191.呪いの解除条件
レナードが統括騎士団長の名で手紙を出して、トーリェ伯爵家から正式な返答が来たことで、領地の調査へ向かうのは二週間後に確定した。その正式な書面を元に許可証を発行して、領内を騎士団員が自由に動ける手続きをする。その許可証受け取りに調査に向かうメンバーがレナードの執務室に呼び出されたのは、通常勤務が終わる少し前だった。
「僕、ここに入るの初めてなんですが…」
「普通は余程のことがない限り来ないよな」
本来ならば団長から代表して部隊長のオスカーが手続きをして受け取るだけで済むのだが、今回は何故か全員召集が掛かった。団長が不在の為に代理でレナードがトーリェ家に依頼書を出したので、レナードに呼び出されるのは分からなくもないが、全員というのは何かあったのかと勘ぐりたくもなる。
「皆の談話室の方が広いのだが、こちらの方が機密性が高いのでな。狭くてすまない」
執務室にゾロゾロと入って腰を落ち着けるなりレナードにそう言われて、慣れていないショーキは「ヒッ」と声にならない声を上げて髪を逆立ていた。
ソファにはレナードと、向かいにオスカーとオルトが座り、レンドルフとショーキは急遽運び込まれたらしい木の椅子に座っている。レナードは「先にこちらを済ませてしまおう」とトーリェ領での調査許可証をオスカーに渡し、書類を確認の上サインをもらう。ここまでは特に変わったことはない。
レナードはチラリと時計を見た。
「少々手間取っているようだな」
何かを待っているかのようなレナードだったが、その顔は別に気を悪くした訳でもなく、どちらかと言うと楽しみにしているような表情だった。
「まあ先にこれは教えておくか。トーリェ家に保管され、現在モノ・トーリェが所有している『魔道具』…まあ呪いの指輪だな。その管理については、王家、ひいては国は所有権の譲渡を拒否する、という結果になった。まあ、要は国で管理をしても利点がないと判断された訳だ。更に、これ以上王都の防御に影響を与えぬ為に、可及的速やかにトーリェ領にて対処すべし、だそうだ」
古い家柄の貴族などは、その血統に紐付いた特殊な魔道具を所持していることがある。そういった品は、得てして強力な力や有用な効果をもたらす。しかし、様々な理由で家を維持することが困難に陥った場合、国にその魔道具の所有権の譲渡と引き換えに保護を申し出ることが出来るのだ。国がその魔道具が有用である、または他国に流出した場合は国に甚大な被害を齎すような物であると判断されると国の管理下に置かれ、その魔道具を使用することの出来る血統を保護してもらえるのだ。所有権は国にあるので、保護された家の者は国の命令によってその魔道具を使うことにはなるが、血統の断絶は免れるのだ。
トーリェ家の指輪は、専門家の調査の結果、仮に今後正式にトーリェ伯爵家から所有権譲渡の希望があったとしても国では引き取ることを拒否すると決まったのだった。魔獣を狂化させおびき出して間引くことでスタンピードを押さえるというのは、現在は魔獣寄せの香が開発されていて、おびき出すだけで狂化はしない。魔力強化が付随していても、より安全な手段がある以上必要な力であるとは判断されなかった。
もっとも有用ではないかと論議されたのは「逆行」ではあるが、怪我ならば回復薬、病であれば治癒士などに任せた方が早い上に、使用出来るのはトーリェ家だけなので、国で保護するだけの広い有用性はないとされた。
その上でなるべく早く領地に戻して封印なりをして被害が広がらないようにしなければならない、とまで言われている。
「ですが現在モノが所有している訳ですから、彼が騎士団にいる以上はトーリェ家に戻すというのは難しいのではないでしょうか」
「指輪が外れれば、それをトーリェ家に押し付ければいいのだろう?」
「しかしそれが出来れば…」
オスカーが難しい顔でレナードに言いかけた瞬間、執務机の上に置かれた来客を知らせる魔道具が鈴のような音を立てた。
「来たな」
レナードは一旦オスカーを制してから、ニヤリと意味ありげに笑って魔道具に向かって「大丈夫だ」と答えを返した。
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「あらあ、団長様ってば全員呼んでたんですね〜」
