198.覚悟と応援
護衛任務だから野営などはないと言っていた通りに、レンドルフからの手紙はほぼ毎日夜の早い時間に届いている。文字を見れば、すぐにテーブルなどのある落ち着ける環境で書いているのが分かった。
内容は任務に関わることは一切触れられていないが、元気そうなことは伝わって来るのでユリは安心して薄紅色をした伝書鳥が到着するのを心待ちにしていた。
「…ねえ、ミリー」
「如何致しましたか?」
「光で色の変わる宝石って、すごく貴重なんじゃなかったっけ?」
「はい、そのように聞いております。実物は見たことはありませんが」
「私もないよ。……でも、レンさんが買ったみたい」
「遠征中に随分高価なものをお買い求めになったのですね」
レンドルフからの手紙には、たまたま緑色の石を露店で購入して、昼間見たら青い色に変わっていたと書かれていた。そんな貴重で高価な石が露店で売っているとは思えないので、模造品かなにかだろう。レンドルフの手紙にも、「面白い仕掛けの石」と書かれているので、彼自身もよく出来たガラス玉かなにかだと思っているようだ。
「露店で買ったものらしいから、高級品ではなさそうなんだけど」
「模造品ですか」
「多分ね」
「まさかそれをお嬢様にお贈りになるつもりですか?」
「違うって!自分用みたい。何かね、夜は緑色で、昼間は青い色になるんですって」
「ああ…」
嬉しそうに手紙のその一文を眺めてほんのりと頬を染めているユリを見て、ミリーは内容は読まずとも察してしまった。
その色は、ユリが普段魔道具で変えている目の色と、彼女本来の色だ。変装してレンドルフと会う時に、短い金のウィッグを被るときは目は本来の色のままにしている。レンドルフからすると、そちらの方が魔道具で変えていると思っている。きっとレンドルフもユリの色を思い出して購入したものが、たまたま青い色にも変化することが発覚して喜んだのだろう。ユリ自身も、偶然とは言え変装していない本来の目の色をした石がレンドルフの手元にあると思うと、まるで運命的に思えて心が弾むのを感じていた。
「お嬢様から贈ったのではなければ…まあ大丈夫ですかね」
「それは…ほら、貴族でなければそんなに煩く言われる訳じゃ…」
「どちらも高位貴族ではございませんか」
「うっ…」
大公女と辺境伯令息なので互いに上から数えた方が早い家柄ではあるが、互いに正式に名乗っていないので何となくなし崩し的に身分を気にしていない感覚になっている。とは言え、レンドルフの方は家名を名乗っていないだけで本名も変装もしていない姿でも普通にユリと過ごしているので、どちらかと言うとユリの方がひた隠しにしている状況だ。それに大公家の情報網でレンドルフのことは全て筒抜けになっている。レンドルフの方でユリのことを全く調べるようなことをしないのは、レンドルフが中枢政治に関わらない辺境領出身で、王都に情報網を張るくらいなら国境の森で魔獣の動向を探った方が余程有意義だという家系なせいもあるだろう。ユリが貴族と名乗らないので平民だと素直に信じ込んでる。
「まだ、レンさんは私のこと平民だと思ってるもの…」
「鈍いにも程がありますよね」
「うぅっ…」
ミリーのキレのある返答に、ユリも否定出来ずに口ごもる。何の情報網を持たない平民でも、ユリは下位貴族くらいに見えるのだ。あちこちでそう言われて、最初は平民になり切れていると思っていたユリも大分その辺りは否定出来なくなっている。それでも王族に次ぐ大公家の令嬢とは思われないので、ユリの身分を知っている者からすれば擬態としては見事な方だ。
「レ、レンさんは少しくらい鈍い方がいいのよ。ほら、癒し枠で…」
「新しいお茶を煎れて参りますね」
「ちょっとミリー。すごいスルーしてるんですけど!?」
ミリーはそんなユリの声を無視して部屋の外に出た。もう長年専属を務めているので、普段から気安い親戚のような距離感だ。実際大分遠いが薄く血縁はある。とは言え、こうして通常の会話が出来るようになったのはユリが薬師を目指したいと言い出してからのことなので、ここ五年ばかりのことだ。それまでのユリは、感情に乏しく殆ど必要なことしか言葉にしない人形のような令嬢だった。それを知っている使用人達は、多少令嬢の枠からはみ出しても活き活きと過ごしているユリを心から歓迎している。当然、ミリーも例外ではない。
だからこそ、使用人達は多少は注意するもののレンドルフとの近い距離感を完全に禁止はしていない。それは彼女を溺愛して止まない祖父のレンザも同じ気持ちなのだろう。もし本気で引き離そうと思えば、ユリに気付かれないようにごく自然に排除することは容易い。それをしないのは、ユリにはある程度の制限はあるがその中で自由に生きて欲しいと強く望まれているからだ。そしてユリ自身もそれを分かっているだろう。
