195.トーリェ領へ
予定通りに準備を終え、レンドルフ達はトーリェ伯爵領に向かって出発した。
任務としては幾つかあるが、表向きの目的はトーリェ領内に存在しているダンジョンの調査と確認だ。
ここのダンジョンはもう枯れていて、魔獣の目撃情報は何十年もない。その為特に調査はせずに放置されていたが、ここ数年領内での魔獣の目撃例が増えて来た為に国から騎士団を派遣して調査に向かう、ということになった。この目的ならば魔獣関連として扱われるし、そこの領主の弟であるモノが所属しているということでオスカーたちの部隊に任されることになったのだ。実際のところは、ここ数年の目撃例は、モノの成長とともに指輪の持つ「魔獣狂化」の力が押さえ切れなくなった為に呼び寄せてしまった魔獣なので、モノが王都に出されてからはほぼなくなっている。しかしその呪いの話は伏せて、何らかの影響があるかもしれないので、数十年ぶりに調査をしようと任務が下ったことになっている。
本当の一番の目的であった呪いの指輪の解除方法を探しに行くのはベル達の貢献により領地に行く前にある程度解決してしまったが、それでも完全ではない。それにモノの姉である女伯爵の、不審なまでの変わり様を調べに行く目的はまだ残っている。
最も疑わしいのは、女伯爵が偽物と入れ替っている可能性だ。ただ手紙の通りに本当に体調が悪く、そのせいでモノに対して心変わりしたのであれば問題はないし、それならモノが見舞いの為に訪れたついでに婚姻の許可ももらおうとするのはおかしなことではない。だが彼女に何らかのことが起きて別人がトーリェ家の当主を偽っているのならば、国家反逆罪と取られても仕方がない事態だ。しかしこれを任務として表に出してしまうと、第三騎士団の担当領域と言われかねない。
実際、どこからか情報を入手した第三騎士団から、血縁者に調査に向かわせるのは公平性に欠ける、とレナードに申し立てがあったらしいのだが、あくまでもレナードは魔獣関連の調査として扱い、「ダンジョン調査も出来て現地に詳しいモノに案内させれば安上がりだろう」と笑って一蹴したと聞いた。
何とも強引な理由をつけたものだと、耳にしたときはレンドルフ達は思わず無の顔になってしまっていた。
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出発当日、移動の為の馬車が三台が置いてある場所に向かったのだが、それが騎士団で所有している遠征用ではなく、高位貴族が使うような立派な造りで、きっちり紋章まで目立つところに入っているものが停まっていた。更にいつもならば遠征に行く騎士達が交替で馭者を務めるのだが、既に各馬車に一人、馭者が付いている。そして悪戯が成功したかのような満面の笑みでレナードが傍に立っていた。全ての騎士団を統括している立場なので、こうして小さな部隊が出立するのを見送ることはまずあり得ない。
「あの…ミスリル団長、こちらは…?」
「ああ、これは我が一門の寄子である伯爵家の馬車だ。こちらにモノを養子にしたいと仰るご夫人が乗るので、急遽ではあるが護衛の兼務を任せる。各馬車一人ずつしか馭者の手配が出来なかったので途中交替してもらうことになるが、全員馭者は出来るな?」
「はい、問題ありません」
戸惑うオスカーに、レナードはニヤリと悪い顔して笑う。オスカーも彼の物言いで察したらしく、得心が行ったように頷いた。
本来ならば、呪いを調べる為に専門家としてベルが同行するとなっていたのだが、その前にモノの指輪が外れてしまったことで、彼女の同行が少々物議をかもしていたのだ。まだモノの指輪が外れたことは公にはなっていないし、あの場にいた者は機密としてレナードの執務室で聞き及んだことは誓約魔法で他言出来ないようになっていた。しかしそれでもどこかしらか漏れるのは止められなかったらしく、呪いが解けたのならば呪術の専門家の同行は必要ないのではないかと言い出す者もいたのだ。
専門家の同行となると、馬車を使用して途中野営はしない。そうなるとどうしても日数も費用も嵩む。呪いが解けたのならばもう必要のない人間を同行させるのは止めて、馬で最短で行き来するのが筋なのではないか、とどこからともなくレナードに圧力が掛かったらしい。そのことは部隊長のオスカーの耳にも届いていたので、ひょっとしたらベルを連れて行くことはなく団員のみの馬での行軍になるかと思っていたのだが、特に変更の命令はなく、少しばかりの不安を抱えながらの出発当日になっていたのだった。
モノは実家から縁を切って呪いからも家からも逃れる為に、とある伯爵未亡人の婿養子に入ることになっている。その後時期を見て離婚手続きをして、オルトとベルの養子に迎える方向で話が進んでいるところだ。
