケラ笑いながら「三回ジャンプしたら零れるわ〜」と言って、オルトと侍女達に怒られていた。更に、怪我をしているという片目を隠すためにレースの眼帯をしているので、エイディスにとっては義弟の趣味は測りかねるようだ。


「あの…護衛は…」


エイディスはそのままソファに腰を降ろしたモノとベルの背後に付いて動こうとしないレンドルフに、一瞬だけ剣呑な目を向けた。もしかしたら無意識だったのかもしれないが、これ以上は居て欲しくなさそうな態度がありありと伝わった。しかしベルがそれを敢えて読み取る気はなかったようで、扇子で口元を軽く隠して目線だけで逆にエイディスを牽制した。そしてほんの微かであったが、相手に確実に聞こえるように短い嘆息を漏らす。


「こちら、随分と開放的なお屋敷ですのね」

「お、恐れ入ります…」

「わたくし、魔力量が通常の方よりも多いものですから。馬車でモノ様と一緒にいられたのはそれは素敵な時間でしたけど、ずっと結界を張られた状態ではやはり少し窮屈でしたの」


婚姻や除籍の許可には通常ならば護衛は立ち合わなくてもいいかもしれないが、モノが所有している呪いの指輪は魔獣を引き寄せることがある。モノが領地を訪れる前に用心として結界の魔道具を送っていたのだが、どこに行ってもそれに対処はされていなかった。そしてこの屋敷にも結界を施されている気配はない。ベルはそれが分かった上で、護衛を外すということは伯爵家の人間を危険に晒す気か、と態度で匂わせる。


「万一に備えて、侯爵様に我が儘を言って魔獣討伐に強い方を護衛に迎え入れましたのよ。途中何度か襲撃がありましたけれど、無事にここまで来られたのも彼のおかげですから、是非傍にいていただきたいの。だって、()()()()()()分かりませんものねえ」

「それは、その…」

「レンドルフ・クロヴァスと申します」

「やはりクロヴァス家の…」


名前を名乗ったレンドルフにエイディスは少し眉を顰めたが、すぐに笑顔になって「それは頼もしい方を護衛になさっていますね」とそのままそれ以上の拒絶はしなかった。レンドルフ自身の爵位ではないが、辺境伯は伯爵よりも位は上だ。おそらくエイディスの記憶とレンドルフの情報が一致したのだろう。それにミスリル伯爵家の寄親の侯爵家は、騎士団トップの一人であるレナードの実家だ。そこからの口利きで護衛に迎えたのならば、逆らうのは得策ではないと即座に判断を下したようだった。


「それでは、お話を始めましょうか」


メイドがお茶を用意して壁際に下がったのを合図にしたように、ベルは扇子をパチリと閉じてニッコリと笑った。



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