程なくして、まるで場違いな程に明るい様子でベルが執務室に現れた。その後ろからは、モノが神妙な面持ちで続く。ベルは明るい黄色のワンピース姿で、地味な鍛錬用の騎士服ばかりの中に急に花が咲いたような明るさを運び込んだ。その姿にオルトは鼻の下を伸ばしているかと思いきや、心底驚いたように目を丸くして口もパカリと開けていた。彼もどうやら彼女がここに顔を見せることは聞いていなかったらしい。
「ベ、ベル!?何でこんなとこに!」
「ええ〜カッコいい執務室じゃない」
「そういう意味じゃねえよ!」
「ごめんね〜。オルトが出掛けた後、師匠からの連絡で急展開があってね。連絡する暇がなかったのよ」
「あ…いや、すまない、大きな声出しちまって」
「いいのよ〜。あ、それよりもこの子、ちょっとまだ体調戻ってないから、座らせてあげて?」
そう言われて後ろに立っているモノに目を向けると、確かにいつもより顔色が悪い。レンドルフとショーキが同時に立ち上がったが、レナードも同じタイミングで立ち上がってツカツカとベルの側に近寄ると彼女の手を取って「こちらへどうぞ」とエスコートした。位置的にオスカーを乗り越えて行かなければベルに到達出来ないオルトは完全に出遅れて、口をパクパクさせていた。レナードは奥側にベルを座らせると、その隣をモノに示した。それではレナードが座る場所がなくなってしまうと硬直したモノを気に留めた様子もなく、執務机の傍のキャスター付きの椅子を自分で引っ張って来てさっさとローテーブルの脇に付けてドサリと座った。そして優雅に足を組みながら、再度空いているソファの場所を無言で指し示した。
モノはペコリと頭を下げて、レナードの前を体をなるべく小さくして通過してソファに腰を降ろした。その動作がどこかぎこちないので、ベルの言うように体調が悪そうだ。
まだ立ったままだったレンドルフとショーキに、レナードは視線だけで座るように促して来た。レンドルフは静かに座ったが、ショーキは慌てたのか椅子の足を蹴ってしまい大きな音を立てて、髪が一瞬ハリネズミのように逆立っていた。
「その様子だと、首尾は上々だったようですね、レディ」
「団長様のおかげです。まさか本日中に終了するとは思いませんでした」
レナードの丁寧な口調に、ニコニコとベルが礼を言った。その向かいで、オルトは明らかに剣呑な目をレナードに向けている。
「説明は…レディからお願い出来ますか?」
「はい。…モノくん。見せてあげて」
「はい」
モノは、指輪の嵌まっている左手の親指に手をかけると、スルリとそれを外した。条件が満たされなければ絶対に外れないと聞いていた指輪が、こんなにあっさりと外れるとは思っても見なかった。全く予想もしていなかった光景に、その場にいた部隊全員が思わず口を開けてしまった。
「え…?だってそれ…モノに子供出来ないと外れないんじゃないっけ?ひょっとして…」
「違うから!そうじゃないから!」
呆然としながらも、覚えていた指輪の外れる条件を思い出したショーキが恐る恐る口に出す。一瞬レンドルフも考えてしまったが、さすがにこの場で口には出せなかった。思わず口に出したショーキに感心すらしてしまった。が、モノの替わりに慌ててベルの方が答えた。
モノの指輪は、後継のいる者が使用すると着脱が可能だが、末裔が装着すると次代が産まれるまで外れないことになっていた。今のところトーリェ家当主のモノの姉のところに子供はおらず、縁戚の養子の話も全て潰えている。その為、モノが末裔となっていて指輪を外すことが出来なくなっていたのだ。
「あのね、この前も話したけど、この指輪ってとにかくトーリェ家を守りたいって意思が凄く反映されてるのね。だから『呪い』って言われてた割に子孫繁栄が変な形で条件に組み込まれてたのよ」
言われてみれば、何かに恨みを持って「呪い」を掛けるならば、次代がいることを条件にするというのはおかしな話だ。
「だから、モノくんが次代を繋げない状態にしちゃえばいいと思って断種すればいいんだ、って思い付いたのね」
「ゴフッ!」
「ちょ…!?」
「だ…」
あまりにも軽く、サラリとベルの口から爆弾が落とされ、その場にいた全員が言葉を紡げずに恐ろしい沈黙がその場を支配したのだった。
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衝撃を受けた中で、一番早く立ち直ったのはオスカーだった。
「それで、モノは…」