家柄だけで言えば、レンドルフは大公女の婚約者候補となってもおかしくない。しかしユリがそれを望まず、レンザも動きを見せないのは、レンドルフの人柄が大公家には向いていないからだ。周囲がどんなに外堀を埋めても、今のままでは悲しい結末しか見えない。残酷なようだが、ユリもそれが分かっているからこそ未だに身分を明かせないでいるところもあるのだ。そして自身で「薬師の資格を取るまで」と期限を決めているのは、いつか互いの為に離れなくてはならないと思う彼女なりの覚悟なのだろう。
(もうちょっと、頑張って欲しいところですけどね…)
ユリも手を抜くことなく薬師の資格を取る為の努力はしているが、一度で取得出来る程甘くはない。それが数年の猶予となっているのも事実である。ミリーはユリの好む茶葉に湯を注ぎながら、どう贔屓目に見てもとてもではないが癒しとは思えない筋肉質で大柄な青年を思い浮かべた。
騎士としては優秀なのだろうが、貴族としては素直すぎる人柄で、そこが長所でもあり短所でもある。人としてユリを支えて欲しいとは思うが、家を支えるにしては未熟すぎる。
ミリーはあと数年で、彼がユリを背負っている家ごと支えられるところまでの力を着けてくれるように祈るだけだった。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
ミリーが再びユリの自室に紅茶を持って行くと、ちょうど返事を書き終えたのか手に封筒と瑠璃色の伝書鳥を持っていた。ユリは「ちょっと待ってて」と告げると、すぐに伝書鳥に息を吹きかけてレンドルフへ手紙を飛ばした。ミリーはそれを見送っているユリの横顔を見ながら、遠い空の下にいるレンドルフ向かって「お嬢様を悲しませないように頑張ってくださいよ」と彼の元に向かっているであろう伝書鳥に追加で気持ちを乗せたのだった。
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トーリェ領は昼前には入るということで、朝からベルとモノは身支度の為に余念がなかった。ついでに何故かレンドルフまで身支度の中に引っ張り込まれてしまい、キッチリと前髪を上げて準正装の際に着用する騎士服を着せられた。他の人間ではサイズが合わないので間違いなくレンドルフのものではあるが、持って来た覚えはない。おそらくクリーニングに出しておいたものをレナード辺りが手を回して荷物に積み込んだのだろう。
「あの…俺まで何ででしょう…?」
「ごめんね〜。モノくんの覚えてる感じだと、今のお婿さん、お義兄さんにはちょっと用心した方がよさそうだから、同席して欲しいのね」
「俺が同席していいものなんですか?オルトさんの方が…」
戸惑うレンドルフにすっかり貴族の夫人のようにドレスを着込んだベルが、少し眉を下げて説明してくれた。
貴族は昔からの付き合いを重要視している家が多く、新たな商会などを家に招くのも古い縁からの紹介で繋がりを広げて行く。その為、そういった紹介などの縁のない者を初めて屋敷に迎える際には、簡易的な嘘を見分ける魔道具を書類や契約書に向けて確認することがある。それは商会だけでなく、客に対しても使われることもある。一番よくあるのは婚約や婚姻だろう。詐欺や詐称がないかを簡易的に確認するのだ。それを拒否する場合は、相手方に悪意があると見なされて契約成立に至らないこともある。
「書類関連は本物を揃えて来たし、その辺を切り抜ける会話は私の方で慣れてるからどうにでもなるけど、向こうの警戒を緩めたいから、レンドルフくんが護衛に付いてるって信用が欲しいの。かなり目端の利く人みたいだから、主だった貴族の名前と容姿は把握してると思うわ」
「俺は余計なことを言わずに、自己紹介だけして立っていれば大丈夫というですか?」
「察しが良くて助かるわ〜。多分話し合いでは全員立ち合わせてくれないと思うから」
貴族の中でも社交を重視している者は、どこの家門にどんな人物がいるかなどの情報は頭に叩き込まれている。レンドルフは滅多に社交の場には出ないが、王族の護衛で夜会や外交の場に同行することは何度もあったので、目端の利く貴族ならばレンドルフのことを把握していると思っていい。現在王都にいるクロヴァス家の者はレンドルフだけであるし、特徴的な髪色も合わせて家名を出せばすぐに分かるだろう。現当主の弟で爵位を継ぐ訳ではないが、辺境伯令息を護衛に付けているというのはそれだけ力のある家門だと勝手に判断してくれる筈だ。身分的には子爵家当主のオスカーの方が上だが、隊長を護衛に回す訳にはいかない。そうすると護衛役を務めるのはレンドルフ一択になる。
「レンドルフ先輩、よろしくお願いします」