つまり、ただ伯爵家の馬車を借りて、モノを養子にしたい夫人、ベルがトーリェ家に出向くことは何ら嘘ではないということになる。
「ご当主から堂々と婚姻許可と除籍をもぎ取って、ついでに指輪も次代に返して来い」
「は、はい!ありがとうございます!」
レナードの言葉に、モノは背筋を伸ばして答えた。その様子に、迷いは無かった。
モノの指輪が外れるようになったのは、一時的な断種処置をしてトーリェ家の次代を繋ぐ末裔と見なされなくなった為だ。この指輪が出来た頃には、再処置をすれば元に戻せる断種の技術は存在していなかった。ベルはそれに賭けてモノに処置を勧めて、見事に指輪はモノを末裔ではなくなったと判断を下してそれが効果を見せたのだ。だが、この指輪はトーリェ家に紐付くものであるので、モノがまだトーリェ家に籍を置く身である以上は、今は一時的に所有権は姉に移っているだろうが体を元に戻してしまえば再び指輪に選ばれてしまう。モノ自身は、生涯再処置をしなくても構わないと言ったのだが、ベルはそれを良しとしなかった。
モノがどうしてもトーリェ家から外れたくないと思うのならば、強力な封印を施すなり、どうにか養子を頼み込むなりということも考えたが、彼はそのままトーリェ家に籍を置くことは望まなかった。伝えられていた呪いの始祖と同じ方法で、魔獣に喰われて死ぬことを選ぼうとするまで追い詰められて疲弊していたモノの決断に、ベルは全力で策を考え各方面に協力を取り付けたのだ。その策が、一時的に婿養子に入って実家から籍を抜くことだったのだ。幸いにも、相談役として名乗りを上げてくれたレナードは、色々な理由で実家から縁を切りたい人間を手助けする方法を良く知っていた。彼の手配で、そういったことに慣れている伯爵家未亡人に繋ぎが取れたのだ。
モノの呪いは、指輪が外れただけで終わりではない。完全に生家から縁を切ることで、ようやく解放されるのだ。
「レンドルフ」
「はい」
「お前の実家のタウンハウスにはスレイプニルを所有していたな」
「はい。三頭おります」
「すぐに遠征に連れて行ける個体は?」
「全頭いつでも」
「さすがクロヴァス家だな」
レナードは、手にしていた布をレンドルフに手渡した。広げてみると、黒に近い濃紫に金茶の紋章が刺繍してある馬着だった。その紋章は馬車や繋がれている馬が纏っている物と同じなので、ミスリル家の寄子の伯爵家のものなのだろう。確かレナードのミスリル侯爵家の家門の色は濃紫だった。それを確認したのを見届けると、レナードは一通の封書を手渡して来た。レンドルフはそれを受け取ると目を丸くした。
そこには王家の封蝋が押されていた。王家の封蝋は、色によって大体の内容が把握出来るのだが、最も強制力のある王命の場合は淡い紫に金が混じった物だ。これは王の手を離れた時点で了承したとされ、万一断った場合は死を賜る程の強権を発動したことを意味する。今回レンドルフの手にあるものはくすんだ青色で、可能な状況であれば受けるようにという軽めの依頼だ。とは言っても、王家の紋が押されているだけに、通常の貴族から送られる書簡とは重みが違う。
「内容は、クロヴァス家所有のスレイプニルを一頭、一時的にこちらの所有として借り受けたいというものだ。もう同じ内容のものを辺境伯当主に送り、既に了承を得ている。この書簡は、タウンハウスで保管してもらう控えだと思ってくれ」
「拝命いたします」
「方向的にはクロヴァス家のタウンハウスなら道中になるだろう。そこで合流してトーリェ領に向かうように。まあ、騎乗するのは誰でも構わんが、やはりレンドルフが乗った方が目立っていいだろうな」
「目立つ…ですか」
「相手は色々と問題はあるが旧家で家格の高い伯爵家だからな。同じ伯爵位とは言ってもこちらは領地のない、一度途絶えた家だ。スレイプニルでも連れて行って、少々圧を掛けておきたい」
スレイプニルは騎獣として飼い馴らした魔獣であり、通常の馬よりも全てにおいて上位の能力を有している。しかし、騎乗出来るようになるまでの期間と手間、そしてその後の維持費は莫大なものになる。その為、いくら能力が高くても国が有している騎士団専用の個体以外は、高位貴族かかなり裕福な商会などでなくては所有することは出来ない。スレイプニルがいるということは、それだけの資産か後ろ盾を持っているという証にもなるのだ。