「承諾しました」
「そ、そうか…」
立ち直ったものの、あっさりと認めるモノにそれ以上かける言葉が見つからなくて、オスカーは困ったように視線を彷徨わせた。固い表情のまま答えたモノは、間が持たなかったのかスルリと指輪を再び嵌めた。いつでも外せるようになったのだから、却ってなくなると違和感があるのかもしれない。
「団長…」
「何だ」
「どうしてこういう説明をベルに言わせるんですか」
「すまん。私もまさかここまでストレートに言うとは思っていなかった」
さすがにレナードもここまでベルがあけすけに言うとは思っていなかったのか、恨みがましい目をオルトに向けられてようやく我に返った。
「ひょっとしてモノが本調子ではないのは…」
「はい。先程処置を終えて来ました」
「ひぇ…」
オスカーの問いに淡々と答えるモノに、ショーキが奇妙な声を上げて座っている足を閉じた。レンドルフは一応後輩の前なので動揺は押し隠しているが、ショーキの気持ちは分かる気がした。
「うん。その様子なら大丈夫だね〜。みんながいるとは思わなかったからちょっと足りないけど、資料は共有して見てくださいな」
ベルが持って来ていた肩掛けカバンの中からゴソゴソと封筒を取り出して、そこから書類を取り出した。まずはレナードに渡そうとしたが、彼は軽く首を横に振って、オスカー達のいるソファとレンドルフ達のいる椅子の方に配るように示した。
手渡された書類を覗き込むと、何やら見慣れない単語と簡略化はしてあるが男性器と処置の手法が図解で記載されている。おそらく医学書の写しだろうが、女性の前でどんな顔をして読んでいいのか分からず、レンドルフは必死に無表情を保つことに集中していた。チラリと隣のショーキに視線を送ると、手で顔の半分を覆って表情を隠していた。やはり複雑なのは同じようだ。
「ええと、これは10年くらい前に開発された技術なんですけど、投薬と特殊な処置で体を傷付けることなく断種出来るものです。数日は経過を見る必要はありますけど、日帰り出来ちゃうくらい負担が少ないんですよ」
ベルが説明してくれるのだが、誰もそれに答えなかった。どう答えていいものか分からなかったといのもある。
「で、この技術の凄いところは、一度断種しても再度処置をすれば戻るんです」
「え…?」
専門家ではないのでもらった書類を見てもよく分からなかったが、驚いて顔を上げるとベルは得意気にふっくらとした頬を紅潮させて胸を張っていた。
「これ、10年も前からある技術なのに、結構知らない人多いんですよね〜。ここにいる皆さんも知らなかったみたいだし。だから使えると思って」
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「モノくんは、正直実家とは縁を切った方がいいと思うんですよ。今はモノくんのお義兄さんが上手くやってますけど、それまではトーリェ家はアヤしいアレコレに手を出して、借金まみれだったし、結構色々と出しちゃ行けないものを国外に売り払ってたりしてて、そこそこ王家に要注意な家として名が挙がってたみたいで」
「お恥ずかしいです…」
「それはモノくんのせいじゃないからね!まあ、取り敢えず団長様のおかげで実体が分かったし、モノくんにどうしても家を継ぎたいか確認して、その気はないってことだったんでもう除籍されちゃおう、って」
ベルはあくまでも端折って軽くそう言ったが、モノの実家での扱いはかなり悪かった。平民のベルでは伯爵家のことは確認のしようがなかったので、呪術の研究者としては高名だった師匠と呼んでいる博士にレナードを紹介してもらい、情報を集めてもらったのだった。その中にモノの呪いを解く手掛かりがないかと考えたのだ。
しかしその内容を読んで、彼の扱いにベルは怒りのあまり何度書類を握り潰したかは分からない。その度に隣でオルトが書類の皺を伸ばしながら宥めていたが、こめかみには青筋が浮かんでいた。
体が弱く、生まれついての不治の病で成人までは生きられないと言われていた長男を、どうにかしようと前伯爵夫妻はあらゆる手を尽くした。見るからに詐欺としか思えない祈祷師や、効果の不明な高額な薬草などに手を出し、見る間に借金が嵩んだ。その為すぐ下の長女は美しく生まれついたのを幸いに、幼い頃から支度金を最も多く支払った家に嫁がせると喧伝して回り、その金額の高い上位の釣書の数名の中から婚約者を選ばせた。