「俺は大人しく後ろで控えてるだけだから。頑張れよ」
「はい」
モノは騎士服ではなく、貴族令息らしい礼服を着込んでいる。彼も大柄な方だがレンドルフ程規格外ではないので、こうして騎士服を脱いでいるときちんと貴族寄りに見えた。もういつでも外れるのだが、指輪はいつもの場所に収まっていた。
「じゃあ基本的な会話は私がするから、モノくんもレンドルフくんも嘘を吐かなくていいわよ。変に取り繕うとボロが出るだろうし。流れでマズそうになったら割り込むから、そこは許してね」
「よろしくお願いします」
「何か質問ある?まだちょっとだけ時間あるから答えられるよ」
「夫人はこういったことには慣れているのですか?」
「呪術に関係する厄介ごとに巻き込まれるのは大抵貴族なのよね。恨みを買って呪ったり呪われたり?だからこういう腹黒い貴族とのやり取りはそれなりに経験済み。私は異国出身だから、ちょっとマナーの差に最初は戸惑ったけど、基礎は叩き込まれてたからね」
ベルは平民の生まれとは聞いていたが、先程から所作がガラリと貴族用のものになっている。付け焼き刃ではなく、幼い頃から教育された貴族と言ってもおかしくないように見える。
「私、平民出身なんだけど生まれつき魔力量が多いから、小さい頃から貴族の家に嫁ぐことが決まってたのよね。だからそのテのマナーとか会話とかの教育は受けてるのよ。でもうんと年上貴族に嫁ぐのが嫌で、オルトと駆け落ちして来ちゃった」
ベルはあっけらかんと口にした。レンドルフは元は異国の貴族だったオルトと平民のベルが祖国から逃げて来たとは聞いていたが、ドレスを着たベルの所作の美しさに納得が行った。口調はいつも通り砕けたものだったが、扇子を口元で広げてコロコロと笑う姿などはどう見ても貴族のものだ。特にレンドルフは令嬢時代に社交界の頂点の一角に立っていた母と、女性王族や外交官と帯同して来る夫人など、貴族女性のトップを見慣れている。当人は全く自覚はないが、自然に目が肥えているのだ。そのレンドルフが所作が美しいと判断されたのであれば、ベルの貴族仕草はほぼ完璧と言っていいだろう。
ベルは、かつての本名の「ルベルティーナ」を名乗るということだ。腹の探り合いになりそうなので、少しでも嘘を減らしておきたいそうだ。何でもモノが一時的に婚姻を結ぶ予定の伯爵未亡人は、相手の好みに合わせて目も髪の色も、そして名前も変えてしまうことで一部では有名らしいので問題はない。これは偽装結婚をして相手の戸籍を変更させて縁を切るという裏家業の一環でもあるのだが、表向きには恋多き夫人として噂を流しているのだ。寄親にあたるレナードの実家のミスリル侯爵家も、なかなかに闇が深い一門だ。
「一応領内に入ったら騎士団の調査を優先させるってことで、三カ所の縁戚の家に挨拶に行くから。一カ所は筆頭分家の男爵家ね。そこに養子候補だった子がいるの。大丈夫だと思うけど一度面会してみて、モノくんは指輪がどう反応したか知らせてね。多分、他の場所にも養子候補だった子いそうだし、その確認もね」
「はい」
モノの指輪は「トーリェ家」そのものに紐付けられていると予想されている。その予想はほぼ確定ではあるが、実際別の家にいる血縁と顔を合わせてみて検証するつもりなのだ。
「モノは指輪の反応…みたいなものが分かるのか?」
「はい。上手く言えないですが…こう、引っ張られる感覚というか。あと、自分のとは違う魔力の揺らぎみたいなのが分かるんで」
この指輪には火魔法が宿っているようだが、モノ自身には火魔法の属性が一切ないのだ。だからこそ反応は分かりやすいのかもしれない。
「モノくん、私は、私達は全力でモノくんを救う。モノくんはお姉様や、血縁を、家を捨てることになるけど、私は全部蹴落としてでもモノくんだけを引っ張り上げる。後の人達のことは知らない。というか、そこまでの力量が私にはないの。だから…いいのね?」
「はい。もう決めています」
ベルの言葉に迷わず静かに答えたモノを、彼女は一度抱きしめてすぐに離れた。
トーリェ領に向かって最後の宿泊地を発つ際、いつもより貴族の護衛騎士らしく身を整えてスレイプニルに跨がるレンドルフを見て、ショーキがポカンと口を開けて眺めていた。そして「わあ、すごいですね…」と呟いていたが、レンドルフは少し違うような気もするがそこは褒められたと取ることにしたのだった。
レンドルフは、そこまで貴族として失格ではないのですが、生まれも育ちも脳筋武門な家なので、暗躍系の家門には不向きなタイプです。武士と公家くらいなイメージで。
レナードの家門は、昔から実家に難があって埋もれている才能のある者を養子や養女などに迎えたり、亡命を補助したりする戸籍ロンダリングを生業として来た歴史があります。