クロヴァス家が三頭も有しているのは、辺境伯なのでそれなりに資産もあるが、国境の森で騎獣に向いた個体を捕らえて来ては領民が調教しているのである意味自給自足に近い為である。そしてスレイプニルに限らずワイバーンなども調教しては王族や他領の高位貴族などに納入している、クロヴァス辺境領の主産業なのだ。もっともそれでも数が多くないので、希望者は年単位で待たされることになるが。
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停まっていた馬車の中には、既にベルが乗って来ていた。そしてレナードが手配してくれたのか、侍女も二名同行している。
少し話し合って、ベルはモノと一緒の馬車に乗ることになった。指輪は外れるようになったのだが、やはり元になった人間の思念が強く影響するようで、トーリェ家の者が身に付けていた方が安定するそうだ。しかしどんな反応を起こすかはベルにも分からないそうなので、いざという時は彼女は限定的だが強い結界を張る呪術が使えるので、万一に備えてと言うことだった。そして同行する侍女達にも何かあるといけないので、基本的にベルの乗る馬車にはモノだけとなった。本来ならば夫婦や血縁でもない限り男女二人だけで馬車に乗るのは推奨されないが、もうオルトとベル夫妻の中ではモノは子供に入っているらしく、どちらも当然のような態度で話を進めていた。
同じように、モノに何かあった場合に備えて、彼らの乗る馬車はオルトだけが馭者を務めると手を挙げた。
編成としては、先頭にはオスカーと馭者の男性が二名、真ん中はオルトが馭者で中にはベルとモノ、殿にはショーキと馭者の一人が馭者台に乗り、馬車の中には侍女の二人に乗ってもらった。馭者達とは様子を見て交替して、休憩は先頭の馬車で取ることにする。そしてレンドルフは、スレイプニルに乗って並走するので基本的に交替はないが、何かあればそこは臨機応変に対応することになった。あまりスレイプニルに接することのないショーキや馭者の男性達は、大変良い笑顔で「いつでも交替しますから!」とレンドルフにアピールしていた。
「それでは、無事の帰還を待っている」
「行って参ります」
馬車が次々と走り出すと、レナードは胸に手を当てた姿勢で彼らを送り出した。一応上司でもあるので頭を下げることはしないが、彼の立場では最上の見送りの礼だ。
レナードは去って行く馬車に向かって、本気で無事を祈っていた。まだ裏が取れていないので彼らに事前に知らせる許可が降りなかったが、どうもトーリェ領は面倒なことになっているらしい。その面倒な事態は、ある程度不正に目を瞑ればそのまま何事もなかったように収めることは可能だ。彼らが真実にどこまで到達して、どういう結果を報告して来るかは分からない。ただレナードは余程のことがない限り、彼らの、そしてモノの判断に任せることに決めていた。
五年前、領地に被害が出ることを考慮して、呪いごとモノを王都の防御の魔法陣の中に入れて呪いの力を押さえることを王家は許可をした。それは今後ある程度モノが呪いを制御出来るようになれば、国に貢献出来るようになるのではないかという期待も込みでのことだった。だが、五年経った今も制御は上手く出来ているとは言えない。
王家は全ての国民を護り、尽くすと言われているが、それはただ目指すべき指針であり建前に過ぎないことは誰もが知る暗黙の了解だ。国を治めることは慈善事業ではない以上、トーリェ家の呪いの指輪は国に利益が無いと判断されれば切り捨てられるのは当然の結果だ。王族の誰かが個人的に同情を寄せることはあるかもしれないが、国としてはこれ以上は保護出来ないと判断を下した。
幸いギリギリのところで指輪を外すことに成功したので、指輪ごとモノを領地に戻す事態は避けられたが、だからと言ってそのままトーリェ領に指輪を置いて来るだけでは済まない筈だ。
王家としては、以前のように指輪をトーリェ家で封印してくれれば、その後はモノの去就がどうなろうと構わないらしい。封印して影響が出ない形にするのならば、別にトーリェ家でなくてもよいとまで言っている。それにあまりにも封印に資金が必要となるのならば三年間は補助金が出ることにもなっているので、国としてはその猶予のうちに自領で管理するも、他に管理出来る者を探すも任せる形なのだ。それはもう王命としてトーリェ家にも通達されている。
しかし封印し切れずに何かしらの影響が出て領地が荒れることになれば、その責はトーリェ家にのしかかるだろう。もしモノが縁を切れていなければ、彼にも累が及ぶ。
レナードは国王から直々にその命を受けているし、モノ自身にも王家の意向を伝えている。しかし心情的に騎士寄りのレナードは、出来ることならばモノには無事に縁を切って、呪いからも家からも解放されて欲しいと思っていたのだった。