しかしどうあっても長男の延命は無理と悟り、後継として産まれたのがモノだった。そのモノが期待に反して封印が解けた呪いの指輪に魅入られてしまい、仕方なく長女に家を継がせることにした。長女の婚約は慰謝料も発生せず円満に解消出来た上に、元婚約者は広い心で婿の世話と後ろ盾を申し出てくれた時点で、前伯爵はモノのことを放置した。彼らも呪いの指輪を外す条件を知っているにも関わらず、ただ屋敷から出さないように結界を張ったたけで、長女に跡を譲ると夫妻だけで逃げるように別荘に隠居してしまった。
なり手はなかなか難しかったかもしれないが、せめてモノに婚約者を捜すなどの方法もあっただろうに、そのような対応をした気配は一切見当たらなかった。ただ長女の婚姻が決まったので、その内後継もそちらに出来るだろうと言わんばかりだった。
そして婚約を解消する原因になったモノを姉は恨み、直接傷付けるようなことはなかったが、まるでいないものとして扱ったかと思えばひどく怒鳴りつけたりを繰り返していた。そしていよいよモノの成長と共に呪いの影響も大きくなって来たことで領地から追い出されるように王都に来てからも、しつこくモノに後継を作れと彼の気持ちを無視して執拗に迫っていた。
この報告を読んだ日は、この状況でよくモノがここまで素直に育ったと、ベルとオルトは強引にモノを挟んで抱きしめて寝た。
「それでですね、モノくんはとある貴族の未亡人と恋に落ちて、でも相手には亡き夫の忘れ形見がいるのでその地位を脅かすことは出来ない、と一度振られるんですが、決して後継を奪う真似はしないと誓いの証として自主的に断種して思いを伝え、未亡人もその覚悟に絆されて婿に迎える…って筋書きで行こうと思うんですよ!あ、これは団長様がご協力を申し出てくださったので出来た筋書きなんですけど」
「はあ…」
「そこで、あちらの伯爵家に断種処置済みの証明書と、婚姻届、除籍の書類一式を持って行って、その場でサインをもらって来る作戦で攻め込みましょう!全部本物ですから、嘘じゃありません!それに、皆さんが知らなかったくらいですから、断種しても戻せることもバレませんよ」
やけに芝居がかった口調で、ベルは高らかに宣言するように拳を上げた。何というか、あまりにも無茶な話に頭がついて行かない。さすがに常に妻には甘い顔をしている印象だったオルトも渋い顔をしている。
「あの…婚姻って…モノはいいのか?」
レンドルフは大人しくベルの隣に座っているモノに尋ねた。モノ自身が覚えているかは分からないが、以前の討伐で崖崩れに巻き込まれた時、重傷を負って意識が朦朧としていたモノが漏らした初恋の人をまだ想う気持ちを聞いてしまったレンドルフとしては、確認せずにはいられなかった。
「それなら大丈夫だ。専門家に任せたからな」
「専門家、ですか?」
モノの替わりにレナードが返答して、レンドルフは目を瞬かせた。
レナードの説明では、ミスリル家の寄り子の家には亡命や政略などで厄介なことになった人間を救済する形で、一時的に婚姻をさせて前の戸籍から切れさせることを専門に請け負っている家があるのだそうだ。養子でも良いのだが、場合によっては財産分与などが発生するため、婚姻をしてしばらく経った後に慰謝料などが発生しない円満離婚をすることが多いのだとか。
「モノに紹介したのはウチの寄子の伯爵家未亡人だ。もうモノで13人目の夫になるから、別れたところで目立たなくて良いだろう」
「13人…」
「書類にサインするだけで会う必要はないからな。当然夫の役割もない」
「そうですか…」
何だか知ってはならない貴族世界の一部を知ってしまったような気がして、レンドルフは複雑な気持ちになった。レンドルフも貴族令息ではあるが、中枢政治とは無縁に過ごして来た脳筋寄りの家なので、知らないことは多いのだ。
「もし婚姻歴が残るのが気になるようであれば、離婚後に養子縁組先を斡旋も出来るが…そこは話し合いだな」
「はい!」
レナードの最後の言葉は、ベルに向けて言っていた。ベルも承知したとばかりに元気に即答していた。その隣に居たモノの口角が少しだけ上がったのをレンドルフは見て、きっと養子先にはオルトとベルの夫妻が名乗りを上げるのだろうな、と確信した。そしてモノもそれを望んでいることも。ほんの少し過ごしただけで、彼らがモノを我が子のように可愛がっていることはすぐに分かる。親子と言うよりも少し歳の離れた兄弟のようにも見えるが、どちらでもいいような気がした。
「レンドルフ先輩…僕、こんなに貴族の秘密を知っちゃって、大丈夫でしょうか…」
「ああ…」
「希望者にはこの後誓約魔法を結ぶが、どうする?」
「是非!是非お願いします!」
レンドルフの隣でカタカタと気の毒な程震えていたショーキの呟きを耳聡く拾ったレナードが聞くと、ショーキは迷わず挙手をした。誓約魔法は知ってしまったことを他言しないように契約する魔法だ。他にも色々な内容と制限を選択することが出来るが、機密事項を他言しないという内容に最も使用される。これを掛けておけば、自白剤を使われても喋れないと言われる。情報を引き出そうと強引に解除を試みても、高確率で当人も掛けようとした術者も精神に異常を来すので、この魔法自体が身の安全の保証にもなるのだ。
レンドルフも念の為、と思ってそっと手を挙げると、ソファの方に座っているオスカーとオルトも挙手していた。それを見てレナードが「団結力のある部隊だな」と愉快そうに笑っていた。
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王城からの帰り道、オルトとベルは腕を組んで並んで歩いていた。
モノはいくら日帰り可能と言われていても処置の直後なので、大事を取って今日は寮の自室で安静を言い含めて来た。処置をしてくれたのは王城の医師なので、何かあったらすぐに対処してくれることになっているし、明日また様子を診せに行く必要もある。
「…怒ってる?」
「いや」
「ホントに?」
「ああ。……お前に気を遣わせた自分にちょっと腹は立つがな」
「オルトは悪くないわよ。私が勝手に気にして、勝手に言わなかっただけ」
ベルは、オルトにモノの断種や一時的な婚姻などについては話していなかった。モノに実家のトーリェ家とは縁を切らせて、二人の養子にしようという話はしていたが、どうやって縁を切らせるかは具体的に話を詰めていなかった。もう既にベルは下準備をレナードと話し合っていたのに、ベルはオルトにはこのことをどうしても言えずにいたのだ。急遽レナードの手配によって処置が可能な医師を捕まえたと連絡が今日の午前中に入ったので、そのことに関しては勤務中のオルトに知らせられなかったのは嘘ではないが。
「……10年前、かあ…もっと早く開発されてたら貴方も…」
「あいつらがそんな恩情は掛ける筈がないさ。俺は一族の恥だったからな。血を残すことは禁じられてた」
「ごめんね。同じような作戦しか思い付かなくて」
「全然違うだろ。俺は子爵家の婿予定だったし、相手は30も上の強欲女だった。それに一度婿入りすれば、死なない限り出られなかったろうさ。モノとは大違いだ」
オルトは立ち止まって、空いている方の手を伸ばしてベルの眼帯を愛おしげに撫でた。
「ベルのおかげで俺は婿入りしないで済んだ。助かったよ」
「ん…」
かつて幼かったベルを助けようとして負った顔の傷のせいで、オルトの婿入りの話は潰えた。その代償としてベルも片方の目の視力を殆ど失った。けれどそれが今の幸福な日々に繋がっているのも事実だ。ベルは「でも」と言いたくなる気持ちをグッと飲み込んで頷いた。
「あいつが俺達の息子になったら、一緒にうんと甘やかして育てような」
「ふふ…そうね。料理は出来ないけど、編み物は出来るから、お揃いの靴下とか作りたいわ。あと、一緒に出掛けて、こっそりオルトの誕生日プレゼントとか選ぶの」
「もうそれ、こっそりじゃねえだろ」
オルトは堪らなくなって両手でベルを抱きしめて、甘そうな蜂蜜色をした髪色のつむじに唇を落とした。昔は抱きしめると骨に触れたが、今はムッチリと柔らかい感触しかしない。それはオルトの幸せそのものの感触だ。
「これからだと遅くなるから簡単な夕メシになるけどいいか?」
「いいよ〜。あ、パンケーキ食べたいな。あの緑と紫のマーブルの奴」
「あー…うん、大丈夫だ。材料は揃ってる。ふっかふかの作ってやるからな」
「うふふ、楽しみ〜」
二人は笑い合いながら再び腕を組むと、幸せそうに家路についたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
更新頻度が変更になりますので、次回の更新は火曜日になります。よろしくお願い致します。